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2002年9月4日(2002.9.18up) |
・ スリランカ政府が、「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」に対する非合法化措置(ban)を解除(4日0時より)。 |
・ LTTEは、1998年1月25日に、キャンディの仏歯寺に爆弾テロを実行(16人が死亡)。同月26日に、スリランカ政府はLT |
TEに対する非合法化措置を発布。 |
・ 他にも、アメリカ、インド、オーストラリア、イギリス、カナダがLTTEを禁止(現在も継続)。 |
・ 野党のスリランカ大統領のチャンドリカ・クマーラトゥンガを含め、非合法化措置の解除に反対する意見も多数あり。 |
2002年9月16〜18日(2002.9.18up) |
・ ノルウェー政府の仲介のもと、スリランカ政府と「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」の間で、和平交渉の第1ラウンド(於 タ |
イのサタヒップ海軍基地) |
・ 主な合意内容: |
1、政府軍によって維持されているハイ・セキュリティー・ゾーンへの難民帰還問題を扱う合同委員会(Joint Committee) |
を設置すること。 |
2、人道的活動および復興に関する活動に携わる、合同作業部会(Joint Task Force)委員会を編成すること。 |
3、援助国に対して、和平プロセスを支援するための人道的活動に対する緊急支援を求めること。 |
・ 以上の合意は、スリランカ北部・東部地域(LTTEの支配地域)への30万人に及ぶ国内避難民の帰還を促進すること、同地 |
域に埋設されている150万個以上にも及ぶ地雷の除去作業を加速させることなど、内戦により疲弊した地域の復興を促進 |
させるための措置である。なお、上記2における合同作業部会は、スリランカ政府(シンハラ人)、LTTE(タミル人)、ム |
スリム人の3民族によって構成される模様(ムスリムは、シンハラ、タミルについで、3番目に多い民族)。 |
・ LTTE側の交渉担当者アントン・バラシンハム(Anton Balasingham)は、和平交渉終了後の記者会見において、LTTEの交 |
交渉の目的を「地域的自治(regional autonomy or self-government)の確立」とし、「独立国家(separate state)の樹立は自 |
治要求が拒絶された場合の最終的な選択肢(the last resort)である」と発言。さらにタミル・ホ−ムランドについては、「タミ |
ル語を話す人々が居住する地域のことだ」と説明。 |
・ 和平交渉の以後の日程: 第2ラウンド 2002年10月31日〜11月3日 |
第3ラウンド 2002年12月2日〜5日 |
第4ラウンド 2003年1月6日〜9日 |
・ 参考ニュース・ソース: BBC 南アジア・ニュース(2002.9.18)、 Tamil Net(2002.9.18) |
2002年10月22日(2002.10.31up) |
・ スリランカ最高裁が、大統領の国会解散権を無効とする憲法改正案(ウィクラマシンハ政権が提出)を違憲と断定し、国民投 |
票の実施を求める。 |
・ 現行憲法の規定では、大統領は、総選挙から1年が経過すればいつでも国会を解散することができる(前回の総選挙は昨 |
年12月5日)。 |
・ スリランカでは、和平推進派のウィクラマシンハ首相(与党統一国民党)と和平慎重派のクマーラトゥンガ大統領(野党スリラ |
ンカ自由党)が対立を続けている。そのためウィクラマシンハ首相は、クマーラトゥンガ大統領が12月5日以降に和平交渉 |
を妨害するために国会を解散するのではないか、と危惧している。 |
2002年10月28日(2002.10.31up) |
・ 日本の外務省が、明石康氏が11月3日から9日にかけてスリランカを訪問すると発表。 |
・ 明石氏は、「スリランカの平和構築および復旧・復興に関する日本政府代表」に就任している。 |
・ 日本政府は、スリランカの復興を支援する国際援助国の会合を東京で開催することを決定している(おそらく5月)。 |
2002年10月30日(2002.10.31up) |
・ コロンボ市内で、シンハラ人とムスリム人の間に暴動が発生し、外出禁止令が発令される。暴動により1人が死亡、21人が |
負傷。 |
・ 発端は、ムスリム人が、コロンボ市の中心部にイスラム教育センター(Islamic teaching centre)を建設しようとしていること。 |
・ シンハラ人は、建設禁止命令を求めて裁判所に提訴していたが、火曜日(29日)に却下された。翌30日に、シンハラ人仏教 |
