生涯と著作
[底本]
TLG 0579 ORPHICA
010
Fragmenta
Phil., Theol.
H. Diels and W. Kranz, Die Fragmente der Vorsokratiker, vol. 1, 6th edn. Berlin: Weidmann, 1951: 6-20.
Breakdown
[邦訳]
『ソクラテス以前哲学者断片集』第1分冊(岩波書店、1996.12.)がある。
(1.)
PLAT. Phileb. 66 C
「六代目で」とオルペウスは言っている、「歌の順位は終わりにせよ」と。おそらくはわれわれのロゴスもまた、六位の判定をもって終了ということになろう。
(2.)
Cratyl. 402 B C
その上ホメーロスもやはり、「神々の生みの親と、母神テーテュス」と謂っている〔XIV, 201〕。さらにヘーシオドスもそうだ〔Theog. 337〕と思う。それからオルペウスもたしかこう言っているね。
美しく流れるオーケアノスが先ず結婚して、
同じ母から生まれた妹テーテュスを娶った。
(3.)
400 B C
というのも、一部の人たちの謂うには、身体は魂のそれ〔つまりto; sw:ma=墓標〕だ、現世では〔魂はそこに〕埋葬されているからとて。それからまた、魂は自分が示そうとすることを、それ〔身体〕によって徴表する(shmaivnein)が故に、この点でも〔身体は〕墓標sh:maと呼ばれるのがふさわしいのだ、と。しかし一番いいとわたしに思われるのは、魂は償いをしているのだとして、〔魂に〕この名前をつけたのがオルペウスの徒であるということだ、〔魂が償いをする〕ためにこそ、この囲いをもっているのは、〔魂が〕救われるようにと、牢獄の似像としてなのだ。だから、それ〔身体〕は名づけられているとおり、負い目を償うまで、魂のそれ、つまり、「墓標(to; sw:ma)」なのであって、一文字も変える必要はないのだ、と。
Vgl. das Zeugnis des Philolaos (44 B 14)
神について語った昔の人びとも、予言者たちも、魂が、ある罰のために、……あたかも墓の中に埋葬されているように、身体の中に埋葬されている、と証言している。
Vgl. auch 44 B 15.
(4.)
rep. II 363 C
またムゥサイオスとその息子はこれら〔ヘーシオドスとホメーロス〕よりもっと威勢のよい善きことどもを正しい人々への神々からの贈与としております。すなわち、その物語の中で彼らを冥界へと導いて、寝椅子に寝かせて、敬虔な人たちの酒宴を設けて、以後全時間彼らをして花冠をかむったまま酩酊しつつ過ごさせるのです、徳の最大の報酬を永遠の酩酊と考えて。またある人々は、神々からの報酬をこの人たちより広大なものに広げております。すなわち、敬虔で誓いを守る人の後には子々孫々と種族が残ると彼らは言うのです。実にこれらのことやそのようなことにおいて正義を彼らは賞賛しているのです。しかし他方、不敬虔で不正な人々を冥界では泥状のものの中に埋め、そうして彼らの篩で水を運ぶことを強要するのです、まだ生きているうちにも彼らを悪評へと導いてね。(金松賢諒訳)
(5.)
364E
また彼らは、セレネーやムゥサたちの子孫だと彼らの称するムゥサイオスやオルペウスの書物群を持ち出して、これらによって犠牲を執り行うのです、私人のみならず国家をも説得して。すなわち、まだ生きている人々には犠牲や、遊戯の快楽によって罪過の赦免と浄化があり、また死んだ人々にも実に秘儀と彼らが呼んでいるところのものがあって、それはわたしたちをあの世の悪から解放するものであるが、しかし犠牲を捧げなかった人々には恐ろしいことが待ち受けている、と説得して。(金松賢諒訳)
(5a.)
PLAT. Legg. II 669 D
ところが、人間である詩人たちは、不合理にも、そうしたもの〔不相応な旋律〕をはなはだしく編みこんだり混ぜこんだりして、オルペウス言うところの、「成熟せる楽しみの齢に達している」人々に、笑いの種を提供することになりかねないのである。
(6.)
