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back.gifII ゾーシモスの幻像

C・G・ユング
「錬金術研究」III

精神現象としてのパラケルスス

(1/4)


[原著は、「精神現象としてのパラケルスス」という講義。これは増補・改訂して、『医師にして哲学者テオプラストスに関する2つの研究(Zwei Vorlesunden über den Arzt und Philosophen Theophrastus)』(Zurich, 1942年)として出版された。
 [本訳においては、章・節の題目を加え、論文の構成を明らかにした。ユングの遺稿の中に見つかった2編の短い陳述が、主題と関係があるゆえ、脚註のかたちで加えられた(pp.136〔par. 171n10〕, 144〔par.180n52〕)。— 編者]





目次

『パラケスス論』序文
  1. 認識の二つの源泉:自然の光と啓示の光
    1. 魔術
    2. 錬金術
    3. 秘儀的教説
    4. 根源的人間
  2. 『長寿論』:秘儀的教説の解読
    1. イリアステル(星辰的質料)
    2. アクアステル(星辰的原水分)
    3. アレス(星辰的火の原理)
    4. メルジーネ
    5. 秘教的実体としての王の子(ミヒャエル・マイアの教説)
    6. 蒸溜による<一>なる中心の産出
    7. 春に達成される合一
  3. 自然的変容の神秘:人間の自然性と霊性の再統一
    1. 闇の光
    2. 人間の二つの本性の合一
    3. <最大の人間>の世元性
    4. 無意識との関係回復
  4. 錬金術の心理学的意義
    1. メルジーネと個性化の過程
    2. 永遠的人間の聖なる結婚
    3. 霊と自然
    4. 教会の秘蹟と錬金術の作業
  5. 結語


邦訳
ユング/島津彬郎・松田誠思訳『オカルトの心理学:生と死の謎』(サイマル出版会、1989.6.)第II部〔英語版選集第13巻「錬金術研究」からの翻訳〕。
ユング/榎木真吉訳『パラケルスス論』(みすず書房、1992.3.)第II部("Paracelsica" Rascher Verlag, 1942. からの飜訳)。





『パラケルスス論』序文

 この小論集には、本年パラケルススの没後400年にあたって行った2つの講演が収められている。
 第一の「医師としてのパラケルスス」は、「自然研究協会」の年次大会(1941年9月7日、於バーゼル〉の際、「スイス医学・自然科学史学会」のために行ったもの、第二の「精神現象としてのパラケルスス」は、アインジーデルンにおけるパラケルスス記念祭(1941年10月5日)で行ったものである。
 第一の講演は、二、三の小さな修正を施したほかは原文のままここに収録する。しかし第二の講演は主題が特殊な性質のものであるため、原形を大幅に修正し、敷衍して本格的な論文に書き改めざるをえなかった。医学、自然科学、神学に関するおびただしい諸論文のなかでわれわれが出会う人物のかたわらに立ち、あるいはその背後に隠れている未知の謎に包まれたパラケルススの肖像を描くには、講演という形式、講演という限られた範囲での叙述は適切でない。著作をもとにして、この矛盾に満ちてはいるものの、重要な一つの人格像を提示しようとすれば、そのすべてを包括的に扱うことがどうしても必要になるからである。

 この講演の表題がいささか大仰すぎることは承知している。ただこれが、パラケルススの秘儀的哲学に対するわれわれの認識を深めるための一助となれば幸いである。このむずかしい問題について、私はここで決定的、結論的なことは何一ついっているわけではない。そうするには空白な部分、不十分な問題点が多々あることを私自身が痛感しているのである。私の目的は、彼の哲学の根源にあるもの、彼の哲学の心的背景というべきものへの道を指し示したいということに尽きる。
 多面的な存在であったとはいえ、パラケルススは、最も深いところで何よりも錬金術的「哲学者」であった。彼の宗教的見解は、同時代のキリスト教信仰と無意識の対立を引き起こす結果となったが、その経緯はきわめて複雑で、今日のわれわれには容易に解きほぐせない。にもかかわらず、この錯綜した事態のなかに、現代においてますます明確な形をとりつつある哲学的、心理学的、宗教的諸問題の萌芽が見てとれるのである。
 彼が『長寿論』で打ち出した先駆的諸観念の解明に、私なりに寄与することが、ほとんど歴史的義務であると思われたのである。
1941年10月                      C・G・J.


1 認識の2つの源泉:自然の光と啓示の光

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 ここに、われわれが没後400年を記念している人物は、純粋一徹な人格により、また驚くべき膨大な著述活動によって、後代に強い影響を及ぼした。その影響は、主として医学と自然科学の分野に現れた。哲学の分野では、神秘主義的思案が実り多い刺激を受けただけではなく、当時衰滅しかけていた錬金術の哲学が、新たな命脈を得て蘇生した。『フアウスト』第二部に明らかなように、ゲーテがなおパラケルススの強靭な精神の影響を受けていたことは歴然としている。

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 パラケルススという一個の精神現象の全貌を見定め、真に包括的な説明を行なうのは容易ではない。明らかに一方的な自己主張と見られるところが多分にある反面、彼はあまりに矛盾撞着をおかし、かつ多面的で混沌としているからである。何よりもまず、彼は全身全霊を傾注する医師であり、固い宗教的信仰に立っていた。たとえば『パラグラーヌム』[001]のなかでこういう。
 「神に対して正直で誠実な、強く真実な信仰をもたねばならない。全身全霊をかけ、愛と信頼のすべてをささげて、神を信じなければならない。そういう信仰と愛に立てば、神はその真実を隠さず、自に見え、信ずることができ、慰めを与えるものとして御業を示すであろう。しかしそういう信仰をもたず神に背くならば、あなたの仕事は道にはずれ、失敗を重ねて、結局、人びとが信用しなくなるであろう」。
 治療の技術とその要件こそ、パラケルススの唯一絶対の基準であった。救済と治療の目的に生涯のすべてがささげられた。この基本原理を中心にして、あらゆる経験と知識と努力が結集されたのである。人間がある強い感情的衝動、つまり反省や批判をものともせず、生涯の全体をおおい尽くすような大いなる情熱によって行動を起こすのでなければ、こういう生き方はできない。パラケルススを駆りたてたのは憐みであった。「憐みは医者の教師である」[002]、と彼は明言する。医師は生まれつき憐みを感ずるものでなければならない。他の多くの人びとを駆りたて仕事の推進力となった憐みの感情は、パラケルススの場合も運命を決定する至高の力であった。

