住まい

住むということは建物だけでなく環境をも含めて総合的に考えなければなりません。

岡山県津山の東北11kmに位置する日本原に、友人と共にその叔父上を訪ねたことがあります。初対面の私にその叔父上は「人間にとって住む場所は本当に大事だ。この土地に住んだので、しなくてもよい苦労を私はした。」といわれました。もう何十年も昔のことですが、今も耳元にその声を聴く思いがします。また同志社高校で同僚の地質学者星合さん(後、愛知学院大学)は、「山は生きて動いているから、山地に家を建てるのは要注意ですよ」と言っておられました。台風の訪れるたびに土砂崩れによる家の倒壊や住んでいた人の悲報を聞き、また実際その後勤めたK女子大学は東山の山麓にあるのですが、B校舎とE校舎を繋ぐ階段には、校舎の地盤のずれによるひび割れが見られ、星合さんの言葉が思い出されたものです。

もう一つ書いておきたいことは、家の新築、転勤などで新しい家に住まれたときは、少なくとも一年間細心の注意を払って生活するのが良いということです。それは人間というのはそれまでの生活習慣にドッポリと浸かって、日常空気の存在を意識しないで生活しているように、ほとんど無意識に生活しているのですが、転居によって四季の季節の流れに応じた交通事情、付近の治安状態、家の中の物の配置、中でも加熱器具の使い勝手などすべてが変化しているからです。四季をせめて一度経験すると、体も心も大体馴染んで無意識の世界に体験が沈殿して安心できるからです。

船岡山
私の今の住まいは、市内でもバスの便は恐らく最高に良く、後ろには平安京の都市設計の基準になったなだらかな船岡山があって、春は桜の花びらが舞ってきますし(写真は2008年4月撮影)、
夏は蒸れた青葉の香りが山裾を漂います。秋は日ごとに大きな楓も紅葉が進み(写真は2004年12月撮影)眼を楽しませてくれます。
船岡山
船岡山は建勳神社の神域と残りは市の公園になっていますから開発はなく、自然林が多いので夏も市中より1,2度は気温が低いのです。巨大な空気再生装置が後ろに控えている様なものですから、四季を通じて街の中心から帰ってきますと、空気が違うのがよく分かります。 北山の岩盤が伸びてきていて、地震にも強いのです。先ほども地震があって、テレビではこのあたりも震度2と報じていましたが、全く感じませんでした。勤務していた頃は夜も仕事をしていましたから、交通の便が良いことが大事でした。この家は借家ですが、期限はなく更新料もなく、家賃も適当なのです。勤務していた当時は賃貸契約書がありませんので、住宅手当は辞退していました。手当を受け取るには契約書の写しを勤務先に提出する必要があったからです。今年の春家主の希望で契約書を作成し家賃もかなり大幅に値上がりました。この家は浅からぬ因縁の家で先の家主がこの家の建築に取りかかったのが丁度私の生まれた頃で、伯父がその家主と知り合いだった関係から生まれて1年目に移ってきたのですから、思えばこの家は私のために建てられたようなものです。80年も住んでいます。その間戦争中の勤労動員期間を除いてはこの家で生活してきました。同時に立てられた借家はすべて壊されてマンションになりましたが、この家だけは家主が残してくれているのです。私の“ついのすみか”となるのかも知れません。昔は武士も殿様から家を拝領し、明治になってからも田舎に家を持って京都で働き、その間子供が増えたり大きくなると広い借家に移転するのが普通でした。これは大変合理的に思うのですが、戦後戦災もあって住宅事情が逼迫し、さらに当時かなり一部で澎湃としていた共産主義革命への指向−−一般の人の理解は共産主義になると土地も家も財産はみんな私有化は許されないと言う程度の幼稚なもの−−への防壁と言う意味でも、農民は農地解放によって土地持ちになりましたが、何もないサラリーマン層にも土地・住宅という財産を持たせ、当時のはやり言葉でいうとプチブル(petit-bourgeois:小市民、中流階級)化しようとした政府の持ち家政策が進められたのです。不動産として右肩上がりの有利な財産という考えがはびこって、戦災のなかった京都の住民の考え方も変化しました。私はこの借家に数百万を家賃以外に補修と便利さのために使いましたが、いまでも快適に住んでいます。古い造りですから、密閉性はよくありませんが、家の間取りも昔からの広い京間です。家の前に小さいながらも庭があります。最近は自家用車が普及してきて庭をつぶしてガレージにする人も多いのですが、私は車を持たない考えですから、仮に転宅しても庭のある家に住みたいと思っています。四季折々の変化が楽しめるのです。裏庭もありましたが2006年の下水整備でコンクリート張りになりました。この北庭は日が当たりませんので冷えており、南の表庭は日が当たるので温度が高く、床下には北から南へ自然に風が流れて風通しがよく、私の考えでは日本は湿気の多い国で、家にとって風通しのよいことが必要だと思うのですが、この家は自然によく風が流れる造りです。風をよく通して乾燥しておれば70年経ってもそんなにひどく痛みません。おそらく材料も良く職人の腕も良かったので、終戦から間のなかった50年前の家よりも強いと思っています。近頃は新築住宅も建築業者の手を放れたときから10年の保証をするようになっていますが、20年までの保証は認められていますから、業者によっては20年保障するところもあります。保証期間中に業者が倒れると保障の意味が無くなります。それで財団法人性能保障住宅登録機構に業者が登録し検査を受けて保障制度適用の保証書(保証書の費用は建主負担)を交付されておれば、業者が倒れても登録機構から修理費が支払われます。もっともこの保証書がいるのは倒れそうな建設業者の場合だと思われます。それにしてもせいぜい20年の保証というのでは短かすぎますね。さて私の住まいは現在2階の3部屋は上がるのがしんどいので、ほとんど使いません。下に三間あり、トイレ・風呂場は外に張り出しているのでゆったりしています。表の間に飾り棚、コンピューター、ステレオなどを置き、私の仕事場です。中の間が居間兼食堂、時には応接室にもなります。炊事場は別になっています。奥は寝室。家内のベッド、ポータブルトイレ、医療器具類があり、私も布団を敷いて寝ています。
1999年度の週刊 エコノミスト4/13号、 香西 泰氏(日本経済研究センター会長)とのインタービュー記事によると、地価の底値予想は2008年で、1990年の36%に低下するといわれます。マンション価格も東京文京区の例では既に90年価格の32%に下落していて一軒当たりの損失は平均1億7,230万円に達し、バブル期に購入した人たちには住み替えに必要な売却が出来ない状態になっています。不良資産の処理が、もはやごまかしが効かない事態に入って来ました。平成23年地価公示に基づく平成23年1月の地価動向については、全国的になお下落が続いています。地価はさらに値下がり続けるでしょう。長期的に見ても少子化の進行と共に住宅の需要は減り、従来型の住宅は空き家が増えていく時代が来ると思った方が良さそうです。注に不動産購入時に考えなければならないこと−2004年を収載しておきました。既にこのあたりでも以前に比べると空き家が増えてきました。
不動産価格が下がり続けるので不良債権の処理が進まないと言う人がありますが、私は銀行の不良債権処理が進まないから不動産価格が下がり続けるのだと思っています。さらに追い打ちをかけているのは、企業はもう減損会計の導入を国際的に見ても避けられず(2002年4月18日金融庁の企業会計審議会は05年度から全面導入を適当とする公開草案をまとめました。)、企業は株式と同様に固定資産についても原価でなくて時価との差、含み損を損失として計上しなければならなくなる時期が来るのです。三菱地所などは既にこの方向での処理を決算で採用しています。このため企業の土地放出は止まず、ますます土地価格は低下します。企業の東南アジア・中国進出も形を変えた土地の輸入とも見られますから、もはや土地神話は消滅したと言えるでしょう。

