障害のある人々のスポーツとは

 京都障害者スポーツ振興会は、会発足以来の35年間、「障害のある人々にもスポーツ(身体運動)を!」「いや障害のある人々にこそスポーツ(身体運動)を!」と主張し、その実現を目指して多くのボランテアの皆さんと共に、粘り強く一歩ずつ実践を続けて来ました。会発足当時のわが国では、障害のある人々のスポーツは、まだほんの一部の人のものでした。また障害のある人々もその必要性や可能性に気づいている人は、あまり多くない状況でした。しかし振興会は、以下の理由から「障害のある人々にこそスポーツ(身体運動)が必要」と考え、その実現のための努力を続けて来たのです。    
必要性の根拠には、まず身体面からの理由があげられます。その第一は障害のある人々とりわけ重い障害のある人々は「寿命が短い」と言う事実があります。ある養護学校の訪問教育を受けている子供達(最重度の障害児)の調査では、10年間に41人中13人の子供が在学中に死亡しています。また1種1級(最重度)の身体障害者を収容している療護施設が全国に約200カ所ありますが、その一つの施設では入所者の平均寿命が、男女共に46歳と報告をしています。重い障害のある人々の寿命が短い理由には、これらの人々はもともと身体が虚弱であるとか、合併症が多いなどが考えられます。しかし私達はその大きな理由に、重い障害のある人々は体を動かさない(動かせない)ことがあると考えます。世界的な生理学者ルーは、いまから100年も前に「動物のからだは適度に動かせば発達する。動かさなければ退化・萎縮する。(ルーの法則)」と述べています。さらにわが国の運動生理学の権威である小野三嗣教授は、この法則に「寿命まで短くなる」と付け加えています。つまり重度の障害のある人々にとって身体運動は、「命」にもかかわる重大問題なのです。振興会が「障害のある人々にこそスポーツが必要」と主張する大きな理由がここにあります。
 その次は、リハビリテーションの面からの理由です。障害のある人々がスポーツ(身体運動)を始めるきっかけが、障害の克服への願い(障害を治したい・軽くしたいとの願い)からの場合が少なくありません。また今日のパラリンピックの原点が、L・グットマン博士のリハビリ訓練へのスポーツの採用(後述)であったことは周知の事実です。ここにも障害のある人々にとってスポーツ(身体運動)が、一般市民以上に必要な理由があります。
 必要性の第二の理由は精神面からの問題です。私達は実践のなかで、障害のある人々がスポーツをすることにより自信と勇気を得、見違えるように積極的な生き方をされるようなられた例を数多く見てきました。例えば、労働災害で両腕と片足を付け根から失い失意のドン底にいた男性が、リハビリ訓練の水中動作で胴体と片足で泳げるようになり、それがきっかけで生きる自信と勇気を得、就労の意欲と義手でのパソコン技術を獲得、さらには結婚にまでいたられた例があります。このような例は他にも数え切れないほどあります。これはスポーツ(身体運動)が、不可能と考えていたことが可能であることを、自分の身体を通して具体的にわからせるからだと思います。まさにスポーツ(身体運動)は、障害のある人々に「生きる力」を与えるのです。
また、障害のある人々には表情の暗い人が多い傾向がありますが、これらの人々の表情がスポーツの場面では見違えるように明るくなります。私達はこれをスポーツの持つ「精神解放の作用」と言っていますが、ここにも障害のある人々へのスポーツの持つ格別の働きがあります。さらに発達の遅れのある子供達にスポーツ(身体運動)がもたらす精神的効果について、最近多くの学者や実践家からの報告もあります。
 最後は障害のある人々の「スポーツ権」の問題です。私達は下記二つの「国連宣言」及び「国連憲章」から、「すべての障害児者にスポーツ実施の権利がある」と考えています。すなわち「国連・障害者の権利宣言」(1975年第30回国連総会で満場一致採択)では、「…障害者は、いかなる例外もなしに、またいかなる状況による区別も差別もなく…」(第2条)「その障害の原因、特質及び程度のいかんにかかわらず、同年齢の市民と同等の権利を持つ」(第3条)と規定しています。また「国連・体育スポーツ国際憲章」(1978年国連ユネスコ総会で満場一致採択)では、「体育スポーツの実践は、すべての人にとって基本的権利である」(第1条第1項)と規定しています。私達は、これらの規定が「最重度の人を含むすべての障害児者のスポーツ権」の存在を明確に示していると考えるのです。
 以上の理由から、私達は「障害のある人々にこそスポーツが必要」と考え、その実現のための活動を今後も続けるつもりです。さらに付言すれば、障害の有無にかかわらず誰もが人生は1回限りなのです。このたった1回の人生を、障害のある人々と共に精一杯豊かに人間らしく、スポーツを通じて生きたいと私達は思うのです。