アヌラーダプラの石像

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スリランカ国旗 スリランカの部屋 




LTTEが、スリランカ政府による停戦協定の破棄に対する公式見解を発表。 「驚き、落胆している」としたうえで、LTTEには停戦協定を100%履行する用意があることを表明。 さらに、ノルウェイ政府に対して、さらなる仲介作業の継続を要請(2008/1/10) // スリランカ政府が停戦協定を破棄することを正式に決定し(2008/1/2)、1月16日で停戦協定が無効になることに。 政府軍司令官のフォンセカは、「1日に10人以上のLTTE兵士を殺害する」ことを宣言(2007/12/30)。 内戦激化は必至の状況 // カルーナ大佐(通称)がロンドンで、イギリス警察によって逮捕された模様(2007/11/2) // スリランカ政府空軍の爆撃により、LTTEの政治部門リーダーであるS.P.タミルシェルバムが死亡(2007/11/2)。 A・バラシンハムの病死(2006/12/14)に続く、LTTE側の和平交渉責任者の死亡 // 2007年2月に東部州がスリランカ政府軍の支配下に事実上陥落し(スリランカ政府による宣言は2007/7/11)、2007年10月現在、両者は膠着状態に陥っています // LTTEの政治部門リーダーであるA・バラシンハム(2006/12/14)が、胆管癌により死亡、68歳 // ラジャパクサ大統領のもと、2006年7月末からは、和平を呼びかけながらも戦争をするという、スリランカ政府とLTTEのおきまりのパターンになっています。 停戦協定は、有名無実のものになっています // // 第5回大統領選挙で、SLFPのラジャパクサ候補にウィクラマシンハ候補が敗北(2005/11/18) // 第13回総選挙(2004/4/2)で、停戦協定を結んだウィクラマシンハ首相率いるUNPがSLFPに敗退し、政権交代 // LTTEが、プラバーカラン派(北部)とカルーナ派(東部)に分裂し(2004/2)、戦闘状態に突入(2004/4/9)



スリランカの概略
     ・ スリランカの概要: いくつかの基礎的なデータをどうぞ (少々古いのですが・・・)
     ・ スリランカの歴史 (年表): 戦闘や暴動による死者の数はあまり当てになりません。 ただの目安とお考えください 
                 [ 独立前 ]  483BC−1948年2月
                 [ 独立後1 ]  1948年 2月−1982年12月、  [ 独立後2 ]  1983年 1月−1987年 7月
                 [ 独立後3 ]  1987年 7月−1990年 3月、  [ 独立後4 ]  1990年 3月−1994年 7月
                 [ 独立後5 ]  1994年 8月−1997年12月、  [ 独立後6 ]  1998年 1月−1999年12月
                 [ 独立後7 ]  1999年12月−2000年10月、  [ 独立後8 ]  2000年10月−2001年11月
                 [ 独立後9 ]  2001年12月−2004年 3月、  [ 独立後10]  2004年 4月−2005年11月
                 [ 独立後11]  2005年11月−2006年 7月、  [ 独立後12]  2006年 7月−2007年 2月
                 [ 独立後13]  2007年 2月−2007年10月、  [ 独立後14]  2007年11月−
     ・ スリランカの地図: かなり詳しい地図を見ることができるようです
     ・ スリランカの旅行用地域情報 (英語): ロンリー・プラネット (Lonely Planet) 社のスリランカ・サイト
気になるスリランカのニュース: 日本のメディアが詳しくは伝えていないこと
       ニュースその1(2002.9-12)、  ニュースその2(2003.1-4)、  ニュースその3(2003.5-8)
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