いま考えていること 251(2006年12月)
――核を巡る6カ国会議をこう見る――

アメリカを始め核保有国でこれまで核を放棄した国はありません。はじめは放棄を迫られても結局核の保有を認めなくてはならなくなったインドの例すらあります。核爆弾による壊滅的破壊を唯一経験した日本人の感覚では、大道はすべての核保有国での核廃棄でなければなりません。常識的には核実験によって対米外交上も有利な地歩を確保できた北朝鮮が6カ国の会議で核開発を放棄するという結論を受け入れることはとても考えられません。日本政府もはじめから核放棄の会議をまともにする気はないようにも見えます。それは拉致問題を会議の席上ぶつけるという姿勢にも見られます。どう考えても核廃棄を第一の課題としているのであれば、雑音とも言うべき拉致問題を出すことは「二兎を追う者は一兎をも得ず」のたとえではありませんが、核放棄会議の成功はとても考えられません。拉致問題を持ち出すことは「6カ国協議の本来の目的を脇に押しやりかねないからです。」

もし万一北朝鮮が核問題で何らかの妥協をみせるとすれば、それはよくよく北朝鮮が、核を交渉の種にして、他にもっと得たいものがあることを示すことになってしまいます。それはよくよくのことで国内の経済事情か体制の危機を示すのかも知れません。

私はこの6カ国会議は核の禁止・廃棄を目標に掲げては居ますが、本当のところは北朝鮮の内情について何か手がかりを得ることに主目的があるように思えます。それが北朝鮮の出方によって示されるからです。最後まで核の温存にでるようであれば北朝鮮は現情勢を維持し、核を放棄してでも得たいというようなものはないのだと考えてもよいのではないでしょうか。 。

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いま考えていること 252(2006年12月)
――今何故ベアが方針なのか――

企業の業績が好転しているにもかかわらず減価償却可能限度額の見直し・配当課税の減額の維持等資本にとって有利な税制を展開する一方、働く人への労働分配率は低いままに据え置いているために景気回復の実感がないのだとして、来年の春闘の目標として労働組合は賃上げを要求するようです。これに対して企業の側は賃上げでなく好況時はボーナスで支給するという方針のようです。

私が働いていた当時はインフレが毎年起こり、このためベースアップがどうしても必要でしたが、当時とは事情が大変変わっているように思います。第一に企業の立地が国内に限らずアジアの各地に求められるようになって、もはや国内で工場建設の用地不足を問題にする時代ではなくなり、アジア各地への移転でその国の人たちの労働雇用が可能になって賃金も低くなるようになりました。国内ではデフレ脱却もまだ議論される状態で、基調はデフレの継続と見てよいでしょう。私たちの生活の場では物価の高騰は季節的なもの以外まだ実感としてありません。この点からはベースを上げる必然性は見られません。よりよく生活するために賃金を高めようという気持ちはわかりますが、ニートだパートだという現状ではベースを上げる必然性はないように思えます。業績の好転に伴う配当増をするのなら、現場の人たちにも一時的ではあれボーナスの増額がもっともだと思います。この点では労働組合の賃上げ要求よりも経営者の側のボーナスでという方がまともなように思えます。明日は労働組合法が制定された記念すべき日ですが、労働組合はもっと同一労働パート労働者の時間給を同一賃金へ引き上げることや、長期にわたっているパートを例外なく正規雇用にする法律の制定など労働条件の改善に努力するべきではないでしょうか。加入率18%担って昔流の古いスタイルでは先細りでしょう

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いま考えていること 253(2007年01月)
――格差問題――

