パライパトス

 神話編纂家、(前4世紀後半?)『信じ難き事どもについて(Peri apiston)』を書いたが、伝存するのは引用のみ。この中で神話は合理化されている。ビュザンチン時代に相当な影響を与えた。「パライパトス」はおそらく偽名である。(OCD)

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信じ難き事どもについて(De incredibilibus)

"T".1
パライパトスの『信じ難き事どもについて』
"P".1
 以下は、信じ難き事どもについてわたしの著したものである。
 というのは、人間どものうち、信じやすき者たちは、知恵や知識に精通していないので、何でも言われたことに説得されるが、自然本性的に厳密で詮索好きな者たちは、そういったことの何かが起こったということさえまったく信じない。しかしわたしには、言われていることはすべて起こったように思われる(なぜなら、名前(njnovmata)のみは生じたが、これをめぐる話(lovgoV)は何もないということはなく、事実が先ず生じて、しかる後にそれをめぐる話(lovgoV)があるのだから)。
 かつては実際に生じたが、今は存在しないと言われているかぎりの姿や形態、そんなものは過去にも生じたことはない。なぜなら、<何かあるものが>かつて他所でも生じたなら、今現在も生じるし、未来にも在るだろうから。そこで少なくともわたしは、メリッソス〔Diels-Kranz 30 B 11〕やサモス人ラミスコス〔ピュタゴラス派。cf. DL III-22〕といった著作者たちを称讃するのが常である、「初めに」と彼らは言っているからである、「生起したものらが在り、今後も在るだろう」と。しかるに、過去に生起した事柄のあるものらを、詩作者たちや史伝作家たちは、人びとを驚嘆させるために、より信じ難い、より驚くべきことに逸脱させた。そこでわたしは知るのである、実際に言われているような、そういう事柄はあり得ないと。しかし、こういうことをもわたしは理解した、もしも過去に生じなければ、言われることもなかったろうと。
 実際わたしはほとんどの地方に出向き、これらの〔話の〕それぞれについてどう聞いたかと古老に問いただし、彼らから聞き知った事どもをわたしは著すつもりである。そして、それらの地方がそれぞれどういうふうであるかを自分で見、それを書き記した。言われているとおりではなく、自分で赴いて、調査記録したとおりのことを。

1."T"
[ケンタウロスたちについて]
1.1
 ケンタウロスたちについて、言い伝えでは、全体は、頭を除いて、馬の姿であるが、〔頭は〕人のそれを持った獣として生まれたという。ところが、そのような獣がいたと説得されるひとが誰かいるとしても、それは不可能なことだ。なぜなら、馬の自然と人の自然とは、もともと、一致しないし、食べ物も同じではなく、人間の口と喉を通して馬の食べ物が通過することは可能でもないからである。また、そのような姿がかつて存在したのなら、現在もあるはずである。真実はこうである。
 イクシーオーンがテッサリアの王であったとき、ペーリオン山中に牡牛たちの狂暴な群がおり、これが山の残りの領域をも足を踏み入れられないものにしていた。というのは、人の住まいする地域にまで降りてきて、牡牛たちが樹木や果実を害し、軛につながれる〔家畜〕類を壊滅させていたからである。そこでイクシーオーンは、牡牛たちを亡きものにする者あらば、この者に多大な金銭を与えよう、との布令を出した。ところで、山麓 — ネペレーと呼ばれるある村 — 出身の何人かの若者たちが、馬たちに人を乗せることを教えることを考えついた(それまでは、馬の背に乗ることを知らず、戦車に使うだけであったから)。こういう次第で彼らは馬の背に乗って、牡牛たちのいるところに向かって疾駆させ、群に襲いかかって投げ槍を浴びせかけた。そうして、牡牛たちに追われたときは、若者たちは逃げ切り(馬たちの方が俊足だったからである)、牡牛たちが立ち止まったときは、彼らは反転して投げ槍を浴びせかけた。そして、こういう仕方で、やつらを亡きものにした。まさにここから、ケンタウロスたちはその名を得たのであり、彼らが牡牛たちを撃滅した(katekentavnnusan)からである(牡牛の姿に由来するのではない。ケンタウロスたちに牡牛の要素は何も属しておらず、馬と人の姿なのだから)。
 こういう次第で、ケンタウロスたちはイクシーオーンから金銭を受け取ったが、その事業と富を自慢し、傲慢となり、多くの悪行を、当のイクシーオーンに対してさえ、働いた。彼〔イクシーオーン〕は、現在ラリッサと呼ばれる都市に住んでいた(当時は、この地方に住んでいる人たちは、ラピタイ人と呼ばれていた)。そこで彼ら〔ラピタイ人たち〕は彼ら〔ケンタウロスたち〕を饗宴に招いたとき、〔ケンタウロスたちは〕酩酊して、彼ら〔ラピタイ人たち〕の女たちを引っ攫い、これを馬に乗せて、屋敷に逃げ去った。そこから彼ら〔ケンタウロスたち〕は出陣して、彼ら〔ラピタイ人たち〕に開戦し、夜陰にまぎれて平野に下り、待ち伏せ、夜が明けると、引っ攫い、放火し、山中に引き上げた。こういうふうにして、彼らが立ち去るとき、遠くから目にした人たちには、背後から、馬の、頭を除いた背中と、男たちの方は、脚を除いたその残りだけが見えた。そこで、異様な光景を目にした人たちは言いならわした、「ネペレー〔村〕出身のケンタウロスたちがわれわれを蹂躙した」。この光景と言葉(lovgoV)からこそ、信じがたいことだが神話が作り出されたのだ、雲(nefevlh)から山の中に馬-人が生まれた、というふうに。

[他の出典]
Pindar, Pythian 2.21-48 (cf. Schol. 40b, 82b); Dioodorus Siculus 4.69.4-5; Apollodorus, Epitome 1.20; Servius on Aneid 6. 286.
 ケンタウロスたちとラピテース族との闘いはよく知られた神話である。Odyssey 21. 295-304 (cf. Iliad 1.267-68; 2.742-44); Hesiod, The Schild of Heracles 178-90: Pindar, frag. 166 SM; Diodorus Siculus 4.70.3-4; Ovid, Metamorphoses 12.210-535: Plutarch, Theseus30; Apollodorus, Epitome 1.21.

2."T"
[パーシパエーについて]
2.1
 パーシパエーについて神話として語られているところでは、放牧されている牡牛を恋し、そこでダイダロスが木製の牝牛を作って、パーシパエーをこの中に閉じこめ、そうやって牡牛がのしかかって、この女と交尾し、彼女の方は妊娠して、人の身体と牛の頭を持った子を産んだという。しかしわたしは、こんなことが生じるということを否定する。なぜなら、先ず第一に、性器に合う子宮をもっていなければ、別種の動物が別種〔の動物〕に恋することは不可能である。例えば、犬と猿、狼とハイエナは、お互いに交尾することはできず、ブゥバロス〔大型レイヨウ〕が鹿と〔交尾すること〕もできず(異なる種だからである)、お互いに交尾したとしても、産むことはできない。さらに、先ず第一に、牡牛が木製の牝牛と交合するとはわたしには思われない。なぜなら、四足[動物]はみな、交尾の前に動物の性器を嗅ぎ、しかる後に相手に盛る。牡牛がのしかかることに女は耐えられないであろうし、女は角を持った胎児にも耐えられないであろうから。
 真実はこうである。ミーノースは、言い伝えでは、性器に痛みをおぼえたため、パンディーオーンの娘に治してもらい、その謝礼に犬ころと投げ槍を***ケパロスを。ところでこの時期に、美しさの点で抜きん出た若者がミーノースにつき随っていたのだが、その名がタウロスであった。これに対する恋情にパーシパエーが取り憑かれ、口説いて、交わり、かくて彼から子どもを産んだ。しかしミーノースは、性器に痛みをおぼえた時を逆算して、共寝しなかった故に、その子は自分の子でないと悟り、厳密に調べた結果、タウロスから生まれた子だと悟った。
 ところが、殺すことは、わが子たちの兄弟であるのだから、彼にはよいと思われなかった。そこで、これを山の中に送りだし、成長のあかつきには、牧夫たちの奉公人の運命に服することにさせた。ところが、この者は一人前になるや、牛飼いたちには聴従しなかった。で、ミーノースは聞き知って、命じた、彼を都市に連れ戻り、これを取り押さえるよう、そして、自発的についてくれば、解き放されたまま、さもなければ、捕縛して来るようにと。そこで若者は察知して、山に逃げこみ、家畜を引っ攫い、そうやって生きのびた。しかしミーノースがより多くの群衆を、彼を逮捕するために送りこんだので、若者は深い隧道を作って、その中に閉じこもった。ここに、残りの生涯いた彼のために、羊や山羊が投げこまれ、これを食べて生きながらえた。また、人が罰されることをミーノースが望んだときは、閉じこもっているこの者のところに送り込み、そうやって亡き者にした。敵であるテーセウスを捕まえたときも、ミーノースは、相手が殺されるよう、この場所に連行した。ところがアリアドネーが、牢獄の中に剣をあらかじめ送りこみ、テーセウスはこの中でミーノータウロスを亡き者にした***
 起こったのはこういうことであったが、詩人たちはこの話(lovgoV)を神話めいたものに逸脱させたのである。

[他の出典]
 この話の要素はHesiod, frag. 145 MW; Bacchylides 26; Euripides, Cretans。さらに、Diodorus Siculus 4. 77.1-4; Ovid, Metamorphoses 8. 131-33; 9. 736-40; Ars Amatoria 1. 289-326; Apollodprus 3. 1. 3-4; 3. 15. 8; Hyginus, Fabulae 40.

