いま考えていること 414(2010年11月)
――北方四島――

ロシア大統領の国後島訪問を巡って日本の世論はまた煮えたぎっています。私もこれまで北方四島は日本に当然帰属するものと無意識に信じていましたから、ロシアもけしからんことをすると思いました。しかし、振り返ってみるとこれだけ長期にわたり懸案として持ち越されてきたのにはわけがあるのだろうと、この際少し歴史を振り返ってみたのです。戦後の領土問題を論ずる場合、ポツダム宣言を無視することは出来ません。

1945年7月26日のポツダム宣言第八条には「 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州、四国及吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ 」と書かれています。この文章では本州、北海道、九州、四国は問題ありませんが、その他の小島については連合国が決定したものに限られるとなっていますから、北方四島も含めいったんは連合国側にその帰属をゆだねたことになります。ポツダム宣言の土台になったカイロ宣言にはThey covet no gain for themselves and have no thought of territorial expansion.(右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス)とありますから、本来固有の領土はそのまま領有を尊重されるべきものだというのが日本側の主張であり、北方四島の返還を要求してきたのでしょう。共産党などは全千島列島が1875年の樺太・千島交換条約で日本領となったのだから全千島列島の返還を要求して当然と主張しているのです。

厄介なのはサンフランシスコ講和条約第二条で「(c) 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」となっているのを受け入れたのですから、共産党の全千島領有の主張は成り立たなくなります。

その上千島列島の範囲が曖昧です。当時吉田首相は「千島列島及び南樺太の地域は日本が侵略によつて奪取したものだとのソ連全権の主張に対しては抗議いたします。日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアも何ら異議を挿さまなかつたのであります。ただ得撫以北の北千島諸島と樺太南部は、当時日露両国人の混住の地でありました。1875年5月7日日露両国政府は、平和的な外交交渉を通じて樺太南部は露領とし、その代償として北千島諸島は日本領とすることに話合をつけたのであります。名は代償でありますが、事実は樺太南部を譲渡して交渉の妥結を計つたのであります。その後樺太南部は1905年9月5日ルーズヴェルトアメリカ合衆国大統領の仲介によつて結ばれたポーツマス平和条約で日本領となつたのであります。  千島列島及び樺太南部は、日本降伏直後の1945年9月20日一方的にソ連領に収容されたのであります。」と述べていますから、この文脈では択捉、国後両島は日本人だけが居住し従って日本の固有領土と主張はされていますが、「千島南部の二島」という表現は二島が千島列島の内の南部とも千島列島外で千島列島の南に存在するという意味なのか、私には分かりません。もし始めの解釈が成り立つと日本はサンフランシスコ講和条約第二条で択捉、国後両島も日本人居住の事実に拘わらず、千島の一部として領有を放棄させられたことになります。どうもこの辺りにすっきりしない源があるように思うのです。ウイキペディアは択捉、国後両島も千島列島に含めています。このような暗部があるのが事態解決の困難をもたらしているので、国後は問題なく日本領だと言い切ることは出来ず、簡単に「メドベージェフはけしからん」と私はいえなくなっています。何事も事実の検証なくして世の中の空気をそのまま受け入れることは出来ないことを教えています。

四島返還についてはこれまでにもっと具体的にロシア側と交渉を進め、必要な妥協も前提として議論を求め実現しておくことが必要であったと思います。そのタイミングはもう既に失われ,実効支配を深めているロシアにもはや太刀打ち出来ないところまで押しやられてしまったのではないでしょうか。、

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grenz

いま考えていること 415(2010年11月)
――NHKスペシャル「862兆円 借金はこうして膨らんだ」を見て――

もっとも印象に残るのは赤字国債は麻薬のようなものだと言うことはよく分かっていながら、政府も大蔵省(財務省)の専門家も一度試みて凌ぐことが出来ると、後は何とかなると国債発行にのめり込んでいったことや、赤字国債・建設国債をテコに事業を拡大し税収を拡大すれば赤字の返済も可能であろうという甘い思いで今日の膨大な赤字を持つに至ったことです。赤字は増えれば増えるほど利息の支払いが増えていきますから、まさに薬物中毒患者と同じ道を辿っているのです。

もう少し専門家なのですから先の見通しももち、責任ある措置を打てるものと思うのですが、残念ながら実績は素人の陥る過ちと同じ過ちを繰り返し、しかももはやその当時の責任を取るべき人は引退したり、他の組織に天下っていて責任を取る人は誰もいないのが現実です。既に国債の国内消費の原資に当たる貯蓄も限度に達し、これ以上の赤字国債の消化は、余裕のある他国や個人に頼らざるを得ない段階に来ています。そうなれば国の運命は外国にゆだねる結果となり、絶えず不安定な状況に脅かされることになります。独立国の矜持も吹き飛びかねません。

