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back.gifIII 精神現象としてのパラケルスス

C・G・ユング
「錬金術研究」IV

精霊-メルクリウス

(1/3)


[1942年、スイスのアスコナにおけるエラノス学会の2本の講義として作成された。主題は「神話、グノーシス主義、そして錬金術におけるヘルメス的原理」であった。『エラノス年報1942』(チューリッヒ、1943年)に「精霊-メルクリウス」として公刊。改訂・増補して『諸々の精神の象徴:心理学的現象論に関する研究.....』(心理学紀要、第6巻;チューリッヒ、1948年)。英訳版はGladys PhelanとHildegard Nagelにより、「精霊-メルクリウス」という表題で、1953年、ニュー・ヨークのAnalytical Psychology Club社によって1巻本として公刊。これが本訳の基礎をなす。幾つかの短い章が結びつけられた。— 編者。]




[目次]
  1. PartI
    1. 瓶のなかの精霊
    2. 精霊と樹の結合
    3. 自由なメルクリウスの問題
  2. Part II
    1. 水銀、あるいは/かつ、水としてのメルクリウス
    2. 火としてのメルクリウス
  3. 霊魂としてのメルクリウス
    1. 大気の精としてのメルクリウス
    2. 魂としてのメルクリウス
    3. 結合的、形而上的意味での霊としてのメルクリウス
  4. メルクリウスの両つの性
  5. メルクリウスの唯一性と三位一体性
  6. 天文学および支配者の教説とメルクリウスの関係
  7. メルクリウスとヘルメス
  8. アルカナ実体としてのメルクリウス
  9. 結び



+Ermh: kosmokravtwr, ejnkavrdie, kuvkle selhvnhV,
strogguvle kai; tetravgwne, lovgwn ajrchgevta glwvsshV,
peiqodikaiovsune, clamudhfovre, pthnopevdile,
pamfwvnou glwvsshV medevwn, qnhtoi:si profh:ta.....


(ヘルメスよ、宇宙の覇者、心臓に住まう者、月の円環、
円と四角、舌の言葉の始祖、
正義の聴従者、クラミュスをまとえる者、有翼の沓を履ける者、
多声の舌の守護者、死すべきものらの預言者……
       — 魔術パピルス(Preisendanz, II, p.139)





Part I

1.瓶のなかの精霊

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 ヘルメスに関する討論会におけるわたしの責めを果たすために[1-01]、わたしが試みようとするのは、多芸多才にして狡猾なこの神が、古典期の衰退とともに死に絶えること決してなく、見かけこそ違え、幾世紀にわたって、現在にまでも生き続け、だましの手口と癒しの贈り物で人の心を忙しくさせてきたことを示すことである。子どもたちは今もってグリム童話の「瓶のなかの精霊」を語っているが、これはあらゆる童話と等しく永遠不滅であるばかりでなく、本日われわれに降り来たったように、第五元素とヘルメスの秘儀の最も深い意味とを内包しているのである。

 昔々、ひとりの貧しい木樵がおりました。彼にはひとり息子がおり、彼はこれを高等学校へやりたいと思いました。けれども、持っているよう与えられたのはほんのわずかな金だったので、試験を受けるはるか前に尽きてしまいました。そこで息子は家に帰って、森で父親の仕事の手伝いをしました。あるとき、昼の休憩時間に、彼は森をぶらつき、鬱蒼とした古いオーク樹のところにやって来ました。そこで彼は、地中から「出してくれ、出してくれ」という叫び声を耳にしまた。その樹の根の間を掘ると、しっかり封をしたガラス瓶を見つけましたが、声は明らかにそこから出ているのでした。彼が開けると、いきなり精霊が跳び出し、たちまち樹の半分の大きさになりました。精霊は恐ろしい声で叫びました。「わしは罰を受け、仕返しさせるだろう! われこそは偉大で強力な精霊-メルクリウスだ。今おまえに褒美をくれてやろう。わしを解放してくれたやつは、誰であれ絞め殺さねばならん」。このことが少年を不安にさせ、すぐに策を思いつき、彼は言いました、「先ず、この小さな瓶の中に閉じこめられていた精霊と同じだということを確かめなくっちゃ」。そのことを証明するために、精霊は再び瓶のなかにもぐりこみました。そこで少年は急いでこれに封をし、再び精霊は閉じこめられました。しかし今度は、少年が自分を出してくれたら、褒美に彼を金持ちにしてやるると約束しました。そこで彼が出してやると、小さな襤褸切れをお礼にもらいました。精霊が言いました、「これの一端を傷口の上に広げると、それは治り、もう一端で鋼や鉄をこすると、それは銀になるだろう」。そこで少年が自分の壊れた斧をその襤褸切れでこすると、斧は銀に変わり、これを400ターレルで売ることができました。こうして父と息子は、あらゆる心配事から解放されました。若者は自分の勉強にもどることができ、後には、襤褸切れのおかげで有名な医者になったとさ。[1-02]

