聖書の行間を読む・・自分を捨てて


 主イエス・キリストは、常に私たちに向けて語りかけられています。

 それも聖書の言葉を通して・・・・。

 しかし私たちは、イエス・キリストの真意を、

 イエス・キリストの本当の気持ちを読み取ることができないでいます。

 クリスチャンでなくても聖書をバイブルを愛読している人はたくさんいます。

 しかし、聖書からのメッセージを、

 はっきりと理解できるわけではありません。


 「みな、わたしの言うことを聞いて、悟るようになりなさい。

 外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。

 人から出て来るものが、人を汚すものなのです。」

 (新約聖書・マルコによる福音書・7章14〜15節・新改訳聖書)


 多くの人が、自分の殻から抜け出すことに抵抗しあらがい苦しんでいます。

 それが聖書の理解を妨げているのです。

 イエス・キリストの十字架の死による贖い(あがない)の出来事の内容と意味との理解を妨げているのです。

 自分の殻から抜け出せば、どれだけ楽になるかを知らずに・・・・。

 私たち人間が生まれながらに持っている罪深さは・・・、

 つまり ”原罪 ”は、

 キリストの福音を、聞いたり理解したりするのに、

 大きなハードルになっているのです。

 私たちを縛っているものを取り除いてくださるのが、

 イエス・キリストの贖いのわざなのですが、

 ここに大きなパラドックスがひそんでいます。

 矛盾しているように見えますが、ここに深い意味があらわされているのです。

 自分の義を求めれば、

 神の義を立てることにはなりません。

 自分を捨てなければ、自分の義を手にすることはできないのです。


 「だれでもわたしについてきたいと思うなら、

 自分を捨て、自分の十字架を負うて、

 わたしに従ってきなさい。」

 (新約聖書・マタイによる福音書・16章24節・口語訳聖書)



北白川 スー

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Wrote up: 16 April 2010.