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「ヘルメス神像毀損事件」関係資料(1/3)






1 Thucydides



『戦史』第6巻

 第27節


 だがそのとき、アテーナイ市内にあった石柱像が(これは四角柱に細工を施した像であって、土地の習慣によって市民の家の入口や、聖域に、数多く建立されていた)、そのほとんどのものが一夜のうちにことごとく、*顔面部を打ち壊されるという事件が起きた。その犯人一味については誰も知る者がなかったが、国家より多額の賞金が犯人の首にかけられて捜査がつづけられた。さらに、これに限らずその他にも何らかの不敬涜神の行為がなされた事実を知っている者は、市民、他国人、奴隷のべつを問わず、これをすすんで密告した場合には罰をうけない、という旨の付加的な議決がなされた。市民らはこの事件に対して、常ならぬ深刻な気持を抱いた。というのは、これは*遠征軍の前途に不吉な兆であると思われたのみか、政変、つまり*民主政治の倒壊を狙う陰謀がその裏にあった、と取り沙汰されたからである。

 *「顔面部」
  原語はprosopa。しかし、壊されたのが、はたして、顔であるのか、それとも、ヘルメス神像の最も特徴的なはずの勃起した男根部であるのか、議論の的である。
 *「遠征軍の前途に不吉な兆」
  本来、ヘルメーは道しるべの神ヘルメースを象徴し、旅行者を保護し導くものとされていた。それを故意に破壊する如き涜神の徒と共にある者たちは、みな一様に神の怒りにふれて処罰される、と人々は信じたであろう。さもなくばこれほどの大政治事件に展開するわけがない。(注 久保)
 *「民主政治の倒壊を狙う陰謀」
  この事件に複雑な関係をもっていたアンドキデースは、事件後16年、399年にべつの事件から又もやこの問題が蒸返されたとき、『密儀事件について』と題する自己弁護をおこなって身の潔白を論証している。この文書によれば(67節)、アンドキデース自身の属した政治結社の団結をはかるために、エウピレートスなる人物がこのような暴挙を提案した、という。命がけの共犯意識で、仲間の結束をかためようとしたのである(三・*八二、中巻101頁注11-14)。(注 久保)
 *「したがって党内の相互の信頼も、神聖な誓いによって結束されたものは少なく、多くは共犯意識によって固められていた」(?、82)


 第28節

 結局、*一部の居留民と、側近の従僕らの間から情報が洩れた。とはいえ、石柱像の一件については依然として不明であったが、これより先に他の神像などが、酒に酔った若者らの悪戯によって破損を蒙ったこと、あわせてかれらが個人の邸内で、不敬にも*密議の祭礼を真似てふざけていることなどが明らかにされ、そしてこれらの責任の一端はアルキビアデースにも帰されると、言われたのである。アルキビアデースにはかねてより政敵が多く、とくに*民衆派の領袖たらんとしていた者らは、かれの為に自分たちの地位が脅かされていると思って憎悪の念を強くしていたので、このときとばかりに密告者の情報を真にうけ、アルキビアデースさえ追い落すことができれば自分らが最有力者たりうると信じ込み、情報を誇張したのみか、密議の件も石柱像破損もみな、民主政治倒壊を狙う一派の仕業に違いないと騒ぎたてた。そしてこれら一連の行為にはみなアルキビアデースの手が加わっている、その証拠にはといって、かれの日常の生活諸面における、非民主的な乱行一般をことさらに披瀝したのである。

 *「一部の居留民と、側近の従僕らの間から情報が洩れた」
  その事情はアンドキデースの前掲文書(11-14)に詳述されている。シケリア遠征を協議していた民議会席上で、最初ピュートニーコスなる人物が、奴隷からの密告を証拠に、アルキビアデースら10人が密儀を模倣しかつ見物している、と弾劾し、次に居留民のテウクロスがさらに詳しい情報を提供したという。そしてさらに2人の密告者があらわれた。これらによって告訴された人物の名前の幾つかは、かれらの財産が没収され競売に付された際の記録碑文にも現れている(IG.?.327.332; SIGI.96-103;Tod,Nrr.79-80;SEG.?.12-22) 。(注 久保)
 *「密議の祭礼」
  エレウシースの密儀宗教はアテーナイの国家が司るものであったが、生命の神秘をとくその奥義開示の儀式に加わるためには、清浄潔斎からはじまる数段階の手引きを経るべきものとされ、その一連の儀式の司祭はエウモルピダイが司り、余人には許されず、また儀式に参加を許された者たちも、その内容について濫りに口外してはならぬことになっていた。口の悪いアッティカ喜劇の作家たちも、それについては、沈黙を守っている。
 *「民衆派の領袖たらんとしていた者ら」
  民衆は指導権争いは、アテーナイ崩壊の主因として史家自身、先にも記している(上巻・253頁)。この事件究明の主導者たちの中では、
   アンドロクレース(八・65)、
   テッサロス(プルータルコス『アルキビアデース』19・3、22・4)、
   ペイサンドロスとカリクレース(アンドキデース上掲書36)
などの名前が伝えられている。このペイサンドロスは、八・49以下においては、民衆派を去って貴族派の独占政治を画策する中心人物、カリクレースもまた、最後には三十人独裁者の一人となって抗争を続けた。かれらにとって、民主主義も貴族派独占も、ひっきょう政権争奪のためのスローガンに過ぎなかったのである。(注 久保)


