大なべ(Cauldron)

gunderstrup.jpg

 大なべは魔女たちの崇拝の対象であったために、普通、十字架とは対極的なシンボルであった。異教の伝承では、大なべは太母神の字宙子宮であった。カーリーが手にしていた「血の」と同様に、大なべも輪廻転生して再生することを表した。それは父権制社会では時が直線的に経過すると考えられたのとは対極的な考えであった。

 シェイクスピアは、伝承に従って、大なべを3人の魔女と関連させた。というのも、青銅器時代や鉄器時代の文化に最初現れて以来、大なべは運命の三女神を表したからであった。古代英語では運命を表す語はwyrdであった。今ではweirdで、したがって、運命の三女神を表す英語はthe three Weird Sistersとなる[1]

 三体からなる創造女神(太陽を造った母神、宇宙を造った母神、すべての神々を造った母神、の三体)を表すエジプ卜の象形文字は3つの大なべで描かれた[2]。北欧神話の神オーディンは、大地洞穴-子宮の中にある「知恵、血」の入った3つの大なべから、その聖なる力を盗み取った。その洞穴に入るときに、オーディンは男根状のヘビに変身し、大地女巨人に言い寄って欺いた[3]。それからその大なべに入っていた魔法の血を飲み、自在に変身できる身となった。それでに変身して、その貴重な血を他の神々のために持って帰った。このオーディンの神話はアーリア人の天空神インドラの神話を下敷きにしたものであった。インドラも3つの大なべからカーリーの神々の飲み物を飲んだ。この3つの大なべとは三相一体カーリーの3つの子宮のことであった[4]。インドラは秘薬を盗むために、わざと大きなヘビに呑みこまれた。このヘビは女性の性的能力(クンダリニー。身体には6個の中心輸があって、最下のものは会陰部にあり、そこに女神がヘビの形で眠っている。その姿をクンダリニーと言う)を表すものである。インドラもまたに変身して、秘薬を神々のもとへ運んだ。

「ほとんどすべての神話には、奇跡の容器が登場する。その容器は若さと命を与えることもあるし、またときには、治癒力を持つこともある。北欧神話のイミルが持っていたハチ蜜酒の入った大なべのように、力と知恵を与える場合もある。変身させることが多い」[5]

 変身させる大なべとは、次々と形を変えて生まれ代わってくる者を生み出す子宮と同じものであった。バビロニアではこの大なべは運命の女神シリス(星を生んだ母神)が管理していた。シリスの大なべとは青い天界のことで、そこでシリスは再生のハチ蜜酒を醸造した。「シリス、賢明なる女性、母親。シリスは必要不可欠のことをやってきた。その大なぺは光り輝くラピス・ラズリでできたものである。またシリスの桶は純銀と純金でできたものである。峰蜜酒の中には歓喜が立ち上がり、ハチ蜜酒の中には楽しさが座している」[6]

ラピス・ラズリ
 聖書はラピス・ラズリを「聖なる血」sappurと呼んだ。それは神の「位の形」であった(『エゼキエル書』 1 : 26)。欽定訳聖書は、間違って、 sapurを「サファイア」と訳している[8]

 ラピス・ラズリは青い天界の石で、再生をもたらすカがあるものとして重んじられた石であった。ネクトゥ-アメンのパピルスによると、ラピス・ラズリの護符は心臓abを表したものであった。心臓は母親-血の源であった。そのために、その護符はミイラの中に入れられて、死者が再生したときに新しい心臓となるようにされた[7]

 カルデア人の宇宙論では、空はちょうど7つの容器がぴったりと重ね合わされてい るようであるとされた。 7つの容器とは7つの惑星がそれぞれある天空層のことで、その形はお椀やなべを逆さにしたようなものであった。地下界はこうした天界の姿がそのまま2重写しになっていて、ときには、さらに7つの層が大なべの形で描かれるときもあった。ヒッタイトの神話では、大なべのことを死の母神の容器と呼んだ。この母神は天界の母神シリスと双子の姉妹で、暗黒の面を表す神である。「門番が7つの扉を開け。 7つの差し錠をはずした。暗い大地の中を降りて行くと、そこには7つの大なべがある。そのふたは金属アパルゥabaruでできていて、柄は鉄である。そこに入って行くものは何であれ。 2度と出てくることはない」[9]

 エジプト人は、ときに、冥界-子宮を7重丸になっている円形模様と見て、それを再生の大なぺとし、「火の湖」と呼んだ[10]。この地下にある子宮に対応する天界の容器は「天界の上に」[11]あった。しかし地上にもこの聖なる大なべは存在していて、それは神殿の聖域にあった。†