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 大いなる憐みを実践する手段は科学的知識と技術であり、彼はそれを父親から受け継いでいた。しかし仕事の根底にある深く強い憐みの働きは、あらゆる感情の第一の源泉である母親に由来するものであったにちがいない(彼女については何一つ語られていないが)。彼女は若くして世を去ったので、息子の心に非常に強い思慕の念を刻みつけたと思われる。それはきわめて激しいものであったために、われわれの知るかぎり、他のどんな女性もはるかなる母のイマーゴを打ち破ることができず、それだけいっそうこれが恐ろしい力を及ぼしたと考えられる。
 実の母が遠くへだたり非現実的なものになればなるほど、思慕の念はますます深く彼の魂をとらえ、根源的かつ永遠なる母のイメージを呼び起こす。そのために、抱擁し、保護し、育て、助けてくれるものはすべて母性の形をとる。出身大学を母校とみなすことにはじまり、さまざまの都市や地方、学問や理想を母性的人格に擬するのである。
 子どもにとって母親は遊星であり恒星である、とパラケルススがいうとき、それは何よりもまず彼自身に当てはまる。彼は同時代のキリスト教社会の諸悪を大胆に攻撃したが、至高の母、<聖母>には終生信実をつらぬいた。またプロテスタント派に転向しても不思議ではないような心性が多分にあったにもかかわらず、こういう時代の大きな誘惑に屈しなかった。心的葛藤はパラケルススの天性に深く根ざしていた、というよりそうであるほかなかった。対立による緊張がなければエネルギーは生まれてこないからであり、火山(彼はそういう存在であった)が爆発するとすれば、必ず水と火がせめぎあい、ぶつかりあった結果であると見て間違いないだろう。

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 <教会>はパラケルススにとって終生変わらぬ母であったけれども、母はもう一人いた。<自然という母>である。前者が絶対の権威であったとすれば、後者もまたしかり。二つの母性的影響圏に引き裂かれる葛藤を、彼は努めて隠そうとしてはいるものの、葛藤のあることは正直に認めていた。それどころか、そういうジレンマの意味するものをきわめて明確に把握していたようだ。たとえば、「私は異教徒のような書き方をするけれども、キリスト教徒であることを告白する」[003]、といっているからである。
 したがって、『五つの病因に関する超驚異の書(Paramirium de quinque entibus morborum)』の最初の五節を、彼は「異教的知識」と称した。「異教的知識」(Pagoyum)とは彼の愛好する造語の一つで、異教を意味するラテン語pagonumと知識を意味するへプライ語goyimとの合成語である。病気の本質についての知識は、「自然の光」に由来するのであって、啓示的光によるのではないので、この知識は異教的であると見なした[004]。「魔術こそ医者を教え導くものだ」[005]と彼はいう。その知識は「自然の光」(lumen naturae)にもとづくものだからである。「自然の光」は、パラケルススにとって、啓示的光とは別の第二義的な知識の源泉であったことは疑いの余地がない。彼の愛弟子アダム・フォン・ボーデンシュタインの言葉を借りれば、こうなる。「錬金術師は、権威に頼らず自分自身の経験によって事物を把握する」[006]
 「自然の光」という概念の典拠は、アグリッパ・フォン・ネッテスハイムの『オカルト哲学について』(1533年)であるかもしれない。「自然の感覚的光」ということがそこで語られていて、これは四足獣にさえ備わっており、未来を予言できる能力であるとされる[007]。それゆえに、パラケルススは次のようにいう。

 だから雄鶏が天候を予告したり、孔雀が飼い主の死とかそれに類する事柄を予示するように、鳥が何かを予兆するのはこうした生得の霊的働きによることも、また認識されなければならない。これらすべては生得の霊によるもので、自然の光なのである。
 自然な働きとして動物のなかにあるのとまったく同様に、それは人間のなかにも生誕とともに宿っている。純粋な者は予言的能力を発揮し、鳥のように自然である。鳥の予言は自然に反することではなく、自然の属性の一つである。つまりそれぞれのものが、それぞれの状態に応じて自然の一部となっているのである。鳥の告知する事柄が、夢のないげで予告されることもありうる。自然という不可視の身体は星辰的霊気を宿しているからである[008]
 ある人間が予言するとき、悪霊とか、悪魔のささやきによって語るのでもなければ、聖霊の導きによって語るのでもない。不可視の身体に宿り、魔術的知(Magiam)の源となる生得の霊の働きによって語るのであって、占星術師(Magus)の起源はここにある[009]

 自然の光は星辰(Astrum)に由来する。「自然の光によって与えられなかったものは何一つ人間のなかに見いだせない。そして、自然の光のなかに含まれるものは星によってもたらされたのである」[010]。異教徒たちは、まだ自然の光を所有していた。「自然の光に導かれて行動し、その恵みに浴すれば、死すべき存在ではあっても、人間は神性をおびるからである」。
 キリスト生誕以前の世界にも自然の光は賦与されていたが、キリストにくらべればこれは「弱い光」であった。「したがって、自然は自然の霊により、神の言葉は詩の霊により、悪魔はその霊によって、それぞれ解釈されなければならないことを心得ておくべきだ」。「こういう前提をわきまえぬ者は飽食した豚にすぎず、教化の余地がなく、経験による目ざめも期待できない」。自然の光とは、神自身が四元素から抽出した<第五元素>(quinta essentia)であり、「人間の心臓に」[011]宿る。それは聖霊によって燃え上がる[012]。自然の光は事実の直観的理解力、真実を照らしだす一種の光である[013]。その源は二つあり、一つは死すべきもの、もう一つはパラケルススのいわゆる「天使」[014]のものである。「人間はまた天使でもあり、天使のあらゆる性質を持っている」、と彼はいう。
 つまり自然的な光だけでなく、自然の光の外に超自然的事物を探り出す別の光を持っている[015]。しかしながら、この超自然的な光と啓示の光との関係は不明瞭である。この点でパラケルススは、独特の三元論に立っていたように思われる。