政治家も官僚も所詮、我々と同じ不完全な人間であり、先に対する予見能力も当てにはならず、過ちを繰り返して反省してもらっても犠牲になった国民はその過ちの弁済を迫ることも出来ないのです。我々の将来をすべて国にゆだねることは出来ないというのが率直な感想です。すべてを国に期待することはいよいよ無理になってきています。やはり自立・自尊を心の大本に持っていなければならないのではないでしょうか。

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いま考えていること 416(2010年11月)
――円高のお陰で――

急激に寒くなって遂に灯油を持ってきてもらいました。WTIでの原油価格はじわじわ上がってきていますので、灯油の値段も上がっているだろうと思っていましたが、20リットル1600円でした。昨年並みあるいはそれよりも安いのではないかと思います。これは円高で国内価格の上昇がカバーされているからでしょう。石油以外でもアメリカの緩和政策であふれ出たお金が資源の高騰を招いていますから、万一円安に振れると国内物価は予想外に高騰するかも知れません。

円高を始め何事でも国内事情だけでは決まらないのが日本の現実です。TPPも国内の農業のことを考えると加盟反対としか結論が出ないでしょうし、熱心に加盟に反対している政党もあります。しかし周囲の国々の状況を考え、とやかく言っても所詮輸出で稼がないと食べて行けない日本国ですから、このまま関税を維持していると輸出には大きなハンディを伴い、大打撃を受けることが予想されます。TPP問題は自民党時代に手をつけておかなければならなかたのですが、農村に基盤を持つ自民党ではとても出来ず、現在の政権党である民主党も国内農家の支援を意識して外見煮え切らない姿勢ながら、TPP加盟の方向に動いています。必要な産業に対する政府の保護は否定するものではありませんが、日本の農業を今日のような不振状態に落とし込んだのは、保護に頼らせて農家自体の競争を避けてきたところに原因もあります。農家自身の努力でどこに出しても恥ずかしくない、輸入品の品質を上回る農産物を提供しておれば、現在の日本人の贅沢さから見ると安いが品質の劣る輸入品が入ってきても日本では売れず、品質の良い国産品が売れるでしょう。現に魚沼の農家から直接買っている コシヒカリは私の買っているものでも5kg4000円を上回る値段ですが、戦争中一粒の米も食べられなかった経験がありますから、せめて平和の現在少々高くてもおいしいお米を買おうという気持ちです。牛肉でも以前はスーパーの店でも売っていた村沢牛はここ久しく特約店でも品薄の状態です。とても柔らかく味も最高なので一度食べた経験を持つと少々高くても良いから買えないかという心境です。新しい条件に適応出来るような実力を持っていることが、これからの人にはとても大切です。

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grenz

いま考えていること 417(2010年11月)
――内閣支持率の低下――

菅内閣の支持率はもはや危険水域の30%を割り込んできたようです。政治は理念だけでは動かせず、政策を裏付ける客観的にもしっかりした実情把握と解決の実力を持っていないと国民に失望を与えるだけだと今回の政変で体験したことが民主党にとっては財産になるでしょう。鳩山氏の沖縄基地問題処理の失敗が日米同盟に対する信頼を傷つけ、中国・ロシアの高飛車な行動を誘い込んでいます。もっとも北方四島問題はこれまで長年政権の座にあり、処理の機会を持ち得た自民党が処理を遅らせてしまったことに最大の原因があるとは思いますが。

議員定数の削減、国家公務員の削減など何も手が着いていないのが現状です。それどころか廃止を公約していた企業からの献金すら認めるというのですから、お話になりません。もう一つ支持率の低下の底流には小沢問題があります。小沢という人は自分のわがままはあくまで通そう、また、通ると思っているのでしょう。どう見ても民主党の理念に反することを平気でしており、それを菅総裁も放置しているのですから支持が下がるのも当たり前です。こんにち私たちは政権交代の夢が失望に転化しつつあります。アメリカでもオバマ大統領の支持率は落ちてきていますが、大統領はその諮問委員会に財政赤字削減のためのかなり大胆な財政改革案を作らせました。菅総理にはこのような大胆なビジョンは見られません。

支持率は下がってきたのですが、案外民主党の政権脱落を防ぐのは「こども手当」なのかも知れません。表面ではとかくの批判をしていても子育て世帯にとっては自民党になるとこの手当は廃止の提案がありますから、やはり現金収入の魅力は捨てがたいものがあると思っています。民主党もそのことは考えていて政権に就くや理念上は反対出来ない子供は社会で育てるという看板のもと、いち早く実行したのが「こども手当」であり、来年度はさらにその上積みを考えています。民主党の没落かといって自民党復活には賛成しかねるのです。自民党のこれまでしてきた政治にも、膨大な赤字・四島問題・農業政策を始め今日の苦境を招いた原因を見いだせますのでふたたび政治を託する気持ちにはなりません。またTPP問題に対する方針にも見られますように社民・共産というような実質は保守色の濃いいわゆる革新政党の言い分にも疑問を感じますので、いよいよ今日の私は政治不信の気持ちが強くなっています。

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いま考えていること 418(2010年11月)
――信仰について――