僧が建設予定地周辺で平和的な抗議活動を行っていたところ、ムスリム人とシンハラ人の暴徒が衝突し、暴動へと発展。 |
・ 現在、スリランカ・ムスリム会議の国会議員(ウィクラマシンハ政権に参加)は、@スリランカの北部州と東部州の永久合併、 |
Aムスリム人による暫定行政機構の設置(和平交渉でLTTEが要求しているのと同様のもの)、 B独自の安全保障システ |
ムの設立などを、政府に対して要求している。 |
・ 参考ニュース・ソース: BBC 南アジア・ニュース(2002.10.30)、 BBC 南アジア・ニュース(2002.10.31)、 |
Daily News(2002.10.28) |
2002年10月30日(2002.11.6up) |
・ スリランカ高裁が、1996年にコロンボで発生した爆弾テロへの関与を疑われている、LTTEのリーダーであるヴェルピライ・ |
プラバーカラン(Velupillai Prabhakaran)に対して、200年の懲役刑を求刑。プラバーカランは欠席。 |
2002年10月31日〜11月3日(2002.11.6up) |
・ ノルウェー政府の仲介のもと、スリランカ政府と「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」の間で、和平交渉の第2ラウンド(於 タ |
イのナコン・パトム) |
・ スリランカ政府代表は、憲法問題担当相のG・L・ペイリス(G. L. Peiris)。LTTE代表は、政治部門リーダーのアントン・バラシ |
ンハム(Anton Balasingham)。両交渉団は、コロンボのカトゥナーヤカ国際空港から同じ飛行機に乗って現地入り。 |
・ 合意内容: 以下の3つの合同委員会(Sub-Committee)からなる合同作業部会(Joint Task Force)を設置することに、両者 |
が合意。以下、ノルウェー政府の声明より。 |
1、内戦で荒廃した北部・東部地域における、迅速な人道・復興ニーズに関する合同委員会(Sub-Committee on |
Immediate Humanitarian and Rehabilitation Needs in the North and East)。 第1ラウンドの合意2に関連。 |
→任務: @人道・復興に関わるニーズの確定、Aニーズ充足活動に関する優先順位の確定、B充足活動に対 |
する資金配分の決定、C充足活動の実施機関の確定。 |
→構成: スリランカ政府から4名(Bernard Goonetilleke、M. D. D. Peiris、M. I. M. Rafeek、ムスリムの代表)、LTT |
Eから4名(S. P. Tamilselvan、Jay Maheswaranら)の計8名。スリランカの民族構成を反映したものであ |
ることが要請されている。 |
2、国内難民の帰還を促すための、軍備の段階的縮小および事態の正常化に関する合同委員会(Sub-Committee on |
De-Escalation and Normalization)。 第1ラウンドの合意1に関連。 |
→任務: @難民の帰還の促進、A私有財産の返還、B経済活動の活性化。 |
→構成: 文民と軍人の双方で構成。スリランカ政府国防省のアウスティン・フェルナンド(Austin Fernando)、LTT |
E軍司令官のカルーナ(Karuna)ら。 |
3、内戦の原因となった政治的な問題の解決策を検討する合同委員会(Sub-Committee on Political Matters)。新設。 |
→任務: エスニック対立を終結させるために、タミル人の内的自決を可能ならしめるような、憲法・法律・政治・行 |
政面の問題を解決策を探ること。そのために、各国の事例が検討されることになる模様。 |
→構成: スリランカ政府から2名(G・L・ペイリス、ラウフ・ハキム)、LTTEから2名(アントン・バラシンハムら)の |
計4名。 |
・ 交渉は、当初、難民の帰還や地雷撤去の問題といったテーマに集中すると思われていたが、内戦の原因でもあるタミル人の |
自治問題までもが議題にあがり、上記第3番目の合同委員会の設立に合意するに至った。 |
・ LTTEのアントン・バラシンハムは、「LTTEの究極の目的は、民主政治の本流に参入し("ultimate aim was ... to enter the |
political mainstream, which is democratic・・・")、政治的集団として活動を続けることにある」と表明。また、子ども兵士の問 |
題について、「既に子ども兵士は両親の元に返しており、今や東北部に子ども兵士は存在しない」とも語る。 |
・ スリランカ・ムスリム会議代表のラウフ・ハキム(Rauf Hakeem)は、LTTEの支配地域である東部地域に居住しているムスリ |
