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back.gifAndocides第4弁論・解説

Andocides弁論集

第4弁論

アルキビアデスに対して





[1]
 今にして、国事に接することがいかに危ういことかを認識したのみならず、国家公共事の一つに従事する前から、それが困難なことだと私は考えていたのである。しかしながら、善き市民のやるべきことは、進んで大衆に先んじて危険に身を挺すること、そして、私的な敵意を恐れるあまりに公的なことを差し控えるようなことのないことだと私は信じている。すなわち、私的なことに従事する者たちによっては国々がより強大化することはないが、公共事に従事する者たちによっては、強大にして自由になるのである。

[2]
 後者の一人と認証されることを私は望むがゆえに、最大の危難に見舞われてしまった。なるほど、私はあなたがたが熱心で善き人物であるのを知っており、それこそが私の救いであるが、しかし、最多にして最も恐るべき敵たちを私は持っており、その連中によって中傷されているのである。ところで、目下のこの争いに賭けられているのは、〔勝利の〕花冠ではなく、国家に何ら不正していないにもかかわらず、10年間亡命しなければならないかどうかなのである。そして、その褒賞を賭しての争いの当事者は、私とアルキビアデスとニキアスであり、そのうちの一人がその災禍に見舞われざるを得ないのである。

[3]
 ところで、この法の制定者は非難に価する。民会と評議会との宣誓に反対なことを立法したからである。なぜなら、そこにおいては、何人をも裁判なしに国外追放にも投獄にも死刑にもしないとあなたがたは宣誓しているのに、ただ今は、告発もなく、弁明も認められず、匿名で投票に付されて、陶片追放に遭った者は、かくも長期間、国を奪われねばならないのだからである。

[4]
 しかも、かくのごとき場合には、同志や結社員を所有している者たちが、その他の者たちよりも有利となる。諸々の民衆法廷とは違って、抽籤者たちが審判するのではなく、本件に関する権利を有するのは全アテナイ人たちだからである。さらに、これに加えて、ある者にとっては不備だが、ある者にとっては行き過ぎなのがこの法だと私に思われる。なぜなら、私的な不正事に対してはこの報復は大きすぎると私は確信しているが、公的な不正事に対しては、罰金や投獄や死刑によって懲らしめることができるのに、罰は小さすぎて何の価値もないと私は考えるからである。

[5]
 さらに、なお、何びとかが邪悪な市民であるという理由で排斥される場合、この者は、ここから退去しても、〔邪悪であること〕やめるはずもなく、どこに住もうと、その国家を堕落させ、その国に策謀することであろう。放逐される前に劣らず、いや、もっと甚だしく、かつ、もっと義しく。特に、思うに、とりわけ今日という日、あなたがたの友は心をいため、敵たちは歓喜している。愚かにもあなたがたが最善者を国外追放し、10年間、国はその人物から何ら善きことを被ることがなくなるのを知るがゆえである。

[6]
 さらに、次の点からも、この法が邪悪であるのを認識するのは容易である。すなわち、ヘラス人たちのうち、これを適用しているのはわれわれだけであり、その他の国々はいずれも模倣しようとはしていないからである。しかるに、決議されている諸々の布告の中で最善の布告とは、多数者にも少数者にも最高に調和的で最多の欲求者を有する布告なのである。

[7]
 さて、以上の事柄については、もっと長々と話す必要があるとは思わない。何はともあれ、目下のところ、これ以上にはやめておこう。だが、あなたがたにお願いしたいのは、言説の公平な、そして、私たちに共通の判定者となること、このことに関して全員が執政官として就任すること、悪罵する連中にも不当に贔屓する連中にも任せておくことなく、進んで言い且つ聞く者には優しいが、不埒にして騒ぐ者には気難しくあるようにと。双方から委細を聞けば、あなたがたは私たちに関してより善く評議できるはずだからである。

[8]
 そこで、民主制嫌いと闘争仲間に関して手短な説明が私に残されている。なぜなら、私が裁判を受けたことがなかったのなら、当然ながら、あなたがたが告発者たちに耳を傾け、私にとってはそれについて弁明するのが必然であったろう。だが、私は四度争訟して〔そのたびに〕無罪放免となったのだから、もはやこれについて議論の余地はないのが義しいと私は考えている。なぜなら、審判を受けるまでは、罪過が虚偽であるのかどうか、真実であるのかどうか、知ることは容易ではない。だが、無罪放免になったか、有罪判決を受けたかした時には、そのいずれかであると最終決定され確定したのである。