毎月父の命日の前日、菩提寺が月参りに来られます。毎月この日を私は仏さんを思う日と思っています。宗祖法然には浄土教の真髄を短い文章に凝縮した一枚起請文 あります。そのころ人々の最大の関心であった極楽往生の方法としてどうすればよいのかの最終的な答として、法然は何よりもひたすら南無阿弥陀仏とお念仏を唱えれば極楽往生出来ると断言しているのです。私は死後の極楽往生を願っているのではないのですが、阿弥陀仏信仰を持っています。

信仰はなぜ生まれるのでしょう。それは先ず人間は自分の意志で生きているのではない、人生には自分で予見出来ない出来事がいつ起こるか分からない、自分ではどうすることも出来ない事柄がいつもあるという認識です。そこから出てくるのは限りない不安であり、それを克服したいという願いです。そうなればこの世界は自分ではどうしようもない摩訶不思議な世界であるという思いです。私の人生を振り返っても困った時、必要な時にいつも「天の差配」とでも言うような助けを受けて今日まで生きてきたという感じと体験があります。
こういう認識と経験に行き当たると自然と信仰が目覚めます。信仰というのは生きていくための支えであり、何者かに自分のすべてをゆだねつつ生きると言うことです。悩むことが時には必要なこともありますが、悩みに絡み採られることなく、最後は疑うことなくすべてを何者かにゆだねて生きること、それが他力の信仰です。すべてを何者かの意志としてゆだね、じたばたしないことで救いが生まれます。その何者かをある人はGodと見、ある人は阿弥陀仏と見るのです。私は自分でもうどうしようも無い時は阿弥陀仏に託して心の中で南無阿弥陀仏と唱えています。その時はもうすべてを阿弥陀仏の御心にゆだねる心境です。阿弥陀仏に具体的な人間のような姿を想像しているのではありません。何か宇宙の魂のようなものです。それを阿弥陀仏と呼んでいるのです。自分の修養を主とした自力の宗教もありますが、人間の弱さを前提とした他力こそ頼るべき宗教だと思います。人間はそんなに強い存在ではありません。それを認めると他力しかありません。キリスト教もいわば神の子たるイエスに頼る他力の宗教だと思っています。

信仰にはすべてを他にゆだねてしまう所がありますから、現状をすべて肯定する要素があります。そこから戦争を肯定したり、原爆の惨害すら運命的に肯定してしまう危険があり、宗教の戦争責任が問われるのです。しかし始めに書いたように信仰はこの自然の与える生きることへの支えなのですから、死への肯定では本来ありません。ですから戦争などは絶対的に許すわけにはいかないのです。一枚起請文にも南無阿弥陀仏を頼む心からあるべき心が自然に生まれると説いておられます。

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いま考えていること 419(2010年11月)
――TPPと農業――

TPPは関税の撤廃を前提とするのでこれまで関税で守られてきた日本の農業に致命的な影響を与え、壊滅すると反対論も強いのです。かっての日本のように天皇を守る、国体を守るのを第一義としていた政治のあり方の否定として、弱いものを守るのは現代の政治では重要な役割になっています。それはそれで大変結構なことです。しかし、子供の教育と同様に守るだけでは ひ弱になり保守的になって進歩への努力は生まれないのも否定出来ないでしょう。アメリカでGMが再上場したのはごく最近の話題でしたが、GMの倒産はアメリカでは温暖化対策に反対し新しいエコカー生産への動機を鈍らせてしまったのも大きい原因だったと思っています。日本は温暖化対策に積極的で二酸化炭素排出の少ないエコカーを生み出すきっかけを作り、一時期圧倒的な日本製自動車優位の時代を作り上げたのでした。これなども保護政策が技術進歩の障害になった例でもありましょう。日本の米も戦時下の統制から始まって、戦後も久しく高い関税で守られ、創造への意欲と努力を必要としない状態でしたから、農業を志す若い人の意欲を育てるきっかけを欠き、農業人育成におくれを取って、いまでは平均年齢が65歳を超えてしまいました。これでは遠からずいくら保護しても全面的な自然消滅の危機に至るでしょう。

戦前1938年には小作農は28%でしたが、農地解放があった戦後1949年には8%ととなり九割以上の農民は自分の農地を持つことになりましたから、財産としてもこの土地に対する執心は極めて強く、自分は耕作放棄しても意欲ある他人や法人に貸すこともためらっていますから、農地の大規模化は進まず、生産効率の妨げになっていることも否定出来ません。このように衰退する農業を支えているのが現在の農業施策だとも見られます。やはり基本的には自立自尊・創造を基本とした農業が展開出来るようにしないと、TPPを拒否しようとしまいと、いずれは日本農業は壊滅するでしょう。農地は単なる土地財産ではなく、農作物生産の場であることを再認識し、人に貸せば財産としての土地を自分の自由にすることが出来ないと言う認識から離れないと農業の滅亡は避けられないでしょう。

TPP導入をしたときに生まれてくる当面の農業危機から農民を守るために政治は手をうたなければなりませんが、これを契機として農地保有の見直し、農業の改革意欲のサポートなど抜本的な転換を図るには良いチャンスではないでしょうか。