3."T"
[スパルトイについて]
3.1
 ある古い話(lovgoV)が言うところでは、カドモスが蛇を殺し、その歯を引き抜いて、自分の土地に播いた。そうすると、男たちと武具が生え出たという。もしもこれが真実なら、人間たちの誰ひとりとして、蛇たちの歯より何かほかのものを播くことはないであろう。また、もし他の土地には生えないのなら、少なくとも、ごく最近生え出たあの土地に播くことであろう。〔???〕ところが真実はこうなのである。
 カドモスは、生まれはフェニキアの男で、テーバイにやって来たのは、兄弟のポイニクスと王位を競い合うためであった。当時、テーバイ人たちの王は、アレースの子ドラコーンで、王が〔持つ〕かぎりの数多くのものを他にも持っていたが、とりわけ象の歯をも持っていた。カドモスはこれを殺して、自分が王位に就いた。そこでドラコーンの友たちは、彼に戦争を仕掛け、彼〔ドラコーン〕の子どもたちもともに、カドモスに叛旗を翻した。ところが、ドラコーンの友たちは、闘いに劣勢にあったけれど、カドモスの財産と、神殿に納められていた象の歯とを引っ攫って、家郷へ逃げ帰った。また各人各様に離散し、ある者たちはアッティカへ、ある者たちはペロポンネーソス、ポーキス、ロクリスへと〔離散した〕。ここから出陣し、テーバイ人たちへの戦争を続けたが、彼らは厄介な戦士たちであった、方言を同じくし、地理に精通していたからである。
 ところで、彼らが歯を分捕って逃げた後、〔テーバイの〕市民たちは次のことを言いならわした、「こういった害悪をカドモスがわれわれにしでかしたのは、ドラコーンを殺したからだ。あの方の歯から多数の善勇の士がスパルトイ〔「散らされた者たち」の意。「播かれた者たち」の意もある〕となって、われわれに対戦している」。
 この真実の事件が起こったことから、神話がこ拵えあげられたのである。

[他の出典]
Euripidesu, Phoenissae 657-75; 939-41; Pausanias 9. 10.1; Apollodorus 3.4.1; Hyginus, Fabulae 178.
 ドラコンの歯を播いたのはカドモスではなくアテーナーないしアレースだという異伝がある。Stesichorus, frag. 195 PMGF; Euripides, Heracles 252-53.

4."T"
[カドメイアのスピンクスについて]
4.1
 カドメイアのスピンクスについて言われているところでは、身体は犬のそれ、頭と顔は乙女のそれ、翼は鳥類のそれ、声は人間のそれを持った獣であったという。これがピキオン山に坐って、市民たちのめいめいに一種の謎のようなものを歌った。そして解くことができない者を見つけると、これを亡き者にした。しかしオイディプースが謎を解いたので、身を投げて亡き者となった。
 しかし、この話(lovgoV)は信じ難く、また不可能でもある。なぜなら、このような姿形が生ずることはできないし、謎を解くことができない者たちは彼女によって食いつくされるというのも、子どもじみているし、カドメイオイ人たちが獣を射殺さず、同市民たちが敵として食べ尽くされるのを見過ごしているというのも、ばかげているからである。
 そういう次第で、まことはこうである。カドモスは、アマゾーン女人族の女 — その名はスピンクス — を連れてテーバイにやって来て、ドラコーンを殺して、その財産と王国を、その後、ドラコーンの妹 — その名はハルモニアーをも、引き継いだ。ところがスピンクスは、彼が他の女を娶ることを察知して、市民たちの多くを自分といっしょに離反するよう説得し、金銭の大多数を引っ攫い、さらに、カドモスが連れてやって来ていた俊足の犬をも手に入れて、これらを伴って、ピキオンと呼ばれる山に向けて出発した。そしてそこからカドモスに戦争を仕掛けた。そうして、時宜を得て待ち伏せをし、分捕った者らを亡き者にした。そこで、カドメイオイ人たちは待ち伏を謎と呼んだ。そういう次第で、市民たちは言いならわした、「狂暴なスピンクスがわれわれを待ち伏せていて謎をかけて引っ攫う、山の上に座っている。謎〔の答え〕を見つけ出せる者は誰もおらず、正々堂々と戦うことも不可能だ。なぜなら、彼女は走るのではなく、犬でも女でもあって[こんなにも俊足であって]飛ぶのだから」。
 そこでカドモスは布令を出し、スピンクスを退治した者に莫大な金銭を与えようといった。すると、コリントスの男で、戦争の事にもすぐれ、俊足の馬を持っているオイディプースがやって来て、カドメイア人たちの軍団を作り、夜陰に乗じて出陣し、彼女を待ち伏せし、謎[すなわち待ち伏せ場所]を発見し、スピンクスを殺した。これらの事件が起こったところから、残りの部分が神話にされたのである。

[他の出典]
Euripides, Phoenissae 806-11; 1019-42; Asclepiades, FGrHist 12F7b; Diodorus Siculus 4. 64. 3-4; Apollodorus 3.5.8; Hyginus, Fabulae 67; Hypothesis, Aeschylus, Septem.
 スピンクスの犠牲者の中には、クレオーンの息子ハイモーンがいる。Oedopodea frag. 2 EGF.
 謎の最初の言及は Sophocles, Oedipus Tyrannus 130-31; 391-94.  謎とその答えは、Asclepiades, FGrHist 12F7a (=Athenaeus 10. 456b = Anth Pal. 14. 65); Apollodorus 3.5.8; Diodorus Siculus 4.64.3-4; Tzetzes on Lycophron 7.

5."T"
[テウメーシアの狐について]
5.1
 テウメーシアの狐についての言い伝えでは、カドメイオイ人たちを引っ攫ってむさぼり食ったという。お人好しのいうことである。人間を引っ攫って運び去ることのできるような陸上動物はほかにもいないが、狐は小さくて弱い〔動物だ〕からである。生じたのは、何か次のようなことである。
 美に而善なるテーバイ人で、アローペークス〔「狐」の意〕と呼ばれる者がいて、彼は狡知にたけていた。というのは、この人物は洞察力の点で万人を凌駕していたからである。そのため王は、自分に対して策謀するのではないかと恐れて、彼を都市から放逐した。そこで、あの者は多数の手勢や他にも傭兵を集めて、テウメーシオンと呼ばれる尾根を占拠した。ここから進発して略奪し、テーバイ人たちを連れ去った。そこで人びとは言いならわした、「アローペークスがわれわれを蹂躙して引き上げる」。
 しかし、名をケパロスという、生まれはアテーナイ人の男が、多数の手勢を率いてやって来て、テーバイ人たちを援助した。この人物がアローペークスを殺すとともに、その手勢をテウメーシオンから追い出した。以上のことが起こったので、あれらのことが神話として語られたのである。

[他の出典]
 テウメーサの狐は早くから、叙事詩の環『エピゴノイ』で言及されている。他に、Ister, FGrHist 334F65; pseudo-Eratosthenes, Catasterismoi 33; Ovid, Metamorphoses 7. 759-93; Apollodorus 2.4.6-7; Pausanias 9. 19.1; Antoninus Liberalis 41.7-1.; Heraclitus 30; Tzetzes, Ciliades 1. 553-72.

6."T"
[アクタイオーンについて]
1.1
 言い伝えでは、アクタイオーンは自分の犬たちによってむさぼり食われたという。だがこれは嘘である。なぜなら、犬は主人や飼い主を最も愛し、とりわけ猟犬たちはどんな人にでも尾を振るものだからである。しかし一部の人たちの謂うのには、アルテミスが彼を<鹿に変身させた>のであり、犬たちが亡きものにしたのは鹿であるという。しかしわたしに思われるところでは、たしかにアルテミスは何でもしようと思ったことができる。だが、人から鹿になったり、鹿から人になったりするのは真実ではない。これらの神話を詩人たちが組み立てたのは、聞く者たちが神的なものに対して暴慢とならないためである。
 で、真実はこうである。アクタイオーンは生まれはアルカディア人で、狩猟好きな人物であった。この人物は常時多数の犬たちを養い、山々で狩猟し、自分のことには無頓着であった。ところで、当時の人びとはみな自作農であって、家僕を持たず[、自分で耕作するのがならいで]、この人物もきわめて富裕者であった[自分で耕作し、また]きわめて働き者だったからである。ところがアクタイオーンは家業に無頓着で、ますます狩りに精を出したので、家産が破綻した。もはや持てる物が何もなくなったとき、人びとは言いならわした、「あわれ、アクタイオーン、彼は自分の犬たちにむさぼり食われた」と。今でも、人が放蕩してしくじると、「あばずれ女にむさぼり食われた」とわれわれが言う習慣があるようなものだ。何かこういったことこそ、アクタイオーンについても起こったのである。

[他の出典]
 アクタイオーンが自分の犬たちにむさぼり食われた原因については、いろいろ言われている。
(1)彼がゼウスの愛人セメレーに求婚してゼウスを怒らせたため(Acusilaus, FGrHist 2F33; Stesichorus, frag. 236 PMGF.)
(2)狩りの獲物の中から初穂をそなえる代わりに、アルテミスと結婚しようとしたため(Diodorus Siculus 4.81.4-5)
(3)アルテミスより狩りの腕が立つと自慢したため(Euripides, Bacchae 337-40; Diodorus Siculus, op. cit.)
(4)最もゆきわたっているのは、沐浴するアルテミスの裸身を見たためとするもの(Callimachus Hymn 5.107-18; Ovid, Metamorphoses 3.138-252; Apollodorus 3.4.4; Pausanias 9.2.3; Hyginus, Fabulae 180, 181.

7."T"
[ディオメーデースの馬たちについて]
7.1
 ディオメーデースの馬たちについての言い伝えで、人喰いであったというのは、大笑いである。なぜなら、この動物は、人間の肉よりは、むしろ秣や大麦を喜ぶのだから。
 真実はこうである。往古の人びとは自作農であったので、食糧も利得もおびただしく所有するのは、大地を耕すことによってであったが、ある者が馬を飼うことに取り憑かれ、馬たちを喜ぶあまりに、ついに自分のものを失い、あらゆるものを売り払って、馬たちの養いに消尽した。そこで友たちは、馬たちのことを「人喰い」と名づけた。これが起こったことから、神話が導き出されたのである。

[他の出典]
 ヘーラクレースの功業の第8番目。Pindar, frag. 169a SM; Euripides, Alcestis 494-96; Heracles 380-88; Ovid, Metamorphoses 9.194-96; Hyginus, Fabulae 30.9; Heraclitus 31; Quintus Smyrnaeus 6.245-48.

8."T"
ニオベーについて
8.1
 言い伝えによれば、ニオベーは、生きた女であったが、子どもたちの墓石の上で石になったという。しかし、人間から石になったり、石から人間になったりすると信じるような者は、お人好しである。真実はこうである。
 ニオベーの、子どもたちが亡くなったとき、石の像を作って、[子どもたちの]墓の上に立てた人があった。そこで通りすがりの人たちは、「墓石の上に石のニオベーが立っている。われわれにはそれが見える」と言うのが常であった。それは、今も、「青銅のヘーラクレースの傍にわたしは立っている」とか、「大理石のヘルメースのそばに」と言われるのと同様である。あのものもそういうふうであって、ニオベー本人が石になったわけではない。

[他の出典]
 この神話の最も古い典拠は、Iliad 24.602-17。最も詳しい話は、Ovid, Metamorphoses 6.146-312.

9."T"
[リュンケウスについて]
9.1
 言われるところでは、リュンケウスは、地下にあるものらさえ可視であるという。しかしそれは嘘である。真実はこうである。
 リュンケウスは、銅、銀、その他を採掘することを始めた最初の人であった。採掘する際には、燭台を提げて地下に降り、これはその場に置き去りにして、自分は金や鉄の袋を運び上げた。そこで人びとは言いならわしていた、「リュンケウスは地下にあるものらをも見ることができ、潜っていって、銀を運び上げる」と。

[他の出典]
 リュンケウスの視力がすぐれていたことは諺になっている(Aristophanes, Plutus 210; SudaLynceosの項)。
 Pindar, Nemean 10.61-63; Pausanias 4.2.7; Apollonius Rhodius 1.153-55 (cf. 4.1466); Apollodorus 3.10.3.

