前5世紀のアルゴスの女流詩人。
後代の伝承(Paus.2.20.7によれば、兜を着けていることを示す彼女の像がアルゴスにあったことから、おそらくはアルゴス起源の)によれば、アルゴスがクレオメネス1世にセペイアの戦い(前494年頃)で敗れた後、女性たちを武装させ都市を救ったという(paus. 2.20.8: Plut. Mor. 245c-f)。ヘーロドトス(6. 76ff.)は言及していないところから、出来事はそこに引かれた神託をもとにつくられた物語であることを示唆している。
9編の断片が伝存しているが、もとは讃歌であったらしい。抒情的な合唱歌で書かれている詩は、少女たちの合唱隊にために構成されている(PMG fr. 717)。残欠の中ではアルテミスとアポッローンが重要である。神話的な叙述が残っているが、強い地方色を示す。「テレシレイオン」という韻律(― ―∪∪― ∪―)は、彼女の名前にちなんだものである。
(OCD)
[底本]
D. Campbell, Greek Lyric IV, Loeb Classical, Harvard, 1992
断片1 Anth. Pal. 9. 26. 5 = テッサロニケーのアンティパテール
音に聞こえしテレシッラ
断片2 Euseb. Chron. Ol. 82.2〔451/450 BC.〕
喜劇詩人のクラテスとテレッシラと抒情詩人のバッキュリデースが名声を博す。また、プラクシッラとクレオブゥリナも有名である。
断片3 Plut. Mul. Virt. 4. 245c-f
女たちによって共同で成し遂げられた業績のうち、いずれにも劣らず有名なのは、アルゴスをめぐってのクレオメネスとの争い〔c. 494 BC〕であるが、これは、女詩人テレシッラ の使嗾によって争われたものである。言い伝えでは、彼女は有名な家柄の出身であっ たが、病身であったため、健康について神に〔お伺いを立てる使者を〕遣わした。す ると、ムーサ女神たちに仕えるべしとの託宣が彼女に下されたので、神に聴従して、歌 (ode)と音楽に専念したところ、たちまちにして病苦から解放されるとともに、その 作詩術ゆえに女たちから驚嘆されるにいたったという。
ところが、スパルタ人たちの王クレオメネスが〔アルゴス人たちの〕多数を殺害し て(むろん、7000人に加えること777人というのは、一部の人たちの作り話にすぎないにしても)この都市に侵攻してきたとき、年ごろの女たちに、祖国のために敵から自衛しようという霊的な衝動と大胆さとがわき起こった。そして、テレシッラの嚮導のもと、武器を執って、胸壁のたもとに位置を占めて、ぐるりと周壁〔の上〕を取り巻き、敵たちを驚かせることになった。かくして、多くの味方が斃れたものの、クレオメネスは撃退した。また、もう一人の王デーマラトスの方も、ソクラテスの主張 では〔F.Gr.H. 310 F6〕、進入して、パムピュリアコンを占拠していたのを駆逐した。このようにして、国が復活すると、……
プルタルコス「女たちの勇徳」
断片4 Paus. 2. 20. 8-10
[8]
劇場の向こうにアプロディーテーの神域がある。その像の前に、歌の女作家テレシッラが標柱に浮き彫りされている。そして、あの詩集は彼女の足元に投げ出され、本人は片手に提げた兜に見入り、〔この兜を〕頭に被ろうとしている。テレシッラは、女たちのなかでも何かと評判が高かったが、詩作によって一段と高い尊敬を受けていた。ところが、アルゴス勢と、アナクサンドリデースの子クレオメネース率いるラケダイモーン勢との間に言語に絶する不運が生じ、ある者たちは戦闘の最中に落命し、アルゴスの杜に避難したかぎりの者たち、これらの者も壊滅した――最初は休戦条約に従って杜を出たのに殺され、残りは、欺かれたと知って〔出なかったために〕、杜ごと焼き殺された――、こうしてクレオメネースはラケダイモーン勢を率いて、男たちのいないアルゴスに向った。
[9]
