救いからほど遠い人間たち


 人間は、救われた状態で創造されたのですが・・・・・。

 この世界を創造された神が、人間を素晴らしいものとして造られたということは、

 救われた状態で創造されたという意味です。


 「神は自分のかたちに人を創造された。」

 「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。」

 (旧約聖書・創世記・1章26・27節・口語訳聖書)


 私たち人間は、もともと救われた状態で創造されたのですが、

 最初の人間が創造主なる神に背いた結果、

 取って食べて死ぬといけないから取って食べるな・・・と、神が言われたことに反して・・・。

 取って食べてしまった最初の人間アダム。


 「善悪を知る木からは取って食べてはならない。

 それを取って食べると、きっと死ぬであろう。」

 (旧約聖書・創世記・2章17節・口語訳聖書)


 最初の人間のとった行為から・・・取って食べた結果、

 あとに続くすべての人類は、救いというものから遠いものになってしまったのです。

 ですから、この世において救いを得ることなど不可能なのです。

 再び救いを得るということは、

 元の状態に戻るということは、

 すなわち復活するということは、

 復活への約束を信じなければならないのです。

 私たちが生を受けているあいだは、

 ただやがて来る、必ずや来るべき時に、復活するという約束に希望を抱いて生きるしか他はないのです。

 その人が生きているあいだは、どれほど生活を正したとしてもこの世では救いからほど遠いものなのです。

 救いから遠いからといって、今のままで、今の状態で過ごしても良いわけではありません。


 「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。

 だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。」

 (新約聖書・ローマの信徒へのパウロの手紙・7章24節・口語訳聖書)


 ここにキリストへの信仰というものの基があるのです。

 キリストの復活というものへの信仰があるのです。


 「だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず・・・・・、

 ・・・罪にささげてはならない。

 死人の中から生かされた者として・・・・・。」

  (新約聖書・ローマの信徒へのパウロの手紙・6章12・13節・口語訳聖書)


 死人のうちから生かされるという約束への希望において、

 約束を信じるという意味において、

 罪深い生を送ってはならないと・・・・。

 つまり、イエス・キリストに聞き従うことによって、

 イエス・キリストへの信頼というものによって、

 罪に支配されることはないのです。


 罪と言えば、交通違反や犯罪などといった法律に反したことや、

 善悪の基準といった人間倫理に反した行為だけだと思いがちですが、

 キリスト教の言う罪とは、そのような罪を引き起こす、

 人間がもともと持っている性質を言っているのです。

 知らず知らずのうちにあらわれてくる、

 思いや言葉や行為となってあらわれてくる、

 本性的なもの、生まれながらに負っているものを言っているのです。


北白川 スー

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Wrote up: 21 September 2009.