何からの救いなのか・・神の裁きと怒りについて


 教会の日曜日の礼拝における説教で、

 語られることの少ないイエス・キリストの死と葬りと復活についてのメッセージですが、

 その他にも、さらに語られることがきわめて少なく、けれども、

 キリスト教の最も本質的で基本的な事柄について書いてみようと思います。

 クリスチャンは、イエス・キリストへの信仰によって、

 父なる神と和解し、罪を赦され、罪深さから解き放されるわけですが、

 それですべてが終わったわけではありません。

 さらにもっと大きな事柄が私たちを待ち受けています。

 それは・・・・・、

 イエスを自分の主であると公に告白し、

 洗礼を受け、クリスチャンになるわけですが、

 では、クリスチャンで無い人たちはどういう状態にあるのかと言えば・・・・、

 この世界を造られた創造主なる神は、

 また、存在するすべてのものの” 裁き主 ” でもあるわけです。

 創造主であるがゆえに、なにものにも制限されない存在であるわけです。

 ですから、クリスチャンで無い人は、

 つまり、創造主なる神の前で信仰告白をしていない人は、

 ” 神の裁きと怒りの下に生きている ” ことになります。

 クリスチャンである人は、

 すでに、裁きと怒りについては決済済みなのです。

 イエス・キリストへの信仰によって・・・・・・。

 だから・・・・ ” 神の 裁きと、神の怒りから救われている ” のです。

 私たちの罪のために死んでくださった神のひとり子イエス・キリストへの信仰に通して救われているのです。

 さて、

 イエス・キリストが再びこの地に来られる時が必ず来ます。

 それを ” 主の再臨 ” と言います。

 それは、” 御国が完成する日 ” でもあります。


 「 また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、

 すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、

 それらのことは他の人々が言い広めているのです。」

 (新約聖書・テサロニケの信徒への第1の手紙・1章10節・新改訳聖書)


 はっきり言えます。

 ” 救い ” とは、

 やがて来る・・・いつ来るのか分からないけれど必ず来る、

 ” 神の怒りからの救い ” なのです。

 神の怒りの日は必ずやって来るのです。

 ですから、クリスチャンで無い人にとっては、

 イエス・キリストの再臨の日は、

 人々が経験する最も過酷な災いの日になるのです。

 最悪の日と言ってもいいのです。

 でもクリスチャンは希望を持って言うことができます。

 イエス・キリストこそ、

 やがて来る神の怒りの日から救ってくださる救い主だと・・・・。

 この裁きの日は、生きている人も、すでに死んでいる人も、その対象なのです。

 生死については関係なく、ひとりの例外もなく神によって造られた人類すべてが対象なのです。

 救い主を持たない人たちにとっては最悪の日となるのです。

 天国か地獄か、

 永遠の命なのか、

 それとも、永遠に続く苦しみなのか。

 その選択は、ただ私たちにゆだねられています。

 しかし、人間には自分を救うための力はありません。

 救いは神から来るものだからです。

 救いとは神だけが成しえることなのです。

 この世界を造られた、私たち人間をも造られた創造主であるがゆえに。

 作品を壊すも、栄光を与えるのも作者の意志によるのですから。


北白川 スー

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Wrote up: 05 September 2009.