10."T"
[カイネウスについて]
10.1
 カイネウスのことを、不死身であったと言い伝えは謂う。だが、人間でありながら鉄器によっては不死身である者がいると想像するものは、甘い。真理はこうである。
 カイネウスは、生まれはテッサリア人、戦争の事にすぐれ、闘いの精通者であった。しかも、数々の闘いに参加しながら、決して負傷することなく、ラピテース族と共闘してケンタウロス族と闘ったときも、死ぬことはなかった。いや、〔ケンタウロスたちは〕彼をとらえ、生き埋めにしただけで、まさしくそうやって命終した。そこでラピテース族は、彼の死体を引き上げ、身体が傷を負っていないのを見出して言いならわしていた、「カイネウスは自余の生涯不死身であったし、死んでも不死身であった」と。

[他の出典]
 Hesiod, frag, 87 MW; Acusilaus, FGrHist 2F22; Ovid, Metamorphoses 12.189-209; Apollodorus, Epitome 1.22; Antoninus Liberalis 17.4; Hyginus, Fabulae 14.4; Heraclitus 3; Servius on Aeneid 6. 448; Schol. Iliad 1.264.

11."T"
[キュクノスについて]
11.1
 同じ話が、コローナイのキュクノスについてもある。というのも、あの者も不死身だったと言い伝えられているからである。彼もまた槍使いにして、戦闘の精通者であった。だが、トローイアで死んだのは、アキッレウスに石で撲殺されることによってであり、そのときでさえ傷を負うことはなかった。だから人々は、彼の死体を見て、彼は不死身であったと言いならわしていた。今も競技者たちのことを、不死身な人がいたら、そう言うように。そのようにあの人たちも、不死身と呼ばれたのである。
 しかし、この言説に異をとなえ、わたしに反証するのが、テラモーンの子アイアースである。というのも、あの人も不死身と言われたのだが、自分の手で剣に傷つけられて死んだのだから。

[他の出典]
 トローイア戦争の最初の日にキュクノスがアキッレウスに殺されたことは、ホメーロスには触れられていないが、『キュプリア』に見出される(EGF p.19=Allen p. 105)。また、Pindar, Olympian 2.82; Isthmian 5.39. 彼が不死身であることはAristotle, Rhetoric 1396b17; Sophocles, Poemenes, frag. 500 TrGF。ここでは、彼の不死身さは銅器と鉄器に限定されている。Ovid, Metamorphoses 12.70-145

12."T"
[ダイダロスとイーナコスについて]
12.1
 言い伝えでは、ミーノースは、ダイダロスと、その息子イーナコスとをある理由で幽閉したが、ダイダロスは翼を作って両方につけ、イーナコスもろとも飛び出したという。
 だが、人間が飛んだ、しかも装着した翼を持って、と考えるのは、難しい。だから、言われる意味はこういうことである。ダイダロスは牢内にいたのだから、獄窓をさっとすり抜け、息子も引き下ろした後、小舟に乗り込み、逃げ去った。しかしミーノースが気づいて、追跡の舟を派遣した。しかし彼らは追跡されていると気づいたとき、勢い猛の好都合な風が吹き、飛んでいるように見えた。その後、南寄りの順風によってクレーターに帆走したところで、海洋中で転覆した。そうして、ダイダロスは生きながらえて陸地にたどり着いたが、イーナコスは水死したが(そこは、彼にちなんでイーカロスの海と呼ばれている)、波に打ち上げられたので、父親が埋葬した。

[他の出典]
Strabo 14.1.19; Vergil, Aeneid 6.14-33; Ovid, Metamorphoses 8.183-235; Ars Amatoria 2.21-96; Apollodorus, Epitome 1.12-13; Lucian, Gallus 23; Arrian, anabasis 7.20.5; Hyginus, Fabulae 40.

13."T"
[アタランテーとメイラニオーンについて]
13.1
 アタランテーとメイラニオーンとについて言われているところでは、後者は牡ライオン、前者は牝ライオンだという。だが真実はこういうことである。
 アタランテーとメイラニオーンとは狩りに出かけた。ところが、乙女を、メイラニオーンが自分と交わるよう口説きおとした。そこで交合しようとして、とある洞穴の中に入っていった。しかし洞窟の中には牡ライオンと牝ライオンとの臥所があり、そいつらが、人声を聞いて、出てきて、アタランテー一行に襲いかかり、これらを亡き者にした。後になって、牡ライオンと牝ライオンとが出てきたとき、これを見たメイラニオーンの猟仲間たちは、彼らがこの動物に変身したのだと思った。そこで都市に入って、アタランテー[とメイラニオーン]一行はライオンに変身したと言い広めた。

[他の出典]
Ovid, Metamorphoses 10.560-707; Servius on Aeneid 3.113; Apollodorus 3.9.2; Hyginus Fabulae 185; Nonnus 12.87-89.

14."T"
[カッリストーについて]
14.1
 カッリストーについての話も同様で、猟をしていて熊になったという。だがわたしは謂う、この女も、〔獣の〕ねぐらに通じる道をたどっていたが、たまたまそこには熊がいて、狩りをしている彼女を貪り尽くした。そこで、いっしょに猟をしていた者たちは、入って行くのは見たが、もはや出て来なかったので、乙女は熊になったと云ったのだ、と。

[他の出典]
Hesiod, frga. 163 MW; Euripides, Helen 375-80; Ovid, Metamorphoses 2.401-530; Fasti 2.155-92; Amphis, frag. 47 CAF; Callimachus, frag. 632 Pf.; pseudo-Eratosthenes, Catasterismoi 1; Apollodorus 3.8.2; Pausanias 1.25.1; 8.3.6; Hyginus Fabulae 176, 177; Servius on Georgics 1.138; Tzetzes on Lycophron 481.

15."T"
[エウローペーについて]
15.1
 言い伝えでは、ポイニクスの娘エウローペーは、牡牛に乗って海を渡ってテュロスからクレーテーにたどり着いたという。わたしには、牡牛も馬もこれほどの海洋を渡ることは[出来]ないし、乙女が野生の牡牛に乗れるとも思えない。また、ゼウスが、エウローペーがクレーテーに行くことを望むなら、別のもっと美しい行き方を彼女に見つけられたろうと〔思える〕。
 真実はこうである。名をタウロスというクノーソス人が、テュロス地方に戦争を仕掛けた。かくして最後に、テュロスから他の多くの乙女たちとともに、さらには王の娘エウローペーをも引っ攫った。そこで人々は言いならわしていた、「王の娘エウローぺをタウロスが連れ去った」と。これらのことが起こったので、神話が拵えあげられたのだ。

[他の出典]
 エウローペーと牡牛のことが最も十全に語られているのは Moschus Europaである。Hesiod, frag. 140 MW; Bacchylides, frag. 10 SM; Ovid, Metamorphoses 2.833-75; Fasti 5.603-18; Apollodorus 3.1.1; Hyginus, Fabulae 178.1; Lucian, Dialogi Marini 15.2; de Syria Dea 4.

16."T"
[木馬について]
16.1
 言い伝えでは、木製の馬の腹の中の最善のアカイア人たちが、イーリオンを陥落させたと。しかしこの話はあまりに神話的だ。まことははこうである。
 彼らは、木製の馬を、城門の程度に合わせて、引き入れるには、大きさの点で超過するようにこしらえた。そして伏兵たちが、都市の近くの谷になったところで待機した。アルゴス勢の待ち伏せ場所と今まで呼ばれてきたところである。そして、シノーンがアルゴス勢からの脱走者としてやって来て、彼らに予言のようにして、馬を都市の中に引き入れなければ、アカイア勢が引き返してくるが、引き入れたら、もはややっては来ないだろう、と告げた。これのいうことを聞き入れて、トローイア人たちは城門を壊して、馬を引き入れた。そして彼らが宴楽しているところに、ヘッラス人たちが城門の壊されたところを通って襲いかかり、こうしてイーリオンは攻略されたのである。

[他の出典]
Odyssey 4.271-89; 8.492-515; 11.523-32. Vergil, Aeneid 2.13-267; Apollodorus, Epitome 5.14-21; Tryphiodorus 57-541; Quintus Smyrnaeus, 12.25-13.59, passim; Hyginus, Fabulae 108.

17."T"
[アイオロスについて]
17.1
 言われているところでは、アイオロスは風を支配する人間で、オデュッセウスに、革袋に入った風を贈った人物だという。これについては、不可能なことは、万人に明らかだとわたしは思う。ただし、どうやら、アイオロスは天文学者であって、時節や、ある種の風が起こる星位をオデュッセウスに告げたらしい。
 言い伝えでは、また青銅の城壁が彼の都市を取りまいていたというが、これは嘘である。つまり、彼の都市を守る重装歩兵を持っていたということである。

[他の出典]
Odyssey 10.1-76; Ovid, Metamoephoses 14.223-32; Diodorus Siculus 5.7.7; Apollodorus, Epitome 7.10-11; Hyginus, Fabulae 125.6.

18."T"
[ヘスペリスたちについて]
18.1
 言われているところでは、ヘスペリスたちとは、ある種の女たちのことで、林檎の樹になる黄金の林檎が彼女たちのものであるが、これは大蛇が守っていた、この林檎を目的に、ヘーラクレースも遠征してきた、という。だが、まことはこうである。
 ヘスペロスというミーレートス人がいて、この者はカリアに住み、2人の娘を持っていた。彼女たちはヘスペロスの娘たち(+EsperivdeV)と呼ばれていた。ところで、彼には、美しくてふさふさした毛の羊がいた。これは、現在ミーレートスにいる種であるが、その故にこそ「黄金の」と名づけられていた。黄金は最美であるが、それらもまた最美だったからである。mh:laと呼ばれたのは、羊のことである。これが海沿いで草を食んでいるのを見たヘーラクレースはかり集めて、船の中に仕舞い込み、そして、ドラコーンという名の羊飼いを〔殺したうえで〕、館に掠っていった。このとき、ヘスペロスはもはや存命していなかったが、彼の子どもたちは〔生きていた〕。こうして人びとは言いならわしていた、「黄金の羊(mh:la)を我らは眼にすることはない、これはヘスペリスたちのところからヘーラクレースが掠った。番人のドラコーンを殺したうえで」。ここから神話が生まれた。

[他の出典]
 この神話は、ギリシア語の"mh:lon"が「羊」をも「林檎」をも意味することに依拠している。
 ヘーラクレースが黄金の林檎を入手する経緯は、かれが自分で入手する話と、アトラースとの取り決めによって入手する話とに分かれる。前者の版が、Sophocles, Trachiniae 1099-1100; Euripides,Heracles 394-99; Apollonius Rhodius 4. 1396-449; pseudo-Eratosthenes, Catasterismoi 3; Lucan 9.360-67; Hyginus, Fabulae 30.12.。後者の版が、Pherecydes, FGrHist 3F17; Apollodorus 2.5.11; Pausanias 5.18.4; 6.19.8.

