キリスト教の本質と基本・・・天から啓示された神の怒り


 教会で、イエス・キリストの十字架の死による贖い(あがない)の出来事が解き明かされず、

 さらには、神の裁きと怒りについて語られないのなら・・・・・。

 それはキリスト教というものの本質と基本とが共に語られていないことをあらわしています。

 イエス・キリストの十字架の出来事と、

 神の裁きと怒りとは、

 関係なさそうに見えても、両者は密接に関わり一体をなすものなのです。

 車の両輪と言ってもいいのです。

 キリスト教の教会の礼拝に、

 この世界を造られた創造主なる神へ・・・・。

 その身に、すべての人の罪を負い、

 ご自身の命を代価としてささげ、

 私たちの罪をつぐなってくださったイエス・キリストを・・・。

 教会を、またクリスチャンを真理へと導かれる聖霊とを・・・。

 礼拝しあがめるために人々は教会に集まってきます。

 それは、

 イエス・キリストの十字架の死によるあがないの出来事によって、

 私たちの罪が赦され、罪深さから解き放たれ、

 そして、この世界に存在するすべてのものの創造主である、

 すなわち、裁き主でもある、神の前に、

 私たちの罪のために死んでくださったイエス・キリストへの信仰を通して、

 神にとって正しい者として立つことができるという・・・・。

 その日・・・・・、

 主の再臨の日・・・・。

 やがて来る、いつ来るのかは分かりませんが、

 やがて来る神の怒りの日から救われている者として、

 この世界を造られた神の前に立つことができるという、

 感謝と希望とによって礼拝することができるのです。

 しかし残念なことに、

 この日本では、天国か地獄か・・・、

 永遠の命なのか、それとも永遠の苦しみなのか・・・・。

 多くの人たちが、神の裁きの日があることを知りません。

 知らされていないとしたら、信じることなどできません。

 教会で ” 神の裁き ” について解き明かされて初めて、

 救われるために何をしなければならないかが明らかになるのです。


 「救われるためには、何をしなければなりませんか。

 主イエスを信じなさい。

 そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」

 (新約聖書・使徒の働き・16章30〜31節・新改訳聖書)


 なぜ救われなければならないのでしょうか、

 それは、私たちがこの世界を造られた神に背いたため、

 神の怒りを招いたからなのです。

 神の怒りからどうすれば救われるのか、

 それには神との和解しか方法はありません。

 その神との和解の出来事こそ、

 イエス・キリストが十字架にかかり、その命をもって私たちの罪の代価を支払ってくださった出来事なのです。

 イエス・キリストの十字架の死こそ、

 天から啓示された神の怒りそのものなのですから。

 私たちに代わってイエスのうえに下された神の怒りなのです。

 私たちの身代わりとなってくださった、

 イエス・キリストを信じることによって、

 神の怒りから救われるのです。

 私たちを神の怒りから救ってくださるのは、神ご自身なのです。

 この日本の教会では、自分のためにあろうとするあまり、

 自分自身に不安を、また不満を感じている人たちが集まって来る傾向にあります。

 でも、救われたい気持ちでいっぱいなのです。

 では、何からの救いなのでしょうか。

 何からその不安や不満はやって来るのでしょうか。

 それは、自分自身の考え方ややり方にたいする自分自身の不満や不安なのかもしれません。

 父なる神をという、帰るべきところを失ってしまった私たち、

 確かな立つ場所をもなくしてしまった私たち。

 父なる神との関係を断たれ、神から遠いものになってしまった私たち・・・・・。

 その関係を回復することこそ救いそのものなのです。


北白川 スー

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Wrote up: 07 September 2009.