IV 715 E
神は、古の言葉にもあるように、万有の初め・終り・中間を保持し、その本性にかなった円周運動を行いながら、真直ぐに進んでゆく。また、つねにその神に随行するのは、神の掟をないがしろにする者への復讐者たる、正義の女神。幸福であろうと心がける者は、謙遜と節度をわきまえて、その正義の女神にしっかりと随行している。しかるに、もしひとが、財産、名誉、あるいは若さ愚かさをす容姿の端麗さゆえに思い上がり、慢心からいい気になり、……驕りの炎で魂を燃え上がらせたりすれば、彼は、神に見捨てられて孤立するのだ。見捨てられたとなると、なおのこと、他の同類を仲間にひきずりこんでは騒ぎをおこし、ありとあらゆるものを混乱におとしいれるのだ。そして、世間一般の人にはひとかどの人物と思われはするが、それほどの時もたたぬうちに、正義の女神にたっぷりと罪の報いを支払い、わが身をはじめ、家をも国をも、すっかりくつがえしてしまうのだ。
Vbl. PSEUDARIST. de mundo 7 [Orph. fr. 21a, 2 Kern]
ゼウスは頭、ゼウスは中間、万物はゼウスから生まれ出た。
(6a.)
VIII 829 D E
そして何ぴとも、無許可の音楽作品を、たとえそれがタミュラスやオルペウスの讃歌より甘美であっても、あえて歌うことは許されません。
(7.)
Symp. 218 B
あなたがたはみな愛知者〔ソークラテース〕の狂気と熱狂とに与ったことがあるのですからね だから、みなさん聞いてください……しかし召使いたちよ、それから他にもだれか未入門で野暮な者がおれば、その者も、耳に巨大な戸を立てるべし。(金松賢諒訳)
Vgl. IUST. coh. 15 [Orph. fr. 245, 1 K.]
(8.)
Tim. p. 40 D
そこで今度は、その他の神霊のことですが、その生まれを語ったり識ったりすることは、われわれの分際では及びもつかないことですから、以前にこのことを語った人々を信用しなければなりません。何しろ、かれらは自称、神々の子孫であり、どうやら自分たちの祖先のことを詳しく知っているらしいのですからね。……そこで、かれらの言をそのまま受け入れて、われわれにとっても、これらの神々についての系譜は、名実ともに次のようなものとしておきましょう。 ゲー(大地)とウゥラノス
(天)とから、その子オーケアーノスとテーテュスが生まれた。そして後二神から、ポルキュスとクロノスとレアーと、またその仲間らが生まれた。そしてクロノスとレアーから、ゼウス、へーラー、およびかれらの兄弟としてわれわれには周知の神々すべてが生まれ、なおまた、その他かれらの子孫も生まれた と。(種山恭子訳)
(9.)
ARIST. Metaph. Λ〔第11巻〕 6. 1071b 26
しかしまた、たとえ神々のことを語る人々の語っているように世界のすべてを「夜」から生まれたものとするにしても、あるいは自然学者たちの言っているように「すべてのものは一緒であった」とするにしても、同じく不可能な結論が出る。(出隆訳)
N 4. 1091b4
あの昔の私人たちも次の点で今日の彼らと同様である。すなわち、この世界の王者でありまた支配者であるのは、生成において第一のものども例えば夜とかウゥラノスとか混沌とかオーケアーノスとかではなくて、かえって〔これらよりも後の生まれの神すなわち〕ゼウスであると語っている点において。(出隆訳)
(10.)
A 3. 983b 27
もっとも、或る人々の考えによると、今の時代よりも遙か以前の古い昔に、初めて神々のことを語った人々もまた、白然についてこれと同じような見解をもっていた。すなわち、この詩人たちは、オーケアーノスとテーテュスとを万物生成の父母であるとし、そしてまた神々の誓約には、その詩人たちの呼んでステュックスと称するところの水が使われたとしている。それは、最も古いものは最も尊いものであり、最も尊いものは誓約に使われるものだから、というのである。ところで、この意見が自然についての説として果たしてなんらか原始的なものであり古くからあったものであるか否かは明らかでないようであるが……。(出隆訳)
(10a.)