最近はこのあたりでも3階建ての家が標準になってきて、しかも一階にガレージが取ってあるので、一階は1部屋くらいしかありません、勢い2,3階に住むことになるのですが大抵各階2部屋しか取ってありません。寝たきりの病人でも出たら大変だと思います。年を取ると階段や石段は利用できなくなることも考えておかなくてはなりません。若い内は格好の良さで住居も選ばれるのでしょうが、年をとるとバリヤーフリーといわれるように何よりも移動の都合の善し悪しが問題になってきます。私の家内は現在時たま入院し、その都度寝台車の御世話になります。係の人が担架で搬送してくれるのですが、狭い階段を使用して二階から下ろすことは考えられません。いきおい一階に寝室を設定しなければなりません。寝室から外へ搬送するときも入り口に曲がった狭い石段が何段もあるというのでは大変です。家内がデイケアに車椅子で出かけていたときも、家の上がり口で車椅子に移して、車椅子で外に出なければなりませんでした。入り口の構造がその障碍にならないかどうかも問われます。年をとってから住み替える予定であればよいのですが、ずっと住み続けるというのであれば、家を求める時には、年をとってからのことも考えておかねばなりません。先ほども人間、住む場所を考えないといらない苦労もするものだと書きましたが、年を取ると近くで必要なものを揃えられないと大変です。お豆腐一丁買うのに自動車を走らさなければならない居住地では、老人には酷というものです。また、家を建てる幸運に恵まれると、人間誰しもこれまでの住まいから一段の飛躍をあれこれ夢見て設計しがちですが、あとの維持のこと、エネルギー消費のこともよく考えておきたいものです。たいていはぎりぎり一杯のローン頼みでしょうが、立派な広い家はそれなりに多額の維持経費がかかるのです。この経費の長い負担も考慮しておかないと維持できません。小さい家でも三階建て木造住宅は特に一階にガレージをとりますと構造的に地震に弱く、現状でもひどい例では大根をおろすだけで家が振動することがNHKで放映されました。今後も災害時にはトラブルを起こしかねません。1999年の通常国会で「住宅品質確保促進法案」が成立し翌年四月から施行されていますが、値段ばかり高くて手抜き工事の横行する世相から、このような法律も生まれようとしているのでしょう。