[9]
 それゆえ、恐るべきことだと私が信ずるのは、宣告を受けた者たちは、たった一票の差でも、死刑になり、その財産を没収されるが、勝訴した者たちは、再び同じ告発を甘受し、裁判官たちには破滅させる決定権はあるが、救済する決定権も権限も有さないということ。とりわけ、法習は、同一事件について同一人物に対して、二度、判決を下してはならないと禁じているにもかかわらず、また、あなたがたも、法習を適用すると宣誓しているにもかかわらず、ということである。

[10]
 以上の理由で、私については捨て置いて、アルキビアデスの人生に言及したい。ところが、過ちの多さゆえに、しかもそのすべてが相当なものなので、どれから始めたらよいか、私は困ってしまうのである。そこで、姦通や他人の妻たちの掠奪やその他の暴行や違法については、一つずつ言わねばならないとするなら、持ち時間が足らなくなるであろうし、同時にまた、同市民たちの多くにも、自分たちの災禍を公表したといって憎まれるであろう。そこで、国家に対して、また、親類の者たちに対しても、その他の市人たちや外国人たちの関係者たちに対しても、彼が何をしでかしたを明示しよう。

[11]
 そこで、先ず第一に、彼が説得したのは、諸国に対する賦課、アリステイデスによって何よりも義しく課せられていたのを、あなたがたが初めから決め直すことであり、そのために自分が10人の一人に選ばれ、同盟者たちの各々にそれをおよそ二倍にしたが、自分を恐怖すべき者・強大な権力を握った者として示し、共有物から私的な収入をこしらえたのである。そこで、あなたがたの考察すべきは、いかにすれば、人は、次のことよりも大きな害悪をこしらえられるかである。つまり、われわれの救いがすべて同盟者たちに依存しており、彼らが、周知のごとく、以前よりも今の方がもっと具合が悪い時に、その各々に賦課を二倍にするならばである。

[12]
 それゆえ、あなたがたがアリステイデスを善き市民にして義人と考えるなら、この男を最悪の人物と看做すのがふさわしい。諸国に関して前者とは反対の判断をしてたからである。実際のところ、以上の理由で、多くの人たちが自分たちの祖国を後にして亡命者となり、トゥリオイに住むべく立ち去ったのである。したがって、私たちとラケダイモン人たちとの間に海戦が起こるや、まっさきに同盟者たちの敵意が明らかとなったのである。したがって、私はこういう指導者を邪悪な指導者だと信じているのである。目先のことには配慮しているが、将来についても気にせず、大衆にとって最善のことは等閑にして、最も快適なことのみを忠告するような指導者を。

[13]
 さらに、私が驚くのは、アルキビアデスが民主制を、何にもまして共有を選ぶと思われているような国制を欲求していると説得されきっている人たちに対してである。彼らは私的な事柄を基に彼を観察することもない。貪欲と傲岸を眼にしていてもである。例えば、カリアスの妹を10タントン付きで娶り、ヒッポニコスがデリオン攻撃の将軍となって亡くなるや、さらに同額を追加徴収した。彼が同意していたというのである。彼の娘に子どもが生まれた時には、それを追加しようと。

[14]
 さらに、ヘラス人たちの誰も手にしたことのないほどの持参金を手に入れながら、あまりの暴慢者であっ たので、遊女を、奴隷女のも自由女のも、同じ一つ家に連れこみ、その結果、貞淑きわまりない妻が出てゆかざるをえなくさせた。法にしたがって執政官のもとに赴くためである。じつにこの時ほど、彼が自分の権力を見せつけた時はなかった。すなわち、同志を呼び集めて、妻を市場から力ずくで引っさらい、執政官たちをも法習をもその他の市民たちをも蔑ろにしていることを万人に明らかにしたのである。