最近のNHK第一放送で高齢者の格差問題を話していました。ジニ係数が高齢者間では0.46と格差が高いので問題にされていたのですが、これはやむを得ないと思うのです。毎朝散歩をしますが途上学習塾に書かれているものに”Heavy work in youth is quiet in old age.”(若いときの苦労で老年は安泰)とありました。私も老年は自分の一生の働きの決算時期ですから、たとえば年金の支給額に個人差を生じていても、それは個々人の保険支払額が違ったので当然の結果というように思います。自分の家を持っているか私のように借家住まいかというのも格差ですが、それを一律にすることはできないでしょう。格差といってもこのような垂直的格差と、同じように働いていていても生じる水平的格差を同一視して論じるのはどうかと思います。頭に自分の生活の低下が起こっているという認識があるので格差だ、不公平だという言葉にその解決を求めようとするのではないでしょうか。社会的に存在する不公平な制度への不満を「格差」という認識で理解しようとしているのではないでしょうか。

現在企業業績は高い水準にあり、迫りくる三角合併に備えて株主への配当も増加傾向にあります。こういう環境の下で庶民感情を逆なでする時期に、法人税のさらなる減税が国際的な比較から経営者や税調から提唱され、銀行も未曾有の収益を上げながらこれまでの赤字経営からか法人税は払わなくてよく、このような企業の実態を眼にしながら、庶民の側はこのところ定率減税の廃止など増税、医療保険・介護保険など保険掛け金の増額とか厚生年金掛け金の増額とかやりきれない生活への攻撃が見られます。企業は社会保険負担を減らす為か正規雇用をさけて非正規雇用を増やす姿勢ですし、それどころか消費税アップ、将来の年金・社会保障全般への不安が心理的に心の中に膨れあがってきていますから、そのはけ口を「格差」という言葉の合唱に仮託して居る側面を感じます。高齢者の格差を始め格差はどの時代どの社会にも存在するものであり、レッドソックス移籍で見られた松阪の高額の契約金のようにそれはそれなりの理由を納得できるものも多いと思うのですが、むしろ若年・壮年層に見られる「格差」には必ずしも肯けないものがあるのではないでしょうか。たとえば仕事の上では全く同一のことをしているのに、派遣社員・臨時社員という雇用形態の違いを企業側の都合しか考えないで導入して、その結果大きな格差を生じている問題などは政治的にも解決できる問題でしょう。しかし政府には解決の動きは見られないのが現状です。

私たちは格差問題を考えるとき、「格差解消」という言葉で解決しようとしている事柄の内容を冷静に分析して、自分の不満を「格差」という言葉にすり替えて、ただ何となく納得しようとしていないかどうか確かめたいものです。

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いま考えていること 254(2007年01月)
――イラク新政策をみる――

ブッシュ大統領のイラク新政策をみて、まず思うのは人間の本質はそう簡単に変わるものではない、「馬鹿は死ななきゃ・・」ということです。すでに3,000人を超えるアメリカ兵の死者を出しながら、また先頃の選挙で国民から明らかな否認を受けながらも、さらにまた、イラク戦争打開のための提言も受けながら、相も変わらぬ強気の21,500人の増派を命ずるとは人間の業の深さを感じます。この戦略が成功するとはとても考えられず、イラクの混乱を増幅させることは避けられないでしょう。言葉の彩にすべてのこれまでの失敗の原因は自分にあると一見殊勝な言葉を吐いているように見えますが、これはアメリカ国民へのいいわけ以外の何者でもなく、本心は全く変わっていないものと見えます。それにもかかわらず私が新しく感じるのはブッシュも成功は考えて居らず、いずれはベトナム戦争と同様に撤退を余儀なくされる予感は持っているのだろうということです。早くもその際の責任を自分以外のものに持っていこうとする下心を声明から感じます。他のもの、それはイラク政府であり、マリキ首相です。増派したのに勝てずイラクがさらに混乱に陥った責任はブッシュではなく、イラク政府の不手際にあるという言い訳の線を張ったということです。マリキ首相の力では掃討作戦の失敗は目に見えており、イラクはますます内戦の情勢を深め、自然に任せれば結局分裂するでしょう。

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いま考えていること 255(2007年01月)
――ホワイトカラ−エグゼンプション考――