ARIST. de ge. anim. B 1. 734a 16
すなわち、すべての部分(例えば、心臓、肺臓、肝臓、目その他の各部分)が同時にできるのか、それとも、『オルペウスの詩』と称するものにあるように(あの詩では「動物も網を編むのと同じようにしてできる」といっている)、次々とできていくのか……。(島崎三郎訳)
(11.)
de anima A 5. 410b 22
何故なら植物は感覚に与からないが、生きているのは明らかであり、また動物どもの多くが思考を持っていないのは明らかであるからである。しかしもし人がこれらのことをも認め、また理性を霊魂の一つの部分とするなら、しかしまた感覚能力をも同様にそうだとするなら、彼らは、あのように言ったのでは、霊魂のすべてについて普遍的に言っていないことになるだろうし、また一つの霊魂の全体について言っていないことにもなるだろう。(しかしこの欠点をまたいわゆるオルペウスの詩の中の言論も持っている。すなわちその言論によれば、霊魂は生物が呼吸する時、風に運ばれて〔宇宙〕全体から〔身体の中へ〕入ってくるのであるが……。(山本光雄訳)
これについてPhilop. p. 186, 24
「いわゆる」と云った所以は、その詩句がオルペウスのものとは考えられていないからであり、これは〔アリストテレース〕自身も『哲学について』[fr. 7 Rose]の中で言っているとおりである。つまり、教説は彼〔オルペウス〕のものであるが、これを詩句の形にしたのはオノマクリトスであると謂われているのである。
AELIAN. V. H. VIII 6
往昔のトラキア人は、文字の心得のある者が一人もいなかったという。……そういう理由でオルペウスすら 彼もトラキア人であったのだから、知者であったはずはない、彼についての伝承は、いい加減な作り話で真実ではない、とまで言う人もあるほどである。右はアンドロティオーンの説[fr. 36 FHG I 375]であるが……。
TATIAN 41 p. 42, 4
オルペウスは、ヘーラクレースと同時代人であって、とくに、彼に帰せられている詩は、ペイシストラトスの息子たちの治世の、第50オリュンピア祭期[前580-577年] に生まれたアテーナイの人オノマクリトスによって作られたものだと言われている。オルペウスの弟子が、ムゥサイオスであった。
(12.)
DAMASC. d. princ. 124 [I 319, 8 Ruelle]
オルペウスの〔作品〕として、ペリパトス派のエウデーモスに帰せられる『神統記』[fr. 117 Speng]は、思惟的対象の全体については沈黙したが……「夜」を始源とした、これは、たとえ連続した系譜は作り上げていなかったとしても、ホメーロスも始源と定めたところのものである。というのは、〔ホメーロスは〕オーケアノスとテーテュスから始めている[ホメーロス『イーリアス』 XIV 302「神々の始祖はオーケアノスと母テーテュスである」とエウデーモスが言っているのに同意すべきではないからである。というのも、「夜」が、ゼウスでさえこれ〔夜〕を尊崇するほどの最大の神であることを〔ホメーロスは〕知っているように見えるからである。〔ホメーロス曰く〕「なぜなら、脚速き「夜」の気に入らぬ所業は〔ゼウスに〕憚られたからである 」[『イーリアス』 XIV 261]。ともかく、ホメーロスは、当の本人も「夜」から始めているとしよう。他方、へーシオドスは、最初にカオスが生まれたと歴史記述して、カオスを、思惟的対象の、捉えがたく完全に統一された自然本性と呼び、そしてそこからゲー〔大地〕を、神々の系統全体の一種の始源として[最初に]導き出したように私には思われる。万が一、カオスを二つの始源の二番目のものとするなら、ゲーとタルタロス〔奈落〕とエロース このエロースは三番目なのではなく、環帰(ejpistrofhv)によって観照されるものとなる(これはオルペウスが『叙事詩』の中でそう名づけているところのものである) という三重の思惟的対象となる、というなら、話は別だが……。
[Vgl. 123=60 K (316, 18 R)
されば、伝えられているオルペウスのこれらの『叙事詩』においては、思惟的対象に関する神統記は次のようなものであり、哲学者たちも解説しているところのものである、つまり、彼らは、すべてのものの唯一の始原にクロノスを措き、双つの〔始原〕にアイテラとカオスを措き、端的な有として卵をはじきだし、そうしてこの三幅対を第一〔原理〕としている。第二の〔三幅対〕に算入されるのは、神が孕まれた卵と孕んだそれ、ないし、輝く皮膜、ないし、雲で、これらからパネースが躍り出るからである。もちろん、その中間については彼らは時と所に応じて各様に哲学論議しているが……第三の〔三幅対〕には、理性としてメーティス、能力としてのエーリケパイオス、父としてのパネースそのものが〔算入される〕……このようなものが、オルペウスのよく知られた神統記である。
ACHILL. isag. 4 p. 33, 17 Maass
われわれが天球に与えている構造は、卵におけるそれに近似であるとオルペウス教徒は言う。すなわち、卵における殻が有する比は、万有において天が有するそれであり、天によって霊気が円形に吊り下げられているように、卵膜も殻に吊り下がっている。]
(13.)