[15]
 さらに、これだけでは足りずに、カリアス暗殺まで策謀し、それはヒッポニコスの家を占領するためであったが、これは民会においてあなたがた全員の前で彼が告発しているとおりである。そこで彼は、子なきままに亡くなるようなことがあった場合には、財産を民衆に与えることにした。家産ゆえに破滅させられはすまいかと恐れたからである。もちろん、彼は孤独でもなければ不正されやすい人物でもない。富のおかげで支援者を多く持っているからである。それにもかかわらず、自分の妻を凌辱し義兄弟の殺害を策謀するようなこの男が、同市民たちの中の巡り逢わせた者たちに対してやってのけると予期すべきは何であろうか。いかなる人間も、親しい者たちの方を他人よりは大事にするからである。

[16]
 しかし、何よりも最も恐るべきことは、こういう人間でありながら、民衆に好意的であるかのごとき言説をなし、他の人たちを寡頭制的なやつとか民主制嫌いとか呼んでいることである。しかも、その生活態度ゆえに処刑さるべきであった男が、離反者たちの告発者としてあなたがたによって選出され、国制の守護者なりと主張し、他のアテナイ人たちの誰に対しても、同等はもちろん、わずかでも多く、取得することは認めない。むしろ、彼がどれほど蔑ろにしてきたか、その甚だしさたるや、全体としてはあなたがたに追従しながら、一人一人には泥を塗るというふうに過ごしてきたのである。

[17]
 この男はどれほどの向こう見ずに陥ったことか、――絵描きのアガタルコスにいっしょに家に来るよう説得し、家に描くよう強制し、すでに別の人たちとの契約があるからそうすることができないと、懇願し真実の理由を言っているのに、いますぐに描かなければ、監禁してやると彼を脅した。そのとおりのことをしたのである。そして、彼がやっと解放されたのは、4か月目に、番人たちに気づかれないよう、まるで王のもとからのように逃げ去った時だったのである。しかるに、この男は破廉恥にも、彼のもとに赴いて、不正されたとして訴え、自分が暴行に及んだことを悔いることなく、仕事をやり残したといって脅迫し、民主制も自由も何の役にもたたなかったのである。並の奴隷たちに劣らず監禁されていたのだからである。

[18]
 まったく、思い致せば憤慨に堪えないのは、あなたがたにとっては、悪行者たちでさえ牢獄に連行するのは危険なしとしない。票の五分の一を獲得できなければ、課せられた1000ドラクマを支払わなければならないからである。しかるにこの男は、これほどの長時間幽閉し、絵を描くよう無理強いしたのに、何らの悪を被ることもなく、それがためにより尊大かつより恐るべき人物であるように思われる。ところで、他の諸国に対しては、協定によって、自由人を幽閉することも投獄することも許されないとわれわれは取り決めている。だから、踏みにじる者あらば、これに対して大きな罰を定めている。しかるに、この男がそういうことをする場合には、何ら私的な報復も公的な報復も為す者は誰もいないのである。

[19]
 ところで、私の確信するところは、万人にとっての救いとは、執政官たちと法習に聴従することだということである。したがって、これらを無視するような者は、国家から最大の守護者を除去したようなものである。確かに、正義の何たるかを知らぬ連中によって虐待を受けることも恐るべきことではあるが、しかし、相違を承知している者が敢えて踏みにじる場合は、困難きわまりないことである。なぜなら、この男のように、公然と見せつけて、自分が国家の法習を聞き入れるのではなく、あなたがたが自分のやり方を聞き入れるよう言い張っているからである。

[20]
 さらに、少年合唱隊奉仕者としてアルキビアデスの競争相手であったタウレアに思いを致していただきたい。ところで、法の命じるところでは、歌舞団の中に外人の競演者がいれば、望む者がこれを連れ出してよく、それを企てる者を妨害することは許されないとあるが、あなたがたと、観劇に来ていたその他のヘラス人たちと、国内にいて居合わせたすべての執政官たちとの面前で、この男は彼を打擲して引っ張り出し、観衆も後者に味方して前者を憎むあまりに、合唱隊の一方を称賛し、他方を聞くのを拒んだほどであったが、後者はそれ以上のことは何もしなかった。

