西脇順三郎の「太陽」
古代ギリシア案内
[補説]ギリシア詩から西脇順三郎を読む
西脇順三郎の「カプリの牧人」
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カプリの牧人
春の朝でも
我がシゝリヤのパイプは秋の音がする。
幾千年の思ひをたどり。
カプリは、南イタリアのソレント半島の先にある島である。ギリシア語ではカプレアイ(Kaprevai)。冬は温暖、夏の猛暑もなく、ストラボンの『世界地誌』にも、ローマ皇帝の別荘があったと伝えている(第5巻4章9節)。
なぜカプリなのか? 研究者(例えば澤正宏)は、ローレンス(David Herbert Lawrence, 1885-1930)がカプリ訪問を日記に書いており、西脇順三郎がそれを読んでいたというのだが、なぜカプリなのかという問いの答えにはなっていない。関心があることと、作品に採りあげることとは別である。
なぜカプリなのか? 「カプリというところは、ギリシヤを好きな人にとって、紺碧の海に有名な島がある。ギリシヤ詩人でのカプリに育ったのが多い。カプリの牧人詩というのは、今でも、有名でしょ」(西脇セミナー第1回、p.56)。どうやら、西脇順三郎には大きな思い違いがあったようだ。カプリは、ギリシア史にも、ギリシア詩にも出てこないし、カプリ出身の有名なギリシア詩人なるものも聞いたことがない。
シシリヤのパイプ ウェルギリウス〔70-19 BC.〕の『牧歌(Eclogae)』に出てくる。
昔、カルキス風に作った自分の詩に、
シキリアの牧人の葦笛で旋律をつけよう。 (X, 50-51、河津千代訳)
英訳では、Sicilian shepherd's pipe となっている〔シケリアの詩人テオクリトスの『牧歌』では、シューリンクスは牧人の笛に決まっているので、「牧人の笛」という言い方はしない〕。作者は、"pipe"の多義性に惹かれたらしい。
カプリを出し、シケリア〔シチリアのギリシャ語名〕を出し、忙しいことだが、要するにパーンの笛シューリンクス(su:rigx)のことである。シューリンクスは、もと、ニンフの名前とされる。
シューリンクス(Suvrigx)
アルカディアのニンフ。パーンに追われ、まさに捕えられんとした時、ラードーン河岸で葦に身を変じた。風にそよいで音を立てる葦から、パーンはシューリンクス笛を創り出した。
(『ギリシア・ローマ神話辞典』)
このシューリンクスを、パーンはダプニスに教え、ダプニスはシューリンクス奏者にして、牧歌の発明者となったという。
ダプニス(DavfniV)
シシリアの羊飼。ヘルメースとニンフの子、あるいはヘルメースの愛顧をうけた者といわれる。ニンフたちや神々に愛された。ニンフのエケナイスEchenaisまたはノミアーNomia(《牧場の》の意)に愛され、ニンフは彼に忠実を誓わせたが、シシリア王の娘が彼を酔わせて、彼と交わったので、ニンフは彼を盲目にした、あるいは殺した。
盲目になった彼は自分の悲しみを歌い、岩から身を投げた、あるいは岩と化した、またはへルメースによって天上に連れ去られた。
彼は牧歌の発明者とされている。テオクリトス〔シケリアの詩人。前270頃。牧歌(Idyllia)というジャンルを打ち立てた最初の人間〕によると、彼はなんびとも愛さず、これがアプロディーテーの怒りをかい、彼を猛烈な恋に陥れたが、彼はついにこのために大勢の者に惜しまれて世を去った。
(『ギリシア・ローマ神話辞典』)
「幾千年の思ひをたどり」「秋の音がする」とは、シューリンクスにまつわるこれらの神話のことを言っていると解するのが、最も素直な解釈であろう。
シューリンクスの伝説と、ダプニスの伝説とに共通しているのは、どちらも愛を拒否したということである。愛を拒否する者は、愛の神アプロディーテーの呪いを受け、悲惨な最期を遂げる。これはギリシア神話の基本的モチーフである。
抒情を否定した西脇順三郎は、アプロディーテーの呪いを受けるような妄想を持っていたのか……。
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