ム人の安全確保の問題について、LTTEの軍司令官であるカルーナと会談し、「本年4月にムスリムとLTTEとの間に成立し |
た合意を遵守する」との確証をLTTE側から得る。ムスリム人は、イスラム教徒のタミル人であり、内戦下でスリランカ政府を |
支持してきたために、LTTEから報復攻撃を受ける恐れがあった。 |
・ 和平交渉の以後の日程: 第3ラウンド 2002年12月2日〜5日(於 オスロ) |
第4ラウンド 2003年1月6日〜9日(於 タイ) |
第5ラウンド 2003年2月7日〜10日(於 未定) |
第6ラウンド 2003年3月18日〜21日(於 未定) |
・ 11月25日には、ノルウェーのオスロで援助国会議が開催される予定。その際には、スリランカ首相のラニル・ウィクラマシン |
ハ(Ranil Wickremesinghe)とLTTEのアントン・バラシンハムが、直接会談する予定。 |
・ 参考ニュース・ソース: BBC 南アジア・ニュース(2002.11.3)、 BBC 南アジア・ニュース(2002.11.4)、 |
Tamil Net(2002.11.3)、 Tamil Net(2002.11.5) |
2002年11月24日(2002.11.29up) |
・ スリランカ首相のラニル・ウィクラマシンハ(Ranil Wickremesinghe)とLTTEのアントン・バラシンハム(Anton Balasingham)が、 |
初めての直接会談(於 オスロ)。 |
・ ほぼ12年ぶりに行われた、最高レベルの政治家による会談。 |
2002年11月25日(2002.11.29up) |
・ スリランカ支援国会議が、オスロで開催される。 |
・ 会議の目的は、スリランカ経済の再建、および、戦禍により疲弊した東部・北部地域の復興を支援するための資金援助につ |
いて話し合うこと。 |
・ 参加国は、米、英、豪、日、仏、カナダ、その他EU諸国などの計39ヶ国。 |
・ 以下の2点につき、合意された。 |
@7000万ドル程度の人道的援助を実施すること、和平交渉に大して政治的支援を行うこと。 |
A第2回支援国会議を、2003年春に、日本で開催すること。議題は、長期的援助の実施、援助国間の調整。 |
・ スリランカ野党の人民連合(People's Alliance, PA)は、スリランカ政府がLTTEとともにこの会議に参加することに反対。各国 |
が、それをきっかけにしてLTTEに対する非合法化措置の解除に踏み切ることを恐れたため。 |
・ インドは、ラディブ・ガンディー首相を暗殺したとされるLTTEと同席することを拒否し、参加せず。 |
・ 米国は、LTTEをテロ組織に指定していることからLTTEと同席することを拒否し、ウィクラマシンハ首相と個別に会談。 |
・ ウィクラマシンハ首相は、会議冒頭のスピーチで、2003年中に和平が達成されるであろう、との見通しを示す。和平成立の |
時期に言及するのは初めてのこと。 |
・ 米国のアーミテージ(Richard Armitage)国務副長官は、LTTEに対して、武装闘争を止めること、および平和的手段による紛 |
争解決を認めることを公式に宣言するよう、求める。 |
・ 参考ニュース・ソース: Tamil Net(2002.11.26) |
2002年11月27日(2002.11.29up) |
・ LTTEのリーダーであるヴェルピライ・プラバーカラン(Velupillai Prabhakaran)が、ラジオ演説を実施。以下を宣言。 |
@LTTEの運動目的を、独立国家の建設から、LTTEの支配地域であるスリランカ東部・北部地域における自治権の獲得 |
(internal self-determination)に変更する。 |
Aただし、自治権の獲得が妨害された場合には再び独立国家の樹立を求めることになる。 |
B和平交渉は、期間を定めず、あらゆる問題について話し合うべきである。 |
・ @は、オスロ支援国会議でのアーミテージ米国務副長官の発言に対する回答、Bは、同じくウィクラマシンハの発言に対す |
る牽制と思われる。 |
・ スリランカ政府は、この「歴史的な転回」(プラバーカラン)を好意的に受け入れると会見。 |
・ 参考ニュース・ソース: BBC 南アジア・ニュース(2002.11.27)、 BBC 南アジア・ニュース(2002.11.27)、 |
Tamil Net(2002.11.27) |
2002年12月2日〜5日(2002.12.8up) |
・ ノルウェー政府の仲介のもと、スリランカ政府と「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」の間で、和平交渉の第3ラウンド(於 ノ |
ルウェーのオスロ) |