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 自然についての自分の経験的真実を伝統の権威に対置するのが、パラケルスス思想の基本的主題である。この原理に立って、彼は当時の医学の諸学派を攻撃したが、弟子たち[016]は攻撃の鉾先をアリストテレスの哲学にも向け、革命をさらに推し進めた。それは自然を科学的に探究する道を切り開くとともに、伝統の権威から自然科学を解き放つ進取的態度の表われであった。この解放を目ざす行為は、まことに実り豊かな成果を生みだしたが、同時に認識と信仰との対立を招くことにもなり、これがとりわけ19世紀の精神風土を毒することになった。
 もとよりパラケルススは、こうした反響が後世に起ころうなどとは夢にも思わなかった。彼は,中世的キリスト者としてなお一元論的世界に生きており、認識の二つの源泉である神的なものと自然的なものとの対立、すなわちその後の歴史のなかであらわになった両者の対立をまだ感じてはいなかった。「英知の哲学」(Philosophia sagax)のなかで彼がいっているように、「それゆえこの世界には二種類の認識がある。すなわち永遠的なものと時間的なものとである。永遠的なものは聖霊の光から直接発し、時間的なものは自然の光から直接発する」。
 彼の考えでは、後者は善悪のいずれをも含み両義的である。この認識は、「身体そのものではなく、身体に宿る星辰の力による。それは宝であり、自然の<至高善>である」、という。人間は二重の存在で、「一部は時間に支配され一部は永遠に通ずるが、両者はそれぞれ神の光をおびていて、神に起因しないものは結局、何一つないのである。したがって、父なる神の光がどうして異教的であろうか。またどうして私が異教徒として断罪されなければならないというのか」。父なる神は人間を「下から上に向かうように」創り、神の子を「上から下に向かうように」創りなした。それゆえに、パラケルススはこう問う。
 「父と子が一者であれば、私が二つの光を称えるなどということがどうしてありえようか。二つの光を認めれば偶像崇拝のそしりを受けようが、至高の一者が私を守ってくれる。人間と神をともに愛し、それぞれに対してその光を与えるのは、すべてのものに対する神の定めに従うことであって、どうして私が異教徒などでありえょうか」。

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 以上のことからして、認識の二つの源泉の問題に対する彼の態度が、どういうものであったかがはっきりする。二つの光はともに神に由来するという立場である。けれども、彼は自然の光に導かれて書いたものを、なぜ「異教的知識」と名づけたのか。たんなる言葉の遊びにすぎなかったのか、それとも世界と魂の二元性を漠然と予感し、われ知らず告白していたのであろうか。教会分裂の時代精神は、本当にパラケルススに影響するところがなかったであろうか。また権威に対する攻撃は、本当にガレノスやアヴィケンナ、ラーゼスやアルナドゥス・デ・ウィラノーウァだけに限られていたのであろうか。


A 魔術

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 パラケルススの懐疑と反逆は、<教会>にまでは及んでいないが、また錬金術、占星術、魔術などに対してもそれを抑制している。彼は神の啓示を信ずると同様に、それらを熱烈に信じていた。それらすべては、「自然の光」を拠りどころとして生まれたものだと考えていたからである。
 そして医師の神聖な任務について語るとき、次のようにいいきる。「私は主のもとにあり、主は私のもとにある。私は医者の仕事の外にあっては主に従い、主はその御業の外にあっては私に従う」[017]。こういう言葉で語りかけるのは、どのような精神の持ち主であろうか。これは後代のアンゲルス・シレジウスの言葉を思わせるところがある。

われの大いなること 神のごとし、
神の小さきこと われのごとし。
神 われにまさることなく、
われ、神におとることなし。

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 ここに、人間の自我が神に似たものであり、そういうものとして認識されるべきである、という明確な主張がなされていることは否定できない。それはルネサンスの精神であって、知力と美と偉大さをそなえた人間に、神と肩を並べる位置を与えようとする。かつて例のなかった新しい意味での神と人間
 パラケルススより年長の同時代人で、カパラの権威であるアグリッパ・フォン・ネッテスハイムは、懐疑主義的かつ傍若無人の狷介な書物『学問の不確実性と空しさについて』[018]のなかで、こう明言する。

アグリッパは誰ひとり容赦しない。
すべてを侮蔑し、知りまた知らず、泣き、笑い、激怒し、
罵り、責めたてるのだ。
哲学者にして悪魔、英雄にして神、
ありとあらゆる者であるからだ。

 こういう不幸な近代性の誇示に走ることは、たしかにパラケルススはしなかった。彼は神との、また自分自身との一体性を感じていた。一刻も休まずすべてを賭けて医術の実践にいそしんだので、多忙な彼の精神は抽象的問題にかまけているいとまはなかったし、その非合理的かつ直観的天性からして、論理的省察を重ねて破壊的洞察にゆきつくことも決してなかった。

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 パラケルススは一人の父を持ち、つねにそれを愛し尊敬した、が、すでに述べたように、あらゆる真の英雄がそうであるように、二人の母を持っていた。天上的なものと地上的なもので、すなわち<母なる教会>と<母なる自然>である。ひとは二人の母に仕えることができるであろうか。またパラケルススのように、自分が神意によって医師となるべく運命づけられていると思っている者であっても、医師の本分に関するかぎりは、神を自分に仕えるべきものとするところに、何かいかがわしいものがありはしないか。
 これに対し次のように反論するのは容易だ。パラケルススは、他の多くの事柄についてもそうであるが、ふとこう漏らしたにすぎず、それを大真面目にあげつらうべきではない、と。たしかに逐一言葉どおりに受け取られれば、彼自身も大いに驚き憤慨したであろう。ただなにげなく漏らされた言葉は、熟考の産物というより、彼の生きていた時代の精神の表れと見たほうがよい。
 誰にせよ同時代の精神の影響をまったく受けずにすむはずはなく、また時代精神を知り尽くしているなどといえるものではない。意識的信念がどうであれ、集団の一員であるかぎり、例外なく誰もが大衆のなかに浸透している精神に影響されずにはいない。われわれの自由は、意識の及ぶ範囲に限られている。意識を超えたところで、われわれは無意識の影響を環境から受ける。われわれの言動の最も深い意味が論理的にはっきりと自覚されない場合でも、その意味は確実に存在していて、心理的影響力を持っている。意識するとしないとにかかわらず、各人のなかに、神に仕える者と神を意のままに従わせようとする者との恐るべき緊張が存在しているのである。