[21]
 いや、審査員たちのある者は恐れから、ある者は贔屓によって、前者の勝利を審査したのである。宣誓の方をこの男よりも軽視して。当然のことながら、審査員たちはアルキビアデスに取りいったのだと私には思われる。彼らは、タウレアスの方は、おびただしい金品を出費しはしたが、泥を塗られたのに反し、他方は、そういったことを為しはしたが、最大の権力を握っているのを眼にしたからである。したがって、責任はあなたがたにあるのだ。凌辱者たちに報復せず、目立たぬ不正者たちは懲らしめるが、公然と不埒を働く連中には驚嘆する。

[22]
 これこそが、若者たちの暇つぶしの場が体育錬場ではなくして民衆法廷であり、年長者たちは出征するが、若年者たちは民会演説し、この男を手本とするのである。犯した過ちの過度さたるや、メロス人たちに関して意見を表明して奴隷人足に落とし、虜囚たちの中から女を買い取ってこれに息子を生ませたが、この息子の生まれの違法さはアイギストスよりも甚だしく、お互いに最も敵対的な者どうしから生まれついたのであって、最も親愛な者たちの極端な悪を、一方は為し他方は受けるということが彼の属性なのである。

[23]
 しかし、この男の無謀さをもっとはっきり陳述するに価する。すなわち、彼が子をなしたその女は、これを彼は自由人ではなく奴隷の身分に落とし、その父親と親類を処刑し、故国を壊滅させ、かくして、息子を自分と国家にとっての最高の敵と為した。これほど数々の必然によって、彼は憎しみに心を占められたのである。しかるに、あなたがたは、悲劇の中でそういったことを観劇すると恐るべきことと看做すのに、国内に生じるのを眼にしても何ら気にしない。しかも、前者は、現実に起こったのか作家たちの創作なのか知らない。ところが後者は、現実に違法に実行されたのをはっきりと知りながら、無頓着に堪えているのである。

[24]
 さらに、以上のことに加えて、この男について、このような人物は一人としてかつて生まれたこともないと敢言している人たちがいる。だが、私の確信するところでは、最大の害悪を国家はこの男によって被ることになろうし、将来にわたってとんでもない事件の責任者と思われて、誰もそれ以前の不正事を思い起こさないほどであろう。人生の初めにこのような初めをこしらえた者は、終わりをも途方もない終わりを遂げるであろうと予期するのは、無理からぬことだからである。だから、思慮深い人たちのすることは、市民たちの中の増上慢たちを見張ることである。僣主たちが就任するのはこういう連中によってであることに思いを致すからである。

[25]
 さて、私の考えでは、この男は以上のことに対しては何ら抗弁しないであろうが、オリュムピア祭における勝利について発言するであろうし、告発されていること以外なら、どんなことについてでも弁明するであろう。しかし、まさにそれゆえにこそ、この男は死刑になる方が救われることよりもむしろふさわしいのだということを私は証明しよう。では、あなたがたに詳述しよう。

[26]
 ディオメデスは、一揃いに戦車競走用馬を引き連れてオリュムピアに出かけた程々の家産しか所有していなかったが、現有財産によって国家と家に花冠をもたらしたいと望み、戦車競技は大部分運によってきまると計算したからである。この男からアルキビアデスは、相手は市民ではあったが常連ではなく、自分はエリス人たちの競技役員に権力をふるっていたので、競走馬を取り上げて自分が競技したのである。実際のところ、あなたがたの同盟者たちの中の誰かが、一揃いに戦車競走用馬をもってやってきたら、彼は何をしたであろうか。

[27]
 定めし、自分の競争相手になるようすぐに仕向けたことであろう。アテナイ人に暴行してでも他人の馬によって敢えて競争した彼が、ヘラス人たちに明らかにしたのは、自分たちの中の誰かに暴行したとしても何ら驚くことはないということであった。というのは、同市民たちをさえ平等に扱うことはなく、ある人たちからは取り上げ、ある人たちは打擲し、ある人たちは幽閉し、ある人たちからは罰金を徴収し、民主制を何の意味もないものと判明させているからである。つまり、言うことは民衆指導者の言説、することは僣主の所業を提起するが、それは、あなたがたが名称は気にするが、行為はなおざりにするのに気づいているからである。