19."T"
[コットスとブリアレオースについて]
19.1
 コットスとブリアレオースについて、人間でありながら、百の手を持っているとは、何というお人好しのいうことであろう。真実はこうである。
 この者たちの都市の名は「百手」市(+Ekatogceiriva)といって、ここに住んでいたが、これは現在オレスティアースと呼ばれるカオーニアーにあった。わたしが証拠立てるのは、オリュムポス神族に味方して、ティーターン神族相手の闘いをたたかった、ということである。この地域は、オリュムポスと境を接していた。そこで人びとは言いならわしていた、「コットスとブリアレオース[とギュゲース]の百手巨人(+Ekatovgceir)たちは、オリュムポス神族を援けて、みずからティーターン神族をオリュムポスから追い払った」。

[他の出典]
Hesiod, Theogony 147-53; 617-819, passim.

20."T"
[スキュッラについて]
20.1
 スキュッラについて言われているところでは、テュッレーニアにある獣がいて、臍までは女であるが、そこからは犬の頭たちが生えついており、その他の身体は蛇のそれだという。このような自然を思いつくのは、とんでもないお人好しである。
 まことはこうである。テュッレーネー人たちの艦船があり、これがシケリアの周辺地域やイオーニア湾を荒らしていた。しかし、当時じつに船足が速かったのが、スキュッラという名を持つ三段櫂船で、船首にその像が刻まれていた。この三段櫂船は、自余の艦船を捕獲して、御馳走にすることしばしばで、これについての話も多い。この船を、オデュッセウスは順風と勢い猛の風を利用して逃れた。そこで、ケルキュラで、アルキノオスに、どのように追跡され、どのようにして逃れたか、また舟艇の外観を説明したのである。こうして神話が拵えあげられた。

[他の出典]
 ギリシア神話は、スキュッラという名の2人の神格を提供している。1人はニーソスの娘のスキュッラ、もうひとりはクラタイイース(あるいはヘカテー。cf. Acusilaus, FGrHist 2F42=Hesiod, frag. 262 MW)の娘のスキュッラ。パライパトスが取り上げているのは、後者のスキュッラである。
Odyssey 12.85-126; 222-59.

21."T"
[ダイダロスについて]
21.1
 ダイダロスについて言われているのは、彼は自力で歩行する神像をこしらえたということである。人像が自力で歩くということ、これはわたしには不可能に思える。
 真実はこういうことである。当時の人像や神像の作り手たちは、両脚がいっしょに生えついたの、両手が脇についたのを作っていた。しかしダイダロスは、ひとつの足を踏み出して闊歩するのを初めて作った。この故に、人びとは言いならわしていた、「ダイダロスが作ったのは、道行くこの神像であって、立ち止まっているものをではない」。今もわれわれが、「戦闘する勇士たちが描かれている」とか「疾駆する馬が」とか「時化に襲われた船が」とか言うのと同様である。同様にあの人も道行く神像を作ったと人々は言いならわしていたのである。

[他の出典]
 ダイダロスの動く立像はプラトーンに知られている。Euthyphro 11C, 15B; Meno 97D.

22."T"
[ピーネウスについて]
22.1
 ピーネウスについて記録されているところでは、ハルピュイアたちが彼の人生を引っ攫ったというのだが、一部の人たちが思っているところでは、これは翼を持った獣で、ピーネウスの食卓から馳走をむしり取ったという。
 だが、まことはこうである。ピーネウスはパイオーニアの王であった。だが、年老いた彼を、視力が見捨て、男の子どもたちは死んでしまった。だが、彼にはエラセイアとハルピュレイアという娘たちがいた〔***〕この女たちが彼の生を台無しにした。そこで人びとは言いならわしていた、「惨めなことよ、ピーネウスは。彼のハルピュイアたちが人生を台無しにしている」。そこで、ゼーテースとカライス — 彼の隣人の町衆で、ボレアース(人間であって、風ではない)の子どもたちが、彼を憐れんで、彼を助け、娘たちを都市から追い払うとともに、財産を取り集め、その管理人として、トラーキア人たちの1人を任命した。

[他の出典]
Odyssey 1.241; 14.371; 20.77; Hesiod, Theogony 267-69.。後には、Apollonius Rhodius 2.178-93; Apollodorus 1.9.21.

23."T"
[メーストラーについて]
23.1
 エリュシクトーンの娘メーストラーについて、言い伝えでは、いつでも望むときに姿を変えたという。これは大笑いの神話の類である。いったい、どうやって、乙女から牛や、今度は犬とか鳥になる道理があろうか。真実はこうである。
 エリュシクトーンはテッサリアの男であったが、金銭を台無しにして、貧乏になった。彼には娘がいて、美しく年頃で、名をメーストラーといった。彼女を目にした者は誰でも、ぞっこん惚れこんだ。ところが、当時の人びとは、銀子で求婚するのではなく、ある者たちは馬を、ある者たちは牛を、一部の人たちは羊とか、何でもメーストラーが望むものを贈り物とした。そこでテッサリア人たちは、エリュシクトーンに人生をむしり取られる人を見て、言いならわしていた、「メーストラーのおかげで、馬や牛やその他ものらが彼のものになる」。ここから神話が拵えあげられたのである。

[他の出典]
Hesiod, frag. 43(a) 2-69 MW; Hellanicus, FGrHist 4F7; Lycophron 1393-96; Ovid, Metamoephoses 8.738-878; Antoninus Liberalis 17.5; Tzetzes on Lycophron 1393

24."T"
[ゲーリュオーンについて]
24.1
 ゲーリュオーンのことだが、言い伝えでは、頭が3つあったという。だが、<ひとつの>身体が3つの頭を持つのは不可能である。だから、こういうことだったのだ。
 黒海〔沿岸〕に、トゥリカレーニア(Trikarhniva)〔「三頭市」の意〕と呼ばれる都市があった。ゲーリュオネースは当時の人びとの中で最高の有名人であり、富裕さその他で抜きん出た人であった。さらにまた牛たちの最も驚嘆すべき群を有し、これを狙ってヘーラクレースがやって来て、抵抗するゲーリュオネースを殺してしまった。追い立てられる牛たちを見た人々は、驚嘆した。というのは、背丈は低いが、頭から尻までが長く、しかも鼻べちゃ、角はなく、骨格は大きくて平たい。そこで、ある人たちは聞き合わせた人たちに言いならわしていた、「ヘーラクレースは、トゥリカレーニア人ゲーリュオーンのものであったこれらを追い立てていった」。そして、一部の人たちは、言われたことを基にして、彼〔ゲーリュオネース〕が頭を3つ持っていると想像した。

[他の出典]
Hesiod, Theogony 287-94; 982-3; Steisichorus, Geryoneis, frag. S7-S87 PMGF; Aeschylus, Heracleidae, frag. 74 TrGF; Apollodorus 2.5.10.

25."T"
[シーシュポスの子グラウコスについて]
25.1
 言い伝えで、この人もまた馬に貪り尽くされたというのは、彼が馬飼いであり、〔そのために〕莫大な出費をし、みずからのことは何も気にせず、押し潰されて、生が彼を見捨てたということを知らないからだ。

[他の出典]
Strabo 9.2.24; Pausanias 6.20.19; Hyginus, Fabulae 250.3, 273.11.

26."T"
[ミーノースの子グラウコスについて]
26.1
 この神話も大笑いである、グラウコスが蜂蜜の甕の中で死んだので、ミーノースは、コイラノスの子ポリュイードス(この人はアルゴス出身)をその墓に埋めた、この人物〔ポリュイードス〕は、大蛇が、死んだ別の大蛇に薬草を当て、これを生き返らせたのを見て、自分も同じものをグラウコスに当て、これを生き返らせた、なんてね。死んだ人間、あるいは蛇、いや、他の生き物であったとしても、生き返らせるなんてことは、不可能である。しかし、何か次のようなことが生起したのだ。
 グラウコスは蜂蜜を飲んで、腹を乱され、彼の胆汁はますます動揺させられて、卒倒したとき、他の医者たちも(お金をもらえるから)やって来た、その中にポリュイードスもいた、彼〔グラウコス〕はすでに逝去していたのだが、〔ポリュイードスは〕ある医師から学んでいたある有益な薬草を知っていて、その名がドラコーン〔「大蛇」の意〕であるが、この野草を用いて、グラウコスを健康にした。そこで人びとは言いならわしていた、「ポリュイードスは、蜂蜜で死んだグラウコスを、野草で生き返らせた、その野草はドラコーンから学んだものだ」。これを基に、神話作者たちは神話を作りあげたのである。

[他の出典]
Aeschylus, Cressae, frag. 116-20, TrGF; Sophocles, Manteis, frag. 389-400 TrGF; Euripides, Polyidus, frag. 634-46, TFG; Aristophanes, Polyidus, frag. 452-60 CAF.

27."T"
[海のグラウコスについて]
27.1
 言われているところでは、このグラウコスもあるとき野草を喰って、不死となり、今も海の中に住んでいるという。しかし、この野草に出会ったのがグラウコスだけというのも、また、人間であれ、他の陸棲動物の何かであれ、海の中で生きているというのも、あまりにお人好しのいうことだ。河に住むものが海中で生きることも、逆に海に住むものらが河の中で生きることもできないのだから。だから、この話は空虚である。真実はこうである。
 グラウコスは、生まれはアンテードニアの漁師であった。ただし、潜水士で、この点で自余の者らに抜きん出ていた。で、港に跳びこんで、街の人たちが彼を見物していたのだが、ある地点まで泳ぎ渡り、親しい者たちに充分な日数見えなくなり、再び泳ぎ渡って、彼らに見られた。そこで、「これほどの日数、どこを泳ぎ渡っていたのか」と訊かれて、彼は謂った、「海を」。また、彼はため池に魚を閉じこめていて、嵐があって、他の漁師たちの誰ひとり魚を捕ることができないときは、市民たちに、いったいどんな魚を自分たちのところに持って来てほしいのか訊ね、何でも彼らが望むものを運ぶので、海のグラウコスと呼ばれた。それは、今も山に住む善き〔すぐれた〕狩人が山の人と呼ばれるのと同様である。そのようにグラウコスも、大部分を海の中で暇つぶししていたので、海のグラウコスと呼ばれたのだった。しかし海の獣と遭遇して亡くなった。そこで、海から出て来なくなったので、人びとは、彼は海の中に住んでいて、そこで余生を過ごしていると物語っているのだ。

[他の出典]
Pausanias 9.22.7. 詳細はOvid, Metamorphoses 13.904-65.

