
なぜに福音が解き明かされないのか

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 キリスト教の教会の日曜日の礼拝の説教において、
 どうして福音が解き明かされないのでしょうか。
 福音、すなわち、
 ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事、
 イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事の解き明かしが、
 すなわち、イエス・キリストの死と葬りと復活についての解き明かしが、
 つまり、罪について、罪の赦しについて、
 神の裁きからの救いについて・・・・・。
 どうして説き明かされないのでしょうか。
 キリスト教の信仰を決定づけるものですし、
 信仰の礎に基いとなるものなのです。
 教会がこの世界に存在している理由なのです。
 「 わたしは福音を恥としない。
 福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、
 信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」
 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・1章16節・新共同訳聖書)
 しかし、日本の現実は、
 教会の説教において解き明かされることは、
 まず無いと言っていいかもしれません。
 もしも、解き明かされ続けているとしたら、
 日本のキリスト教の信徒数が、
 いまだに人口比にして1パーセントということはないはずなのです。
 日本のキリスト教が、
 あるべき本来の姿から離れてしまっているとしたら・・・。
 イエス・キリストの十字架の出来事が福音であるなら、
 イエス・キリストの死と葬りと復活という出来事の中に、
 具体的にあらわされている、
 キリストの真理に生きようとするのがクリスチャンであるはずです。
 福音が具体的に解き明かされていないとしたら、
 キリストの真理に生きることなどできません。
 キリストの福音は届いていますかと問うとすれば、
 その問いは、
 キリストの福音が解き明かされ続けていることが前提となります。
 解き明かされていないとしたら、
 福音は届くはずがないのです。
 キリストの真理に生きること、
 それがクリスチャンの生き方なのですから。
 「 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。
 だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」
 (新約聖書・コリントの信徒への第1の手紙・6章20節・新共同訳聖書)
 クリスチャンだけではありません。
 創造主なる神の作品として、
 被造物としてのすべての人間は、
 神に栄光を帰さなければならないのです。
 それが、すべての人間の存在理由なのですから。
北白川 スー
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Wrote up on  02 August, 2012.