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いま考えていること 420(2010年12月)
――老 い――

今日は天皇誕生日です。恒例の天皇の会見で、陛下は「私も高齢者の一人として、私の経験した加齢現象の一端に触れましたが、加齢による症状には、年齢の若い人にはなかなか想像のしにくいことがたくさんあるのではないかと思います。」とのべられたが、私も同感です。

このところ体の不調に次々見舞われて全体として元気がありません。少し数えても帯状疱疹、眼圧の上昇、自己導尿があります。いずれもつまるところ加齢による障害で、簡単に薬ですぐに良くなるといったものではないようです。事態をどのように受け入れるかが近頃の課題です。疲れやすく、睡魔が日中も襲います。このような症状が現れるとは若い時にはとても想像出来ないものです。私の症状以上にもっと深刻な課題を抱えている老人もたくさんおられ、何をお前はいってるのだと怒られそうです。それぞれの方が、課題に向かって毎日毎日がんばっておられるのでしょうが、本当に老いという自然現象は大変です。若い時のように一晩寝れば回復するようなものではなく、回復には日数を必要とします。一つの病気が治らないうちに新しい病気に襲われ、薬の種類が日ごと増えていくのも嫌なものです。

老いに伴う足の衰えは否定出来ません。少し歩くのを怠ると、てきめんに足の筋肉の弱くなるのを感じます。盛年期、車やバイクに頼った生活をして脚の筋肉の鍛錬を怠るとおそらく老年期、急速に足の衰えに悩むことは避けられないと思います。読者の方々も頭に留めて努力して下さい。

私には家内の介護という逃げられない仕事が毎日ありますから、それは手抜きも出来ず忠実に果たしていかねばなりません。介護保険があっても緊急時のショートステイは受け入れて貰えず、私が検査入院することもままなりません。これが介護の当面する第一の悩みです。

このような事態にどう対応したらよいのか。精神的にも弱気になっていますから、老いと正面から戦う姿勢がよいのか。あるいは戦うというよりは、自然の成り行きに任せて眠くなれば眠り、静かに体力が回復するのを待つべきか、若い時には経験しなかった課題にいま直面しています。

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いま考えていること 421(2010年12月)
――リーディング大学院と京大は――

2010年6月18日閣議決定された「新成長戦略」「21世紀の日本の復活に向けた21の国家戦略プロジェクト」には“「リーディング大学院」構想等による国際競争力強化と人材育成」”が謳われています。2020年までに「特定分野で世界トップ50に入る研究・教育拠点」を100以上構築すると言うのが政府の実現すべき成果目標になっています。

京大が12月27日発表した大学院構想もこのプロジェクトの一つとして参入する予定だといいます。内容はunder construction

と報じられています。こういう構想ですと経済的に恵まれていない家庭の出身者にも学費の問題が保証されますから歓迎出来ます。何よりも「リーディング大学院」構想には戦後一貫して否定されてきたエリート教育の再認識が公にされていることに刮目すべき点があります。最近の頻繁な首相交代がこの国では普通のこととなってきましたが、その都度首相としての器量、識見を持った人物の見あたらないことが目に付きます。やはり国の運営などリーダーとしてふさわしい人物を各界に持つためには慎重に準備されたエリート教育が必要です。ここに選抜される学生が門閥や経済基盤で差別されてはなりませんが、才能ある若者に平等に門戸が開かれておればそういうエリート教育の出現も歓迎されます。現在の数ある大学の位置づけは戦前の中等教育程度にすぎず、リーダー層の確保にはそれにふさわしい厳しさ、教養と豊かな視野の広い思索が可能な人材を育てるエリート養成教育機関が必要です。

ことに京大は「自由」の旗のもと、他には見られない自由な教育を学生に施した旧制第三高等学校の伝統を基盤に持つ大学ですから、この新しい大学院教育には是非三高の教育の良かった点を生かした新しい大学院を創造してほしいものだと願っています。国の「リーディング大学院」構想も画一的なものでなく、規制の緩い、各大学独自の抱負を生かせるようなプロジェクトであってほしいものだと希望します。

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いま考えていること 422(2011年01月)
――老 い その2―厄年をこう思う―

まもなく私は82歳の誕生日を迎えますが、近頃、帯状疱疹がでたり、眼圧が高くなったり、食欲不振・早朝覚醒が日常のものとなり、排尿についても順調でなく自己導尿を医師から命じられる有様で、体のあちこちに不調が現れてきています。これらの症状は後で考えると要注意の激しいサインでした。家内の世話にきているヘルパーさんが私のまぶたは何重にもなって疲れが激しいようだといってくれたのですが、それほど気にしなかったのです。これもサインの一つでした。私の掛かり付け医はこのような私の異常に何も警告をしてくれませんでしたが、医師は日頃から診ている患者のこのような変化に気付けば休養なり、活動の抑制なり警告を発することが必要です。食欲不振もすごいものですが、同時に味覚もすごく衰えています。健康な時の味が失われてお酒を飲んでも、チキンラーメンを食べても苦みさえ感じます。便通もよくありません。これらの減少は「抗うつ薬」の副作用ではなく体そのものの変化なのかも知れません。 老年期のうつ病はまるで死んだように体中の生命力が失われた状態なのかも知れません。行き着くところ、うつ病的精神の不安定も自覚され、ドグマチンという抗ウツ薬さえ処方されるに至りました。私の場合これまでしてきた家内の看護にも慣れていましたし、急に負担に感じるということもなく、これといった原因になるようなものは見あたらないのです。だが現在日々不調に悩む生活を送っています。