 第29節

 アルキビアデースは即座に、かくのごとき密告の内容に対して自己の潔白を弁明しようとした。そして遠征出発に先立って(この時既に、諸準備も完了していたのである)、果してこの事件の一端にでもかれの手が加わっているかどうか、これを問う裁きに応じようと言った。もし真実己れの行為に帰される点があるならば処罰に甘んずる、しかし身の潔白が証明されたなら、指揮官職にとどまる、と。そしてかれは証しを立てて真剣に懇願した、自分が遠征の途についてから、不在の身によせられる非難や中傷を絶対に取り上げて貰いたくない、もし自分に非があるなら、その前にここで今死刑に処すべきである、そして、これほど重大な嫌疑を受けている自分を、その黒白の裁きもおこなわずして、かくも大規模な軍勢の統帥として派遣するのは、甚だしく思慮を欠くことであろう、と。するとかれの政敵は、今この場でかれと黒白を争えば、遠征参加の将兵の気持はかれに味方するにちがいない、また一般市民も、アルキビアデースの工作によってアルゴス勢と一部マンティネア勢も遠征に同行することになった事実を知っているから、かれの地位を傷つけまいと寛大な処置をとるのではないか、と危惧した。そこでかれらは急いで鋒先を転じて懸命に他の政治家どもをけしかけて、この際アルキビアデースを出航させるべきである、遠征軍の船出を阻害すべきではない、アルキビアデースの裁判は帰還後一定期間内におこなえばよい、と言わしめた。かれら政敵の考えでは、本人さえ留守であれば、今回にもまさる中傷の種を見つけることも難くない、それを楯にかれを召喚し、護送されてきたところを、裁判に付して争おうとしていたのである。こうして、アルキビアデース出航の一件が議決されたのである。


 第30節

 かくのごとき顛末ののち、シケリア島攻撃軍が出港したのは、その*夏も半ばを告げる頃であった。……(以下、中略)


 *「夏も半ば」
  出航の期日はほぼ6月後半〜7月半ばと推定される。今回の遠征費用として数次にわたって資金がアルキビアデース、ニーキアース、ラーマコスに手交された旨を記す碑文断片が残っている(IG.?.302;Tod,Nr.75;SEG.?.34;?.228)。これをもとに出航の日付を算出する試みが繰り返されているが、確認しがたい。(注 久保)


