009 神的な水について
この術知に着手する人たちの総括的な勧め (ParainevseiV sustatikai; tw:n ejgceirouvntwn th;n tevxnhn) (e cod. Venet. Marc. 299, fol. 115r) 010 2 144 8t この、白色と黄色という2色の水を、ひとびとは無量の名前で呼んできた。だから、神的な水なしには、何ものも存在しない。なぜならすべての化合物はこれによって取りあげられ、これによって加熱され、145 1 これによって焙焼され、これによって凝結され、これによって黄化され、これによって腐敗させられ、これによって浸染され、これによってイオス化され、非イオス化もされ煮沸もされるからである。すなわち、彼は謂う。「第一溶錬からできる硫黄の水と少量のコムミを加え、体全体を浸染する。自ら生成を持ったかぎりのものら、これは火から〔生成を持った〕ものらから反作用を受けるからである。その結果、あらゆる湿ったものらの目録なしには、安全なものは何もないからである」。 一部の人たちが言及し、すべての人たちもすぐに〔追随〕したのは、この水は、酵母なしに、染色されようとする体に等しいものを等しものによって破壊されねばならないということである。なぜなら、パンの酵母は、わずかであっても、どれほどの練り粉でも発酵させるように、そのように小さな金片も、あらゆる乾いたものを発酵させようとするからである。 しかし、他の人たちは、硫黄状のものらの残留物に両方を混ぜ合わせ、黄金のものらを黄金のものらに織り込み、またそのうちのある人たちは、生の腐敗しないものらに、ある人たちはイオス化の水といっしょに煮られたものらに織りこんだ。 上方には天的なものら、下方には地上的なものら。男女両性によって、この仕事は成就される。 2010.04.13. 訳了。 |