ヘルメース全集
[人物] 確かに、古代哲学の歴史家たちは、彼らが、実際にデーモクリトスの書いたものを確証するときは、確実な書物しか認めない権利と義務をもっている。しかしそれは、歴史の範囲から他の分野のものを遠ざけ、それについて時代や系統を確証しなくてもよいという理由にはならない。たとえ偽名であっても、これらデーモクリトスの模倣者の著作品は、その正確な日付と独自の特徴をもっている。これらの著作品は、また古く、人類の信仰、哲学の教義、確実な知識の絶えまない発展段階に呼応したものである。プリニウスやコルメラの時代のひとびとによって、デーモクリトスのものだとされた魔術、自然主義の書物は、偉大な合理主義哲学者デーモクリトスの生涯には汚点となるであろう。しかし、ひとびとは、著作者の霊感を超越しようという意図をもっていた。彼らは、数世代の人間の神秘説的、実験的教育に協力した。彼らは今日の最も基本的科学の一つ、化学の起源史に直結しているのである。 <……> 紀元前357年頃死んだアプデラ生まれのデーモクリトスは、ギリシア哲学者としては最も有名であるにもかかわらず、少なくとも正しく彼自身の著作品の著作者としてはあまり知られていなかった。彼は合理主義者であり、強い精神の持主であった。デーモクリトスは、彼をしばしば引証したアリストテレース以前に、人間知識のすべての分野について書き、その伝記作者ディオゲネス・ライエルティウスがわれわれに教えるように、自然科学に関係する種々の著作品をつくりだした。彼は、後にエピクロス派を継いだ原子説派の設立者である。この派は、古代に多くの信奉者をつくり、近代化学者にも再び受け入れられた。 デーモクリトスは、エジプト、カルデア、オリエントの種々の地方を旅行した。そして理論的知識を、また、これらの地方の実際的技術をも授けられた。 これらの旅行は、最初のギリシア哲学者にあっては、伝統となっていた。彼らは、この旅行によって、自分たちの教育を補う習慣をもっていた。へーロドトスの旅行は史実上確かで、自分自身、そのことについて語っている。プラトーン、ピタゴラス、デーモクリトスの旅行の思い出は伝承によってわれわれに伝えられている。とくにピタゴラスとデーモクリトスの旅行は、古代人によって証明されている。アンティステネースによると、デーモクリトスとほぼ同時代の著作家らしいとされているディオゲネス・ライエルティオスは、このことを記録した。アンティステネースによれば、デーモクリトスは僧から幾何学を学び、エジプト、ペルシャ、紅海を訪れた。キケロとストラボンは、これらの旅行について言及している。ディオドールスによれば、デーモクリトスは、5年間、エジプトに滞在した。アレクサンドリアのクレメンスは、その一節で(ムラッハ Mullach によれば、その一部が、デーモクリトス自身から借りだされたものであるらししい)デーモクリトスが、バビロニア、ベルシャ、エジプトに行き、魔術師や僧侶のもとで研究したと語っている。また、カルデア人の聖なる文字とメロエ[古代エジプトの首府]の聖なる文字についての著作品も彼のものであるとされている。 私がデーモクリトスの旅行や教育について主張するのは、あたかも正確らしくみえるこれらの話が、長老プリニウスの引用するところでは、様相を変えるからである。プリニウスは、この合理的哲学者デーモクリトスの性格を変えてしまって、事術師の身分を与えてしまった最初の著作家である。以来、中世を通して、この魔術師の身分がデーモクリストの名に結びつけられた。
このようにして、プリニウスは、デーモクリトスを魔術の父と決めてしまい、シュネジウスと侍僧ゴルギオスの歴史の序幕となった。彼らのあとで、デーモクリトスは、エジプトの僧侶たちと魔術師オスタネスによって錬金術の秘伝を授けられたのであろう。
断片集は、岩波書店の『ソクラテス以前哲学者断片集』第IV分冊を見よ。 2014.11... |