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 さて、この童話からわれわれはどのような洞察を得ることができるか? ご存知のとおり、童話を夢のような幻想物語として扱うことができる。それ自体無意識の自然発生的陳述と受け取れるからである。

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 数多くの夢の初めには、夢活動の場面に関して何ごとかが触れられるように、妖精物語は魔法の起こる場所として森に言及する。森とは、暗く、眼に見透されることなく、深い水や大気のようなもので、不可知なもの神秘的なものの容器である。それは無意識の適切な同意語である。数々の樹木 — 森を形成する生命的要素 — の中にあって、1本の樹はその巨きさゆえに特に目立つ。樹木は、水中の魚類のごとく、無意識の生きた内容を表す。これらの内容物の中で、特に重要な意味を持つものは「オーク」として擬人化される。樹木は個性を有する。それゆえ樹はしばしば人格の象徴である[1-03]。バイエルンのルードヴィッヒ2世は、公園にあるとりわけ印象的な樹木を尊敬し、これに挨拶したと言われる。強大な古いオーク樹は、諺になるほどの森の王である。だから、それが表すのは、無意識の内容における中心的図像であり、最も注目的程度において個性を所有している。それは自己(self)の典型であり、源泉の象徴であり、個性形成過程の到着点である。オークは人格の静止した無意識の核、深い無意識の状態を示す植物象徴を意味する。このことから結論づけられるのは、妖精物語の英雄は、彼自身の深い無意識だということである。彼は「眠る人たち」のひとりであり、「盲目」ないし「目隠しされた者」であり、わたしたちはある錬金術の諸論文[1-04]の図像の中に彼を算入するのである。彼らは、自分たちの静止的無意識たる目覚めぬ者たちであり、彼らの未来、もっと広範な個性、その「全体」をまだ統合されていない者、ないし、秘儀を授かった者たちの言葉で、いまだ「照明」を受けぬ者たちである。だから、われわれの英雄にとって、樹は大いなる秘密を隠しているのである[1-05]

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 秘密が隠されているのは、梢ではなくて、樹の根元である[1-06];そうであるから、あるいは人格を持つから、人格の顕著な特徴 — 声、話しぶり、そして意識的な目的を有し、主人公によって解放されることを求める。それは意志に反して捕らえられ、幽閉され、樹の根の間にある大地の中に下りる。根は無機物の領域、鉱物の王国に延びている。心理学の用語でいえば、これは、自己(self)はその根を身体の中に、実際身体の化学的要素の中に有することを意味する。この妖精物語の注目すべき主張がその中に何を意味しようとも、無生物の大地の中に根を張る生きた植物ほど奇妙なものはない。錬金術師たちはその4元素を、エンペドクレスのrhizomataに対応させてradicesと述べ、それら〔4元素〕の中にかれらは化学の最も意味深長にして中心的なシンボルの構成要素、つまり、個性化過程の目標を表すところの lapis philosophorum〔哲学の石〕を見た。