何故いまホワイトカラ−エグゼンプション導入を政府や財界は声高に唱えるのでしょう。ましてその適用を労働者の賃金で年収400万以上とか900万円以上というように、仕事の内容ではなくて収入で一律に適用しようとするところに胡散臭い提案だと感じます。問題の多い国に「美しい国」思想を持ち込もうとする安倍さんが総理の国です。たとえば名前だけは「障害者自立法」という美しい名称を付けながらその中身は自立どころか働くほど赤字が出て自滅してしまうような規範に欠けた名前付けがこの国には横行しているのですから、用心しなければなりません。ホワイトカラ−エグゼンプションを「自己管理型労働制」と言い換えて厚労省は法案を審議会に出したようですが、ここでも名前の魔術にゴマかされてはなりません。労働界も備えを固めなくてはなりません。ホワイトカラ−エグゼンプションを残業手当廃止の法案だというのは提案の真意を理解しない解釈だと政府筋はいうのですが、やはり残業手当のカット、就業時間制限の実質廃止を目的としたものだという庶民の受けとめ方の方が正しいのではないかと思います。

私事になりますが私は40年間女子大で教えていましたが、この間タイムカードもなければ、残業手当もありませんでした。日曜でも自由に出かけて研究できましたし、夜も遅くまで実験をしていました。むしろその場合に必要な電気、ガス、水道なども自由に使えるのですからありがたいとさえ思っていました。つまりホワイトカラ−エグゼンプションのいう内容の理想的な形を味わってきたのです。

つまり、現行の労働法規の下でもホワイトカラ−エグゼンプションの理想が描く労働形態は十分可能なのです。このような状況なのに新しくホワイトカラ−エグゼンプション導入を唱えるというのは何か新しい意図があるということです。働く人から残業手当を取り上げ長時間労働を余儀なくさせる労働の強化を考えているのに違いありません。私の場合は大学から時間外や休日に出勤を命じられることはありませんでしたから残業手当は支給されず、入試の時の業務は36協定をその都度当局と組合の間で結んで入試手当の形で処理されていたようです。一般論としていうと大学の研究者などは労働形態としては現在の労働法規の下で可能な「裁量労働制」をとることも可能です。この裁量労働制の法規には明瞭に仕事の内容での適用対象がかかれています。それは決して年収の多寡によるものではありません。もし現在の労働形態がコンピューターの汎用というように過去と違ってきて、矛盾を生じているので「ホワイトカラ−エグゼンプション」が必要なのだというのであれば、そんなことをしなくても「裁量労働制」の問題点を再検討して、法規で規定されている仕事の内容分類また労働時間の規定を改めればすむことだと思います。現行の「裁量労働制」でも「見なし労働時間」の設定次第で残業手当の支給があるのです。日本とアメリカでは実際の労働形態も違っているのにアメリカのホワイトカラ−エグゼンプション制度をモデルに、経営側に有利だというだけで労働法規の労働者の週40時間という国際的な基準さえ破壊するようなことは認めてはなりません。

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いま考えていること 256(2007年02月)
――柳沢氏の発言から――

補正予算の審議は自民・公明だけで進められ、野党は一斉に柳沢氏の辞任を求めて審議拒否しています。柳沢氏が松江で行った演説の内容の一端が2007年2月2日の毎日新聞で紹介されました。柳沢氏は自民党税調会長・金融担当大臣を務めたこともあり、本来財務畑の人です。この毎日新聞の記事を読みますと、終始、論説は経済現象を論じる姿勢で進んでいるというのが私の印象です。出産というものを工場に置ける生産と同列の発想で論じているのです。その結果、女性も生産機械と同等に見なし、生産を回復するために生産効率を1.26から1.7へ高めなければならないという議論に進むのです。柳沢氏のキャリア−からすれば当然の議論の進め方といえるでしょう。厚生労働大臣として「人間」を中心に据えなければならないのにそれができない人なのです。結論として言うとこのような人を厚生労働大臣にしたのがミスキャストでありました。更迭しないとあらゆる厚生労働問題で誤った法案が生まれてくる危険が予想されます。「自己管理型労働(ホワイトカラ−エグゼンプション)法案]の提出がその一例です。