28."T"
[ベッレロポンテースについて]
28.1
 言い伝えでは、ベッレロポンテースを有翼の馬ペーガソスが運んだという。わたしには、馬はそんなことは決して、鳥類の翼という翼をつけたとしても、できないと思われる。かつてそういう生き物がいたとしたら、今もいるはずであろう。またこの人物は、アミソーダレースの〔育てた〕キマイラをも亡きものとしたと言い伝えられる。キマイラとは、前部はライオン、後ろは大蛇、真ん中は牝山羊だという。一部の人たちは、3つの頭を持ち、身体はひとつという、そういう獣がいると思っている。しかし、蛇とライオンと山羊が同じ食糧をとるのは不可能である。また、死すべき自然を有する獣が、火を吐くというのも、お人好しのいうことだ。さらに、身体はどの頭のいうことを聞くのだろか。真実はこういうことである。
 ベッレロポンテースは亡命者で、生まれはコリントスの、美而善なる人であった。そして、長い船を艤装して、沿岸地方を航行しつつ、掠奪し破壊していた。その船の名がペーガソスであった(現在もそれぞれの船が名とするとおりである。わたしには、ペーガソスという名前は馬によりも船によりふさわしいと思われる)。ところで、アミソーダロスという王が、ある高山のクサントス河のほとりに住んでいた。この山はテルミッシス森を擁し、この山に踏み入るには2つの道、ひとつは前方、クサントス人たちの都市から入る道、もうひとつは後方、カリアから入る道である。その他は断崖が高く、その中ほどには大地の大きな裂け目があり、そこからは火さえ噴きあげていた。この山の名がキマイラである。当時は、前方の住人たちが言うとおり、前方から入る道にはライオンが、後方からの道には大蛇が住んでおり、実際こいつらが、木樵たちや牧夫たちを痛めつけ、傷つけもしたのである。まさにそういう時に、ベッレロポンテースがやって来て、この山に火を放ち、テルミッシスは焼け落ち、獣たちは絶滅した。そこで土地のたちは言いならわした、「ベッレロポンテースがペーガソスを連れて到来し、アミソーダロスのキマイラを滅ぼした」。このことが起こったので、神話が拵えあげられた。

[他の出典]
Hesiod, Theogony 319-25; frag. 43a81-87 MW; Pindar, Olympian 13.63-92; Apollodorus 2.3.1-2; Hyginus, Fbulae 57.

29."T"
[ペロプスと馬たちについて]
29.1
 言い伝えでは、ペロプスは、オイノマオスの娘ヒッポダメイアに求婚するため、有翼の馬を連れてピサにやって来たという。
 だがわたしは、ペーガソスについてと同じことを言う。もしもオイノマオスが、ペロプスの馬が有翼だと知っていたなら、自分の娘が彼の戦車に乗るなどということを許さなかったろう。だからいうとしたら、ペロプスは船を率いてやって来た、そして、「有翼の馬たち」は、船楼の指揮官室に表現され、乙女を引っ攫って逃げ去ったのである。
 しかし人びとは言いならわした、「オイノマオスの娘を引っ攫って、有翼の馬たちに乗って逃げ去った」と。そして神話が拵えあげられた。

[他の出典]
Pindar, Olympian 1.87; Pherecydes, FGrHist 3F37b.

30."T"
[プリクソスとヘッレーについて]
30.1
 <プリクソスについて>記録されているところでは、父親が彼らを生け贄にしようとしていると、牡羊が予言したという。そこで自分の妹を連れて、これといっしょにそれ〔牡羊〕に乗り、海を渡って黒海にたどり着いた、全旅程は3日ないし4日かかったという。これこそ信じ難いことである、牡羊が船よりも速く、しかも2人の人間と、きっと、食べ物や飲み物を、自身の分もあの者たちの分をもを(なぜなら、これほどの期間、食なしにはもちろん持ち堪えられなかったろうから)運んで、泳ぎ渡ったとは。それから、プリクソスは、助かる法を自分に告げて救済してくれた牡羊を屠殺し、その皮を剥いで、アイエーテース(アイエーテースは、当時、その地を王支配していた)の娘への結納として彼に与えた。そこで、どうであるかを見よ、いったい、王が自分の娘の結納として羊毛を受け取るぐらい、当時、獣皮はそれぐらい希少であったのか。<それとも>それほどまでに自分の娘は何の価値もないと考えていたのか? そこで一部の人たちは、このおかしなところを避けるために、「この獣皮は黄金だった」と謂う。本当に獣皮が黄金であったのなら、異邦の客人から王は受け取るべきではなかったろう。さらに言われてきたところでは、イアーソーンもこの羊毛目当てにアルゴー号と、ギリシアの善勇の士たちを派遣したという。いや、プリクソスも、善行者〔牡羊〕を亡き者にするほど、それほどまでに恩知らずな者ではなかったろうし、たとえ羊毛がスマラグドグ石でできていたとしても、アルゴー号がそれ目当てに航行することもなかったであろう。
 真実はこうである。アイオロスの子、ヘッレーンの孫に当たるアタマースは、プティアを王支配していた。彼のためにその金銭と支配を管理する者がいたが、彼はこれを最も信実な者、価値ある者と考えていた、その者の名がクリオス〔「牡羊」の意あり〕である。さて、〔プリクソスの〕母親が亡くなったとき、〔アタマースは〕プリクソスに、年長であったので、支配権を与えた*******しかしクリオスはこのこと〔アタマースの後妻がプリクソスに対して策謀しているということ〕を察知して、アタマースには何も言わず、プリクソスには謂って、彼がこの地を後にすることを勧告し、自分も船を艤装して、アタマースにとって大いに価値あるものなら何でも積みこみ、あらゆる善き物らと金銭とを船に満載したが、その中には彫像もあったが、これはメロプスの母、つまり、ヘーリオスの娘(その名はコース(Kw:V=k:aV)〔「羊毛」の意〕が、自分の金銭を使って自分で作った自身の等身大の黄金[像]であった(しかし黄金は莫大であり、これについての話(lovgoV)は長くなる)。とにかく、これらとプリクソスとヘッレーンとを船に積みこみ、立ち去った。ところがヘッレーンは、航海中に病気になって亡くなった(彼女にちなんで、ヘッレーンの海とも呼ばれることになった)。彼らだけはパーシスにたどり着き、そこに住みつき、そうしてプリクソスはコルキス人たちの王アイエーテースの娘を娶ったが、このとき結納としてコースの黄金像を与えたのだ。後に、アタマースが命終したとき、イアーソーンがアルゴー号で航行したのは、このコースの黄金目当てであって、牡羊の皮を求めてではない。
 まことは以上のとおりである。

[他の出典]
Hesiod, frag. 68, 299 MW; Pherecydes, FGrHist 3F99; Apollodorus 1.9.1; Hyginus, Fabulae 2, 3.

31."T"
[ポルキュスの娘たちについて]
31.1
 この者たちについては、はるかにもっと滑稽な話(lovgoV)がもたらされている。それによれば、ポルキュスは3人の娘を持っていた、彼女らは1つの眼を持っていて、順番に使用した。彼女らの中で使用する者は、これを頭部に嵌めこみ、そうやって視ることができた。じつにそういうふうにして、彼女らのひとりが別のひとりに眼を手渡すことによって、全員が視ることができた、というのである。ところがペルセウスが彼女らの背後から忍び足でやって来て、彼女らの眼を取って、ゴルゴーのいるところを教えなければ、返してやらないと謂った。そこで彼女らがかくかくしかじかと教えた。こうして彼は彼女〔ゴルゴー〕の頭を切り取り、セリーポスに赴き、これをポリュデクテースに示して、彼を石にしてしまった。ポルキュスはケルネー人であった。ケルネー人とは、生まれはエチオピア人で、ヘーラクレースの柱の外、ケルネー島に住み、カルケードーンの対岸、†アンノーン河の側のリビュアを耕していたが、すこぶる黄金に富める者たちであった。このポルキュスは、ヘーラクレースの柱の外にある島々(3つある)を王支配し、高さ4ペーキュスあるアテーナーの黄金の奉納像を作った。ところで、ケルネー人たちはアテーナーをゴルゴーと呼んでいた。ちょうど、トラーキア人たちがベンディスと〔呼び〕、クレータ人たちがディクテュナと〔呼び〕、ラケダイモーン人たちがウゥピスと〔呼ぶ〕ように。ところが、ポルキュスは神像を神殿に奉納する前に、死んでしまった。後に残したのが、ステノー、エウリュアレー、メドゥーサという3人の乙女たちであった。この女たちは誰とも結婚することを望まず、財産を分けて、めいめいが1つの島を支配した。ただし、彼女たちによいと思われたのは、ゴルゴーにはまだ打ち明けもせず、分割もせず、順番に[交互に]自分たちの宝を預けることであった。ところでポルキュスには仲間がいた。美而善なる人で、万事につけて〔ポルキュス一家は〕彼を眼のように使っていたのである。
 ペルセウスはといえば、アルゴスからの亡命者として、麾下の艦船と相当な勢力を率いて、沿岸地帯を荒らしまわっていた。そして、女たちの王国があり、黄金が豊富で、男は少ないと聞き伝えて、ここにやって来た。そうして、先ず初めに、ケルネーとサルペードーンとの中間の海峡に待ち伏せし、別の島から別の島へと渡ろうとしていたオプタルモス〔「眼」の意あり〕を捕らえた。そこでこの男〔オプタルモス〕は彼〔ペルセウス〕に、ゴルゴー以外には、他の語るに足るほどのものは何ひとつ彼女たちから入手することはできないと告げ、さらに、莫大な黄金は彼女のものだと漏らした。当の乙女たちはといえば、オプタルモスが申し合わせに従って順番にやって来ないので、ひとつところに集まって、別の者が別の者を非難した。だが、〔オプタルモスを〕持っていないと否認したので、何ごとが起こったのかとあやしんだ。この時、彼女たちがいっしょにいるところにペルセウスが乗り込み、オプタルモスは自分が捕まえていることを告げ、ゴルゴーがどこにいるか教えなければ彼女たちには引き渡さないと謂った。さらに、彼女たちが云わなければ殺すとも脅迫した。ところがメドゥーサは示すことを拒否し、ステノーとエウリュアレーとは示した。そこでメドゥーサをば殺し、他の女たちにはオプタルモスを引き渡したのである。
 さて、ゴルゴーを捕らえると、首を切った。そして三段櫂船を仕上げるつもりで、前部にゴルゴーの頭を取り付け、この船の名をゴルゴーと付けた。この〔船〕で巡航しつつ、島人たちから金銭を取り立て、差し出さない連中を亡きものにした。こういうふうにして、セリーポス人たちに対しても、乗りこんで金銭を要求した。すると彼らは、金銭を集める日数を彼に懇願した。ところが、彼らは集まると、人の身の丈の石を市場の中に置いて、セリーポスを後に立ち去ってしまった。そういう次第で、ペルセウスが金銭の支払いを求めて再び乗りこんで、市場に出向くと、人びとの誰ひとりも見あたらず、〔見かけたのは〕身の丈の石だけであった。そこで自余の島人たちにペルセウスは言うを常とした、金銭を提供しないと、「気をつけるがよい、セリーポス人たちが、ゴルゴーの頭を目にしたために、石にされたように、おまえたちもそんな目に遭わないように」。

[他の出典]
 ポルキュスの娘たちは、別名「グライアイ〔複数形〕」〔「老婆」の意〕とも呼ばれ、Hesiod, Theogony 273では、パムプレードー、エニューオーの2人、Pherecydes, FGrHist 3F11ではこれにデイノーを加えて3人である。
Pindar Pythian 12.1-17; Aeschylus, Prometheus Bound 794-97; Ovid, Metamorphoses 4.774-77; pseudo-Eratosthenes, Catasterismoi 22; Apollodorus 2.4.2-3.