現在主流であるわが国の西洋医学では、それぞれの病気に対症的に適合する薬物を投与して症状の緩和を計っているように見えます。

しかし、私の現在の症状を見返りますと、主観的には、人間の体に抽象的な「健康」というものはなく、各年齢に応じた「健康」状態があり、或る年齢に達するとそれにふさわしい健康状況への変化が起こってくるように思えるのです。この変化の進行中はホルモンを始め身体のアンバランスが見られ、基本的にはこのアンバランスが体の不調を引き起こし若い時以上に深刻な悩みを抱くに至るような気がします。若い時の「厄年」と言われる時期もこういう時なのかと思われます。暦では老いの厄年は61歳ということになっていますが、寿命の延びた現在では61歳が最後の厄年ではないでしょうから、新しい老いの厄年も考えなければなりません。こうして現在の私の体はまさに老齢期への変換のさなかの「厄年」にあり、幸いこの時期を乗り越えることが出来、新しい体のバランスが回復出来れば再び平穏の日常が戻ってくるのかも知れません。他方どんどんこのアンバランスが進むと、もはや健康は取り戻せず、「死」を迎えることになるでしょう。

漢方に見られる生きている人間の体についての総合的洞察は残念ながら西洋医学には欠けており、もっぱら各症状について対症的に投薬その他がそれぞれ独立にされているように思えます。しかも各科間の独立した診察が主流ですからとても年齢変化を充分ふまえて、総合的に人間を見ることは出来ず、各科の医学本意の診療が行われているのが現状ではないでしょうか。

上の「老い」の項で提示した“老いと正面から戦う姿勢がよいのか。あるいは戦うというよりは、自然の成り行きに任せるべきか”という問いには現時点では戦うというよりは自然の成り行きに任せる姿勢を大事にしたいと思っています。

1月4日掛かり付けの診療所に診てもらい、抗うつ薬デプロメールと抗不安薬ジアゼパムが処方されました。服用しましたがその後も苦痛は治まらず、本気でもう歳だからこの辺りで死ぬ方がましだと真剣に考えたくらいでした。うつ病の苦しみは経験したものでないと理解できないものだと思います。心臓周辺当たりに不安が渦巻くような気もします。食欲は驚くほど全くなくなります。このため1月7日夜第2日赤病院の時間外緊急外来を訪れました。血液検査、超音波診断、胸部X線撮影が行われましたが特に問題はなく、平日に再度精密検査を受けるよう指示されました。このため11日に再度病院を訪れ、内科・消化器外来・神経内科で受診するよう指示されました。検査・診察の結論としては心療内科での「うつ症状」診断が妥当とされ、その後リフレックス15mg半錠を寝る前に飲むよう処方され今日に至りました。
2月1日を迎えた時点では、今回の事象についての哲学は上に書いたとおりだと振り返ります。今夜は久しぶりに約3000歩を杖をつきながら歩いてきました。殆ど外出していませんので脚の筋肉が弱ってきたと感じるのと、歩けば食欲もまた多少は出るかも知れないと思ったからです。久しぶりに「ヒラメのお造り2切れ」「ほうれん草のおしたし30g」「コロッケ1個」「ぶりと大根の煮物」「ご飯200g」を食べられました。食欲がないだけでなく味覚が衰え食べ物においしさが感じられないのです。この症状は午前中がことに不調で元気も出ないのですが、2月7日には思いの外調子が多少回復してきました。同日は所用で四條の中央三井信託銀行を訪ね、所要の手続きも無事済ませることが出来ましたし、株式の売買もインターネット上で久しぶりに行いました。うつ病であっても知的活動はそれほど衰えないようで、むしろ知的活動は気を紛らわせる意味もあって回復には良いのかも知れません。まだとても良くなったとは言えませんが、かなり元気が出てきたのは自覚出来ました。ここで焦ると逆行することもあり得るのです。体重を久しぶりに測ってみましたが54.9kgで元気な時と比べると4kg減りました。ネットにOKWaveという悩み相談コーナーがあります。「うつ病についてのこころすべきこと」を質問しましたところ即座に何通かの助言を頂きました。どれも経験者からでありがたい助言が寄せられています。またなかお クリニックのホームページには「治る病気といいましても、早くても1ヶ月半はかかることを知ってください。普通は、3ヶ月程度かかり、比較的少数になりますが完全によくなるまでに1、2年かかることもあります。」と書かれています。