[28]
 実際、彼はいかほどラケダイモン人たちと相違していることか。後者は競争相手の同盟者たちによってさえ負かされても我慢するが、この男は同市民たちにささえ〔我慢〕せず、何かを求めての競争相手に任せるつもりはないと公然と言ってきているのである。だから、そういったことから推して、私たちの〔同盟〕諸国が敵国人たちを欲求し、逆に私たちを憎むのは必然的なのである。

[29]
 しかし、ひとりディオメデスのみならず、国家全体をも凌辱していることを見せつけるために、供儀の前日の祝勝祭典のために使いたいからと、祭具を神聖使節たちに強請し、騙して返却を拒んだが、それは、黄金製の手水鉢と香炉を、次の日に、国家より先に使用したいと望んだからである。そこで、外国人たちのうち、それが私たちのものであることを知らない人たちは、国家公共の祭列が、アルキビアデスの祭列よりも後なのを眼にして、彼の祭具を使用しているのが私たちだと信じた。そして、市民たちから聞くなり、あるいはまた、彼のことを後で知るなりした人々は、私たちを嘲笑した。一人の男が国家全体よりも大きな権力を握っているのを眼にしたからである。

[30]
 さらに、他にも、オリュムピア行きに際して、彼がいかに過ごしたか考察していただきたい。この男のために、ペルシア風の天幕は、エペソス人たちが公的な天幕の二倍もあるのを造営し、犠牲獣と馬具飾りはキオス人たちが準備し、酒その他の消耗品はレスボス人たちに下命したのである。しかも幸運なことには、ヘラス人たちを違法と収賄の証人としてもちながら、何一つ償いをしたこともなく、一国内で役人となった者は、執務報告の義務があるのに、

[31]
 この男は全同盟者たちの役人でありながら金品を取得したにもかかわらず、そういったことに何一つ義務を負わず、そういったことを仕遂げながら、プリュタネイスでの給食に与かり、なおその上に常勝するのである。あたかも、国家に花冠をもたらしてきたほどには不名誉をもたらしてはこなかったかのようにである。しかし、あなたがたが考察したいと望むなら、この男によって何度も為された行為のどれ一つとっても、たまさかこれを為した者は、家を滅亡させるのを見られよう。しかるにこの男は、あらゆる贅沢を極めながら、家産を二倍にして所得しているのである。

[32]
 実際のところ、物惜しみし、しみったれた暮らしをする連中は愛財家であるとあなたがたは信じておられるが、その認識は正しくない。なぜなら、大きな浪費をする連中こそ、多くのものを欠いているから、さもしさきわまりない人間だからである。だが、あなたがたが明らかにぶざまきわまりないことをすることになるのは、この男を、あなたがたの財貨をもとにそういったものを稼いだ者として歓愛するのに、ディデュミオスの子カリアスの方は、花冠をもたらす競技という競技において身体を使って勝利したのに、そのことには何ら注目せず、自分の労苦によって国家に名誉をもたらしたのに、陶片追放したという場合である。

[33]
 さらに、祖先たちをも想起していただきたい。いかに善き人たちにして思慮深い人たちであったことか。キモンを、自分の妹と同棲したという違法ゆえに、陶片追放した人たちが。なるほど、彼自身がオリュムピアの優勝者であったのみならず、彼の父はミルティアデスであった。にもかかわらず、人々は勝利は何も計算に入れなかった。競技によってではなく、行いによって彼を審判したからである。

[34]
 いや、そればかりではない。一族について考察しなければならないとするなら、私にとっては、この問題についてどこをとっても該当しない――私たちの身内には誰もこの災禍に見舞われた者はいないと証明できない人は誰もいない――逆にアルキビアデスにとっては、全アテナイ人たちの中で最も適当するのである。というのも、母の父親メガクレスと祖父のアルキビアデスとは、両者とも、二度、陶片追放されたのだから、祖先たちと同じことを要求されても、何ら驚くべきことも奇妙なことも被るわけではないのである。実際のところ、彼自身といえども、あの者たちはその他の人たちの中で最も違法的な連中ではあったが、自分ほどには思慮深くも義しくもなかったといって抗弁するつもりはあるまい。少なくとも、この男によって為されたことに見合っただけの告発をできる者は一人としていないであろうからである。