DAMASC. 123 bis [I 317, 15 R]
しかし、ヒエローニュモスとヘッラニコスによって伝えられているもの(すなわち、オルペウスの『神統記』)は、次のような内容である。「初めに水と」とそれは謂う、「大地がもたらされるところの素材とがあった、これら2つ、つまり、水と土を始原として最初に提示しているのである……この二つ〔の始源〕に続いて第三の始源がそれら(わたしが謂っているのは水と土である)から生じたが、これは、しっかり生えついた牡牛と獅子の頭を有するドラコーンで、中間には神の顔があり、両肩には翼があって、同一のものが不老の時間またはへーラークレース名づけられていたという。これには「必然」が結びついていて、〔「必然」は〕自然本性はアドラステイアとも同じで、非体として全宇宙に腕を伸ばして、その際涯に触れている。これは、思うに、有性に立つ第三の始原が言われているのであろう、尤も、万有の誕生の原因を示すために、それ〔第三の始原〕を両性具有のものとしたという点は別にしてだが……このドラコーンつまり「時間」は、三幅対の子孫を生む。「湿ったアイテールと」とそれは謂う、「無限のカオス、これらに加えて第三番目として、霧のようなエレボスである……もちろん、その間に時が卵を生んだ……これらに加えて三番目に非体的な神を。これは両肩に黄金の翼を持ち、両脇には生えついた牡牛の頭を持ち、頭部にはあらゆる種類の動物の形に似たドラコーンを持っている……そうしてこの神統記は、プロートゴノスとして称讃し、万有と宇宙全体の配当者たるゼウスと呼んでいる。それ故にパーンとも呼ばれている、と。
ATHENAG. 18 p. 20 Schw.
……オルペウスはといえば、それら[神々]の名前を創案し、その誕生を詳述し、おのおのによって実行されたかぎりのことを云い、彼ら〔ギリシア人たち〕のもとでより真実を神話すると信頼されていたのである。ホメーロスもまた、神々について多くの事柄を最も多くの点で彼に追随し、自身も、「オーケアノス、万有にとって誕生が生じたところの」[Il. XiV, 246]と、それらの最初の誕生は水からできたとしたのである。すなわち、彼〔オルペウス〕によると、水はあらゆるものの始源であり、この水から泥が形成され、両者から生まれたのがドラコーンという生き物であり、これは生えついたライオンの頭を持ち、それらの中央には神の顔があって、その名は、へーラークレースとかクロノスである。このへーラークレースは、巨大な卵を生んだが、これは生み落としたものの暴力に満たされ、摩擦によってすぐさま二つに分割された。かくて、その一番高い部分が最終的にウゥラノスとなり、下方部分の方は、大地となった。一種の二身の神も出てきた。ウゥラノスはゲーと交合して、女性としてはクロト−、ラケシス、アトロポスを、男性としては、へカトンケイル、コットス、ギュゲース、ブリアレオス、キュクロープスたち、つまり、プロンテース、ステロペース、アルゲースをもうけた。〔ウゥラノスが〕この者たちを縛り上げ、タルタロスに投げ落としたのは、自分がわが子たちによって権力の座を追われることになるだろうということを聞き知ったからである。そのためにゲーは怒って、ティターン族を生んだ。
そこで女主人ガイアは、ウゥラノスの跡継ぎたちを生んだ、
この者たちを呼び名でティタンたちとも〔人々が〕呼ぶのは、
彼らが、星と輝く偉大なウゥラノスに憤いをさせた(teisavsqhn)からである。
(14.)
[DEMOSTH.] c. Aristog. I 11
容赦なく峻厳な「正義」をも〔尊重しなければなりません〕。これは、わたしたちのために最も神聖な秘儀を創始してくれたオルペウスの謂うところでは、ゼウスの王座の傍らに座り、人事一切を見張っているという。
(15.)