32."T"
[アマゾーン女人族について]
32.1
 アマゾーン女人族についてもわたしはこう言おう、出征したのは女たちではなく、異邦の男たちであり、ただ、トラーキアの女たちのように、足首まで届く長衣をまとい、髪紐で長髪を結いあげ、〔クサントス河畔のパトライ人たちのように〕髭を剃っていて、だからこそ、敵側から女と呼ばれたのである。実際は、アマゾーン女人族は戦闘にすぐれた〔善き〕戦士たちであった。だから女の軍勢など、どうやら、あったためしはないらしく、もちろん現在どこにもないのである。

[他の出典]
 アマゾーン女人族はギリシア神話では有名だが、(1)出典は詳細を伝えていないが、ベッレロポーンは彼女らと戦ってはいない。Homer, Iliad 6.186; Pindar, Olympian 13.87-89; Apollodorus 2.3.2. (2)アマゾーン女人族の女王ヒュッポリュテーの腰帯を獲得したヘーラクレースの第9の功業。Euripides, Heracles 408-18; Apollonius Rhodius 2.966-69; Apollodorus 2.5.9. (3)アマゾーン女人族はアテーナイを攻撃したが、テーセウスによって防衛に成功した。Aeschylus, Eumenides 685-90; Herodotus 9.27.4; Diodorus Siculus 4.28; Plutach, Theseus 26-27; Pausanias 1.17.2; Apollidorus, Epitome 1.16-17. (4)トローイア戦争最後の局面で、アマゾーン女人族が救援に来るが、女王ペンテシレイアがアキッレウスに討たれる。Arcinus, Aethiopis pp.33-34 EGF=pp. 105, 126 Allen; Quimtus Smyrnaeus 1.18-61; 538-674.

33."T"
[オルペウスについて]
33.1
 オルペウスについての神話も、竪琴を弾ずる彼に岩も爬虫類も鳥類も樹木も付き随ったというのは、嘘である。
 こういうことだったのだと、わたしには思われる。ピーエリアで狂気に浮かされたバッケー〔酒神ディオニューソス・バッコスの供の女〕たちは、羊たちを引き裂いたが、他にも多くのことを狂暴にしでかし、また山に帰って、そこで何日も過ごした。しかし、〔山に〕とどまったままなので、市民たちは、妻たちや娘たちのことを危惧し、オルペウスを呼びに遣り、彼女たちを山から降ろす仕方を工夫するよう要請した。そこで彼は、ディオニューソスに狂宴(o[rgia)を挙行し、狂気に浮かれた彼女たちを、竪琴を弾じつつ、導き降ろした。しかしこの時彼女たちは初めてウイキョウと、さまざまな樹木の小枝を持って降りてきた。この時目にした人びとにとってそれらの木々は驚くべきものに見え、彼らは謂った、「オルペウスは、竪琴を弾じつつ、山から森まで引き連れている」。そしてこのことから神話が作られたのである。

[他の出典]
 野獣、鳥類、岩、樹木、水流までも音楽で魅了したというオルペウスの能力は、無数の古代テキストの中で言及されている。Simonides, frag. 567 PMG; Euripides, Iphigeneia in Aulis 1211-214; Bacchae 561-64; Apollonius Rhodius 1. 26-31; Horace, Odes 1. 12.7-12; 3. 11.13-14; Propertius 3.2.3-4; Ovid, Metamorphoses 11.41-49; Diodorus Siculus 4.25.2; Conon 45.3; Apollodorus 1.3.2; pseudo-Eratosthenes, Catasterismoi 24; Heraclitus 23.

34."T"
[パンドーラーについて]
34.1
 パンドーラーについての我慢ならぬ話(lovgoV)は、彼女は土から作りあげられ、他の人びとにもその造作を授ける、というやつである。わたしにはそんなことがあるとは思われない。
 むしろ、パンドーラーは最高に富裕なギリシア女であり、外出するときには、飾り立て、たくさんの土を塗りたくるを常とした。彼女こそ、肌にたくさんの土を塗りこめることを発明した最初の女性であった(今でも多数の女たちがそうである。が、多数すぎてひとりも名指されることはないが)。
 事実は以上のとおりである。しかし話の方はあり得ない方へ曲げられた。

[他の出典]
 言及されている「土」とは「白鉛」のことである。アテーナイの女性は、化粧品としてこれを顔に塗った。Aristphanes, Ecclesiazusae 878, 929; Lysias 1.14; Xenophon, Oeconomicus 10.2.
 パンドーラーの創造については、Hesiod, Theogony 571-612, Work and Days 61-105; Apollodorus 1.7.2; Hyginus, Fabulae 142.

35."T"
[トネリコ族について]
35.1
 つまらぬ言い伝えは他にもあるが、人間の最初の世代はトネリコ(meliva)から生まれたと[言い伝える]のこそ、それである。わたしには、人間が樹から生まれるのは不可能に思われる。いや、メリオスなる者がいたし、メリアイ人Melivaiは彼にちなんで呼ばれたが、それは、ヘッレーネスがヘッレーンにちなみ、イオーネスがイオーンにちなむのと同類である。しかるに、あのものは種族全体が滅び、かてて加えて名前も消滅した。
 また、鉄種族も銅種族もいまだかつて存在したことはなく、これらは戯言である。

[他の出典]
 参考、Odyssey 19.163; Plato, Apolosy 34D; Republic 544D; Plutarch, Moralia 608C; Vergil, Aeneid 8.315; Juvenal 6.12.

36."T"
[ヘーラクレースについて]
36.1
 このことはヘーラクレースについても起こっている。言われているところでは、かれの身には木の葉が生えていたという******そこでピロイテースは*****(医者であったにせよ)素人であったにせよ、思いついて、焼灼し、健康にした。この話(lovgoV)がそういうふうに言われたのは、そこからである。

[他の出典]
 これに対応するようなヘーラクレースの神話は伝わっていない。「ピロイテース」を、「ピュッリテース」あるいは「ピロクテーテース」に読み替える案などが提起されている。

37."T"
[ケートー(海獣)について]
37.1
 ケートーについて以下のことが言われている、トローイ人たちを襲いに海から通い、これの餌に乙女たちを与えれば立ち去るが、さもなければ、彼らの土地を荒廃させたと。だが、人が魚と契約を結ぶということがどれほどばかげたことか、わからない人がいるであろうか。
 いや、こういうことだったのだ。

[他の出典]
Homer, Iliad 5.638-51; 20.144-48; 21.1441-57. さらに参照せよ、Hellanicus

38."T"
[ヒュドラーについて]
38.1
 〔沼沢地帯〕レルネーの水蛇についても言われているのは、頭は30だが、身体は1つの蛇であって、その頭の1つをヘーラクレースが切り取ると、〔そこから〕2つが生え出たという。さらに蟹までも水蛇の救援にやって来た。まさにそのときイオラーオスがヘーラクレースのために防戦したのは、蟹が水蛇のために防戦したからであった。さて、これらのことのうち何かが起こったのだ説得される人がいるなら、その人は愚かだ。というのも、光景は滑稽である。いったい、頭の1つを切り取ったとき、残りの頭で食べたり苦痛を感じたりしないということがどうしてありえよう。そういう次第で、こういうことだったのだ。
 レルノスはこの地方の王であったが、この地方もその名を彼にちなんで得たのである(当時は、人びとはみな村ごとに〔分かれて〕住んでおり、この地方は現在アルゴス人たちが領有している)。当時、アルゴスにはミュケーネー、テュレーネー、レルネーという都市があり、王はめいめいの責任においてこれらの諸地方を統治していた。ところで、他の王たちは、ペルセウスの〔血を引く〕ステネロスの子エウリュステウスに服従していた。というのは、彼は最大で最も人口の多い地方ミュケーナイを領有していたからである。ところがレルノスは、彼に服属することを拒んだ。そういう次第で、これを原因として、彼に対して戦端を開いた。ところでレルノスには、領地の入口に、ある堅固な砦があり、これを50人の勇ましい弓兵が守備しており、彼らは夜昼間断なく城塔の上で見張りを続けていた。この砦の名こそヒュドラーであった。そこでエウリュステウスは、砦を攻略するためヘーラクレースを派遣した。かくて、ヘーラクレース麾下の者たちは、塔上の弓兵たちを火弾で攻めた。すると、1人が撃たれて落下すると、1人の代わりに2人の弓兵が登った — 先に亡き者にされた者が〔それだけ〕勇敢だったからである。そこで、レルノスはヘーラクレースのせいで戦況に窮し、カリアー人の援軍を傭った。で、名をカルキノス〔「蟹」の意〕という、巨体で戦争好きな男が、自分の手勢を率いてやって来た。そうしてこの男といっしょにヘーラクレースに立ち向かった。やがて、イーピクレースの子、ヘーラクレースにとって甥に当たるイオラーオスが、テーバイから部隊を率いて来援し、ヒュドラーに突き出ていた塔に接近して火を放ち、この〔連合した〕戦力でヘーラクレースは彼ら〔相手勢〕を攻略し、ヒュドラーを亡きものにし、相手軍勢を滅ぼした。
 以上のことが起こったので、〔人びとは〕水蛇〔ヒュドラー〕は蛇だと書き、神話を拵えあげたのである。

[他の出典]
Hesiod, Theogony 313-18; alcaeus, frag. 443 LP(=Simonides, frag. 569 PMG; Euripides, Hercles 419-22; 1188; 1274-75; Diodorus Siculus 4.11.5-6; Ovid, Metamorphoses 9.69-74; Apollodorus 2.5.2; Pausanias 2.37.4; Hyginus, Fabulae 30.3; pseudo-Eratosthenes, Catasterismoi 11; Quintus Smyrnaeus 6.212-19.