まだとてもこのホームページ「82歳のキャッシュ」を書き換えていくほどの気力はないのですが、もし「うつ病」の方がご覧くださっておれば参考にはなろうかと思うのでこの項に気力がある時は少し書き綴ろうかと思っています。

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いま考えていること 423(2011年06月)
――病気になって感じていることーー

ふだん私たちは特に考えないで日々生きているのですが、「うつ」に見舞われていろいろなことが出来なくなると、私たちの日頃の考えにはすべて健康な状態で始めて可能な能力というものが前提になっていることをしみじみ感じます。老齢の私たちは自分から健康が失われた時も想定してふだんから手を打っておかなければならないように思います。頭の回転が鈍くなり、いつものような算段は出来なくなります。日常生活でも一例を記しますとATMによる銀行預金の引き下ろしや振り込みには制限額があり健康な時ですと自分で銀行窓口に行って必要な手順を踏むことが出来ますが、健康を害している時は窓口での手順が踏めませんからこれも出来なくなります。銀行の引き落とし制限額の引き上げ手続きもこの一つです。

体の立て替え時は同時にものの考え方の立て替え時でもあります。今までの生活の上での習慣、生き方の信条というものもこういう機会には年齢にふさわしいものに見直すことも必要と思っています。

現在のうつ病を克服出来てさらに生きていくことを検証しますと、必ずしも長生きするのは嬉しいことだと言えない心境です。うつ病のようなつらいことを経験したり、さらに人格の喪失をも引き起こす事態を想像しますと、率直に言って人生適当なところでピリオドを打つ方が良いという考えに到達します。

「うつ病」になって始めて感じたのはテレビのドラマの見方が変わったことも挙げられます。「渡る世間は鬼ばかり」を始めドラマには何らか、たとえば生活に心理的に追いつめられた人も登場します。これまで何気なく見ていたこれらのドラマの主人公の心境にそっくり自分を置き換えてみることが出来るようになったのです。平穏無事の内に一生を終わっておれば、「うつ状態」の人生を味わった人の苦しみを理解出来なかったでしょう。現在はテレビを見ていても違和感があり、楽しめません。元気な時でないと普通の人が感じるテレビを見ての喜びというものは「うつ」の人間には味わえません。何かをしようとする意欲も失われて呆然と椅子に座って時間の経つのを待つだけです。横になっても気持ちよい眠りは訪れないのです。実に苦しいものです。

私は気分を和ませるために「落語」を聴いています。落語を見るのにはNHKオンデマンドもみましたが、You Tubeがいろいろ見る材料を提供してくれて、無料で話だけではなく動作まで見せてくれたのは楽しみも深く、ありがたかったと思っています。

先にも書きましたが、食欲は全くなります。2月15日現在でも全く食欲は起こりません。あれほど元気な時には、ご飯時になるとお腹がすいて食べたくなったものですが、この病気になると全く食欲は出ないのです。この状態で良くも生きているなと実感します。何も食べないではだめだと思うので多少無理に手元のものを食べるのですが、味も感じられず、おいしいとは思えません。味覚そのものが衰えているのです。「うつ病」は体全体が衰えている状態だと思います。2月18日現在多少良くなり、CDを聴いたり落語を聴いたりする意欲も回復してきたので、峠は過ぎた感じはするように思うのですが、この病気は一進一退、すぐに良くなる病気ではないようで、まだ安心は出来ません。またビタミンB群, 中でもB6の不足が関係するという報告もあり、知り合いの医師の助言でライフスタイル(LIFE STYLE) B-100 コンプレックスの服用を始めました。このサプリメントは各種ビタミンBを一錠中に100mgずつ含んでおり一日1錠呑みます。なお日赤の医師は私のような老年期のうつ病は認知症の疑いもあると思われたのか、頭のMRIを撮ってもらいました。3月1日その結果が明らかにされましたが、脳そのものの萎縮や血管の老化が見られるものの年齢に相応したもので血圧の上昇に注意する以外は特に問題なしとのことでした。MRIと並行してRIを注射して脳血流シンチグラムを今日は撮りました。脳内の血流の様子を調べます。結果は16日に分かります。リフレックスは効果が見られるのでこれまでの一日半錠から1錠に増やされました。増量されてから起床時に眠気がとれないような気がします。3月16日シンチレーションの結果について多賀先生に伺いました。年相応の脳血流不良は見られるものの病的なものではなく、アリセプトの投与も要らないということでした。私自身も朝のうっとうしさが少し減り食欲も自然な形で少し感じられ、その上噛んだ時の入れ歯の感覚も少し元に戻りましたから危機的段階はどうやら過ぎたという感覚です。食欲の復活はごく自然な形で始まり自然に進んでいくような気がします。リフレックスの服用は続けます。次回は4月19日ということになり、受診の間隔が延びました。

