055 諸々の光についての解説
諸々の昇華蒸気について (Peri; aijqalw:n) (e cod. Venet. Marc. 299, fol. 116v) 056 2 250 12t そして、熱灰によって滴下される水を明示して、云う。「そして器具を当てて、熱灰をもとにもどせ」。そこで、熱灰が適切に処理された水である場合には、それゆえまたアガトダイモーンも、「熱灰がすべてある」。しかし煮沸〔融解〕(e{yhsiV)そのもの、あるいはまた焙焼(o[pthsiV)があり、これは搗き砕き(leivwsiV)とも名づけられる。明らかに、腐敗(shvysiV)、分解(ajnaspavsiV)、イオス化(ijwvsiV)、半-焙焼(paropthvsiV)によって全体が完成すると言うのが古の人たちである。そして他の仕方で混合物の作り方が処理されることは不可能である。なぜなら、腐敗や分解を、知識の託宣者たちは搗き砕きとして知っていたからである。そして、イオス化、煮沸であるのに、煮沸と分解を搗き砕きと名づけたのは、はなはだしい縮小化のゆえである。さらにまた火と名づけたのは、加熱、?焼、照射のゆえであり、理性ある人たちによって探究されたものを古の人たちが幼児の玩具とか女の作品と称したのである。しかし、だからといって、火によってイオス化を獲得すべくわれわれは強制するわけではまったくない、染色される石のためのように、つまり水の蒸留のためのように、冷によって完成される紫を。わたしが言うのはまさしく、真実、ひとつの完全で退色しない作品は、乾を完成するということは、経験がわれわれにはっきりと教えるだろうということである。 252 1 そこでこれ〔昇華蒸気?〕を、石鹸の滴液のように滴下させ、これの水を得なければならない。石鹸の滴液とは、彼が謂うには、けっして昇華抽出されることなく、滴下される。それではいかにして、おお、善き人たちよ、ゾーシモスは謂っているのか、書き手たちの理性は、銅を分解する装置によってでないかぎりは、けっして確実ではなかったと。そして、この術知の限界はそうではなく、このものの凝固の装置にあったのだと。しかし他の人たちは、両方の混合物のために、壜に塗布しただけで、水をもとにもどし、乳鉢の中で搗き砕いた上で、自身のアスベストスによって凝固させた、重量によってではなく、乾が湿を凌駕している分、2ないし3ないし4ダクテュロス分によって。 2010.05.31. 訳了。 |