彼を厚生労働大臣にしたために柳沢氏自身の前途をも失わせてしまったのです。「人の材を尽くす」というのが私の教育観ですが、このミスキャストをしてしまった安倍さんの人を見る目がないことに驚き、また、今回の事件は見る目のなさの当然の結果だと思います。

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いま考えていること 257(2007年02月)
――6カ国協議を控えて――

8日から北朝鮮の非核化を目的とした6カ国協議が予定され、各国代表が北京に集まってきています。先にいま考えていること 251にも記しましたが、これまで核爆弾を持った国で核を放棄した国はありません。最近の報道によると今度の会議で北朝鮮が非核化に一定の譲歩を示す感触があるようです。これは「いま考えていること 251」にも記しましたように核よりもさらに重要なほしいものが北朝鮮にあるのに違いありません。これはどうやらエネルギ−で重油の供給とか軽水炉とかの形で要求を出してくるようです。議長国中国は北朝鮮の軟化に応じて会議の国々は応分の援助を分担することを認めてほしいようです。現在の我が国の動きでは、例の拉致問題も同時に提起し、拉致問題が解決しない限り日本は援助に応じられないというのが方針のようです。

拉致問題の重要性は「強制的失踪防止条約」が調印されたことからもわかるように重要な問題であり、我が国政府のこれまでの拉致問題への関わり方からも安倍さんが「拉致問題に対して北朝鮮が誠意ある対応をとらなければ日本が何か出すということは基本的にない」というのは一応理解できます。

しかし、今我が国も含め6カ国にとって最重要問題は拉致か核かどちらなのだということになれば、明らかに核の問題です。そのため非核化を目的として6カ国の協議が行われるのです。せっかく手に入れた核爆弾を凍結させるのであれば相手はその代償を要求してくることは拒めないでしょう。その時に日本が拉致が解決しないと代償に応じられないというかたくなな態度を最後までとれば、会議の成功はとても考えられません。結論としては我が国が本当に北朝鮮の非核化を望んでいるのかが問われることになるでしょう。今の政府には何が本当に重要なのか、すべての問題、事象についてその判断ができないのではないかというのが私の現在の見方です。

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いま考えていること 258(2007年02月)
――団塊の世代の人たちへ―健康―

今年から団塊世代の人たちの定年退職が始まるというので、NHKの番組に団塊世代をテ−マとした番組が増えてきました。私は家内の発病で定年の2年前に退職し、その後家内の看護を日常の仕事として生活してきました。幸い私と家内の分の年金がかなりありますので、生活には余裕があります。このような私の意見ですからあまり参考にもならないかもしれませんが、まあ聞いてください。

団塊の世代の人がこれからどう生きていくかという論議であまり問題にされていないのが「健康」の問題です。どのような生活を計画され、実行されようとしても、一番大事なことは「健康」です。これがすべての前提になります。いずれ80歳を迎えるまで経験を重ねた上で申し上げようと思っているのですが、中間発表だと思って読んでください。
★一緒に仕事をさせていただいたH先生は当時学長をされていましたが、私より少なくとも四歳年上で今なおお元気に過ごしておられます。当時も人並みはずれのお元気でしたから「どうしてそんなにお元気なのですか?」と尋ねたことがあります、先生は京都大学の名誉教授で現役時代は医学部に所属されていました。先生のお答えは「私は一日三回は排便する」といわれました。医学を専門とされた先生のこの言葉が印象深かったので、私もそのまねをしたいものだと思っていました。私にこの一日三回の排便に踏み切らせたのは、その後私の大腸S字結腸にポリープができ大腸を約20cm切除した後でした。その後毎年一度は内視鏡検診を受けているのですが、たまに小さなポリ−プの内視鏡的切除を検診のついでに受けることはありますが、まずまず順調に過ごしています。朝の散歩の前に軽く排便(8時頃)、その後10時半頃に本番、ついで昼の食事後30分以内に残便とおもわしいものを排出という日常です。すべて習慣になりますと自然にこのような排便リズムが起こります。このためいつでもお腹は好調で食欲も自然です。やはり便はお腹に貯めないで速やかに無理にいきむことなく排出してしまう方がよいと思います。