 第60節

 これらの事実にアテーナイの一般市民は深く心をわずらわせ、またかねてよりこれらの出来事をめぐる伝承から学び知った教訓をあらたに思いおこしたので、今回の密儀の事件について咎をうけた者らに対して過酷な態度を示し、猜疑の念をゆるめようとはしなかった。そしてこれら一連の出来事はみな、貴族政治、ひいては独裁政治の樹立をはかる陰謀に端を発している、と思いこんだのである。このような理由からかれらが激するに及んで、多数の知名人物が投獄されるに至ったが、なおそれでも民心は収まる様子もなく、かえって日ましには激しさを増し、さらに多数の人物を逮捕せねば止まぬ趨勢となった。ちょうどそのとき、投獄されていた者たちの一人が――かれこそ主犯であると目されていたのであるが――、やはり同罪で獄中にいた一人物に入知恵されて、誠と嘘とつきまぜて、事件を密告する気になった。というのは、かれの言い分は真否いずれとも解釈できる性質のもので、この事件の犯人について真相は当時だれも明白にすることができなかったし、*その後も杳として不明である。ともあれ、入れ知恵した人間はこう言って相手を説き伏せた、つまりもし君自身が潔白であったとしても、先ずは自分の生命安全の保証を得るべきであり、かつポリスからは現在巷にみちる猜疑心をとり除くべき義務がある。君自身にとってもこの際、安全の保証と引き替えに自白したほうが、自白を拒絶して法廷に引きだされるよりも、救われる可能性は大きいからだ、と。こうして、かの密告者は石柱像破損事件について、すすんで己れやまた他の者たちにとって不利な告白をおこなったのである。すると、アテーナイの市民らは、その時まで、自分らの民主体制を中から崩さんとする陰謀派を摘発できぬとは何たること、と激していた矢先であったので、この自白こそ真相を明かすもの、と喜んでこれを受け入れた。そして即刻この密告者を釈放し、またかれが罪を着せなかった仲間の者たちをも、釈放したのであるが、反してかれが咎を着せた者たちに対しては裁判を開き、逮捕拘引された限りの者たちを一人残らず死刑に処し、追跡を逃れた者らにも死罪を宣すると同時に、かれらを殺害した者には賞金を与える旨を公示した。だがその間にも、刑罰を受けた者らが、はたして不当な処罰を受けたかどうかさえ明らかにならなかったが、当事者以外の市民らはみな、明らかにこの当座の処置によって安堵したのであった。

 *「その後も杳として不明」
  アンドキデース(64-65)は、自分の告白の真実性は当局の調査によって立証された、と述べている。じじつ、それが受けいれられたことは、史家も述べているがしかし何故か、史家自身はそれだけを事実とは見做さず、さらに深い疑いを抱いている。
 当時の、市民の猜疑と不安が、翌春上演のアリストパネース『鳥』の劇的な動機となっている。このような施錠に嫌気が差した二人の主人公が、展開と地界のあいだに鳥の王国を建設するという、笑うに笑えぬ物語がここに展開される。(注 久保)


 第61節

 さてアルキビアデースについては、かねて遠征軍出発以前からかれの失脚を狙っていた政敵一味が、その後なおもかれに中傷を加えつづけたので、一般のアテーナイ市民らはかれに対して険悪な感情を抱くにいたっていた。そしてかれらは石柱像の件に関する真相をつきとめたと信じ込むや、今までよりもさらに積極的にこう考えた。アルキビアデースにも一半の責があるといわれた密儀冒涜事件も、じつはかれが主唱して全く同一の趣旨のもとに、つまり民主政治崩壊をねらう陰謀派によってなされたものに違いない、と。というのは折も折、ちょうどかれらがこの事件で騒然となっていた時機に、大した数ではないが*ラケダイモーンからの軍勢が、ボイオーティア人からの要請にこたえて交渉をまとめるために、コリントス地峡に進出して来た。アテーナイ市民らの解釈によれば、ラケダイモーン勢のこの動きもボイオーティアとは本来関係はなく、アルキビアデースが裏面工作して、相互の了解のもとにおこなわれたものであり、また間一髪の差で自分たちがかの自白に従って容疑者を逮捕するのが遅れていたなら、アテーナイは内部の裏切者によって敵に渡されていたにちがいない、と考えられた。じじつ、かれらはこの危惧のあまり、一夜を徹して城内のテーセウス神殿に詰めて、武装したまま寝に就く、ということすらあった。また同じ頃、アルキビアデースと親交のあるアルゴス市民が、同国の民主政治倒壊の陰謀をおこなっているという嫌疑をうけ、その為に、アテーナイ人は島嶼に拘留中のアルゴス市民の人質を、処刑させるためにアルゴス民議会に引き渡すという事件も生じた。こうして四面からアルキビアデースに対する嫌疑が張りめぐらされるに至った。その結果ついに、市民らはかれを裁判にかけて処刑することを望み、その目的のために、アルキビアデースや密告の対象となったその他の者たちを召喚すべく、快速船サラミーニア号をシケリアに派遣したのである。

……(中略。アルキビアデースは亡命する)……


 他方アテーナイ本国では欠席のまま裁判がおこなわれ、アルキビアデースとその一味の者らに対して死刑が宣告された。

 *「ラケダイモーンからの軍勢」
  その具体的目的は不明、アンドキデースによれば(45)、300名に対する逮捕状が発せられたとき、ボイオーティア勢はアテーナイ内部の不穏な情勢に乗ずべく、国境付近まで進出して来た。(注 久保)

    トゥーキュディデース『戦史』久保正彰訳(岩波文庫)
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