注 丸山和博 博士
2002年7月の先生からの来信に脚部に手術を受けたが、全快には1年くらい掛かると書いてありました。脚での手術くらいで1年も掛かるのは普通でないと思いましたが、骨ガンなのでした。先生にこの後手紙と共に心ばかりの見舞金を送りましたが包みも開けることもなく鄭重な礼状と共にそのまま送り返されてきました。先生の性格のしからしめるところでしょう。「唯々 感謝々々の気持のみを以て余生を気楽に消光しようと考えています」というのが礼状の結びの言葉でした。2005年9月5日午後8時30分逝去。享年76才。葬儀も内々で執り行われました。
注 Outlook Express アドレス帳のバックアップ
次の@はファイルそのもののコピー、Aはエクセル様式になっている。@で出来たコピーファイルをダブルクリックしてからアドレスを知りたい個々の「人の検索」をするとその人については読み取れるが、アドレス帳の内容の一覧が出来ない。Aは一覧が出来、これを印刷も出来る。 @A\windows\application data\microsoft\address book\xxxx.wabを例えばD:\address bookにコピー。 AExcelがインストールされておれば、
次の画面で保存ファイル名を聞いてくるから,たとえば”OE address book.csv"とする。名前はどうでも良いが必ず拡張子として[csv]を付けること。 「参照ボタン」を押して保存フォルダ、たとえばD:を指定して「保存」をクリックする。”csvのエクスポート”がでるから保存項目(たとえば表示名・電子メールアドレス)にチェックを入れる。−−−>「完了」。 これでフロッピーディスクに2種類のファイルを保存できた。
[バックアップファイルからOutlook Expressへの導入] 上の例で書くと、まずD:にOE address book.csvの入ったフロッピーを入れ、A:のOutlook Expressを起動し、順次クリックする。 「ファイル」−−>「インポート」−−>「ほかのアドレス帳」を選ぶ−−>「テキストファイル(csv)」−−>インポートをクリックする−−>「インポートするファイルの選択」−−>D:OE address bookを選ぶ−−>次へ−−>「インポートするフィールドの割り当て」−−>適当なもの例えば表示名・電子メールアドレスを選ぶ−−>完了 |
注 電話料
注 同志社カレッジソング
現在RealPlayer Basic(無料)をダウンロード後インストール(Netscapeなら\Netscape\Communicator\Program\Pluginsに)されますと、RealPlayer が組み込まれます。同志社のマークをクリックして、お待ち下さい(viewer起動に2〜3分かかります)。もちろんRealPlayer plusでも歌が流れます。最新のRealPlayerは音質が大変よくなりました。 ここでは1番と4番だけが歌われます。
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Doth signify one lofty aim; To train thy sons in heart and hand To live for God and Native Land. Dear Alma Mater, sons of thine Shall be as branches to the vine; Tho' through the world we wander far and wide, Still in our hearts thy precepts shall abide! |
2. |
We came to Doshisha to find | The broader culture of the mind; We tarried here to learn anew The value of a purpose true; Dear Alma Mater, ours the part To face the future staunch of heart, Since thou hast taught us with high aim to stand For God, for Doshisha, and Native Land! |
3. |
When war clouds bring their dark alarms. | Ten thousand patriots rush to arms, But we would through long years of peace Our Country's name and fame increase. Dear Alma Mater, sons of thine Will hold their lives a trust divine Steadfast in purpose we will ever stand For God, for Doshisha, and Native Land! |
4. |
Still broader than our land of birth, | We've learnd the oneness of our Earth; Still higher than self-love we find The love and service of mankind. Dear Alma Mater, sons of thine Would strive to live the life divine; That we may with increasing years have stood For God, for Doshisha, and Brotherhood!
◆不朽の名画“カサブランカ”の一場面にドイツの将校たちが歌詞こそ違えこの曲を歌う場面がある。対するラズロはフランス国歌ラ、マルセイエズを歌い始め、酒場にいるフランス人たちはみなこれに和しドイツの将校たちの歌を圧倒する。この曲をなぜドイツの将校たちが歌うのかわたしには疑問で、それほどドイツではポピュラーなのだろうか、また本来この曲の歌詞はどういう内容の歌だったのだろう。ドイツをあるいはナチスを讃える内容であったのだろうか。 この疑問に応えてくれたのが同志社の卒業生、阿波雅敏君からのメールでした。答えは既に同志社大学広報課が発行していたWILD ROVER誌Vol.10(1996年8月1日発行)中の CAMPUS PRESSに出ていたのです。以前は広報課のホームページで閲覧できたのですが現在は不可能です。大学広報課に御願いしたらWILD ROVER誌Vol.10を送って下さいました。転載させていただきます。
ジャン・ルノワール監督の名画“大いなる幻影”の中でもドイツ兵が合唱する場面があります。
◆同志社中高同窓会2001のパンフレットを見ていたら、同志社高校で実施されている「パワーアップセミナー」の記事が出ていました。それによると、このセミナーは1988年から社会科の企画として3年生を対象として毎年2月から3月にかけて学年末試験終了後卒業までの期間行われています。 |
注 菊地周一郎先生
私が京都三中に入学したのは昭和16年4月でした。この年の12月8日に太平洋戦争(大東亜戦争といっていました)が始まりました。菊地周一郎先生はこの年東京外国語学校(現・東京外大)を卒業されたばかりの新進気鋭の方で、反米英の風潮がすでに高まっていた当時でも、ダンディで、どこか国際的な明るい自由な雰囲気を周囲に醸しておられました。4月第一回目の授業には美しい英詩を暗唱して聴かせてくださり、辞書を引くときは予め自分でこういうことではないかと訳を想像してからそれを探すつもりで引くようにとも教えてくださいました。開戦後、先生方も時代に即応して次第に丸刈り頭の方が増えていく中で、最後まで髪を伸ばしておられました。先生に早々と召集令状が来たとき、私たちは校内に配属されていた軍のお目付、配属将校に睨まれて、彼が先生を召集するよう軍上部に具申したのだろうと密かに語ったものです。先生はこのことに何も触れられませんでしたが、その後満州(現・中国東北部)で戦われ、シベリアに抑留されなさったのです。幸い生きて引き揚げ船で帰ってこられましたが、寒いシベリアでの過酷な労働は先生の体を蝕み、腎臓をひどく悪くされて帰国後病臥されました。病臥中も毎日1冊当時比較的米軍から容易に入手できたペンギン文庫(英語)を読むと仰っていました。見舞った私に優しい声を掛けてくださいましたが、残念ながらまもなくお亡くなりになりました。
戦争で多くの優れた人材を殺してしまったのですが、かろうじて生き残って帰ってこられた方も、このようにその後の人生を病気で失われた方が大勢おられたのに違いありません。哀悼の気持ちを込めて、今、菊地先生はじめ亡くなられたみなさんをお偲びしています。合掌。