★毎日約1万〜1万1千歩歩きます。この散歩でいつも出会う散歩している人というのは一人くらいでそれも犬の散歩が主たる目的と見かけます。あまりにも自動車に乗って居る人が多いと感じます。仕事や住んで居られる場所の都合で乗らなければ生活できない人ももちろんおられるでしょうが、歩くことを忘れた、あるいは避けている人も多いのではないかと言うのが感想です。「老化は足から」とも言います。使わないと筋肉は年をとると急速に衰えます。
歩く事の効用は筋肉の衰えを防ぐだけではありません。エコノミッククラス症候群で問題になる血栓の脚部での生成は、歩いて爪先に至るまで血流を活発化させることで防げます。また歩くと腸内ガスの放出が見られます。明らかに腸の運動を促しています。医学的な検証でも結腸ガンは歩く人には明らかに少ないのです。更に歩いて脚部の骨に負荷を与える事で骨の新陳代謝を促し骨粗鬆症を防ぐのは明らかです。年を取ると不眠に悩まされる人も出てくるのですが、歩くことによる軽い疲労は睡眠へと誘ってくれるのです。これらの効果は自転車の乗用でも皆無だとは言いませんが、自転車は坂を利用して足踏みしなくても自転します。歩くときは一歩たりとも足を動かさないと進まないのです。歩く方が効果は高いでしょう。

(2007年6月15日追記)昨日来た「ぽーれぽーれ」(認知症の人と家族の会 機関誌No.323)掲載の杉本八郎京大大学院薬学研究科教授:アリセプト開発者の記事によりますと筑波大朝田隆先生の研究では「200人の内100人に一日30分から1時間程度の早歩きの散歩を1年間続けてもらい、もう一方の何もしない100人と比べると脳の高次機能テストで早歩きをしていた人の方が良好な結果が得られた」ということです。

60歳からは歩くことをぜひ生活習慣とされることをお勧めします。そうでないと終いにはトイレに行くことさえ困難になり、まして体重が増えて太ってきますと大変なことになります。

車を持ちゴルフクラブを抱えてゴルフクラブに行くのがリッチの象徴のように見られた時代もありました。確かにゴルフはふだん車に乗って歩かない人にとって歩くという意味で有用です。ウオ−キングマシンも売られ、フィットネスクラブでもいろいろのマシンが見られます。しかしそれらは何れも、お金がかかります。自分の足で野外を歩くとお金を掛けることなく、四季の変化のはっきりしている我が国では折々の自然の変化を楽しむことができます。そういう風景をも楽しむ心の余裕は精神的にも余裕を与えます。

★私たちの青年期はまだタバコが手に入りにくく、私の従兄などは映画館に映画を見に入るのでなく、喫煙室の灰皿から吸い殻を持ってくるために入ってすぐに出てくるということもありました。中学時代戦争中で勤労動員にいきましたが、そのようなときでも「チェスタ−フィ−ルド」とか「ラッキ−ストライク」などというタバコの名前を口にして、平和な時代を夢見ていたものです。当時はタバコは配給制でしたから、一般人がそれ以外に入手する事は困難でした。私の学生時代奨学金は1ヶ月当たり2,100円でした。当時の初任給は月額約7000円で安いタバコ“新生“でも一箱10本入り20円でした。奨学金が支給されると地下の生協売店に行きバラ売りしていた新生を2,3本買って吸うのが楽しみでした。現在のタバコの値段は当時の物価水準から見ると安すぎるように思います。京都大学の依田高典教授らのグループによりますと欧米では一箱600円だといいます。喫煙者でも800円になると止める人がふえ、価格以外では禁煙促進効果は見られなかったといいます。 今は街角にはタバコの自動販売機が至るところにあり、成年のみならず若い人も簡単に手にはいるので、散歩していてもタバコを口にする人が多く見られます。ことに最近はこんな人も吸うのかと驚くような若い女性の喫煙者も増えてきました。私は20年ほど前にそれまで吸っていた「ラーク」を「休煙」し、今日まで休煙しています。若いときに京大の医学部展で喫煙者の胸部解剖標本を見ましたが、本当に肺が真っ黒になっていました。ここに書いたように今日は容易にタバコが入手できるので老年までの延べ喫煙量は我々とは比較にならぬ量になると思います。喫煙から20年後くらいに顕在化する肺ガン、肺気腫などの肺臓疾患が我々の世代よりもますます増えていくのを恐れます。私は節煙ができなくて all or nothing 派なのですが、団塊の世代の皆さんも一日でも早く禁煙を健康のためにお考えになることをお勧めします。