4月12日夜は息苦しく暫く起きあがっていましたが、長男に報告しますと直ちに第二日赤病院に行くように教えられました。心療内科を先ず訪れ掛かり付けの多賀先生に診てもらったところ循環器科の北村部長を紹介して下さいました。北村部長はx線画像を見るなり「これは心不全です。すぐに入院しますか」とのことでお任せしたところ、循環器科には空きベッドが無いと言うことで、緊急外来の空きベッドを確保して下さりそのまま入院しました。入院後も夜中に発作が起こり呼吸困難に2度ばかり陥り、主治医の木村晋三先生は予定を早めて18日に心臓カテーテル検査をして下さり、同時に心臓の細くなった欠陥にステントを3本入れて下さいました。このカテーテル検査も苦しかったのですがそれから5月30日まで入院していました。おかげさまで発作も起こらなくなり、退院後は通院して加療することになりました。不思議なことに「うつ症状」も殆ど無くなり、食欲も回復してきました。退院後は昼食は専門の業者に低タンパクの食事を届けてもらっています。

  どうやら私の言う厄年はこうして乗り切れたようです。退院後間のない現在、まだ足腰がふらつき外出もままなりません。

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いま考えていること 424(2011年06月)
――原子力発電の行方ーー

電力会社の株主総会が行われる昨今、株主提案として原子力からの撤退が提起されています。提案は少数株主のものですから票数ですべて総会では否決されています。私も原子力放棄には心情的には同意するところもあるのですが、地上の石油はもはや末期の段階にあり、また生活に入り込んでいるプラスチックは石油から製造されていますから、プラスチックから石油の再生という方法を開拓するとしても石油は大事に使って行かなくてはならないと言う気持ちがあります。社会はエネルギーの裏付けなしには存立出来ません。エネルギーの消費が減ると言うことはとりもなおさず社会の衰退を意味します。昔、もっとエネルギー消費が低かった時にも優れた文学や音楽を排出したことは認められますが、それらは当時富を独占していた王侯貴族の支援があって始めて生まれたものが多く、現在のように大衆社会になりますと大衆の活力が失われては文化もまた衰退を余儀なくされるでしょう。こう考えるとエネルギーの役割は大きいものがあります。原子力発電は質量のエネルギーへの転換という新しい原理の具体化が見られます。この変換効率は非常なものでまかり間違うとあの広島で見られたような化学爆薬には見られないような驚くべきエネルギーの産出が見られます。この恐ろしいエネルギー転換を技術的に人間がコントロールして利用していこうというのが、原子力発電でしょう。確かにまだ人間は充分な安全なコントロール力を持っていませんし、ことに核廃棄物の処理方法は全くと言うほど不備な状態ですから、原子力発電には今回のような恐ろしい事態の起こる心配は大きいのですが、近い将来のエネルギー需給の充足度を考えると、人間はやはり試行錯誤の経験を重ね、より安全な原子力のコントロールを可能にして行かないかぎり、未来社会はエネルギーの供給を失って闇黒の衰退社会になってしまうでしょう。廃棄物の処理に擁する費用を考えると原子力発電もむしろ経済的には負担の大きいものになるようですが、この経済面からの検討も進めなくてはなりません。現実問題としては私は原子力発電を積極的に進めることに基本的には賛成です。

しかし、今なお原子力安全・保安院が経済産業省から分離されておらず、国の取り組みの甘さが見られるので、現状では推進にストップをかける考えに同調します。現状何も福島の経験から学んだ安全への具体的改良が行われていないのです。  

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grenz

いま考えていること 425(2011年07月)
――原子力発電の将来ーー

菅首相は昨日原子力の制御が現在の制御能力を上回るもので、私たちは原子力に頼らない社会を作るべきだと述べました。私も現在の状態ではとても原子力を安全に運用することはできないと思うので、菅さんの意見に必ずしも反対ではありません。最終的な核廃棄物の処理にめどが立たない現状では、またいったん事故が起きた場合の被害の恐ろしさを見るととても原子力発電を支持出来ないのですが、石油や天然ガスは限りのある資源であり、将来を展望すると人類はやがては原子力に頼らざるを得ない時代を迎えるでしょう。社会の進歩は使用可能なエネルギーの増大と共にありました。この関係は今後も基本的には変わらないと思われます。必要なことは今回のような惨事は防ぎながら安全な核制御の手段を獲得することです。機構的にも現在の原子力発電でなくてもまだまだ可能な方策はあると思います。たとえば前に紹介したTWRなども研究すればあたらしい安全な発電方式になるのかも知れません。原子力の平和的利用を福島の惨事だけで完全に放棄してしまうのはどうかと思っています。

2011年7月15日の毎日新聞の記事によると日本の09年実績では再生可能エネルギーは約9%その多くはダムを中心とした水力。約6割が火力、3割が原子力です。海外でも再生可能エネルギーの中心は水力で、水資源が豊富なカナダ61%、イタリア20%、ロシア16%でした。ドイツは再生可能エネルギー14%、その4割以上が風力。原子力が23%です。アメリカは原子力19%火力71%、イギリスは原子力14%火力80%と報じられました。再生可能エネルギーの拡大に努力することは必要ですが、こちらにも限度があり、やはり現状、原子力発電の必要は世界的に否定されてはいないでしょう。