MARM. PAR. FGrHist. 239 A 14 II 995
<オイアグロスとカリオペーの>息子<オルペウス>が、自作の詩、つまり、『コレーの誘拐』、『デーメーテールの探索』、そして<彼女によってもたらされた『穀物の種子』 大地の実りを受け取る多衆[?]にこれを教えたのは彼女である を公刊して以来……
Vgl. Themist. or. 30 p. 422 Dind.ORPH. ARGON. 26
デーメーテールの彷徨と、ペルセポネーに対する大いなる悲嘆、そしていかにしてテスモポロスとなったかについて。
(15a.)
PAPYR. BEROL. 44s. II v. Chr. [Berl. Klassikertexte v 1, 8].〔オルペウス版『デーメーテール讃歌』をパラフレーズしたもの。〕
col. 1, 1ff.
<オルペウスは、オイアグ>ロスと<ムゥサ>のカリオペーの<息子であって、ムゥサ>たちの王たるアポッローンが、<これに霊感を吹き込んだ。それゆえに、> 彼は神に憑かれたものとなって、さまざまな讃歌を作ったのである。> 〔それらの讃歌をば〕ムゥサイオスが若干<手直しをした上で記録した。> また、彼はヘッラス人たちにも<非ヘッラス人たちにも、オルペウスの狂祭>を尊崇することを教えた。<そして> おのおのの崇拝対象<ごとの>秘儀と密儀と<浄め>と予言<にこの上なく配慮して>いた。デーメーテール<女>神を……
col. 2, 1 ff.
<彼女のことを>、<オ>ルペウスはゼウスの姉妹であると伝えたが、ある人たちは母であると〔伝えた〕。これらのどれひとつとして、敬神者たちの記憶にとどめられるべきではない。なぜなら、〔密議は〕ゼウスとデーメーテールの娘 <オーケア>ノスの娘たちに付き添われて<菫を編む>ペルセポネー とにはじまりをもつからである。その娘たち名前は、オルペウスの詩<によると次のように>なっている。(以下、ホメーロスの『デーメーテール讃歌』 418, 420-423に続く)。
col. 3:
[ペルセポネーは、水仙を摘んでいたときに、アイドネウスによって誘拐される。ゼウスは、雷鳴と稲妻の間に黒い豚たちを一緒に遣って、兄弟の加勢をする。それらにはアルテミスとアテーナーが結び付けられている。デーメーテールはシケリアから当地へと駆けつける。]
col. 4
〔デーメーテールは〕わが身の不運をかこち、娘のことを嘆いていた。すると、カッリオペーとクレイシディケーとデーモーナッサが、王妃の供をして水汲みにやって来て、死人か何ぞのようなデーメーテールに対して、彼女が何の用あってここに来たのかと問いただしたと、ムゥサイオスがその詩を通じて言っているところである。
[クロッカスとヒヤシンスの祭式使用の意味(?)が述べられる。ホメーロスの『デーメーテール讃歌』8 ff. (水仙)の詩句が続く。]
col. 5:
[アイドネウスの逃走(=ホメーロスの『デーメーテール讃歌J 17, 32-36、ヘカテーへの言及。]
col. 6:
[バウボー(王妃)は、デーメーテールに自分の息子デーモポーンを委ねる。彼は神膏を塗られ、夜中火焔であぶられて驚くほど成長する。バウボーはその魔術を見て、叫ぴ声をあげる(=ホメーロス『デーメーテール讃歌』249, 250)。それを受けて、デーメーテールは言う。]
過酷な目に遭い、<身に降り懸かる悪しきことも>善きことも、<あらかじめ知ることのできぬ>愚かな人間たちよ。
[続きは剥落。その後にホメーロス『デーメーテール讃歌』262が続く。その子どもは焼け死ぬ。]
col. 7:
[女神がその正体を顕す:]
われこそは、四季を導き輝く贈り物を授けるデーメーテール。天上のいかなる神が、あるいは死すべき人間のうちのだれが,ペルセポネーを拐かし、<その愛らしい心を>たぶらかしたのか?
[ケレオスの帰郷の記述が続き、その後、トリプトレモスへの言及(本欄19行目)までパピルス欠損。結末は7, 20:]
ここから「冥界降り」と言われている。
(16.)