39."T"
[ケルベロスについて]
39.1
 ケルベロスについて、犬でありながら、3つの頭を持っていると述べられている。明らかに、これも都市にちなんでトゥリカレーノス〔三頭のもの〕と呼ばれたことは、ゲーリュオネースと同様である。そこで人びとは言いならわしたのだ、「何と美しく大きいことよ、トゥリカレーノスの犬は」と。また、これ〔この犬〕について、ヘーラクレースがこれをハーデースの〔館〕から連れて来たと述べられているのは、神話めかしてのことだ。
 何か次のようなことが起こったのだ。ゲーリュオーンの牛たちのために、大きくて血気盛んな犬たちがついていたが、その名は一頭はケルベロス、もう一頭はオルトロスといった。ところが、オルトロスはヘーラクレースがトゥリカレーニアで、牛たちを追い立てる前に亡きものにした。ケルベロスの方は、牛たちについてきた。ところが、名をモロットスというミュケーネー人の男が、この犬を欲しがり、初めは、この犬を自分にくれるようエウリュステウスに頼んだ。だが、エウリュステウスが断ったので、牛飼いたちを口説き落とし、犬をラコーニア地方にあるタイナロン岬の畔のとある洞窟の中に、子作りのために閉じこめ、牝犬たちと交尾するようこれにあてがった。しかしながら、エウリュステウスはヘーラクレースを犬の探索に派遣した。そこで彼は全ペロポンネーソスを横切り、犬がいると彼に密告された場所に赴き、降りていって、洞穴から犬を連れ出した。そこで人びとは言いならわしたのだ、「洞穴を通ってハーデースの〔館〕に降りて行き、ヘーラクレースは犬を連れ出した」と。

[他の出典]
Iliad 8.366-68; Odyssey 11.623-26; Hesiod, Theogony 310-12; 769-73; Euripides, Heracles 23-25; 610-15; 1277; Diodorus Siculus 4.26.1; Ovid, Metamorphoses 7.408-15; Apollodorus 2.5.12.

40."T"
[アルケースティスについて]
40.1
 アルケースティスについて悲劇的な神話が述べられている。それによると、かつてアドメートスが死に瀕したとき、この女が彼の代わりに死ぬことを選んだ、しかし、その敬虔さゆえにヘーラクレースが彼女を死に神(QavnatoV)から奪い返し[ハーデースの〔館〕から連れもどし]アドメートスに返してやったという。しかしわたしには、何びとも死すべき者を生き返らせることはできないと思われる。
 いや、次のようなことが起こったのである。ペリアースをその娘たちが殺してしまったので、ペリアースの子アカストスが彼女らを追跡した、父親の代わりに殺し返そうと思ったのだ。そうして、他の〔娘〕たちはつかまえた。だがアルケースティスだけは、ペライの自分の従兄弟アドメートスのもとに逃れ、竈の上に坐ったので、アドメートスは、引き渡しを要求するアカストスに引き渡すことができなかった。そこで彼〔アカストス〕は、大勢の軍勢を都市のまわりに配置し、彼らに火を放った。そこでアドメートスは、夜陰に乗じて出撃したが、敵部隊に遭遇したため、生け捕りとなった。そこでアカストスは、<アルケースティスを>たとえ嘆願者であろうとも、引き渡さなければ、彼を殺すぞと脅迫した。するとアルケースティスは、自分のせいでアドメートスが亡き者にされようとしていると聞き知って、出て行って我が身を引き渡した。そこでアカストスは、アドメートスの方は解き放ち、あの女の方を捕らえた。そこで人びとは言いならわした、「アルケースティスは何と勇敢なことよ。アドメートスのために進んで死んだ」。しかしながら、神話が謂うような、そんなことが起こったのではないのだ。
 ところで、その時を同じくして、ヘーラクレースがあるところから、ディオメーデースの牝馬たちを引き連れてやって来た。この人物がかしこにやって来たのを、アドメートスが客遇した。しかし、アドメートスがアルケースティスの災禍を嘆くので、ヘーラクレースは〔激怒して〕アドメートスを攻撃し、その軍勢を壊滅させた。そうして、戦利品は自分の軍隊に分配し、アルケースティスはアドメートスに引き渡した。そこで人びとは言いならわした、ヘーラクレースが居合わせて、死からアルケースティスを救い出した、と。これらのことが起こったので、神話が作りあげられたのである。

[他の出典]
 アルケースティスは初期ギリシア悲劇の題材であったが(Phrynichus 3T1; 3F2-3 TrGF)、最もよく知られるのは、Euripides, Alcestisである。その他、Platon, Symposium 179B; Apollodorus 1.9.15.

41."T"
[ゼートスとアムピーオーンについて]
41.1
 ゼートスとアムピーオーンとについて、他の人たちもだがヘーシオドスが記録するところでは、彼らは竪琴によってテーバイの市壁を築いたという。しかし一部の人たちの思うところでは、彼らが竪琴を弾き、石たちがひとりでに市壁の上に登ったという。真実はこうである。
 この者たちは最善の竪琴弾きたちであり、報酬をもらって演示していた。だが、当時の人びとは銀子を持たなかった。そこでアムピオーンとその仲間は、自分たちから聞きたい者がいれば、市壁のところに行って働くよう命じていた。石たちが聞き従ってついて行ったわけではない。けれども、竪琴によって市壁が築かれたと人びとが言いならわしたのは、尤もなことであったのだ。

[他の出典]
Apollonius Rhodius 1.736-41; Horace, Ode 3.11.2; Ars Poetica 394-96; Propetius 1.9.9-10; 3.2.5-6; Apollodorus 3.5.5; Pausanias 9.5.8.

42."T"
[イーオーについて]
42.1
 イーオーのことを、言い伝えでは、女から牝牛になり、牛虻に刺されて狂い悶えながら、海を渡って、アルゴスからエジプトにたどり着いたという。〔***〕こと、そして、これほどの日数の間ずっと食べ物を摂らなかったということ、これこそ納得ゆかぬことである。真実はこうである。
 イーオーは、アルゴス人たちの王の娘であった。この女に、都市の人たちは、アルゴスに坐すヘーラーの女神官たる名誉を与えた。この女が妊娠し、父親と市民たちを恐れて、都市から逃亡した。そこでアルゴス人たちは探索に出かけ、いずこで見つけようと、逮捕して縄目にかけるはずであった。だから人々は言いならわしたのである、「牛虻に刺されて狂い悶える牝牛のように」〔逃げた***〕そしてついに異邦の商人といった者たちに身をゆだね、エジプトに連れて行ってくれるよう嘆願し、そこにたどり着いて出産した。かくして神話が拵えあげられたのである。

[他の出典]
Hesiod, frag 124 MW; Aeschylus, Suppliants 291-323, 538-79; Prometheus 561-886; Bacchylides 19; Ovid, Metamorphoses 1.568-746; Apollodorus 2.1.3.

43."T"
[メーデイアについて]
43.1
 メーデイアは、言い伝えでは、老人たちを煮立てて若者にしたというのだが、何びとかを若くした証拠はない。むしろ、彼女は煮た相手を必ず殺している。
 何か次のようなことが起こったのだ。メーデイアは、火色と黒色の染料を発明した最初の女であった。そういう次第で、年寄りたちが灰色から黒く<て火色に〔若々しく〕>見えるようにした。というのは、彼らの白い髪を染めて、黒くて火色に変えたからである。〔***〕メーデイアは蒸し風呂が人びとにとって有益であることを発明した最初の女であった。そういう次第で、望む者たちに蒸し風呂を、あからさまにではなく、使わせた。それは、医者たちの誰かに知られないためで、蒸し風呂を使わせる際は、誰にも漏らさないことを誓わせた。で、蒸し風呂の名称が煮炊き(parevyhsiV)であった。たしかに、蒸し風呂を使わせてもらった人びとは、より軽快にもなり、健康にもなった。まさしくその結果、彼女のところで大なべや火を目にした者たちは、人間どもを煮ているのだと説得するに至った。さらに、歳をとり虚弱で、蒸し風呂を使って死んだ人間、ペリアースがいた。ここから神話ができた。

[他の出典]
Euripides, Peliades pp. 550-51 TGF; Diodorus Siculus 4.52.1-2; Ovid, Metamorphpses 7.297-349; Apollodorus 1.9.27; Pausanias 8.11.2; Hygianus, Fabulae 24.3.

44."T"
[オムパレーについて]
44.1
 オムパレーについて述べられているのは、ヘーラクレースが彼女のもとで奉公したという。この話はばかげている。彼女に対してもその財産に対しても、彼がその主人であり得たことはないからである〔***〕。
 そこで、生起したのは、次のようなことである。オムパレーは、リュディア人たちの王イアルダノスの娘であった。彼女はヘーラクレースの強さを聞いて、彼に恋をしているふりをした。ところがヘーラクレースの方は、お近づきになるや、彼女への恋情にとらわれ、そうして彼女から息子を得た。さらに、彼女が気に入り、オムパレーの言いつけることは何でも実行した。そこでお人好しな人たちは、彼が彼女に奉公したと想像したのである。

[他の出典]
Sophocles, Trachiniae 248-53; 274-78; Pherecydes, FGrHist 3F82b; Diodorus Siculus 4.31.4-8; Ovid, Heroides 9.53-118; Statius, Thebaid 10.646-49; Apollodorus 2.6.3; Lucian Dialogi Deorum 15.2; Quomodo historia conscribenda sit 10; Tzetzes, Ciliades 2.424-42.

45."T"
[アマルテイアの角について]
45.1
 言い伝えでは、ヘーラクレースはいわゆるアマルテイアの角をどこにでも携行し、彼は望むかぎりのものを、祈りによってそこから手に入れたという。
 しかしまことはこうである。ヘーラクレースが異父弟のイオラーオスを連れてボイオーティアを旅しているとき、テスピアイにあるある宿屋に泊まったが、たまたまここの女主人だったのが、アマルテイアと呼ばれる、若々しくてすこぶる美しい女だった。そこでヘーラクレースは彼女が気に入り、かなりの期間、客遇を受けた。ところがイオラーオスは不機嫌となり、アマルテイアが角の中に入れていた儲けを奪うことを思いついた。この儲けから、彼は自分とヘーラクレースのために何でも好きなものを購入した。
 そういう次第で、いっしょに旅していた者たちは言いならわしたのである、「ヘーラクレースはアマルテイアの角を持っていて、これから自分のために望むかぎりのものを購入した」。そういう次第でこの神話が拵えあげられ、画家たちも<ヘーラクレースを>描くとき、アマルテイアの角を描き添えるのである。
─ ─ ─

[他の出典]
 「アマルテイアの角」が山羊の角か牛の角かで2説に分かれる。前者は、Callomachus, Hymn 1.49; Ovid.; Anacreon, frag. 361 PMG. 後者は、Apollodorus 2.7.5; Pherecydes FGrHist 3F42.

