ふたたび、福音とは何



キリスト教が言うところの ”福音 ”とは、いったいどのようなことなのでしょうか。
福音・フクインとは、良き知らせ、ゴスペルと言われるものです。
では、どのような知らせなのでしょうか。
それは、イエス・キリストが十字架刑で死刑となり、
葬られ、3日の後に死人のうちから復活したという出来事のことです。

聖書は、この出来事を、
”ひとりの人がすべての人のために死んだ ”と説明します。

神のひとり子イエス・キリストが、
だれひとりの例外もなく、
すべての人間の罪をその身に負い、
十字架にかけられ、
死をもって、
命を罪の代価として、
すべての人の罪を贖った(あがなった)という出来事です。

ここで言われている罪とは、
人間が生まれながらに負っている罪深い性質のことを言っています。
それを”原罪 ”ゲンザイと言います。
最初の人間アダムが創造主なる神に背いてから、
アダムに続くすべての人類は、
罪深い性質を負って生まれてくるのです。
だれひとりの例外もなく人間はひとしく罪人なのです。
そうでなければ、
神のひとり子イエスがキリストとして、
メシア救い主としてこの世界に生まれ来て、
すべての人の罪を、その身に負い、
十字架刑により死をもって贖ったという出来事は意味を失います。

すべての人は、弱くて愚かな存在でなければ、
福音は意味を失います。
私は罪など犯していないと言うならば、
福音は意味を失うのです。

神のひとり子イエスが、メシアとしてこの世界に人として生まれ来られたということは、
この世界が、神の目からして堕落していることをあらわしているからです。

私たちは物にあふれた近代的で便利な社会に暮らしていますが、
実は、それらすべては罪の成せるわざなのです。

人間は、神に聞き従わず、
罪深い社会を作ってしまったのです。

聖書・バイブルは、

「 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。
私たちはこう考えました。
ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、
すべての人が死んだのです。」

(新約聖書・コリントの信徒への第2の手紙・5章14節・新改訳聖書)

聖書・バイブルは、罪をつぐなうのは死であると語ります。
西洋では、肉体的に苦痛を与えることによって、
その苦痛の強さによって罪が償えるというものの考え方、やり方があります。
しかし、日本では、
懲罰を、
犯した不正な行為にたいして、
制裁を加えることによって、
罪は償えるとは考えないのです。
過失にたいしては教育というチャンスを与えて、
心を入れかえ、
心を再生産して出直してくるチャンスを与えるのです。
人はもともと善なる存在であり、
社会の悪や環境がその人を悪くしたわけで、
再教育というチャンスを与えることによって更生させようというわけです。

聖書・バイブルが言うところの福音が、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事が、
なかなか理解されない大きな理由なのかもしれません。


北白川 スー

関連記事・「イエス・キリストの十字架」

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Wrote up on July 11, 2013.