APOLLON. RHOD. I 494
……オルペウスもまた
495 竪琴を左手で持ち上げ、歌を試みた。
かれは歌った、大地と天と海と、
かつてまだ一つの形で混ざり合っていたものが、
いかにして恐ろしい争いから別々に切り離されたかを。
また星辰と、月や太陽の進む道とが、いかにして
500 つねに定められた位置を天上に占めているかを。
またいかにして、山々が盛り上がり、うなりをあげるあまたの河が
水にすむニンフとともに現われ、地をはうすべての生き物が生まれたかを。
かれはさらに歌った、最初にオピオンと、オケアノスの娘
エウリュノメが雪深いオリュンポスを支配したことを。
505 そして二人とも両腕の力に屈し、夫はクロノスに、妻はレイアに
支配権を明け渡し、オケアノスの波間に落ちて行った次第を。
ゼウスがまだいたいけな心をもっ少年で
ディクテの洞穴に住んでいた聞は、かれらが至福の神の
ティタン族を治めていた。大地生まれのキュクロプスたちはまだ
510 いかずちと稲妻と雷鳴でゼウスの力を固めていなかった。
じじつ、これらのものがゼウスに栄誉を授けるのだ。(岡道男訳)
(17.)
[I. G. XIV n. 638 Kaib. Harrison―Murray Prolegomena 1. Auflage S. 661ff. Comparetti Laminette Orfiche (Fir. 1910) 32].
そなたは見つけるであろう、はーでーすの館の左側に泉を、
その傍らに白い糸杉が立っているのを。
この泉には、そばに近づくことさえしてはならない。
ただし別の泉を見つけるであろう。ムネーモシュネーの湖から
流れ出している冷たい水を。しかし、その前には見張り人たちがいる。
こう云うがよい。「われはゲーと、星きらめくウゥラノスとの子、
さらにわが生まれは天空の種族。このことをそなたらも心得よ。
われは渇きのために喉が干掴びて死にそうだ。いざ、すぐさま与えよ、
ムネーモシュネーの湖から流れ出ている冷たい水を」。
すると彼らは、神の泉から水を飲むことを許すであろう。
そしてその後、そなたは<他の>英雄たちの間で統治者となるだろう。
〔[註]ペテリア出土の金板=死者に道標と身元を示すものとして持たされた。紀元前4-3世紀。〕
(17a.)
[B. C. Hell. XVII 121. Harr.―Murr. 662. Comp. 37]
A:私は、渇きのため、喉が干涸びて死にそうです。
B:さあどうぞ、糸杉のある、右側の永遠に流れる泉から飲んでください。あなたは、どなたですか? どちらからいらっしゃっているのですか?
A:私は、ゲー(大地)と、星芒輝くウゥラノス(天空)の息子です。
〔クレタ島エレウテルナイ出土の金版(紀元前2世紀)。〕
(18.)
[I. G. XIV, 641, 1. Comp. 1]
わたしは清らかな者どもの中からやって来ました、地界の清浄なる女王よ、
エウクレース、エウブゥレウス、そして他の不死なる神々よ。
というのも、わたしも御身らの至福なる種族に属することを祈願するからですが、
しかるにモイラがわたしを打ちひしぎ、他の不死なる神々も
<***> と星辰から放たれた雷撃<***>
そしてわたしは、悲痛と困難をひき起こす円環から飛び去って、
脚の速さにまかせ、憧れの花冠へと足を踏み入れ、
そうして地界の女王デスポイナの懐に入ったのです。
それからわたしは脚の速さにまかせ、憧れの花冠を後にしました。
「汝、至福にして最も浄福なる者よ、汝は死すべきものではなく、神である」。
わたしは仔山羊として乳の中に落ちた。
〔トゥリオイ出土の金版。17と同時代。〕
(19.)
[I. G. XIV, 641, 2. Comp. 21]
わたしは清らかな者どもの中からやって来ました、地界の清浄なる女王よ、
エウクレース、エウブゥレウス、そして他の神々たる神霊たちよ。
というのも、わたしも御身らの至福なる種族に属することを祈願するからですが、
正義ならざる所業のための償いを払ったからです。
モイラが私を打ちひしいだにせよ( ?)く* * *
***>雷光と雷撃によって。
そして今、嘆願者として、高貴なるペルセポネイアのもとに来ているのです。
わたしを清らかなる者たちの住まうところへと送ってくださるようにと。
〔トゥリオイ出土の金版。〕
(19a.)
Diels in Kleinerts
Philotesia (Berl. 1907) 39. Comp. 43.