私のように老人になり、しかも病人を抱えていると、案外、各階2部屋程度しかない三階建て住宅より、ワン フロアーに各部屋がそろっているマンションの方が、住み良いかもしれないと思っています。実際に住んだことがありませんから、的外れかもしれませんが。知人のA教授宅は山麓から中腹を占める立派なお屋敷でしたが、坂道のある家は老人には不向きで、最晩年、体を悪くされてからは市中のマンションでお暮らしでした。そこで亡くなられて、もとの屋敷は最近やっと買い手がついたようです。(業者がマンション建設を意図したので景観を壊すと反対運動が起こりました。記憶されている方もおられましょう)。理想としては昔のような平屋建ての庭のある家が良いですね。


これまで土地・建物は資産として、担保の対象になるということからも買われてきましたが、ビッグバンを迎えたこれからは、銀行も土地・建物そのものを資産として評価することは次第に薄れ、土地も単なる路線価ではなく、その土地の利用価値で評価(家賃収入など投資利回りを重視した収益還元価格で評価)されるでしょうから、ますます住まいは純粋に住む場所として考えるべきでしょう。住まいを投資対象と考えることがアメリカでは今も続いているようですが、その発想はゴルフの預託金を投資と考えていた人達が今大きい損失を受けているのと同等の過ちを犯しているのではないでしょうか。2007年春アメリカでもローンの返済ができなくなった人が増え、サブプライムローン会社の倒産が出てきました。1998年7月1日三友システムとアメリカの不動産鑑定会社ブレークとの提携が発表されました。不動産の証券化が現実化してきた今日、価格評価に土地の権利関係、環境問題などがアメリカ並に織り込まれて行く趨勢です。 銀行の自己資本比率4%以上とか8%以上とか聞かれるでしょうが、この数値に貸出先の収益率、返済能力がカウントされる案1999年6月3日 BIS(国際決済銀行)から示され、2006年末から実施されることになりました。これが実施されると銀行にとっては経営上の大問題を引き起こします。担保の評価も根本的に変わります。日本でもこの収益還元価格が次第に定着してきているのです。根本的な地価評価の革新が現実になってきました。この評価の下で地価はまだ下がりましょう。問題は金融機関が未だに貸し付けに、担保評価基準が昔と変わらぬ担保主義をとるしか能がなく、国際化の進展とわが国人口減少に伴って避けられない低価格化(デフレ)に対する防御力がなく、不良資産が増え続けて体力を落としていることです。

家を買うことも若いときは考えたものですが、私のたまたま享受できた条件下では結論的には借家住まいで良かったというところです。交通の便に恵まれていましたから仕事は遅くまででき、住宅購入費がいらず、自家用車も不要で、必要なときはタクシーを利用してきましたから、その分生活にゆとりが持て少々の貯金と株式の保有ができました。相続税も考えなくて済みます。今後家を買う人はローン金利も変動制の場合上昇する事を考えておかねばなりませんし、退職金も運用利回り低下に伴って引き下げが始まっており、銀行から固定金利ローンを得ることも難しくなってきています。
ただ、いつまでこの家が保つか、私の命との競争です。でも70年前に建てられたこの家は今のところ健在で、耐久性においては近頃の家よりもはるかに優秀です。私の住まいの西隣から三軒は同じ家主の持ち家でいずれも七〇年の年月を経過していましたが、ご自分の家を持たれたり、その他いろいろな事情から空き家になっていました。とうとう家主は三軒を取り壊し、マンションを建設されました。東隣も同じ家主の持つ借家でしたが壊されて現在はマンションになっています。幸い私は立ち退きを迫られることもなく、引き続きただ一軒残された木造家屋に住んでいるのです。全般に家賃が低下気味の世間の現状があるためでしょう、現在は世間並みの家賃を払っていますが、それまでの十年間家賃は変わらず、更新料の徴収もありませんから、収入の限られた私でも安穏に暮らしています。この恵まれた条件で貸してくれている家主には感謝しています。

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