人生の違いを創出する


 キリスト教も、御利益信仰ではないかとご批判を受けことが多々あります・・・。

 キリスト教の信仰もまた、その域を出ることはないのではないかと・・・。

 信仰というものが、

 自分の望みが実現することに目的を持っているのなら、

 自分の望みに望みを置いているのなら、

 そうであるなら、それは御利益信仰に違いない・・・・。

 それを教会に求めている人は、

 たしかに、自分の殻から抜け出すことに抵抗しあらがい苦しんでいる。

 自分が最善だと思っている生き方ではなく、

 その外に、また別に新たな人生が用意されているとしたら。

 まさしくそれこそが福音の中味なのだが・・・・。


 「なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。

 律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。

 しかし今や、神の義が、律法とは別に、

 しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。」

 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・3章20〜21節・口語訳聖書)


 キリスト教信仰は、イエス・キリストの生と死と復活にその基礎を置いている。

 決して自分の望みが成就することが信仰の目的ではない。

 それどころか、


 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。

 だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。

 だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。

 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。」

 (新約聖書・ヨハネの福音書・3章3〜6節・口語訳聖書)


 だれでも自分の望みを捨てるには抵抗があるだろう。

 抵抗どころか、恐れすらやってくるのだから。

 自分の望みに従って生きようとするなら、

 それは苦しみ以外のなにものでもない。

 しかし、キリストへの信仰によって自分の望みを殺すなら、

 キリストによって生きるのです。

 新たな人生を手にして・・・・・・。

 今までにない新しい人生をむかえるのです。


北白川 スー

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Wrote up: 18 April 2010.