少なくとも日本以外の国々は今後も安全な原子力発電を頭に置いた努力をやめないでしょう。開発されたエネルギーを豊富に供給する国々が誕生すれば、発展の法則上、このままでは日本の産業も次第にそれらの国に移転していくことを予見させます。

 

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grenz

いま考えていること 426(2011年08月)
――再び体の現状についてーー

日赤を退院してからもうはや3ヶ月を経過しますが、体調ははかばかしくありません。先日の夕刊では茂山忠三郎さんが亡くなっていますし、気になってあの人はどうしているのだろうと調べてみた「渡る世間は鬼ばかり」の岡倉主人役藤岡琢也さんもとっくの昔に鬼籍に入っておられました。個人的には親しかった友人も次々に鬼籍に入り、気心をおかずに談笑出来る友人も少なくなりました。あれやこれやで身の回りも随分寂しくなっています。

現状どのような状態になっているのかというと、何をするのもおっくうで、ただひたすら目を開いているのさえやっとの事で、目がふさがってしまうのです。かといって心地よい眠りが待っているのでもなく、ねむるともなく、起きるともなく呆然と時間と日を送っているのです。考えてみると本当に情けない日々です。1月には「うつ病」の診断をいただいていますから、いまもその気配は残っているのかも知れません。食欲は当時よりも正常に近い状態なのですが。足も少しむくみ両足共に軽いしびれが足先から走っています。このような状況を医師に話しても理解して貰えていないのが現状で悩みは募ります。元気が全く出てこないのですが、これも体の現状と言うよりは私が精神的に参っているためのせいかと思います。一日中殆どひとりぼっちで、人と話す機会さえもないのが原因かも知れません。

元気な時に思う存分体を動かしておかれることをおすすめします。長期に入院すると予期しないほど体力は弱り、元のように元気には振る舞えなくなります。

 

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grenz

いま考えていること 427(2011年08月)
――花王製品の不買運動ーー

7月下旬タレントの高岡蒼甫さんが”正直、お世話になった事も多々あるけど8は今マジで見ない。 韓国のTV局かと思う事もしばしば。しーばしーば。 うちら日本人は日本の伝統番組求めてますけど。 取り合えず韓国ネタ出て来たら消してます^^ ぐっばい。”とツイッターで述べたのがきっかけとなり、フジテレビに抗議の電話を寄せた視聴者に対する担当者の応答が快くなかったというので、花王製品の返品・不買と連日熱が上がっているようです。デモ行進まで話題に上っているようです。

その結果でしょうか、花王の株価は低迷し、「掲示板」に寄せられる韓国批判の論調が目立ちます。読んでみるとあまりにも論調は過激で友好をモットーとしたい対韓関係を傷つけると言っても良いものがその大勢を占めるのです。私はこのような韓国排除の動きには同調しかねているのです。勘ぐれば一部の人たちが株価の低迷を念頭に空売りを仕掛け、さらに株価の下がることをねらって画策しているのではないかとさえ思っているのです。どの会社の製品を使うかは製品そのものの良し悪しで判断すべきもので、テレビのどの番組のスポンサーであるかではないと思うのです。まして問題を対外的な反韓運動に導く試みは、日本人に時折見られる問題そらしの手段としての熱狂的な排外思想が、いまの不況の世の中の潮流にはぐくまれて成長してきているのだとすれば憂慮すべきことではないでしょうか?テレビ局の放映内容の質の低下が不況の中で起こっているのではないでしょうか?もう少し冷静に事態を受け止めることが必要です。

 

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grenz

いま考えていること 428(2011年10月)
――老後のことーー

暫くこの欄もほったらかしにしていましたが、それは病後体も弱り気力が萎えていたからです。その間いろいろ考えることもありましたが、結論は出ないままに過ぎていきました。現在居住する借家も80年余を経過し、老廃が迫っておりますので、どこか新しい住まいを真剣に考えなくてはならなくなってきました。何軒か中古マンションを探し、見にも行きましたが、 建築基準法(施行令)の改正により新しい耐震基準(いわゆる新耐震基準)が施行されたのは、1981年(昭和56年)6月1日のことで、この日以降に建築確認を受けた建物に対して新耐震基準が適用されています。従って1983年以降に竣工したマンションの場合には、新耐震基準に沿った建物である可能性が高いものの、1983年中の竣工では何ともいえないところです。この辺りを境にして中古マンションの価格は違うようです。住宅の購入は高価な資金が必要ですから、建物・物件個々の法的な問題の有無などいろいろ検討すべき問題があることがわかりました。住まいの検討を進めるうち、さらに重大な問題があることがわかってきました。私は現在82歳ですが子供とは別に暮らしています。今後さらに老齢が深まり、体の不自由さがましてきた場合、介護の問題です。つまり普通の住まいではなく、老人ホームも検討対象に入れるべきではないのかと言うことです。  

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