何が前方にあるのか



あまりにも雑多な情報があふれ、
さも便利に見える物にあふれた現代、
しかし、
心を悩ますこともなく、
話題にも上がらず、忘れてしまったものがあります。

人生に何を求めているかを正確に求め出すこと、
そして何をなすべきか、何が欲しいのか、
自分が本当にしたいことは何なのか、
そして何よりも、ワクワクして待つことのできる何かがあること・・・。

それが仕事とか趣味とかカルチャーとかボランティアと言うものではなく。

言いかえれば、
何が自分の前にあるのか分からないし、
人生の焦点を定めることができないでいる人たちが多いことを現わしています。

人生にビジョンを持つことの大切さは、
歩むべき方向性を与えてくれるものであり、
何が前方にくるのか、
自分はどこへ行こうとしているのかを明らかにすることです。

自分はどこへ行こうとしているのか分からなければ、
見当違いのところへ流されるのは明らかなのです。

現代社会は、
自分の人生に責任を持つことを、
どこかに置き忘れてきた時代と言っていいでしょう。

聖書・バイブルに次のような言葉があります。
「信仰は望んでいる事がらを保証し、
目に見えないものを確信させるのです。」

(新約聖書・ヘプル人への手紙11章1節・新改訳聖書)

どこへ行くのか分からないとき、
約束されたものがあるとしたら・・・・。
何が前方にあるのかを明らかにするとしたら・・・・。

人生に苦しみがあったとしても、
報いとして与えられるものから目を離さないでいられるとしたら。

信仰というものは、
何が前方にあるのかを明らかにし、
それから目をはなさないことを意味してたいます。

キリスト教の信仰は、
この世界を創造され、
私たち人間をも造られた“主なる神”との関係においてあるものです。
神と共にあるもの、それが信仰です。

人生に何を求めるのかを考えるとき、
広がりをもって人生を見つめることができれば、
心をひらいて物事を見ることができれば、
自分だけの人生なのか、
それとも、自分という存在は、
目的をもって造られた存在であることを知れば・・・・、

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、神がおられることと、
神を求める者には報いてくださる方であることを、
信じなければならないのです。」

(新約聖書・ヘプル人への手紙11章6節・新改訳聖書)

人生に希望を与えてくれるもの、
人生を報いあるものへと導いてくれるものが、
神によって与えられた人生であることを知ります。

人を感動させるのは、人の視野の広がりにかかっています。
物事を狭くとらえる人には、神は見えないでしょう。

あなたは、あなたの人生のすべての土台になるものを持っていますか。
あなたの人生を支えるものを持っていますか。

何が前方にあるのかを明らかにするのが、
キリスト教の信仰なのです。

人生を実りあるものにするのか、
それとも、
苦悩の中で終えるのか・・・・。

天国か地獄か・・・・・・。


北白川 スー

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Wrote up on May 21, 2015.