・ スリランカ政府代表は、憲法問題担当相のガミニ・L・ペイリス(Gamini L. Peiris)。LTTE代表は、政治部門リーダーのアント |
ン・バラシンハム(Anton Balasingham)。 |
・ 最大の成果: タミル人の内的自決(internal self-determination)を連邦制度を採用することを通じて保証し、それによりスリ |
ランカ政府とLTTEの間に存在する政治的問題を解決することに両者が合意。 |
→これは、LTTEのヴェルピライ・プラバーカラン(Velupillai Prabhakaran)による「LTTEの運動目的を独立国家の建 |
設から自治権の獲得(internal self-determination)に変更する」との宣言(2002.11.27)を受けたもの、といえる。 |
→これにより、LTTEが長らく掲げてきた分離独立構想は、公式に撤回されたことになる。また、連邦制以外のもうひ |
とつの選択肢として考えられていた国家連合制(confederation)の採用も、否定されたことになる。 |
→今回の会談ではカナダ憲法の専門家による説明が行われている。スリランカに連邦制度を導入するために憲法を |
改正する際には、カナダのケベック・システムがモデルとして考えられているようである(和平交渉終了後の記者会 |
見において、バラシンハムはそう明言している)。 |
・ 合意内容: 第3ラウンドで論じられた課題は、1.停戦の強化、2.人道および復興に関する活動、3.政治的問題の3つ。上記 |
の「最大の成果」は、この3に該当するもの。 |
1、停戦の強化(Consolidation of the ceasefire) |
→以下の事項に取り組むことに、双方が合意。 |
@スリランカ政府は、ジャフナのホテルを本来の用途に早急に戻すこと。 |
ALTTEは、地域指揮官の移動を停戦監視団(the Sri Lanka Monitoring Mission)の監督下で行うこと。 |
BLTTEは、ジャフナ半島と島嶼部において政治集団が活動する権利を認めること。なおそれらの集団に |
ついては、武装解除されていることが必要。 |
Cスリランカ政府は、関係各位との協議の上、デルフト(Delft)島における軍事基地の建設によって引き起 |
こされている問題を解決すること。 |
Dスリランカ政府とLTTEは、北部・東部地域におけるあらゆる宗教に属する宗教施設の修復と再建を促 |
進すること。 |
→以上は、軍備の段階的縮小および事態の正常化に関する合同委員会(Sub-Committee on De-Escalation |
and Normalization)が担当する問題(第2ラウンド参照)。 |
2、人道および復興に関する活動(Humanitarian and rehabilitation action) |
→以下の事項に取り組むことに、双方が合意。 |
@和平交渉プロセスに女性の利益を反映させるために、ジェンダー・イシューに取り組む女性の委員会 |
(committee of women)を設置する(双方から4名ずつの代表、計8名で構成)。 |
A子供は、民生の場であろうと軍事の場であろうと労働の場にいるべきではなく、両親や後見人と共にいる |
べきであるとの考えに基づいて、子供を取り巻く環境を改善していくこと。LTTEには、ユニセフと |
協働することが求められる。 |
→以上は、迅速な人道・復興ニーズに関する合同委員会(Sub-Committee on Immediate Humanitarian and |
Rehabilitation Needs)が担当する問題(第2ラウンド参照)。 |
3、政治的問題(Political matters) |
→重要合意: LTTEのリーダーの提案に応じ、統一されたスリランカの枠組みのもとで連邦制を採用し、タミル |
語を話す人々が歴史的に居住してきた地域における内的自決の原則に基礎をおく問題解決手法 |
を探求することに、双方が合意。(Responding to a proposal by the leadership of the LTTE, the |
parties agreed to explore a solution founded on the principle of internal self-determination in |
areas of historical habitation of the Tamil-speaking peoples, based on a federal structure within |
a united Sri Lanka. [from the statement issued by the Royal Norwegian Government at the |