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 根に隠されている秘密は、瓶のなかに封印された精霊である。当然、それは初めから秘匿されたわけではなく、最初は瓶のなかに閉じこめられ、しかる後に隠されたのである。おそらく魔法使い、つまり、錬金術師が、これを捕まえて幽閉した。われわれが後に見るように、この精霊はいくぶんか樹のヌーメン、その spiritus vegetativus〔〕(これはメルクリウスの定義のひとつである)に似ている。樹の生命原理として、それはそれから抽出される一種の精霊的本質であり、principium individuationis〔個性化原理〕とも記述されることができる。だから、この樹は自己(self)の外面的かつ可視的徴表であろう。化学者たちは、類似した見解をいだいていたように見える。『』は次のように言う。「哲学者たちは、地上の楽園の中央に生える樹の中心を熱心に探し求めてきた」[1-07]。同じ出典に依れば、キリスト自身がこの樹である[1-08]。この樹の譬えは、アレクサンドリアのエウロギウス(A.D. 600年頃)と同じくらい早期に登場し、彼は言う、「父の中に根を、太陽の中に枝を、霊の中に果実を見よ。なぜなら、樹の中にある実体(oujsiva)はひとつだからである」[1-09]。メルクリウスもまた trinus et unus〔3にして1〕である。

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 そこで、これを心理学の言葉に訳すと、妖精物語がわれわれに告げるのは、メルクリウスの本質、つまり固体化の原理(principium individuationis)は、自然な状態の中で、自由に発展していたが、外側からの故意の介入によってその自由を奪われ、巧妙に閉じこめられ、悪霊のごとくに抹殺された、ということである。(悪霊のみが閉じこめられ、この霊の弱さは殺人的意図によって示される)。妖精物語が正しく、その霊が言うぐらい本当に弱かったと仮定するなら、principium individuationis を閉じこめた主人は、善なる目的をいだいていたのだと結論づけなければならないだろう。しかし、この善い意図を持っていた主人、ひとの個性化の原理を抹消した者とは誰か? このような力は、霊界の魂たちの支配者にのみ与えられている。個性化の原理はあらゆる悪の源であるという観念は、ショーペンハウエルと、仏教の中にはさらに強く見いだされる。キリスト教においてもまた、人間の自然本性は原罪によって汚されており、この汚れは、キリストの自己犠牲によって購われる。「自然本性的な」状態にある人は、善良でも純粋でもなく、自然本性的な方法で発展したなら、その結果は獣と本質的には異ならない結果になろう。罪の感覚に悩まされることなきまったく本能的・うぶな無意識は、善と悪の違いを導入し、悪を無法者とすることで、<主人>が自然的存在の自由な発展を阻害されなければ、優勢であったことだろう。罪なくして道徳意識はなく、違いの気づきなくして意識などあろうはずはないから、魂たちの主人の奇妙な介入は、ある種の意識の発達にとって、ある意味で善にとって、絶対的な必要物であったとわれわれは認めなければならない。われわれの宗教的信念によれば、<神>そのものがこの<主人>である — また錬金術師も、その小さな仕方で、<創造者>と競い合っている。創造の仕事に相似した仕事に奮闘し、それゆえ、彼の小宇宙的opus〔作業〕が、世界の創造の仕事に似ているかぎりにおいてだが[1-10]