46."T"
[ヒュアキントスの話
46.1
 ヒュアキントスは、アミュークライ人の美しい若者であった。これに目をつけたのがアポッローンであり、ゼピュロスもまた目をつけた。そして両者ともにその姿に魅了され、めいめいが持っている思い思いの方法で名誉を競った。アポッローンは弓を射、ゼピュロスは風を吹かせた。前者から送られたのは歌曲と快楽であったが、後者から送られたのは恐怖と混乱であった。若者は神霊の方に傾き、ゼピュロスをば嫉妬のために、戦争に向けて武装させることになった。
 その後、体操訓練とゼピュロスからの報復が若者の身に起こった。あの者を亡き者にするのに奉仕したのは円盤で、これは前者〔アポッローン〕によって放擲され、後者〔ゼピュロス〕によって運ばれたものである。そうして彼〔ヒュアキントス〕は死んだが、この災禍を記憶にとどめることなく「大地」を放置しておくことができず、若者の代わりに花が生じ、その名を受け取った。かくて言いならわされるのである、その花弁に名前の頭文字も書きつけられている、と。

[他の出典]
 アポッローンの投げた円盤が恋人ヒュアキントスに当たったという話は、Hesiod, frag. 171 MW; Euripides, Helen 1469-75; Nicander, Theriaca 902-6; Ovid, Metamorphoses 10.162-219; Apollodorus 1.3.3; 3.10.3. それが恋敵ゼピュロス〔西風〕のせいだとするのが、Pausanias 3.19.4-5; Lucian, Dialogi Deorum 16(14); Nonnus 10.253-55; Tzetzes, Ciliades 1.241-66. 後には、西風の家来の北風ボレアースだとする、Servius on Bucolica 3.63; Second Vatican Mythographer 181.
 ヒュアキントスが死んだ地点に咲き出た花にajiai:、ないし、ヒュアキントスの頭文字のイプシロンの文字が記されていたという。前者は「ああ!」という嘆きの声、ないし、アイアースの頭文字だという、Euporion, frag. 40 CA; Ovid Metamorpheses 10.215-16; 13, 394-98; Pliny, Natural History 21.66; Lucian, op. cit.; Schol. Theocritus 10.28.

47."T"
マルシュアースの話
47.1
 マルシュアースは野人であったが、次のようにして音楽的な者となった。アテーナーは縦笛を憎んだ。その美しさを少なからず奪ったからである。泉がその映像を写して、どんな結果になるかを教えた。こういう次第で縦笛が投げ捨てられたところにマルシュアースがひそんでいた。そこでこの羊飼いはそれを拾って、唇を当てた。するとそれは神的な力で歌い、使用者の思いをはるかに超えていた。マルシュアースは、この力は〔自分の〕術知だと考え、ムーサたちに挑戦し、アポッローンに挑戦した。神霊を凌げないなら、余生を生きている気もしないと言って。その競演で打ち負かされて、敗北の後、皮を剥がれた。わたしはプリュギアにある河を見たことがある。河の名はマルシュアース。そしてプリュギア人たちは言いならわしている、この流れはマルシュアースの血からできたのだ、と。

[他の出典]
 アテーナーは、殺されたメドゥーサを悲しむゴルゴーンたちの歎きを模した旋律と縦笛とを発明した。Pindar,Pythian 12.6-8; 19-24. 後に、笛を吹く自分の姿が水面に映ったのを見て、あまりの醜さに笛を捨てた。Melanippides, frag. 758 PMG; Propertius 2.30b.16-18; Ovid, Fasti 6.697-710; Ars Amatoria 3.505-6; Apollodorus 1.4.2; Plutarch, de chhibenda ira 6; Hyginus, Fabulae 165; Fulgentius, Mitologiae 3.9. それをマルシュアースが拾って名手となり、アポッローンに競演を挑み、負けて、生き剥ぎにされる。Herodotus 7.26.3; Xenophon, Anabasis 1.2.8; Diodorus Siculus 3.59.2-5; Livy 38.13.6; Ovid, Metamorphoses 6.382-400; Pausanias 1.24.1. さらに参照 Aristotle, Politics 8.6.8 (1341b3).

48."T"
パオーンについて
48.1
 パオーンの生涯は、船と海にかかわっていた。海とは海峡のことであった。いかなる非難も誰からも受けなかったのは、じつに適正な人物であり、持てる者たちからだけ受け取ったからである。その性格はレスボス人たちの間で驚きの的であった。女神はこの人物を称讃した。女神とはアプロディーテーのことだと言われている。そしてすでに年老いた女の外観をとって、船旅についてパオーンと問答している。あの男はすぐに渡して、何の支払いも求めなかった。この礼に女神はどうしたか。言い伝えでは、この男を変身させた、つまり、老人を若くて美しい者に変えたという。これがパオーンである、彼のためにサッポーは自分の恋情をしばしば抒情詩にした。

[他の出典]
Aelian, Varia Historia 12.18; Servius on Aeneid 3.279; Lucian, Dialogi Mortuorum 19.2.

49."T"
ラードーンの話
49.1
 大地(Gh:)には、ラードーン河神と情を交わすのがよいと思われた。かくてお互いに情交したので、大地は妊娠し、子としてダプネーが生まれた。ところがピュティアに坐す方〔アポッローン〕が彼女を愛し、かくて乙女に対する言辞は愛者のそれとなった。しかしダプネーは慎みを愛した。そういう次第で追跡が必要となり、じっさい追跡されたのである。
 しかし、逃げていて断念する前に、自分の母親に、もう一度自分を胎内にもどし、かつてあったように成就するよう呼ばわった。そこで彼女〔大地〕はそのとおりにし、ダプネーを自分の中にかくまった。しかしその地点に、すぐに植物が生えた。神は、恋情の真っ盛りにその〔木の〕手に落ち、その樹から立ち去る術もなく、両手はかき抱き、頭は残りを飾り物にした。また鼎も、ダプネーの樹〔月桂樹〕なしには、ボイオーティアの大地の割れ目の上に建てられることもないと言われている。

[他の出典]
Parthenius 15.4; Ovid, Metamoephoses 1.452-567; Vergil, Eclogues 3.62.

50."T"
ヘーラーについて
50.1
 アルゴス人たちは、ヘーラーは自分たちの都市の守護神であり、だからこそ彼女のために所定の全祭を挙行するのだと考えている。祝祭の仕様はこうである。色の白い牝牛たちの〔牽く〕戦車があり、戦車の上には女神官がいるのだが、町の外の神殿まではそういうふうでなければならない。ところが、あるとき、祝祭の時節がやって来たが、仕来りの牝牛たちがいないという欠陥を有した。しかし、女神官がこの行き詰まりを巧妙に切り抜けた、つまり、彼女は乗り物のために牛たちの代わりとなれる若者たちの母親であったのだ。
 そういう次第で、牛たちの仕事がわが子たちのそれとして果たされたので、彼女は神像のところに立って、この労苦に報酬を求めた。そうして、言い伝えでは、女神が与えた。すなわち、同じ眠りが、人生の終わりのそれともなったのである。

[他の出典]
 この物語の出典は、Herodotus 1. 31。そこでは、若者の名前はクレオビスとビトーン。同じ話が、
Cicero, Tusculan Disputationes 1. 47
Plutarch, Solon 27. 7; Moralia 108F
Hyginus, Fabulae 254. 5。ここでは、若者の名はクレオプスとビティアス、母親はキュディッペーと呼ばれている。
 アルゴスのクレオビスとビトーンの像については、Pausanias 2.20.3.

51."T"
オーリーオーンについて
51.1
 ゼウス、ポセイドーン、ヘルメースの子。
 ポセイドーンと、アトラースの娘たちの一人アルキュオネーとの子ヒュリエウスは、ボイオーティアのタナグラに住んでいたが、客好きなことこのうえない人物で、あるとき神々を迎え入れた。さて、ゼウスとポセイドーンとヘルメースは、彼に客遇され、その親愛をめで、何でも望みのものを求めるよう勧めた。そこで彼は、子どもがいなかったので、子どもを願った。すると神々は、自分たちに犠牲に捧げられていた牛の皮をとって、これに射精し、地中に隠して、十ヶ月後に取り出すよう命じた。時満ち、生まれたのがウゥリーオーン — 神々が放尿したからそういうふうに、後に縁起をかついでオーリーオーンと名づけられた。
 しかし、これがアルテミスといっしょに狩りに出かけたとき、彼女を暴行しようと企てた。そこで女神は怒って、地中から蠍を送り出し、これが彼の足首を咬み、殺した。しかしゼウスが憐れんで、彼を星座にした。

[他の出典]
 プセウド-パライパトス51の全文はSchol. Iliad 18. 486に見出される。そこでは、この話はエウポリオーン(frag. 101 CA)に帰せられている。
Ovid. Fasti 5.493-544; Hyginus, Fabulae 195; Servius on Aneid 1. 535; Nonnus 13. 96-103
 アルテミスによるオーリーオーン殺害と、彼が星座になったことは、上記のほか、
Hesiod, frag. 148a MW; Aratus, Phaenomena 634-46; Nicander, Thriaca 13-20; pseudo-Eratosthenes, Catasterismoi 7.

52."T"
パエトーンについて
52.1
 ヘーリオスの子パエトーンは、父親の戦車に乗りたいという道理に外れた渇望を持ち、さんざん嘆願し涙を流してこれを口説きおとした。しかし、戦車に乗り込み、馬たちを疾駆させ始めると、うまく禦する方法を知らず、そのうえ坐ってじっとして乗ることさえできず、大変な勢いといきりたちに衝き動かされる馬たちに引きずられるまま、ますます地表に近づき、エーリダノス河〔現在のポー河〕に投げ出されて、溺死したが、周囲の多くの部分は焼き払われたのであった。]

[他の出典]
Euripides, Phaethon, frag. 771-86 TGF; Plato, Timaeusu 22C; Apollonius Rhodius 4. 595-611; Lucretius 5. 396-405; Diodorus Siculus 5. 23.2-4; Ovid. Metamorphoses 1. 750-2. 400; Lucian, Dialogi Deorum 24; Hyginus, Fabulae 152A, 154; Nonnus 38. 105-434; Schol. Odyssey 17. 208.

2013.03.14. 訳了。


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