神にたいする債務
私たちすべての人間は、この世界を造られた創造主なる神にたいして、
大きな債務を負っているとしたら・・・・。
自分の持てる能力や力量では、
とうてい返すに返せないほどの大きな負債なのです。
またその債務に、さまざまな形で縛られています。
しかし、神のひとり子イエス・キリストが、
身代わりとなり、命をささげることにより、その負債の対価として支払い、
その債務を無効にしてくださったとしたら・・・。
つまり、ある事柄を成就させる代わりに受けなければならない犠牲として・・・・。
その大きな債務こそが、私たちすべての人間の行動や言葉や思いに、
大きな影響を与えているものなのです。
しかし人は、それとは知らず、
知らず知らずのうちに・・・・。
それを明らかにするのがイエス・キリストの十字架の死による贖い (あがない) の出来事なのです。
「あなたがたは罪によって、・・・・死んだ者であったのに、
神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。
それは、私たちのすべての罪を赦し、
いろいろな定めのために私たちに不利な、
いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。
神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。」
(新約聖書・コロサイの信徒への手紙・2章13〜14節・新改訳聖書)
日曜日のキリスト教の教会の礼拝のとき・・・・、
初めて教会に足を踏み入れた人がいたとして、
そのとき、礼拝の説教でイエス・キリストの十字架の死による贖いの出来事の内容と意味とが解き明かされていないとすれば。
その人は教会にたいして、キリスト教にたいして、クリスチャンにたいしてどのような感想をまた印象を、抱き持ったことでしょうか。
人には、自分には自分なりの、
自分の考え方ややり方などあります。
また、それが最善だという頑固とした思いがあります。
しかし、神の意思は、私たちの思いをはるかに超えたものなのです。
自分の力量や財力・範囲などを超える大きな債務は、
返すことなど到底不可能なのです。
その債務を肩代わりできる存在は、
まったく別の人格なのです。
到底・限度を超えた・返すことなど出来ない大きな債務は、
その債務を肩代わりできるのは、
関係もつながりもまったくない、
まったくの別の人格だけなのです。
神は私たちの債務のために、
私たちの債務と何のかかわりのない方に報いを与えになったのです。
それは、私たちの債務にたいする効力をなくするために。
ひとりの例外もなく抱えている私たちの債務とは、
いったい何なのでしょうか。
そしてその債務が私たちに与えている影響とは・・・・。
北白川 スー
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Wrote up: 21 March 2010.