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 しかし緊張が大きければ大きいほど、潜在的エネルギーは大きくなる。大きなエネルギーが生まれるには、それ相応の大きな対立の緊張が必要である。パラケルススは、最も強い内的対立の布置があったからこそ、悪魔的ともいうべきエネルギーを発揮した。それは天与の資質によるというよりも、激越で衝突を起こしゃすい彼の気質ゃ、性急で短気な行動、不満を抑えぬ倣慢な態度などと相まって発揮された。
 パラケルススをもってファウストの原型と見なすのは理由のないことではない。ヤーコブ・ブルクハルトは、かつて、これをあらゆるドイツ人の魂の底にある「大いなる根源的イメージ」と呼んだ。ファウスト直系の人物がニーチェで、およそ彼ほどファウス卜的な人間は他に類例がないだろう。「私は神のもとにあり、神は私のもとにある」という信仰態度は、パラケルススやアンゲルス・シレジウスにあってはなお平衡を保っていたが、20世紀になるとその平衡が破れ、人間がおのれを神に擬する思い上がりをつのらせるにつれて、自我の重みで秤はますます一方に傾いている。
 パラケルススの敬度な信仰心、神に対する関係に見られるひたむきであるだけに危険な素朴さは、アングルス・シレジウスにも共通している。しかしこういう霊性もさることながら、パラケルススの場合は、それと措抗する地下の霊の存在が恐ろしいほど感じられる。占いであれ魔術であれ、パラケルススが自分で実践し、他人にも推奨しなかったようなものは何一つなかった。こういう秘術に手を出せば、当人がどれほど頭脳明断なつもりでいても、心理的にはさまざまの危険に陥る。魔術は昔も今もたえず人間を魅惑しつづけている。パラケルススの時代の世界は、たしかに数多くの驚異に満ちていた。自然の暗い力の現前を、誰もがじかに感じていた。天文学と占星術は別個のものではなかったのである。ケプラlは天宮図を広げて星占いをしていた。化学という学問はまだなく、あるのは錬金術だけであった。魔除けとか護符とかまじないが、当然、傷や病気を治すと考えられていた。
 パラケルススほどの知識欲旺盛な人間は、こういうすべてのことを徹底的に探究せずにはおれなかったし、その成果を利用して、不思議な注目すべき治療効果を発見するにいたったのである。しかし私の知るかぎりでは、彼が錬金術の実践者に向かって、魔術の精神的危険をはっきりと警告したことは一度もない[019]。彼は、魔術の何たるかを理解しないといって大学の医師たちを噸ってさえいる。
 しかし彼らが魔術に近づかなかったのは、きわめて正当な恐怖感からであったことに彼はふれていないが、チューリヒのコンラート・ゲスナーの証言から、パラケルススが攻撃した医師たちは、宗教上の理由で魔術を忌避していたこと、また彼とその弟子たちに対し、魔法を使っているとして非難を浴びせていたことがわかる。ゲスナーは、クラート・フォン・クラフトハイム宛の手紙[020]で、パラケルススの弟子アダム・フォン・ボーデンシユタインのことをこういっている。
 「この手合いは大部分がアーリア人で、キリストの神性を否定します。……パーゼルのオポリーヌスは、以前テオフラストウスの弟子として助手を務めていましたが、師匠と神霊との交わりについて不思議な話を伝えております。彼らは馬鹿げた占星術、土占い、降霊術、その他禁断の秘術に没頭しています。あれはドルイド僧の最後の生き残りではないか、数年間、地下で神霊の教えを受けたという古代ケルト人の末裔ではないか、と私は思っています。こういうことが、今日でもスペインのサラマンカで行われていることもまた確かです。またこの一派から、放浪学者といわれる者たちが生まれてきました。その最たる者がファウストで、彼が死んでからそれほどの時日がたつているわけではありません」。
 ゲスナーは同じ手紙のなかで、こうも書いている。「テオフラストウスは間違いなく不信心の徒であり魔法使い(magus)であって、神霊と交わっています」[021]

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 こういう判断の根拠は、一つにはオポリーヌスの当てにならない証言にあるが、本質的に不公正であり、また実際に誤っているけれども、それでもなお同時代の名高い医師から見て、パラケルススの魔術への没頭が、いかに不穏当な逸脱行為であったかを示している。
 すでに述べたとおり、彼自身はこれについていささかもうしろめたさを感じてはいなかった。知る価値のあるあらゆるものと同じように、魔術も探究領域に引き入れて、病人のために利用しようとしたのであって、そのためにどのような被害を個人として受けようと、また魔術寸関係することが宗教的立場からどのように見えようと、彼はいっさい無頓着であった。彼にとてて魔術と自然の英知は、神の大いなる神秘と業(mysterium et magnale)として、神意の定めた秩序のなかに位置づけられていたので、当時の世界の半分の者たちが落ち込んでいた深淵に架橋するのはむずかしいことではなかったのである[022]
 彼は内部に自己矛盾を感ずることなく、外部に最大の敵を見いだした。すなわち過去の医学上の権威はもとより、当代の大学の医師団を、スイスの傭兵隊員さながらの武者ぶりで鋭く攻撃した。相手が抵抗すると止めどもなくいきりたち、いたる所で敵を作った。
 彼の著述は、実生活や放浪の旅と同じように激しく揺れ動いている。文体は修辞的技巧の限りを尽くしている。誰かに向かって執拗に説ききかせようとしている — l不承不承聞いている人とか、どんなすぐれた論法にもたじろがぬ鈍感な相手に食いさがっているようだ。ある問題についての説明が方式立っていることはめったになく、論の一貫性さえほとんどない。説明をたえず中断して、道徳的に不感症の見えざる聞き手に向かって、ある時は巧妙な言いまわしを用い、ある時は声を荒げて諫めの言葉を発する。
 パラケルススは、敵は眼前の世界にいるものといささか過信し、自分の胸の実に潜んでいることに気づかなかった。彼は、真に対決することの決してない二つの人格から成り立っていた。自分のなかに分裂があるのではないかという疑念は、どこにも漏らしていない。不可分の一者であると確信しているのだから、たえず自分に反対するあらゆるものは当然、外部の敵ということにならざるをえなかった。彼らに打ち勝ち、自分こそ「絶対的支配者」であることを実証しなければならない。ところが、彼自身はついに気づかなかったけれども、彼は「絶対的支配者」などでは決してなかったのである。自己矛盾をおかしているとは夢にも思わなかったので、自分のなかに第二の支配者がいて、彼に反逆し、彼の望むすべてに反対していることには気づかなかった。
 しかし、無意識の矛盾はあらゆる場合にそういうふうに働くもので、ひとは自分自身の行動を妨害し、存在の基盤を突き崩す。<教会>の説く真理やキリスト教的立場が、「神は私のもとにある」という錬金術に通有の思想とは、絶対に両立しないことを知らなかった。無意識の自己矛盾に陥ると、結局は不寛容でいらだちやすくなり、手段を尽くして敵をねじ伏せようという無益な願望を抱くようになる。
 一般的に、ある一定の症候が現われるが、とりわけ特異な言葉遣いが目立ってくる。つまり、敵の心に深く食い込むために有無をいわさぬ調子で語りたがり、「誇大語」(power words)[023]とでもいうべき造語をふんだんに使って、ある特別の「おおげさな」喋り方をする。この症候は、精神医療の現場だけでなく、ある種の現代哲学者のあいだにも見られ、なかんずく信ずるに値しないことが、本人の内的抵抗を押して主張されなければならないような時には、つねに現われてくる。言葉遣いが大仰になり、通常の語法を逸脱して、とてつもなく異様な言葉が飛び出してくるのである。その特徴は、無用の複雑さというに尽きる。まっとうな手段では達成できないことを実行する役割が、言葉に課せられるのである。それは昔からある言葉の魔術だが、悪化して本物の病気になることもある。
 パラケルススはこの病にとらわれており、愛弟子たちでさえ「特殊用語要覧」(onomastica)を作り、注解書を出さねばならないありさまであった。不注意な読者はたえずこういう造語につまずいて、最初はまったく途方に暮れる。頻出する「一度限りの用語」(hapax legomenon)についてさえ、パラケルススは決して説明の労をとっていないからである。多くの章節を参看して、はじめておおよその意味、が推定できる場合が多い。
 けれども解読の負担をやわらげてくれる事情もある。医師は非常にありふれた事柄をいうにも、つねに魔術的で難解な専門用語を使いたがるものだ。これは医師に通有のペルソナの一部である。しかし、ドイツ語で物を書き、かつ教えるのを誇りにしていたパラケルスス当人が、ラテン、ギリシア、イタリア、へブライの諸語、だけでなく、おそらくアラビア語まで用いて複雑きわまる合成語を作り出すとは、まことに奇妙なめぐりあわせである。

