福音・救い・イエス・キリストとは


 福音・救い・イエス・キリスト・・・・、

 そして罪・・・。

 キリスト教がよく使うキーワードですが、

 福音って、何ですか。

 福音とは、自分の人生にとってプラスになることのことですか。

 救いって、何から救われるのですか。

 イエス・キリストって誰のことですか。

 経済的な困難からの救いのことですか。

 病気からの回復のことですか。

 人間関係がうまく行かないから、

 人間関係の不和から抜け出すことですか。

 イエスは、神話に出てくる人物ですか。

 立派な仕事をした尊敬すべき人物のことですか。

 罪については、あまり語られないかもしれません。

 どうもこの日本では、

 福音について、救いについて、

 イエス・キリストについて、

 大きな勘違いをされているようです。

 何かの原因で思い違いをされているようです。

 イエス・キリストは、

 まぎれもなく救い主・救世主・メシア、

 つまりキリストなのです。

 この世界を造られた創造主なる神が、

 この世界を救うためにつかわされた救世主なのです。

 ”神の怒りの裁き ”から、

 神の作品としての私たちを、

 被造物としての人間を救うために、

 神のひとり子を、

 人としてこの世界に生まれ来させになったのです。

 この世界は、必ず終わりの時が来ます。

 そのとき、

 生きている人も、かつて生きていた人も、

 神の裁きの座の前に立たなければならないのです。

 天国か地獄か・・・・。

 私たちは神によって裁かれます。

 だから、私たち人間は救われなければならないのです。

 ところが、救ってくださるのも神ご自身なのです。

 救いとは、神の怒りの裁きからの救いのことなのです。

 福音とは、救い主イエス・キリストが、

 人としてこの世界に来られたこと、

 そして、私たちの人間の神にたいする罪を、

 その身に負われ、罪人として十字架にかけられ、

 死して、私たちの罪を贖って(あがなって)くださったのです。

 そのイエス・キリストを信仰することによって、

 私たちは神の怒りから救われるのです。

 信仰によって救われるのです。

 罪とは、私たちが犯す過ちやルール違反や倫理的なことではありません。

 もっと根の深いところにあるもの、

 私たちが、生まれながらに追っている罪深い性質のことです。

 それを ”原罪 ”(げんざい)と言います。

 私たちのあらゆる思いや言葉や行為などの源にあるものを言っているのです。

 私たちがときどき罪を犯すから罪深いのではなく、

 常に罪深いから罪を犯すのです。

 それも、罪とは知らずに・・・。


 「更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。

 この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、

 来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。」

 (新約聖書・テサロニケの信徒への第1の手紙・1章10節・新共同訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up on 05 January 2011.