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 われわれの妖精物語の中で、自然な悪は「諸々の根」に、つまり、大地に、別の言葉でいえば身体に、流刑されている。この叙述は、キリスト教思想は、素晴らしい教条的区別[1-11]に煩わされることなく、身体を軽蔑しているという歴史的事実と一致する。というのは、教説によれば、身体も自然も、per se〔それ自体としては〕一般的に悪ではない:<神>の働きとして、あるいは、神自身が表明している能動的形として、自然は悪と同一ではありえない。対応して、妖精物語の中の悪しき精霊は、単に大地に流刑され、好き勝手にうろつくことを許されているのではなく、そこに安全で特別な容れ物の中にまさしく隠されているのであって、その結果、どこであれオークの木の下以外では自分に注意を惹くことができないのである。瓶とは技巧的な人工の製作物であり、かくて手順の知的な目的性と技巧性を意味し、その明白な目的は、まわりの媒体から精霊を孤立させることである。錬金術のvas Hermeticum〔ヘルメスの容器〕として、それはヘルメス的に封印されている(つまり、ヘルメスの徴で封印されている)[1-12];それはガラスから造られなければならなかったし、またできるかぎり球でなくてはならなかった。その中で地球が創造される宇宙を表すことを意味したからである[1-13]。透き通ったガラスは、凍った水や空気にいくぶん似ているが、そのどちらも霊と同義である。錬金術の蒸留器は、それゆえ、古い錬金術の観念によれば、宇宙を取り囲む anima mundi〔〕と等価である。ハイステルバッハのカエサリウス(13世紀)は、魂が球形のガラス容器の中に現れる幻視に触れている[1-14]。同様に、「霊的」あるいは「エーテル的(aethereus)」な哲学者の石は、貴重なvitrum(ときにmalleabileと記述される)であり、これはしばしば天上のエルサレム(Rev. 21:21)の黄金-ガラス(aurum vitreum)と同等であった。

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 ドイツの妖精物語が、異教の神メルクリウスの名のもとに瓶の中に閉じこめられた精霊を呼び出すが、これはドイツ民族の神Wotanと同一と考えられたということに、何の価値もない。メルクリウスへの言及は、この妖精物語を錬金術の国民的伝承との刻印を捺すのであって、一方では錬金術を教える際に用いられた寓意的な物語に関係し、他方では、「魔法にかかった霊」というモティーフのまわりに群がる周知の伝説群に関係している。われわれの妖精物語は、このように、悪しき霊を異教の神として解釈し、キリスト教の影響のもと、地下界の闇の中に沈下させ、道徳適不適者とみなす。ヘルメスはあらゆるtenebriones(反啓蒙主義者たち)によって崇拝される秘儀のダイモン、Wotanは森と嵐のダイモン:メルクリウスは金属の魂、金属的な人(homunculus)、龍(serpens mercurialis)、咆える火の獅子、夜烏(nycticorax)、黒い鷲となる — 最後の4つは悪魔の同義語である。事実、瓶のなかの精霊は、他の多くの妖精物語の中で悪魔がするとおりに振る舞う:かれは基本となる金属を黄金に変えることで富を授ける;そして悪魔のように、彼もまた策略に引っ掛かるのである。


2.精霊と樹との結びつき

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 精霊-メルクリウスについてのわれわれの議論を続ける前に、つまらなくはない事実を指摘させていただきたい。彼が閉じこめられている場所は、ただの場所ではなくて、まさしく本質的なそれ — すなわち、森の王たるオークの下なのである。心理学の用語でいえば、これは、個性化の原理の内に隠された秘密として、悪しき霊が自己(self)の根元に幽閉されていることを意味する。例えば、宝物は、なるべくある種の目印の近くに埋められるか、さもなければそんな徴が後からつけられるものだ。天国の樹は、これおよび類似の物語の典型をなす:それはまた、そこから現れる蛇の声と同じではない[2-01]。しかしながら、これらの神秘的なモティーフが、原始的な人たちの間に観察されるある心理的な現象と意味深長な結びつきを持っていることが忘れられてはならない。このようなあらゆる事例の中に、原始的なアニミズムとの注目すべき類似性が存する。ある樹木は、魂たちによって擬人化される — 個性の性格を有する、とわれわれなら言うだろう — そうして、人間存在に命令をくだす声を保持する。Amaury Tarbot〔1877-1945〕[2-02]はナイジェリアから次のような1例を報告しているのだが、そこでは現地の兵士はojiの樹が自分を呼ぶのを耳にして、兵舎から死にものぐるいで跳び出そうとし、その樹のもとに急いだ。厳しい追求の結果、今その樹の名前を付けられた者たちが全員、そのときその声を聞いたのだと彼は想定した。ここにおいて、その声は疑いもなくその樹と同一である。これらの心霊現象が示唆するのは、もともと樹とダイモンとはひとつの同じものであり、それらの分離は文化と意識とのより高次の次元における第二義的現象であるということである。もともとの現象は自然的神性、純粋で単純なtremendum〔〕にほかならないが、これは道徳的に中立である。しかし二次的な現象は、自然から抜け出す識別の行為を含み、かくしてもっと高次に区別された意識の存在を立証する。かてて加えて、もっと高次の次元、を立証する第3の現象として、悪しき霊に禁止のもとにあるべしと声を宣告する道徳的資格 この第3の次元は、「より高次の」「善なる」<神>に対する信仰によって徴づけられている、と言うことなしにそれは進行する。〔神は〕その敵を最終的に打ち破ることがないけれども、そのうち幽閉によって彼を無害にさせるけれども(Rev. 20:1-3 )。