最後に申したいのは「健康」の秘訣は良いと思うことを早く見つけてそれを実行する「精神の強さ」が決め手だと言うことです。このことは禁煙行動でもっとも明らかに見られます。

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いま考えていること 259(2007年03月)
――視点の革新――

今朝(2007年3月4日朝刊)の毎日新聞を見ていると、先日来の世界株安の捕まえ方の異なる視点で書かれた記事がありました。“「投資マネ−」の流れに変化が生じているとの見方が強く“というのがそれです。中国発の不安が全世界を走ったというこれまでの意見にも一理はあるのでしょうが、私はたとえばヘッジファンドなどの姿勢が変わったことが原因だと見ていましたし、日本銀行が基準金利を0.25%から0.5%に引き上げたことが一因だと睨んでいました。確かに0.5%といっても世界の金利水準から見れば安いのですが、金利が2倍に引き上げられたというのは大きいことです。これまで日本で調達していた資金にとっては利息が2倍になるのですから少しためらいもでて作戦の変更を迫られます。日本からの借り入れをいったん返済しておく動きがあったのでしょう。このため円高が同時進行しました。株価は金融哲学が再構築されるまで当分は低迷を続けるでしょう。投機資金の一部はすでに例えばトウモロコシに向かっているのかも知れません。バイオエタノ−ルの原料として。

このように日本の動きもどうしてもグローバルに世界を頭に置いて考えなければならなくなっています。私の高校生時代には戦争中の天皇国家主義への反省からコスモポリタンという言葉が日常的にあふれていましたが、最近は滅多に耳にしなくなり、安倍さんが首相になってからは「グロ−バル」という言葉ですらやや白眼視されるような流れです。かえって安倍さんは「美しい国日本」のかけ声の下、国家主義的動きを強めています。

しかし冷静に考えると生産拠点もますます海外に移り、儲けていると非難される企業の利益も七割方は海外で上げていると言います。格差問題を背景に「働く人たちへの還元が少ない。」と組合の人たちは賃上げを要求していますが、国内での賃金を上げるのと同時に海外での日本企業労働者と連携してその人たちへの還元も語られなければならないグロ−バル化の時代だと思います。残念ながらそのような取り組みは見られません。国内の自分達だけの賃上げを望めばますます企業の海外移転を進める結果になり自分の首を締め上げかねないと思います

大企業の減税や配当金減税の継続が格差社会の推進の元凶だと思わせるような議論もありますが、現在企業の株主(配当金を受け取る人)は日本人だけではなく外国人も増えてきており、日本の株価も外国人投資家による売り買いが大きな影響を与えています。この事態を「悪」と見るかグロ−バル化した経済の必然と見るかでそう単純な答が出る問題ではないように思います。野球と同列には論じられないかとは思いますが、外人選手が日本の球界で活躍して試合を面白くさせ、日本人選手がアメリカメジャ−リ−グで活躍する時代です。現在の各国法人税率はウエブテレビのデ−タでは次のようでした。


1位、アメリカ 40.75%(国税31.91%+地方税8.84%)
2位、日本 40.69%(国税27.89%+地方税12.8%)
3位、ドイツ 39.90%(国税21.53%+地方税18.37%)
4位、フランス 33.33%(国税33.33%)
5位、中国 33%(国税33%)
6位、イギリス 30%(国税30%)
7位、韓国 27.5%(国税25%+地方税2.5%)

