キリスト教の布教が進まない理由
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いつまでたっても、キリスト教が広まらない日本では、
クリスチャンであることは、
社会の中で、共同体の中で、自分の所属している組織の中で、
ごくごく少数派であることの証しなのです。
キリスト教の布教や宣教となると、
目に見えての活動は、見てはとれません。
なぜに、この日本ではキリスト教の布教が進まないのでしょうか。
キリスト教界では、さまざまに、その理由が言われています。
キリスト教の信仰の、その基いとなっている事柄、
”福音 ”とも言われるもの、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事の、
その内容と意味とが広く解き明かされていない・・・からだと。
語られることがなければ、
聞くこともできないわけです。
語り伝える人が居なければ、
伝えることもできません。
いや、福音という、そのものが、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事が、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事が、
キリスト教信仰の、その基いになっていないから・・・だと。
福音を、イエス・キリストの十字架の出来事の、
その内容と意味とを知らないクリスチャンが多くを占めているからではないかと。
いや、もっと根本的に見て、
日本人自身の内なる精神構造に、
その原因があるのではないかと。
日本人の特徴として、
ことがらの本質的なものを見ることを避ける性質・傾向にあるからだと、
もっと問題意識を持って物事に向かい合わなければ、
明日は見えてこない・・・、
道は、開けてはこない・・・・。
「 ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、
だれがあなたがたを惑わしたのか。
目の前に、
イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。」
(新約聖書・ガラテヤの信徒への手紙・3章1節・新共同訳聖書)
北白川 スー
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Wrote up on April 02, 2012.