キリストって、なに?


 キリストって、なに?。

 イエスとキリストって関係あるの・?。

 十字架って・?、チャペルの屋根に飾ってある、あれ・?。

 キリストって、あのざんげの人?。

 イエス・キリストとジーザス・クライストと同じ人?。

 キリストって、あのキリスト教のキリストね?。

 ・・・・・・。

 高校のときの国語辞典を開いてみた、

 キリストとは「Christo」”救い主 ””メシア ”のことであり、

 ユダヤ人、キリスト教の開祖、イエス・キリスト。

 キリスト教とは、キリストを教祖とする絶対唯一の神によって魂の救いを得させようとするもの・・・・と。

 ”メシア”はヘブライ語で大祭司、油そそがれた者、救世主をさし、

 「神の救いの日」に、イスラエルを神の意志の通りすべてをまとめ動かし、

 栄光にあずかることを得させる王の意味・・・とある。


 つまり、キリスト教は、

 イエスをもってメシア・救世主、すなわちキリストと考えたわけです。

 ということは、

 救世主がこの世界に来られるということは、

 つまりイエスがこの世界に生まれたということは、

 この世界が、神の目から見て堕落してしまっていることになります。

 この世界のすべてが、すべての人間が、

 どうしょうもないほどに追いつめられ、

 苦しんでいる状態にどっぷりとはまってしまっていて、

 逃げることも救われることもできない状態でなかったなら、

 救い主であるイエス・キリストが、

 この世界に生まれ来る必要などどこにもないことになります。

 聖書・バイブルは、

 「悔い改めなさい、天の御国が近づいたから。」と語ります。

 天の御国、すなわち”神の支配 ”キングダム・ヘブンが近づいたからと。

 そして、「悔い改めにふさわしい実を結びなさい」と。


 この世界を造られた神が、神ご自身でもある、ひとり子イエスを、

 この地上につかわすことによって、

 つまり神の支配の到来をあらわすことによって・・・。

 私たち人間に知らしめようとされた・・・。

 この世界を造られた父なる神の愛を・・・・。

 神の愛を示し、

 神の愛が真実であるということを、

 私たち人間に示し見せられた出来事こそ、

 イエス・キリストが十字架の上で、

 その命を捨てられた・・・、

 ひとりの人が私たちすべての人間のために、その命をもって贖われた・あがなれた出来事なのです。

 ここで前提となっているのは、この世界が堕落していること、

 つまり、ひとりの例外もなく、すべての人間は罪深い状態にあることです。

 すべての人の罪深さを、その罪の代価を、

 神は、ひとり子イエスの命をもって支払われたのです。

 現実の世界を見ても、ただただ多くの問題を引き起こしているのは、

 それは、私たち人間そのものなのです。

 キリスト教を考えるとき、

 ただ単なる精神性としての宗教として見るのではなく、

 現実の私たち人間の姿そのものと密接にリンクしていることを理解しなければならないでしょう。

 私たち人間は罪深い存在であること、

 そして世界は終末へ向かって突き進んでいること、

 やがて、キリストが再びこの地上に来られたとき、

 悔い改めた者は、

 つまり、イエスをキリストとして信じた者は、

 そして、イエスの言葉に聞き従った者は、

 永遠の命へと移されるのです。


 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。

 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、

 永遠のいのちを持つためである。」

  (新約聖書・ヨハネによる福音書3章16節・新改訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up: 01 June 2008.