このとき、テレシッラは、家僕たちや、若年や老齢のせいで武器を執ることができなかったかぎりの者たち、その全員を市壁の上にのぼらせ、自分は、家々に残っていた武器や神域にあった武器を集めて、年齢的に盛りにある女たちを武装させ、自分も武装すると、敵勢の来襲を察知した地点に配置した。かくて、ラケダイモーン勢が近づくや、女たちもその吶喊に驚倒することなく、これを受けとめて頑強に闘いつづけた。かかる事態に、ラケダイモーン勢は、女たちを壊滅させれば自分たちの武勲はけちをつけられようし、失敗すれば災禍に悪罵まで添えられると考えて、女たちの前に尻込みした。
[10]
これよりも先に、この戦闘をピュティアが予兆をあらわし、その神託(logion)を、わかってかどうかはともかく、ヘロドトスが明らかにしている。
されど、女が男に勝利して
撃ち退け、アルゴス人たちに誉れを輝かすとき、
アルゴスの数多の女たちに両頬をかきむしらせよう。
断片5 Max. Tyr. 37. 5
スパルタ人たちを鼓舞したのはテュルタイオスの詩句、アルゴス人たちはテレシッラの叙情詩、そしてレスボス人たちはアルカイオスの歌。
Loeb717 Heph. Ench. 11. 2
さて、イオーニア調には、次のような7/2〔3+1/2〕詩脚という特徴がある。テレシッラがこれを用いている。
aJ d j !ArtemiV, w[ kovrai,
feuvgoisa to;n =Alfeovn
そしてアルテミスは、おお乙女たちよ、
アルペイオス河神をのがれて
Loeb718 Athen. 14. 619b
アポッローンに寄せる歌は、filhliavV,だとテレシッラが伝えている。
太陽讃歌
Loeb719 Paus. 2. 35. 2
アポッローンの神殿が3棟と奉納物〔神像〕が3体ある。1体には添え名がないが、1体は、「ピュタエウスの」と人々は名づけ、第3のものは「境界の」と〔人々は名づけている〕。「ピュタエウスの」という名はアルゴス人たちから学んだものである。というのは、テレシッラの主張では、アポッローンの子であるピュタエウスがこの地にたどりついたのは、ヘッラス人たちのうち、彼ら〔アルゴス人たち〕のところが最初であったから。
Loeb720 Paus. 2. 28. 2
この山〔コリュパイオン山〕の頂上には、アルテミス・コリュパイア〔「頂上に坐すアルテミス」の意〕の神域がある。これにはテレシッラも歌の中で言及している。
Loeb721 [Apollod.] Bibl. 3. 46s.〔ニオベーの子どもたちについて〕
男たちの中で助かったのはアムピオーン、女たちの中では、ネーレウスが同棲した老女クローリスであった。しかしテレシッラによれば、助かったのはアミュクラとメリボイアであって、アムピオーンも彼ら〔アポッローンとアルテミス〕に射殺されたという。
beltiwtevras。
「より善き女たち」〔の意〕。テレシッラ〔の用語〕。
Loeb723 Athen. 11. 467f
アルカディア女テレシッラは、脱穀場のこともdi:noV 旋回場と呼ぶ。
ou[lokivkinne 縮れ毛よテレシッラが述べた形。
Loeb725 Schol. A Hom. Od. 13. 289
「美しく丈の高い」。これをも見た目に端正でしとやかなという意味を与えている。あたかも、クセノポーンやアルゴス女テレシッラが、アレテー〔徳〕やカロカガティア〔善美〕の影像を描写するように。
Loeb726 MISCELLANA(雑)
(i) Phot. Bibl. 168
(女流詩人たちとしては……)テレシッラ……。
(ii) [Censorin.] de Musica(Gramm. Lat. vi 608 Keil)
アルゴスのテレシッラもまた短詩の制作者であった。
(iii) Schol. Theocr. 15. 64〔テオクリトスのテキスト「女たちは何でも知っている、ゼウスはいかにしてヘーラーと結婚したのかということさえも」に対する古注パピルス(c. 500 AD.)〕
60行目、「女流詩人テレシッラを」と書いたうえで抹消されている。
64行目、「この女流詩人に驚嘆する」、その右に「彼女らのひとりに驚嘆する」