conclusion of the third round of peace talks on 5 December.])。 |
→さらに、以下の事項(ただし、これだけに限らない)について協議を行うことに、双方が合意。 |
@中央と地方の間だけでなく、中央における権力の分有(power-sharing)。 |
A地理的地域。 |
B人権保障。 |
C政治的および行政的仕組み。 |
D国家財政。 |
E法と秩序。 |
→以上は、政治的な問題の解決策を検討する合同委員会(Sub-Committee on Political Matters)が担当する問 |
題(第2ラウンド参照)。 |
・ 第3ラウンドで連邦制の採用に関する合意に至った背景には、ウィクラマシンハ政権が安定している間に成果を上げたかっ |
たこと、LTTE代表のアントン・バラシンハムの健康状態(腎臓病、心臓病 etc.)への配慮が働いたこと、などがあると推察 |
されている。なおスリランカ政府代表のG・L・ペイリスは、連邦制の採用に合意するのは第4ラウンドになると想定していたよ |
うである。 |
・ スリランカ・ムスリム会議(SLMC)代表のラウフ・ハキム(Rauf Hakeem)は、SLMCの内部でハキムを代表の座から追い落 |
とそうとする動きが発生したために、会談開始前日に急遽コロンボに戻ることになった(和平交渉にはSLMC顧問のモヒディ |
ン[M. I. M. Mohideen]が参加)。造反の原因は、LTTEの支配地域(東部)に居住しているムスリム人の自治権を、和平交渉 |
の席でハキムが十分に要求しないことに対する苛立ちであった。SLMCの国会議員12名のうち、ハキムに反対するのは5 |
名である。しかし、与党ウィクラマシンハ政権と野党PA(人民連合)との議席数には2議席の差しかないので、このSLMCの |
動向が、ウィクラマシンハ政権の存続を脅かすことにもなりかねない。むろんそうなれば、同政権が進める和平交渉の進展 |
にも影響が出るだろう。 |
・ 今後の懸案事項としては、以下の3つがあげられる。 |
@スリランカ国会において、憲法改正が実現できるのかどうか。 |
→憲法改正には国会議員の3分の2以上の賛成が必要となるが、この議席数を確保できるという保証がウィク |
ラマシンハ政権にはない。 |
A12月5日以降、クマーラトゥンガ大統領はいつでも国会を解散できるようになった。 |
→現行憲法の規定では、大統領は総選挙から1年が経過すればいつでも国会を解散することができる。国会審 |
議の動向次第では、大統領がこの権限を行使する可能性を否定しきれないのである。 |
→この点に関してG・L・ペイリスとアントン・バラシンハムは、総選挙が実施されたとしても結果的にウィクラマシ |
ンハ政権が今よりも圧倒的な多数で勝利するであろう、との見通しを示している(第3ラウンド終了後の記者会 |
見において)。 |
B今回合意された連邦制の枠組みに、ムスリム人(イスラム教徒のタミル人)が同意するのかどうか。 |
→合意に至った連邦制度に基づけば、「タミル語を話す人々」が住む北部・東部地域がタミル人の州となり、東 |
部州に数多く住むムスリム人もそこに含まれることになる。しかし、LTTEの迫害を受け続けてきたムスリム人 |
には独自に自治権を獲得しようとする動きもあり、この合意でムスリム人の了解が得られるかどうかは自明で |
はない。 |
・ 和平交渉の以後の日程: 第4ラウンド 2003年1月6日〜9日(於 タイ) |
第5ラウンド 2003年2月7日〜10日(於 タイ) |
第6ラウンド 2003年3月18日〜21日(於 東京) |
・ 参考ニュース・ソース: BBC 南アジア・ニュース(2002.12.5)、 BBC 南アジア・ニュース(2002.12.5)、 |
Tamil Net(2002.12.5) |
2002年12月9日(2002.12.11up) |
・ ラニル・ウィクラマシンハ(Ranil Wickremesinghe)が率いる国民統一戦線(United National Front, UNF)政府は、憲法改正で |
はなく新憲法の上程を目指していることを表明。9日に開かれた記者会見でガミニ・L・ペイリス(Gamini L. Peiris。和平交渉) |
政府側交渉団代表、憲法問題担当相)が発言。 |
・ スリランカでは、これまでにも度々、連邦制の導入が試みられてきた。 |
→@高地シンハラ人に対する措置として(独立前)。 |
Aバンダーラナーヤカ・チェルヴァナーヤカム協定に関わる措置として(1957年7月)。 |
Bセーナナーヤカ・チェルヴァナヤーカム協定に関わる措置として(1965年3月)。 |
Cチャンドリカ・クマーラトゥンガ大統領による和平協定案(Peace Package)に示された憲法改正案(1995年8月)。 |
