006 神的ゾーシモスの〔書〕・徳と解釈について
神的な水の蒸発脱水法について Peri; th:V ejxatmivsewV u{datoV qeivou (e cod. Venet. Marc. 299, fol. 112r) 007 2 138 5t そこで、古人たちの誰かがどこかで、このような器具にはたして言及しているのかどうか、わたしは探究しました。しかし、わたしの思いどおりになりませんでした。そこでわたしは落胆しましたが、あなたの諸書を調べて、イウゥダイオス人の書の中に伝承された器具、いわゆる三本腕の蒸留器(trivbikoV)と、この器具のまさしく図を発見しました。それは先にあるとおりです。139.1 雄黄を取って、次のようにして白化させなさい。輝く泥を、雲母の極薄の形のように平たくしなさい。そして、狭い穴を濾し器状に空けなさい。小皿をしっかりと上に置き、この〔小皿〕に硫黄1個を入れなさい。濾し器には雄黄を望むだけ〔入れなさい〕。そして別の小皿で蓋をして、あわせの部分を密封し、2昼夜<後>、あなたは白鉛を見出すでしょう。これの1ムナに1/4を加え、まる一日昇華させ、アスファルトを少し加え、云々。これこそが、この器具の準備です。 しかし、わたしは、わたしたちの関心事に向かいましょう、[この書から]白化はないと、この書から示しつつ。というのは、何とかして2昼夜煮沸するよう励まされるからです。多いに硫黄が蒸発できるのは1刻だからです。いや、このものから、思索の出発点をあなたに与えています。アガトダイモーンも言及していることですが、雄黄こそは全体が化合物であり、これについては『活動力(ejnevrgeia)によって』〔という書〕の煮沸の8章の中で力強くはっきりさせた、と。他にも多くの古人たちがこの忠告に言及しています。この書の初めが目下の問題について教えるのは、いつか? すなわち彼は謂います。「雄黄の白化は、延長(ejktavsiV)に作用すると、白化されない雄黄に及ぶ」。無論、次のように云っているデーモクリトスも例外ではない。「光が過剰になれば、黄色くなる。しかし今はあなたの役に立たない。あなたが望んでいるのは、体を白化させることだから」。 雄黄全体の形相に気づかぬような男とは、はたして、どれほど愚か者でしょう。むしろ、これ〔雄黄〕の薄片(la:mna)は、前述の書が謂っているとおり、そういうふうにして白化されると、見かけ上白いだけでなく、火を避けることはほとんどないでしょう。それ自体も、その見かけも白いのです。雄黄が鉛を含有せず、それが火によって蒸発するとき、これを追加したり昇華させたりするよう書が命じているのに、雄黄が白化させられれるのに気づくことが、どうして愚かでないことがありましょう。化合物が鉛を含有しているということは、140.1 昇華だけでなく、アスファルトを付加することをも励まされるのです。何らかの仕方で鉛化し、浄化し、全体を滑らかにするために。 さてそこで、これについてわたしに言うことのできるかぎりのことは、あなたがたが言う証人になっていただきたい。いや、以後は数多くの出発点を手に入れられたからには、これからは教える者にもなっていただきたい。いや、ここまでわたしにとってと同じことをわたしは督励します。わたしもあなたがたから、目的の果実を受け取ったのですから。ですから、慣例にもせよと、この書は謂います。この仕方が、蒸留器様のもの(karkinoeidhvV)なのです。 化合物の加熱のために、陶製の容器で保温盤の上に置く平鉢が、中が見えるようになっているのは、白化とか黄化をしたかどうかを調べるためです。ただし、陶製の容器の加熱が、別の平鉢によって蓋をされるのは、これ〔平鉢〕から漏れたり、それ〔容器〕の蒸留器様のもの(karkinoeidhvV)が逃げたりしないためです。これは所要1日〔の作業〕です。というのは、煮沸と加熱が別々であれば、2つの炉 第一に光る小壜(lhkuqivon)、次に保温盤のそれ、あるいはphxavdwnのそれ、あるいはbouklw:nのそれ が必要です。 古の人ゾーシモスは言いました。「1つの指図を2つの作業が持っていることをわたしは知っている。ひとつ〔の指図〕は液によって流すために、第2は、鉛の湿性が乾燥するための隙のない〔指図〕です。なぜなら、それは凝固され、乾燥されるだろうから」。 2010.04.10. 訳了。 |