5月からは三角合併も解禁され、企業は海外との激しい競争が激化しますし、韓国はアメリカと自由貿易協定を2007年4月締結しました。両国の貿易拡大は日本にも大きい影響を与えます。我が国も早晩自由貿易協定の拡大を迎えるでしょうが、それと共に日本農業は関税面での保護を失っていきます。農業・工業共にこれからは世界の中にあることを意識して他では生産出来ないユニ−クなものの開発と生産で太刀打ちしていかなければならないのです。そうすれば高くても良いものは海外でも歓迎され、農産物でもむしろどんどん輸出されて行く時代になるのも夢ではありません。今年は学卒者の就職が売り手市場だと言いますが、少子化の時代を迎えて大学への進学がますます楽になり、大学卒業と言うだけでは何の価値も無い時代になるでしょう。学生も気持ちの上で外国も意識した高度のユニ−クな発想と学識を身につけ世界を相手にできるものを持たないと見向きもされないことになるでしょう。意識の転換が要請されます。人口3000万で身分固定の江戸時代ででもなければ鎖国状態で生きていくことは不可能で他国と共存し貿易を前提としなければ生きていけません。

核廃絶の6カ国会議への日本の取り組みは「核問題への対処」という視点と「日朝国交回復」という視点をごっちゃにして6カ国会議に拉致問題の解決を求めるという頭の悪さです。「核問題への対処」を真剣に考えるのなら、一時拉致問題は棚上げにしてでも会議のメンバ−と歩調を合わせた取り組み、経済支援も処理していく視点かなくてはなりません。拉致問題は核から離れた別の場、すなわち「日朝国交回復」の場で処理しなくてはならないと思います。ベトナムで日朝二国間会議が開かれるようですが、この場はあくまで「核廃絶」という枠内での議論でなければならないのですが、自らの力で日朝二国間の外交ル−トを開く能力を失った我が国外交は、6ヶ国会議に便乗して二国間会議への道を拓こうとしました。折衝はうまく行くはずが無く何ら道は拓かれませんでした。安倍・麻生路線は拉致問題の前進がなければ一歩も進めないという固陋さです。自国のことばかりに眼を向けさせてグローバルにものを見るという姿勢のない安倍さんでは結果的には6ヶ国会議妨害の動きしかできないでしょう。6カ国会議の目的は何かそれをしっかり認識して会議に臨んでほしいものです。国民にグロ−バルな視点をとらせないのが現状です。

栄養の点から海外で日本食ブームが始まるとその内容が日本的ではないと今度は標準日本食の認定基準を作ろうという有様です。国内でも、格式では祇園甲部よりも上だという日本有数の花街京都の上七軒の仕出し屋「紅梅庵」の弁当でさえ焼き豚も使っている時代です。日本食といっても刻々材料も含めて変貌していくのです。私の意見では基本としてだしに昆布・鰹節、調味料に醤油・日本酒を使うものを日本食というとしてそれ以外何を使い、どう調理しようとよく、敢えて政府お墨付きの認定などよけいなお世話だと思っています。世界中の人が脂肪の少ない日本料理の基礎に沿って各地に日本料理店を開かれればその善し悪しの判定はその地の人々に任せればよいのです。偽りの日本料理は自然に決して長続きはしないでしょう。

現在の憲法、前の教育基本法などはいわばコスモポリタニズムが底流にあって、世界のすべての人々に受け入れられる視点があります。その貴重な視点を潰そうとするのが安倍内閣ではないでしょうか。私たちは日本の良さを築き、認識し、発展させながら片時も忘れてはならないのは国際的視点だと思います。資源のない我が国は所詮平和の内に貿易し、外国との友好を基本としなければなりません。金融面を見ても日本の金融機関はまだまだ国内活動中心で海外支店の数も多くないのが実情で日本の現在を反映しています。経済も文化も国際的になっているとき私たち個々の頭も常に国際性を保つ必要があります。そうでないとまた嘗ての誤りを犯しかねない安倍さんの姿勢です。私は深く憂えます。

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