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 現在の意識水準では、われわれは樹がダイモンたちだと想像することができないので、原始人は諸々の妄想にわざわいされ、自分自身の無意識を樹の中に投影し、これを聞くのだと主張せざるをえない。もしもこの理論が正しいなら — そして今日別のやり方でそれをいかに形式化できるかわたしが知らないとしたら — 意識の第2の水準は、「樹」という対象と、その中に投影された無意識の内容との違いをもたらし、それによって啓蒙活動を達成する。第3水準はさらに高度で、「悪魔」を客体から分離した心霊内容に帰する。最終的に第4水準、今日われわれの意識によって到達した水準は、「霊」の客観的存在を否定し、原始人が聞いたのは何ごとでもなく、単に聴覚の幻を持ったにすぎないと明言することで、さらなる段階に蒙を啓いた。結局、現象全体が稀薄な空気の中に消える — 悪しき霊は明白に非存在となり、ばかげた無意味の中に沈むという大いなる利点とともに。しかしながら、第5の水準は、物質の典型的な見解をとるよう束縛されていて、神秘として始まったものを、無感覚な自己欺瞞へと転ずる — 1周するにすぎない — この奇術を不思議がる。少年のように、森の中の60頭の牡鹿についてこしらえた話を自分の父親に話し、尋ねる:「でも、それじゃ、樹木の中でさらさらいうものはみんな何だったの?」。第五の水準は、結局のところ何かが起こったという意見をもつ:心霊的内容は樹ではなく、樹の中の精霊でもなく、結局のところ実際いかなる精霊でもないけれど、無意識から跳び出した現象であり、その経験は、ひとがプシュケーを認める気があるなら、何らかの現実性を否定することのできないところのものである。ひとがそうしなければ、神の creatio ex nihilo〔無からの創造〕— 現代的知性にとってはあまりに御免こうむりたく思える — をひとは敷衍しなければならないだろう。蒸気機関、自動車、ラジオ、地上のあらゆる図書、多分原子の想像も及ばぬ偶然的な集積から起こったのであろうすべてを。将来起こったことのみが、創造者がConglomeratio〔寄せ集め〕と改称されることになろう。

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 第五の水準が推測するのは、無意識が存在し、何か他の存在同様に現実性を有するということである。しかしながら、それはおぞましいことかもしれない、その意味は、「精霊」もまた現実的だということ、それも「悪しき」精霊が。悪いだけででなく、「善」と「悪」の区別が突然時代遅れとなるのでなく、高度に時事的で、必然となるのである。決定的な点は、悪しき精霊が主観的な心霊的経験であると証明されないかぎり、樹木や他の適当な対象さえ、その宿りの場所として、再三、真面目に熟慮されねばならないだろうということである。