わたしは清らかなる者どもの中からやって来ました、地界の清浄なる女王よ、
エウクレース、エウブゥレウス、高貴なるゼウスの子よ、してわたしは、
人間たちの間で歌にうたわれるこのムネーモシュネーの贈り物を持っています。
「カイキリア・スクゥンディナよ、さあ、お入りなさい、あなたは法に従って神となったのです」。
〔ローマ出土の金板。〕
(20.)
[I. G. XIV 642. Comp. 6]
しかし魂が太陽の光を置き去りにしてしまうや否や、
万事ぬかりなく用心して、進むべき方向である右側へ入って行きなさい。
ようこそ、受苦の経験者よ。これほどの苦しみをかつて経験したことはなかった。
そなたは人間から神となった。仔山羊として汝は乳の中に落ちた。
ようこそ、ようこそ、右の道を進んで、
神聖なる平原とペルセポネイアの社へと至りし者よ。
〔トゥリオイ出土の金版。〕
(21.)
[Diels, Orphischer Demeterhymnus (Fest-schr. f. Gomperz) S. 1ff. Comp. 10].
キュベレーの血筋であるコレーは、最初に生まれた母なるゲーに謂った。
……デーメーテールの……万みそなわすゼウスよ……
太陽よ、火よ、御身はあらゆる街を通り行くであろう、御身がニケーたちと
テュケーたち、かつまた、きわめて機略に富むモイラと姿を見せたときに、
そこで御身は、確かに、御身の支配権によって輝きを増大させる。
誉れ高き神霊よ、御身によって、すべては制圧され、すべては支配され、
すべては雷撃に打たれる。モイラの業は、どうあっても耐えられねばならぬ。
断食をする母が<堪え忍ぶことを>心得ており、断食の七夜あるいは昼間( ? ) じっとしていたら、
火は、私を母のもとに連れて行こうとした。
彼女はあなたのために 7日間断食をしていた。オリュンポス山に住まうゼウス、すべてを見ている
太陽よ……
* * *
〔トゥリオイ出土の金版。〕
(22.)
CLEM. Strom. V 49 (II 360 St.)
エピゲネスーも、その著『オルペウスの詩について』の中で、オルペウスにおける固有の表現を明らかにし, 「湾曲した枠の付いた杼で」は「鋤で」を意味し、 「縦糸に」は「鋤の畝溝に」を意味し、そして「織り糸」が「種子」を寓意的に表し、「ゼウスの涙」は「雷雨」を指し、さらにまた「モイラたち」は「月の位相」、すなわち、月の30日と15日と朔日を示している、と言っているではないか。オルペウスは、そこから、モイラたちを「白い服を装っている」と呼んでいるのである。それは、月相が光によるものだからという理由による。さらにまた、この神々について語る者[オルペウス]によって、「春」は、その本性ゆえに「花」と言われ「夜」は、休息のゆえに「休閑期」と言われ、そして「月」は、それが呈する顔のゆえに「ゴルゴーンの顔」と呼ばれ、また「人が種を蒔くべき時期」は「アプロディテー」と呼ばれている。
(23.)
[Greek Papyri from Gurob edited by G. Smyly,
Cunningham Memoirs n. 12, Dublin 1921 n. 1; M. Tierney Classic. Quart. 16 (1922) 77].
……見つける<べく>
……………………
……秘儀のために
私は、父親(ティタン)<たち>の償いとして犠牲の喉を切った
……ブリモよ、私を助け給え
デーメーテールとレアー……
武具を身につけたクゥレスたち……
われわれは......
美しい供物を作るために……
……牡羊と牡山羊は……
数限りない捧げ物……
そして、川の側の草原で……
牡山羊の……
彼に、残った肉を食べさせよ
清めをうけぬ者に見せるな
……に捧げながら……
……請願〔空白アリ〕
そして私は……とエウブゥレウスを呼ぶ
……私……呼び出す
……あなたは、……をすっかりかわかして……
われわれにデーメーテールとパラスの……
王よ、イリケパイゴスよ、私を救い給え
パネースを……。唯一なるディオニュソス。もろもろの象徴……
……懐の中の神……
……私は飲んだ……瞳馬、牧人……
合い言葉……。上下に……
そしてあなたに与えられたものを費やす……
籠の中へと投げ入れる
松毬、ロンボス、骰子
……鏡〔空白アリ〕
〔紀元前3世紀初めの密議に関するパピュロス(その一部は再生羊皮紙、右側の欄の大部分は欠損。〕
2015.10.19.
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