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 魔術は隠微な作用を及ぼすもので、そこに危険がある。妖術を論じている文章のある箇所で、事実パラケルススは、何の説明も加えず不意に魔女の魔術的言語を使う。たとえば、"Zwirnfaden"(より糸)は"Swindafnnerz"といわれ、"Nadel"(針)は"Dallen"に、"Leiche"(死体)は"Chely"に、"Faden"(糸)は"Daphne"にいい換えられるといったぐあいである[024]
 魔術の儀式で文字の置換が行なわれるのは、神の秩序を地獄の秩序に変える悪魔的な目的のためである。こうした歪められた魔術の言葉を、いとも気軽に、また無造作に取り込んで、解釈を読者にゆだねるやり方は注目に値する。これは、パラケルススが間違いなく最下層の民衆的信仰や巷間の迷信に徹底的にのめりこんでいた証拠である。そういういかがわしいものに対する嫌悪感の表われを、彼の著作に探ろうとしても無駄である。もっとも彼が嫌悪感を抱かなかったのは、感情が欠けていたからではなく、むしろ持って生まれた天真欄漫な無邪気さのためであった。
 そういう次第で、病気の種類によっては[025]、蝋人形の魔術的治療効果を現に推奨していたし、魔除けや魔術的シールを考案し使用していたようだ[026]。医師は魔術的治療の技術を心得ておくべきで、病人を救済するのに役立つならば魔法を忌避してはならない、と彼は確信していた。しかし、こういう民間の魔術的治療はキリスト教的ではない。明らかに異教的であり、一言でいえば「異教的知識」に属する。


B 錬金術

 民衆の迷信との多面的な接触のほかに、パラケルススに大きな影響を与えた「異教的」知識の源泉として、もっと世間に広く認められていたものがある。錬金術についての彼の知識と熱烈な研究である。彼はそれを薬物学や製薬学に応用しただけでなく、「哲学的」目的にも用いた。
 錬金術は発生当初から秘密の教説を含んでいたし、またそれ自体が一つの秘教でもある。コンスタンティヌス帝の治世にキリスト教が勝利をおさめたのちも、古くからの異教的諸観念は消えることなく、哲学的錬金術の不思議な秘儀的用語のなかに生きつづけた。その中心にある形象がヘルメス=メルクリウス神で、これは水銀と世界霊魂という二重の意味を持ち、<太陽>(Sol)=金と<月>(Luna)=銀を友としている。
 錬金術の作業の本質は、第一質料(いわゆる混沌)を、能動的原理=魂 と 受動的原理=身体 とに分かち、しかるのちに両者が「化学の結婚」=合一(coniunctio)によって人格化され、再統一されるところにある。いい換えれば、「化学の結婚」は聖なる結婚であり、太陽と月との儀式的共生という寓意的な意味づけがなされた。この結婚から<英知の子>(filius sapientiae)、すなわち賢者の子(filius philosophorum)が生まれた。これが変身したメルクリウスであり、完全無欠の存在である証拠に、両性を具有しているとみなされた(図1、2参照)。

図1
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 両性具有者の像を伴う魚の食事。この絵は明らかに世俗的だが、初期キリスト教のモチーフが感じられる。ここで両性具有者が何を意味するのか不明である(『写本』Add, 15286, 大英博物館、13世紀)。
図2
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 両性具有者の形をとった王の子、あるいは王。 マリアの公理は〔l+3〕の蛇で表象される。王の子が媒介者として<1>と<3>を結合する。彼がこうもりの翼をもっているのは特徴的である。右方に循環的蒸溜を象徴するペリカン、左方に黄金の花をつけた賢者の木があって、下には地下の三者が三頭の蛇として表されている(『哲学者たちの薔薇園』fol. X, iii(v), 1550年)。