3.メルクリウスを解放することの問題

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 無意識の逆説的な現実性をこれ以上追求するのはもうやめにして、瓶のなかの精霊の妖精物語にもどろう。すでにみたように、精霊-メルクリウスは、「狡い悪魔」にいくぶん似たところをもっている。しかしながらこの類比は表面的なものにすぎない、悪魔の贈り物とは違って、メルクリウスの黄金が馬糞に変わることはなく、善い金属のままであり、魔法の襤褸切れが翌朝には灰に変わることはなく、治療の力を保っている。メルクリウスが、盗むことを欲した魂をだまし取ることもない。彼は彼自身のより善き自然本性にもどるようだまされたにすぎず、少年が、彼の悪しきむら気を癒し、彼を素直にするためひに、彼を再び瓶詰めにすることに成功したことで、メルクリウスは礼儀正しくなり、若い友に有用な身代金を与え、それに応じて放免されたのだと、ひとは言えるかもしれない。今やわれわれは学生の善運について、彼がいかに奇跡を行う医師になったか聞く、しかし — 充分に奇妙なことだが — 自由にされた精霊の行いについては何もない、これらはメルクリウスがその多面的な交際にわれわれを混乱させた意味の蜘蛛の巣の見地からいくらか興味深いにもかかわらずである。この異教の神、ヘルメス-メルクリウス-ヴォータンが再び解き放たれたとき何が起こるのか? 魔術師たちの神、spiritus vegetativus〔〕、そして嵐のダイモーンであるから、彼が囚われの身にもどることはほとんどなく、妖精物語は想像する理由をわれわれに与えない、幽閉の挿話は、その自然本性を最終的に完成の極致に変えた。ヘルメスの鳥はガラスの鳥かごから逃げ去り、結局のところ、経験ゆたかな錬金術師がいかなる努力を払っても回避しようとした何事かが起こった。これこそが、彼がその瓶の栓をいつも魔法の徴で封印し、非常に長時間、内なる彼が「飛び去らない」よう、最も弱い火にそれをかける理由である。というのは、もしも彼が逃げれば、全体の労苦を要する作業は無に帰し、何から何まで再び始めなければならないからである。われわれの若者は日曜日の子どもであり、おそらく、精神において貧しいひとりであり、彼に授けられたのは、自己革新の染料の恰好での天上の王国の片鱗であり、これに関しては、その作業は一度きり遂行される必要があると言われた[3-01]。しかし、もしも彼が魔法の襤褸切れを失ったら、もちろん彼はそれを二度と自力で作り出すことはできなかったろう。それはあたかも、ある師匠が精霊-メルクリウス霊を補足することに成功し、それから彼を安全な場所に宝物のように隠した — おそらくは何か将来の用途のために彼を除けておいたのだ。彼は、粗野なメルクリウスを、喜んで働く「使い魔」として、メフィストのように、自分に仕えるよう馴らすことを計画したかも知れない — このような思想の訓練は錬金術にとって奇妙ではなかった。おそらく彼は、彼がオーク樹のところにもどり、自分の鳥が飛び去っているのを見つけたとき、いやというほど驚いたことであろう。とにかく、瓶の運命を成り行きにまかせたのはいいことではなかっであたろう。

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 それはそうとして、この少年の振る舞いは — 彼のために首尾よく働いてくれたとしても — 錬金術的にはただしくなかったと記述されなければならない。彼は、メルクリウスを自由にすることによって、見知らぬ親方の合法的な要求を補償してくれたという事実から離れて、この乱暴な精霊が世界に放たれたなら、何が続いて起こるかということについて彼は総体的に無意識である。錬金術の黄金期は16世紀と17世紀前半であった。その当時、時化鳥は実際ダイモーンたちが牢獄と感じたはずの精霊的容器から逃亡した。わたしが言ったように、錬金術師たちはメルクリウスを逃がさないことに懸命であった。彼らは、彼を変容させるために、彼を瓶の中に保つことを欲した:というのは、ペタシオスのように彼らは信じたからである、鉛(もうひとつアルカナ実体である)は、「あまりにいじめられ、無知で、これを研究しようとするすべての者は、無知のせいで狂気に陥った」[3-02]。同じことがあらゆる捕捉をかいくぐる捉えがたいメルクリウスについて言われた — 錬金術師を絶望におとしいれる真のペテン師と[3-03]

forward.gif第2部 序