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back.gif西脇順三郎の「カプリの牧人」


古代ギリシア案内

[補説]ギリシア詩から西脇順三郎を読む

西脇順三郎の「コリコスの歌」






   コリコスの歌

浮き上れ、ミユウズよ。
汝は最近あまり深くポエジイの中にもぐつてゐる。
汝の吹く音楽はアビドス人には聞えない。
汝の喉のカーブはアビドス人の心臓になるやうに。

 地中海と黒海(正確にはプロポンティス)とを結ぶ細長い海峡、これを古来ヘレスポントス〔希臘の海〕と称し、別名、ボスポロス海峡とも呼ばれる。その昔、ゼウスに愛されたためにヘーラーの妬みをかい、牝牛に変ぜられたイーオーが、ウシアブに責め立てられながら世界を放浪、この地点でヨーロッパからアシアに渡ったことにちなむ。「牝牛の渡し(BovsporoV)」の意である。

 この海峡の中ほど、アシア側にアビュドス、ヨーロッパ側にセストストいう町が向かい合っている。ここにひとつの伝説が伝えられている。

レアンドロス(LevandroV)
 アビュードスAbydosの青年。祭礼のおりに、アビュードスの面しているへレースボントスHellespontosの向う岸にあるセストスSestos市のアプロディーテーの女神官へーローと相識り、夜な夜な愛人のかかげる明りを目標に海を泳ぎ渡って会っていたが、ある夜嵐で明りが消え、彼は目標を失って溺死、女の住む家の塔の下に打ち上げられた。女は悲しみのあまり身を投げた。
 (『ギリシア・ローマ神話辞典』)

 この物語は早くからヘレスポントス地方の口碑として伝えられ、ウェルギリウス『農耕詩』第3巻258行以下に引用され、オウィディウス『ヘーローイデス』第16歌によって世に知られるようになったという。
 ストラボーン〔前1世紀〕も、「ヘーローの塔」なるものがあったことを伝え、両市の隔たりは30スタディオン〔約5.4Km〕、その渡り方さえも詳説している。

 セストスはプロポンティス海に面し、海からいくらか内に入った形で、この海から出る流れの右上方にあたる。従って、渡るにはセストスからの方が簡単で、ヘーローの塔へ向かってすこし岸沿いに進んだ後、そこからは流れの助けを借りて対岸へ船を出せばよい。
 他方アビュドスから渡るには、これとは逆向きに、セストスの真向いにあたるひとつの塔へ向かって約8スタディオン〔1.4Km〕岸沿いに進み、それから流れと真向かいにならないよう斜め方向に渡らなければならない。
 (『世界地誌』第13巻591C)

 「ヘーローとレアンドロス」の人気は近世になっても衰えず、17世紀の人気の画題であった。下図はFETI, Domenico(1589-1623〕のものである。

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 浪漫派がこの物語を見逃すはずはなく、バイロンも「アビュドスの花嫁(The Bride of Abydos)」(1813)その他を書き、島崎藤村も、『若菜集』の中で、男女を逆にしてこの物語を採りあげた(「おくめ」)。〔「ヘーローとレアンドロス」の影響の広がりは、中務哲郎編訳『ギリシア恋愛小曲集』岩波文庫の解説に詳しい〕。
 しかし、西脇順三郎にとっては、そのすべてが、詩精神が感傷と抒情の汚泥に溺れ、沈んでいることの証左にほかならなかった。

コリコスの歌 ギリシア語ではcorikovV mevloV、「合唱舞踏隊(corovV)の歌曲」の意味である。アリストテレスの『詩学』1452bにおいて、戯曲において合唱舞踏隊の受け持つ部分が論じられている。

浮き上れ、ミユウズよ。 詩の歌い始めに、ムーサたちに呼びかけ、祈ることは、古代作詩の常套手段であった。

怒りを歌え、女神よ。
 Mh:nin a[eide qea;...
  (Hom. Il, I-1)

あの男の話をしてくれ、ムゥサよ。術作に富み、トロイアの聖(きよ)い城市を
攻め陥してから、ずいぶん諸方を彷徨ってきた男のことを。
 !Andra moi e[nnepe, Mou:sa, poluvtropon, o}V mavla polla;
 plavgcqh, ejpei; TroivhV iJero;n ptoliveqron e[perse`
  (Hom. Od. I-1-2)

 しかし、「合唱舞踏隊の歌曲」というかぎりは、戯曲の中に求めなければならない。あまりぴったりの例ではないが、 —

ムーサよ、聖なるコロスに来臨し、
わが歌を楽しむために訪いたまえ、 (内田次信訳)

  Mou:sa, corw:n iJerw:n elpivbhqi kai; e[lq= ejpi; trvryin
  ajoida:V ejma:V,
   (Ar. Ra. 674-675)

 アリストパネスの『蛙』が注目される所以は、ディオニューソスが冥界下りをしているからである。当然、この世とあの世を分ける三途の川を渡らなければならない。この戯曲は、蛙たちが合唱する冥土の河を渡る場面から始まる。しかもディオニューソスの目的たるや、「市(ポリス)が救われて合唱の祭りを行えるよう」、すぐれた詩人を求めてというところにあった(1418-1419)。西脇順三郎が『蛙』を読みこんでいたとは考えにくいので、野放図な推測はひかえておく。

 ムゥサたちの数は9人とされ、ローマの詩人たちは、その職掌も細かく分割した。しかし、「音楽を吹く」ムゥサなるものは、聞いたことがない。
 ギリシア神話では、竪笛(aujlovV)を発明したのは、数多くの技芸の発明者アテーナーであったという。しかし、笛を吹く自分の顔を水鏡に写してみると、顔は蒼ざめ、頬はふくれ、われながらいかにも滑稽なご面相になるのがわかったので、彼女は笛を捨てた。のみならず、これを拾い上げる者には呪いがかかるようにと言った。
 これを拾ってものにしたのが、シーレーノスのマルシュアースであった。マルシュアースはおのれの音楽を誇り、ついにはアポローンに競演を挑んだ。その敗北の結果、マルシュアースは生きながらに皮を剥がれたという。
 マルシュアースの縦笛といい、パーンの牧笛といい、吹く音楽は賤しい業(わざ)とされた。これが、「吹く音楽」がムゥサたちの職掌でない所以である。

喉のカーブ ボスポロス海峡を、古代ギリシア人たちはaujchvnとも呼んでいた(Hdt. IV-85, 118)。これは「喉」とも「頸」とも訳される。このことを西脇先生がご存知であったかどうかは知らない。
 「喉のカーブ」からわたしの連想するのは、喉仏(西洋人のいわゆるAdam's apple)のある喉であり、角笛のカーブである。

 角笛を吹くムゥサ? それとも、角笛を吹くのは、西脇順三郎?
 これが必ずしも荒唐無稽な連想でないことは、改作において牧人の笛を角笛に替えていることからも窺える。西脇セミナー(第1回)で、「ぼくの言うパイプは、角笛のことなんです」と、西脇先生は言いつのっている(p.57-58)。おそらくは、「コリコスの歌」と「カプリの牧人」との混同があったのであろう。

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