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 錬金術の作業(opus alchymicum)は、たしかに化学的操作を伴うとはいえ、つねに神の御業(opus divinum)にならう一種の儀式であると考えられた。だからこそ、メルキオール・キピネンシスは、16世紀の初めに、なおこれをミサの形式で象徴的にとり行うことができた[027]。そのずっと以前から、<賢者の子>=<賢者の石>がキリストを寓意すると考えられていたからである[028]。それ以外の見地からは理解できないはずの多くの事柄は、バラケルススの場合、こういう伝統との関連で解釈されなければならない。カバラに由来するものは別として、彼の哲学全体の起源はすべてここにある。
 その著作から見て、彼がヘルメス文書を相当読み、内容に通じていたことは明らかである[029]。中世のすべての錬金術師についてもいえることだが、彼は錬金術の真の本質を自覚していなかったようだ。もっとも16世紀末のパーゼルの印刷業者コンラート・ウァルトキルヒが、『立ち昇る曙光(Aurora consurgens)』(誤ってトマス・アクィナスの論文とされていたもの)の第一部の印刷を、内容が「神聖冒涜的な性格」[030]であるとして拒否した事実があり、錬金術というもののうさんくさい性質は、当時一般人の目にも明らかだったといえる。どうやらパラケルススはこういう事情にはまったく無頓着で、ただひたすら病人のためによかれと願って、錬金術の実際的価値を第一としてこれを用いたが、その薄気味悪い背景は無視していたと見て間違いないようだ。
 錬金術の意義として彼が自覚していたのは、薬物に関する知識と医薬、とりわけ愛用の秘薬調合の化学的手続きであった。また黄金を作り出すことも、<人造人間(ホムンクルス)>を産み出すことも可能であると信じていた[031]。錬金術といえばこういう側面がひときわ目立つので、それがパラケルススにとってはもっと大きな意味を持っていたことが、ともすれば忘れられがちである。このことは『パリラーヌム』のなかの寸言ではっきりする。彼は、医師自体が医術によって「成熟する」という[032]。あたかも錬金術的熟成は、医師の成熟と併行するかのように見える。この仮定が誤りでなければ、さらに一歩すすめてこう結論しなければならない。パラケルススは錬金術の秘儀的教説に通暁していただけではなく、それが正しいものであることを確信していた、と。
 もちろん、詳しく調査しなければこれを証明することはできない。著作によって表明された錬金術に対する彼の評価は、化学的側面に限られているからである。錬金術に対して特別の愛着を抱いていたからこそ、彼は近代の化学的医療の先駆者となり、創始者ともなることができた。他の多くの人びととともに、金属の変成とか賢者の石を信じていたからといって、彼が金の精製技術の神秘的背景のほうにより深い親近性をもっていたという証拠にはならない。けれども錬金術を用いる医師のなかに、彼の高弟が何人かいるところからして、そういう親近性をもっていたことは、ほぼ確実であろう[033]


C 秘儀的教説

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 研究をさらに進めてゆくためには、錬金術の秘儀的教説をもう少し綿密に跡づける必要がある。パラケルススの心霊的側面を理解するうえで、非常に重要だからである。
 あらかじめおことわりしておくが、以下の論述で、読者は注意力と忍耐力を厳しく試されることになろう。問題は難解で謎につつまれているが、パラケルススの精神の本質にかかわっており、またこれがゲーテに深い影響を与えたのである。影響は測りがたいほど深く、ライプチヒ時代に得た印象が老年まで彼の心を捉えつづけた。実をいえば、それが『ファウスト』の母体となったと考えてよい。

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 パラケルススを読んでいて、神秘的な暗示を感じさせるように思えるのは、主として彼の造った専門用語である。しかし、その語源と語義を見定めようとすると、しばしば袋小路にぶつかる。たとえば"Iliaster"(イリアステル)、"Yliastrum"(イリアストゥルム)は、語源的にu{lh(ヒュレ、質料)とajsthvr(アステル、星)との合成語で、古典的錬金術にいう生命の精気(spiritus vitae)とほぼ同義であること、またCagastrum(カガストゥルム)はkakovV(カコス、悪い)とajsthvr(アステル、星)を結合したものであり、Anthos(アントス〉、Anthera(アンテラ)は錬金術用語の「華」(flores)の美称であることが推定できる。星辰(astrum)に関する教説に見られる哲学的諸概念でさえ、その起源を求めてゆくと既知の錬金術や占星術の伝統に行きつく。であれば、彼の星辰体(corpus astrale)の説も新しい発見ではなかったことになる。
 こういう思想は、錬金術の古典的文献の一つ「アリストテレスの論説」"Tractatus Aristotelis"のなかにすでにあって、「人間のうちなる遊星」のほうが天体より強い影響力を持つとされる[034]。そして、医術は「内なる星辰」に見いだされるとパラケルススがいうのに対して、同論説には「病気の原因と治療法は、神の似姿として作りなされた人間の内部に見いだすことができる」と述べられている。

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 しかしパラケルススの教説を支えるもう一つの機軸、すなわち自然の光に対する信仰については、彼の「医師の宗教」の奥義を照らしだすいくつかの思想的脈絡を推測することができる。
 自然のなかに、とりわけ人間の本性のなかに光が隠されているという考え方は、やはり古代の錬金術的思想の系譜に属する。たとえば「アリストテレスの論説」では、「汝のうちなる光が闇にならぬように気をつけるべし」といわれている。自然の光は錬金術の中枢にある重要な概念である。パラケルススによれば、この光が自然の働きに関して人あいだ化し、「カガストゥルムの魔力によって」(per magiam cagastricam)[035]自然的事象を理解できる能力を人間に与えるのとまったく同様に、この光を賢者の子という形で産み出すのが錬金術の目的である。
 同じく古代アラビア起源の文献に「黄金論説」があり、これはへルメスの言葉を伝えるものとされているが[036]、そのなかでメルクリウスはこう語る。「わが光は他のあらゆる光にまさり、わが善は他のあらゆる善にまさる。われは光を産む、だが闇もまたわが本性に宿る。この世にはわが子との合一にまざる尊きことは起こりえぬ」[037]
 また「ベリヌスの箴言」"Dicta Belini"でメルクリウスはいう(ベリヌスはティヤーナのアポロニウスの偽名)。「われはわがすべての力を光によって顕現する。われはわが父なる土星よりこの世に来る途上にてその光をあまねく示す」[038]「われは日月を永遠なるものとなし、あらゆる光をわが光によって照らす」[039]。別の文献の作者は、賢者の子を誕生せしめる「化学の結婚」について語っている。「彼らの抱擁により新しい光が産まれる。その光は、この世にある他のいかなる光とも異なる」[040]