Dクマーラトゥンガ大統領が国会に上程した憲法改正案(2000年7月)。 |
→しかしいずれの場合にも、連邦制の実現には至らなかった。 |
・ 上記のCとDは、クマーラトゥンガ大統領率いる人民連合(People's Alliance, PA)政府が提案した改正案であるが、いずれも |
当時PAに所属していたガミニ・L・ペイリスのリードのもとで作成されたものである。 |
・ 現在、スイスの連邦制度が調査されている模様。 |
・ 参考ニュース・ソース: Tamil Net(2002.12.9) |
2002年12月13日(2003.1.13up) |
・ 野党第1党のスリランカ自由党(Sri Lanka Freedom Party:SLFP)が、ラニル・ウィクラマシンハ(Ranil Wickremesinghe)率い |
る国民統一戦線(United National Front, UNF)が進める和平交渉に対し、疑義を表明。 |
・ SLFPは、LTTEリーダーのヴェルピライ・プラバーカラン(Velupillai Prabhakaran)が殉教者の日(Martyr's day、2002.11.27) |
に行った演説(と和平交渉第3ラウンドにおける合意文書(2002.12.5)を比較検討し、いくつかの疑問点について回答すること |
をUNFに対して要求。 |
・ 疑問点: 「political status」の意味は? 「self-determination」の意味は? 「complete self-rule」の意味は? |
「tamil homeland」と「in areas of historical habitation of the Tamil speaking peoples」に違いはあるのか? |
タミル人にとっての「outsider」とは? どのような「federalism」なのか? どのような「power sharing」なのか? |
シンハラ人とムスリム人の権利とはいかなるものなのか? …などなど。 |
→つまり、「和平交渉の結果は、結局、独立国家(separate state)の樹立になるのではないか?」というのが、SLFP |
の問いかけ。 |
・ SLFPの主張・要求は、3つ。 |
→@以上の重大な論点が不明確なままでは、和平交渉で採択された解決策を受け入れることはできない。 |
A交渉においては、LTTEの武装解除に関する交渉も進めるべきであり、最終合意の日まで武装解除の議論を放置 |
すべきではない。 |
Bチャンドリカ・クマーラトゥンガ大統領による憲法改正案(1997年10月および2000年8月版)をもっと参考に |
すべきである。 |
・ 参考ニュース・ソース: Tamil Net(2002.12.13) |
2002年12月26日(2003.1.13up) |
・ スリランカ政府軍とLTTEが、ジャフナ半島にタミル人の難民を帰還させるための条件を巡って、深刻な対立関係に。 |
・ 政府軍 : 難民帰還の条件として、LTTEが事前に武装解除することを要求(2002.12.20)。 |
→ジャフナ方面の司令官である、サラト・フォンセカ(Sarath Fonseka)大将によるもの。 |
→政府軍の基本的なスタンスは、「LTTEの武装解除がなされない限り、ジャフナ半島では政府軍が劣位におかれること |
になる。それではジャフナ半島の治安を維持できなくなるので、あくまでLTTEの武装解除が必要となる」というもの。 |
・ LTTE: 「受け入れ不可能な非現実的な条件である」として猛烈な批判を展開(2002.12.26)。 |
→「武装解除の問題はタミル人の安全に関わる問題であり、現時点で交渉すべきものではない。現時点でこの問題 |
を取り上げるのは、和平交渉を妨害しようとする不愉快(diabolical)な意図にもとづく行為としか考えられない」と反論。 |
→スリランカ政府軍が支配する高度警戒地域(High Security Zones)を縮小したうえで、そこにタミル人難民を早急に帰 |
還させることを要求。これは、政府軍駐留兵力の削減につながるものとなる。 |
→LTTEの基本姿勢は、武装解除は最終的な政治合意が成立してから、というもの。 |
・ この対立の背景にあるのは、タミル人難民の帰還の問題に対する認識の相違。 |
→難民問題について、LTTEは純粋に人道的な問題と見なしているのに対し、スリランカ政府軍は軍事的な問題とリンク |
させて把握している。 |
・ なお、スリランカ政府軍は、チャンドリカ・クマーラトゥンガ大統領の指揮下にある。 |
・ 参考ニュース・ソース: Tamil Net(2002.12.26)、 Tamil Net(2002.12.28)、 BBC 南アジア・ニュース(2003.1.1) |