ひとりの人がすべての人のために死んだ


  ”ひとりの人がすべての人のために死んだ ”というニュースこそか、

 すべての人にとってのグッド・ニュース・良き知らせ、

 つまり福音なのです。


 「 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。

 私たちはこう考えました。

 ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、

 すべての人が死んだのです。」

 (新約聖書・コリントの信徒への第2の手紙・5章14節・新改訳聖書)


 ひとりの人の血が、

 多くの人の罪のゆるしを得させるために流されたのです。

 神のひとり子イエス・キリストが、

 私たちに代わって、私たちの罪をその身に負い、

 罪人として十字架につけられ処刑されたというニュースなのです。

 イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事なのです。

 この出来事こそが、

 ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事こそが、

 内に強い力を持った、

 すべての人をおおいつくす、

 非常にダイナミズムな出来事なのです。

 しかし人は、そのダイナミズムを体感することの難しさを見せつけます。

 私たち、ひとりひとりの人間は、

 ごくごくちっぽけな存在でしかないため、

 その出来事の内にあらわされた全体を見ることの難しさを見せるのです。

 その出来事の外から見れば、

 すべての人間を覆うダイナミックな変化が起きているのですが、

 しかし、私たちの1人はそのごく一部に過ぎないため、

 全体を覆うダイナミックな変化を認識することの難しさを持っているのです。

 この世界を創造された神は、

 私たち人間をも創造された父なる神は、

 そのごくごく小さな存在にさえ、

 神は豊かな恵みを与えてくださっています。


 「 空の鳥をよく見なさい。

 種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。

 だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。

 あなたがたは、

 鳥よりも価値あるものではないか。」

 (新約聖書・マタイによる福音書・6章26節・新共同訳聖書)


 キリストの福音を手にすることができるのは、

 キリストの福音に包まれるには、

 どれだけ、自分自身を客観視することができるか否かにかかっている。


北白川 スー

関連記事・「イエス・キリストの十字架」

表紙にもどります。

アーカイブスへ。


http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/
Wrote up on 26 August 2011.