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 この光の観念は、パラケルススの場合も他の錬金術師と同じように、知恵(Sapientia)や知識(Scientia)の概念と一致する。この光こそ、哲学的錬金術の中心にある神秘といえる。光はほとんどいつでも<子>として仁化されるか、少なくとも<子>の際立った属性の一つとされる。それは純一な「ダイモニオン」(daimovnion)である。
 錬金術の達人は、作業の手助けをする親しい霊的存在を必要とすることが、多くの文献で言及されている。『ギリシア魔術のパピルス』は、これに関して主要な神々の役割さえあえて列挙している[041]。<子>はあくまでも錬金術師の支配下にある。たとえばアラビア王ハリーの論文は、「この世でもあの世でも、その子は……汝の家にとどまり、汝に仕える」[042]という。
 すでに述べたとおり、パラケルススの時代よりずっと以前から、賢者の子はキリストと同一視されていた。両者を同等のものとする思想は、パラケルススの影響下にある16世紀の錬金術師の間にきわめてはっきりと現れてくる。その一例として、ハインリヒ・クンラートを引こう。「これ〔=賢者の子〕は大宇宙の子であり、神にして人間である。一は『大宇宙』の子宮に孕まれ、『小宇宙』の子宮に孕まれ、両者はともに処女の子宮より生まれる……次のようにいっても神聖冒涜にはならない。『自然という書物』『自然という鏡』においては、『大宇宙の守護者たる賢者の石』が、全人類すなわち『小宇宙の救い主たる十字架上のイエス・キリスト』を象徴する。したがって、当然この石から賢者キリストを認識し、キリストからこの石を認識すべきである」[043]

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 こういう教説の暗示的意味合いを、パラケルススが十全に自覚していなかったのは確かだと思われるが、その点はクンラートにしても同じであった。「神聖冒涜にはならない」と信じていたからである。しかし自覚していなかったにもかかわらず、彼らは錬金術の哲学の本質を体現していたのであって[044]、錬金術の実践者はすべてこういう教説のかもしだす雰囲気のなかで考え、生き、かつ行動した。それだけに無邪気、無批判に教説を受け入れる者は、いっそう隠微な影響を受けたのである。
 「人間の自然な光」とか「人間のうちなる星」という概念には、別に不都合な点があるとは思えない。そこでこういう術語を使う者たちは、そこにどんな矛盾の可能性がひそんでいるかについてまったく気づかなかった。しかもその光とか賢者の子が、あらゆる光のうち最大で最強のものであると明言され、世界の救い主にして守護者たるキリストと同列に置かれるのだ! 神がキリストにおいて人間になったのに対して、賢者の子は人間の技術、錬金術の作業によって物質から抽出され、新しい光をもたらす者とされた。前者では人間救済の奇跡が神によって成就されるが、後者では世界の救済と変容が人間の精神によって達成される — しかも「神の御心に従って」達成される、と錬金術的哲学者は必ず書き添える。一方では「神のもとにある私」と告白し、他方では「私のもとにある神」と主張する。人間が造物主にとってかわるのである。
 中世の錬金術は、神の世界秩序に対して人間が空前の介入を企てる道を切り拓いた。錬金術が科学時代の夜明けを告げることになったのは、科学的精神のデーモンが、自然の諸力をかつて例のなかった強引さで人間のために役立てようとしたからであった。ゲーテが「超人」ファウス卜の人間像を造形したのは、まさに錬金術の精神からであったし、この超人からニーチェのツァラトゥストラが産まれて神の死を宣告し、超人を誕生させる意志、「七つの悪魔から独力で神を創造する」[045]意志を、公然と主張するにいたった。
 近代の本当の根はここにある。心の深層で準備されていたこういう作用が、今日の世界を動かすもろもろの力を解き放ったのである。なるほど科学と技術は世界を征服した、が、それによって人間の心が何かを獲得したかどうかは別の問題である。

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 パラケルススは錬金術に没頭したおかげで、精神の発達にその刻印が残るほどの強い影響をしたたかに受けた。錬金術の野望の背後には一つの前提があって、それが内的駆動力となっているが、悪魔的な雄大な企図と精神的危険が重なり合っているこの前提を、過小評価してはならない。パラケルススにおいては、不遜な自負心や倣慢な自尊心が、真にキリスト教的な謙虚ざと奇妙な対照をなしているが、これは多分にそういう錬金術の基本的前提に由来する[046]。アグリッパにあっては、「おのれ自身が悪魔であり英雄であり神である」、という言葉に火山のように爆発した思想が、パラケルススにあってはなお、キリスト者としての識閾下に隠されていて、おおげさな要求といらだたしい自己主張のなかに間接的に表現されているにすぎない。そういう態度によって、彼は行く先々に敵を作った。
 このような症候は、それと認められねまま存在する劣等感、すなわちふつう意識下に隠されている欠点に起因するものであることを、われわれは経験上知っている。一人ひとりの人間のなかに非情な審判者がいて、格別悪いことをしたおぼえもないのに、罪悪感を抱かせる。具体的には何であるのかわからないが、罪を犯しているような気が、なんとなくするのである。
 パラケルススがぜひとも病人を助けたいと願う気持ちは、明らかに純粋一徹であった。しかし彼の用いた魔術的手段や、特に錬金術の秘儀は、キリスト教精神とはまっこうから対立していた。パラケルススが自覚していたかどうかは別として、それが事実であることに変わりはなかった。主観的にはなんらやましいところがなかったにもかかわらず、非情な審判者が、彼の一生に暗い影を落とす宿命的劣等感を背負わせていたのである。


D 根源的人間

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 この決定的に重要な問題点、つまり賢者の子の驚異をめぐる秘儀的教説は、コンラート・ゲスナーの意地の悪い明敏な批判の対象となった。パラケルススの弟子ズフテンのアレクザンダー[047]の著作について、彼はクンラート宛の手紙にこう書いている。
 「彼のいう神の子とはそもそも何者でしょう。ほかでもない、この世界と自然に宿る霊のことなのです。われわれの身体に宿る霊と同じものなのです(雄牛やろばの霊をそこに加えていないのが不思議というものです!)。テオフラストゥス派一流の方法で、この霊を元素の集合体から分離できるという。誰かが言葉を額面どおりに受け取ろうものなら、これは自分の意見ではなく哲学者たちの説く原理であるというでしょう。哲学者に名を借りて、実は自分の考えを述べているわけです。テオフラストゥスの弟子で、他にもそういう穢らわしいことを書いている者がいることを、私は承知しています。それを読むと、彼らがキリストの神性を否定していることが容易にわかります。私としては、テオフラストゥスがアーリア人であると確信しています。この一派が説こうと努めているのは、キリストがまったく普通の人間であり、キリストの霊はわれわれに宿る霊と別のものではないということです」[048]