[35]
 さらに、この法の制定者も次のような考えを有していると私は信じている。つまり、市民たちの中で、執政官や法習よりも有力な者たちに注目して、こういった連中に償いをさせることは私的にはできないから、不正されている人たちに代わって公的な報復を備えるべきだと。ところで、私は、公共の場においては、四度、すでに判定を受けおわり、私的にも訴訟を起こしたいと望む者を誰も妨害したことはない。しかるにアルキビアデスは、このようなことをしでかしながら、かつて一度も裁きを受けようとしたこともない。

[36]
 困難さのあまりに、過去の不正事に関して彼に報復することなく、将来のために恐れ、悪く被った者たちにとっては我慢することが役立つが、この男にとっては、将来も何でも望むことを遣り遂げないかぎりは、満足できないのである。しかしながら、おおアテナイ人よ、私が陶片追放されるのは適切だが、まして死刑になるのは至当ではないとか、また、裁きを受ければ無罪放免になるが、受けなければ亡命する〔のが至当だ〕などということは無論なく、また、これほど度々争訟して勝訴しながら、そのせいで再び国外脱出するのが義しいと私は思うこともできないだろう。

[37]
 確かに、私が危険を冒した際には、中傷が小さかったか、告発者たちがつまらぬ連中であったか、あるいは、黒幕の敵たちがありきたりの連中であって、私と同じ罪を持った者たちの二人の人を死刑にしたほど、言行ともに最強の連中ではなかったかもしれない。しかし、追い出すのが義しいのは、何度も糾明して、何ら不正でないとあなたがたが見つけたような相手をではなく、人生についての申し開きを国家に差し出すのを拒む者たちである。

[38]
 だから、恐るべきことだと私に思われるのは、何びとかが死者たちについて、不正に破滅させられたといって弁明を要求する場合には、企てる者たちに我慢しないということ。が、何びとかが、無罪放免になった者たちを、同じ罪で再度、告発する場合には、生者と死者について同じ考えを持つことがどうして義しくないことがあろうか。

[39]
 さて、アルキビアデスのやることは、彼は法習や宣誓を気にせず、あなたがたが踏み越えるよう教えようと企て、他の人たちを追い出し処刑することには無慈悲だが、自分が嘆願し涕涙することにかけては憐をさそう。このことも私は驚かない。彼によって多くの悲嘆に価することがしでかされたからである。しかし、いったい、いかなる人たちに思い至れば、彼は懇願して説得できるのか。若者たちか。これを大衆と離間させてきたのである。不埒な振るまいと、体育訓練の解体と年齢不相応な行動とによって。それとも年長者たちをか。彼はこの人たちと何ら等しいようには生きてこず、この人たちの生き方を軽蔑してきたのであるが。

[40]
 しかしながら、償いをさせる際に配慮するべきは、それは違法行為者そのもののためばかりでなく、その他の者たちのため、彼らが連中を見て、より義しくより思慮深い者となるためでもあるということである。それゆえ、私を国外追放すれば、あなたがたは最善者たちを戦々恐々たらしめることになろうが、この男を懲らしめれば、不埒な連中をより遵法的な者と為すことになろう。

[41]
 さらに、あなたがたは私によって為されたことを想起していただきたい。すなわち、私は使節となって、テッサリアへ、マケドニアへ、モロッシアへ、テスプロティアへイタリアへ、シケリアへ赴き、ある人たちとは仲違いしていたのと和解し、ある人たちは親密と為し、ある人たちは敵たちから離反させた。実際のところ、使節の各々が同じことを実行していたら、あなたがたはわずかな数の敵国人たちを持ち、多くの数の同盟者たちを所有していたことであろう。

[42]
 さらに、公共奉仕に関しては、言及しようとは思わない。ただし、次のことだけは別である。つまり、私が課せられたものを出費しているのは、共有物からではなく、私有物からだということである。しかも、私は男らしさ競技、松明競走、悲劇の競演に勝利してきたが、合唱隊奉仕者の競争相手を打擲することなく、法習に力及ばなくても恥じたこともない。とにかく、市民たちの中でこのような人間は、亡命よりはむしろ留まることの方がはるかに適切であると私は考えるのである。
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