019 4つの体は染色の養分であることについて。実際は
球体明礬を使うときについて、反論 (Peri; tou: crhstevon stuprhriva/ strogguvlh/ ajntivlogoV) (fort. pars operis Ceirovmhkta) (e cod. Venet. Marc. 299, fol. 151r) 020 2 171 15t 他の諸書は言う、「全体をレンズ豆のスープにつくり、アラビアゴムの溶液で復活させなければならない」。しかし他の人たちはそのようにして雲を優先させる。わたしとしては、辰砂をいっしょに搗き砕くのがより善いと考える。ただし、人は知っていることだが、これを生むのは、雲を欲する腐敗によってであり、そういうふうにしてまた制作されることは別にしてである。というのも、太陽のもとで試剤が水や酢で処理されると、雲を出産する。このこともわれわれは経験で知っている。またあらゆる書き手、キュメーもマリアも言っている。乳鉢は鉛-女(molibdivnh)、乳棒は-男-鉛(molivbdinoV)。酢は辰砂を太陽のもとで雲ができるまで分解する。同様に錫についてもまた同じである。さらにまた煮沸されると、つまり、?焼されたり凝固されたり染色されると、術知に則し煮沸されると、雲を最高に発散するのが習いである。あらゆるものらの復活のために人がまさしく骨折るその点で、辰砂は力を有するので、万物といっしょに搗き砕かれると、雲を与え、離間させる。 いや、人は等しく述べる、今凝固された〔雲〕はイオス化される雲といっしょに搗き砕くのがより善く、諸書は単純な凝固を言っているのではなくて、あらゆる点で白い〔雲〕がわれわれの銅に添加されると、これを曇りなき銀にする、と。万人に反対するステパノスは同様、すなわち、すべての試剤に対して単純さを見せかける。だから単純だと彼が言っても、何ものもなさないと万人は知るべきである。なぜなら、凝固によって火の中に蒸発させ、染色作用を持った気息を解き放っても、何事もなさない。だが辰砂は、諸々の試剤といっしょに煮沸されると、気息を解き放たない。なぜなら、それ〔辰砂〕の気息は追い求められるもの、つまり、火による雲であり、逃亡へと噴き出されると、同族のものらや、これを追い求めていた諸々の体、とりわけ錫によって、迎え入れられるからである。 雲の代わりに球体の明礬を用いるべきであると弁護する者らをわたしたちは持っている。マリアも弁護して言う、「浸染の黄金片は黄緑色の小瓶の中にできる、火は徐々に」。天火状の炉は、上に乳房を持っている。もしもよくわからなければ、球体明礬2倍を入れよ、あるいは、辰砂を使って、同じことをするのがより美しい。なぜなら、雲は4つの体を復活させるだけである。というのは、一部の人たちの言うには、他の諸体からも、とりわけ孔雀石から、復活させられる、と。だがわたしは知っている、復活するのは孔雀石だけでなく、生きてもおらず、粉末にされた体のすべても雲をもたらすことを。 アガトダイモーンから述べられていることだが、孔雀石と雲はお互いに友であり、お互いを復活させるという。そして一方はやすり屑のようなもの[互いの友]であり、他方は、辰砂の塊状集積(sulleivwsiV)であるから、友も持っていない。ただ、両者とも、黄色であるから、ともに搗き砕かれ、その点で友であるにすぎない。さらにまた、力を持つから、雲は力を持った銅を制作する。そして友であることが見出される。 174 1 2010.05.30. 訳了。 |