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 テオフラストウス学派とその教祖に対するゲスナーの攻撃は、錬金術一般にも当てはまる。世界霊魂を物質から抽出しようとするのは、パラケルスス独特の錬金術ではないからである。しかしアーリア人に対する人種攻撃には、なんら正当な理由がない。攻撃を誘発したのは、賢者の子とキリストを同等に扱う周知の錬金術的図式であったことは明らかだ。もっとも私の知るかぎり、パラケルスス自身の著作のどこにもその形跡はない。ただフーザーがパラケルススの論文とみなす「ヘルメスの黙示」"Apokalypsis Hermetis"には、錬金術に対する明白な信念を披濯した記述があって、ある程度ゲスナーの攻撃の正当性に重みが加わる。
 パラケルススはそこで「第五元素の精気」という言い方をしている。これは真実の精気であって、その存在を理解するには、聖霊の霊感を受けるか、精気の存在を知っている者から導きを受けなければならない」[049]。「それは世界の霊魂であり」、すべてを動かし守るものである。それは地上における最初の形(=原初の土星的暗闇)においては不純なものを含むが、水、空気、火と順次形を変えて上昇する過程で、しだいに浄化される。そして遂に第五元素にいたると、「明澄な身体」[050]となって現れる。「この精気は、事物の始源以来つねに隠されてきた秘密である」。

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 ここで語っているパラケルススは、まぎれもなく錬金術師である。弟子たちと同じように、カバラの秘法を彼の錬金術的思索のなかに引き入れている。カパラは、ピコ・デラ・ミランドラや アグリッパによって、当時広く知られるようになっていた。
 「信仰の力で未来の出来事を予言し、過去と現在を解釈しようとするすべての者よ、広く外国の事情を見聞し、謎の文字や神秘の書物を読み、埋もれた真実を求めて地中や壁のなかを探る者たちよ、偉大な知恵と術を学ぼうとする者たちよ、これらすべてを目指そうとするならば、ガパルの宗教に通暁し、その光の導きによって歩むように心がけなければならない。ガパルの教説は、確固たる根拠にもとづいているからだ。求めよ、そうすれば与えられる。扉をたたけ、そうすれば願いは聞きとどけられ、扉は開かれる。与えられ、扉が開かれると、諸君の望むものが流れ出すのだ。すなわち大地の最深奥を覗き、地獄の底を、第三の天国を見ることができるのだ。諸君はソロモンにまさる知恵を得る。モーセやアロンにまさる神との霊的交わりにあずかることができよう」[051]

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 カパラの秘教的認識と錬金術の英知とが符合するのとまったく同様に、アダム・カドモンと賢者の子は同一視されていた。アダム・カドモンは、アダムのなかに閉じ込められていた「光明人」(a{nqrwpoV fwteinovVであったと思われるが、パノポリスのゾシモスが(三世紀)の文献にも同一の人物が出てくる[052]。しかし光明人は、キリスト教以前の<根源的人間>の教説に照応する。マルシリオ・フィチーノやピコ・デラ・ミランドラの思想的影響で、15世紀にはすでにこういう新プラトン主義的観念が普及していたので、教養人ならほとんど誰でも知っていた。それは錬金術の古典的伝統から引き継がれてきたいくつかの観念と一致した。このほかにカパラの神秘思想があった。ピコはこれを哲学的に評価したが[053]、彼とアグリッパ[054]がパラケルススのやや貧弱なカパラ知識の源泉であったと思われる。
 根源的人間はパラケルススのいう「星辰的人間」と同一であって、「真の人間はわれわれの内なる星である」[055]。「星がひたすら人間を駆り立て、偉大なる知恵に向かわせようとする」。『パラグラーヌム』で彼がいうように、「天は人間であり人間は天であって、すべての人間は一なる天をなし、天はただ一人の人間であるからだ」[057]。人間は内なる天に対して子の関係にあり[058]、内なる天が父であり、パラケルススはこれを最大の人間(homo maximus)[059]と呼び、またアダムに由来する秘儀的名称を用いて内なる人間(Adech)[060]ともいう。あるいは原生命(Primodial Man)ともいわれ、「それゆえこれは人間と同じように四元素から成る。それは『原生命』であり四つの部分から成り立っているから、『大宇宙』であるといってよい」[061]
 これが根源的人間を指すのは明らかだ。というのは、「イデアの世界(Ides)にあるのはこの<一者>のみであり、これは星辰的質料(Iliastrum)[062]から抽出される初源の被造物(Protoplast)である」、とパラケルススはいっているからである。イデス(Ides)とかイデウス(Ideus)とは、「あらゆる被造物の生起する門」であり、人間が創造される根源となった「小球体ないし質料」[063]である。根源的人間を指す謎めいた名称には、このほかにイデクトゥルム(Idechtrum)[064]とかプロ卜卜ーマ(Protothoma)[065]とがある。名称の数だけからしても、パラケルススがこの観念にどれほど没頭していたかがわかる。
 原人(Anthropos)=根源的人間について古代の教説が説くところによると、世界創造の原理としての神は初源の人間(protoplastus)となって顕現したが、これはふつう宇宙大の大きさをもつとされた。インドではこれに相当するのがブラジャーパティとかプルシャで、「大きさは親指くらい」、 すべての人間の心臓に宿るとされるのは、パラケルススにおける星辰的質料と同じである。
 ペルシアでは、ガヤー=マレタン(死すべき命)という純白の若者がそれに当たり、その特色は錬金術におけるメルクリウスに似ている。『光輝の書(Zohar)』ではメタトロンと呼ばれ、光とともに 創造されたものである。彼は天上的人間であり、ダニエルやエズラやエノクの幻夢に現れるし、またフィロ・ユダエオスにも見られる。それはグノーシス主義における主要な形象の一つであって、つねに創造と救済に結びつけられている[066]。これはパラケルススについても同じである。

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