大なべ
 エジプトの神殿にあった大きな大なベはシイ shi と呼ばれた。これはソロモンの神域にあった「鋳たる海」〔『列王紀上』7:23〕のもとになったもので、確かに、「再生の大なべ」であった[12]。バビロニアの御殿にも同じ容器があった。「深淵」 apsuと呼ばれ、入信式、洗浄の儀式、再生の祭式に用いられた[13]。そういった「海」はへブライ語では tehom(深み)と言われた[14]。キリスト教の洗礼盤はこういったものを先例として現れたものであるが、その洗礼盤と同棟、大なべ、つまり「海」は子宮のシンボルであった。ソロモンの「海」は彼の女神アシュトレト(アスタルテー)を表すものであった。それにはアシュトレトの女陰を表すユリの装飾が施されていた。「その縁は杯の縁のように、ユリの花に似せて造られた」 (『列王紀上』7:26)。

 王アイソーンはメーデイアの煮えたぎる大なべの中に入れられて、再生した。メーデイアMedeaとは「知恵のハチ蜜酒」 Mead of Wisdomの意で、メーディア人の名祖の母神であった。王ミーノースも煮えたぎる女神の大なべに入れられ、タルタロス(冥界にある暗い深み)において神格化された。ミーノースはそこで審判者になり、「死の王」となった。その女神は、デーメーテールの名の下に、ぺロプスを大なべに入れて甦らせた[15]。へルモン山(シリア南西部の山)にある碑文によると、ローマ皇帝エラガパルスも、同様に、「大なべに入れられて神格化」された[16]

 使徒ヨハネは、奇妙なことに、こうした再生の大なべという異教神話に似た神話に登場した。ヨハネは煮えたぎる大なべに入れられ、出てくると、以前より一層生き生きとした者になった、という。ヨハネのシンボルは血を流す心臓と煮えたぎる大なべであった[17]。「古代ローマ門におけるヨハネの祝祭というのは異教とキリスト教が混合したものであったために、結局、困ったものとなり、その祝祭は1960年に、キリスト教暦から消されてしまった[18]。しかし、実在していたかどうか疑わしい聖ゲオルギウスが、彼が受けたと言われている拷問の1つとして、煮えたぎる大なべに入れられた、という話は消されることはなかった。ゲオルギウスは、十字を切ることによって、煮えたぎる湯をほどよい暖かさにして、やけどを負うことがなかった、という。この話は母権制のシンボルが父権制のシンボルに服したことを示す1例であった[19]

 ガリア地方やブリテン島にいたケルト人の間では、再生の大なベは宗教的秘儀の中心となるものであった。すなわち女神の子宮の中で再生するという秘儀である。三体の女神モリガンを崇拝したアイルランド人は、そのモリガンの1体である三相一体の女神パッドの2番目の相の者を「煮えたぎるもの」と呼んだ。それは生命、知恵、霊感、啓蒙を生み出すものであった[20]

 ウェールズの吟唱詩人にとっては、バッドは女神ブランウエンであった。ブランウエンは「島の3人の女族長の1人」で、死者がその中に入るとひと晩で生き返る「再生の大なぺ」の所有者であった[21]。「強力なる妖精女王」、つまり「大なべの湖の女王」としてプランウェンは聖なる湖に住んでいた。彼女の兄である列福者プランは、その湖から大なべを拾いあげた。その大なべが、のちに、「聖杯」として知られるようになった[22]。この異教の神ブランはキリスト教に入ってプロンとなった。プロンは聖杯をプリテン島に持ってきた者と考えられたアリマタヤのヨセフの義兄弟であると言われている。ブリテン島がまだ異教の世界であったときにこの大なべ伝説が確立されて、それがずっとのちになって、キリストの聖杯とされるようになったのである[23]。大なべの女神であるブランウェンは、中世になると、物語の中でブラングウェインとして別の形に化身することになった。彼女は産婆で、トリスタンとイゾーデに宿命の娼薬を与えた[24]

 ブランウェンは、また、この地上にも姿を現した。フランスの最初の王朝を創設したメロヴェの息子であるシルデリッヒは、バシナBasina(=大なべ)という名前のドルイド教の巫女と結婚した。この巫女はその王朝の未来を予言した[25]

 「海」が古代の神殿にあったのと同様に、再生の大なべも神殿の中に収められていた。ケルトの神殿にはどこにも聖なる大なべがあった。オープリーの『サリーの博物学』によると、フレンシャム教会には、当時なお、異教の大なべがあった、という。この大なぺは、地方の伝説によると、妖精たちが持ってきた特別大きななべであったという[26]。 8世紀にできた巫女禁止のサリカ法典(キリスト教会は巫女たちを魔女と呼んだ)では、「巫女たちが料理をする場所」に行くときに、「大なべを持って行く」という異教の風習が禁じられた[27]

 ウェールズの吟唱詩人タリエシンは母親から知恵のハチ蜜をもらったと言った。この母親とは女神ケリトウェンのことで、「ケルトの太母神で、デーメーテールに当たる女神」[28]であった。

「魔術、それは妖精の知恵が書かれている書物によって学ぶものであるが、その魔術によって、彼女は息子のために、霊感と学問の大なべを煮たてようと決心した。その大なべは煮えたぎると、 1年と1日、そのまま煮えたぎり続け、ついに神の祝福を受けた3滴の水滴が得られ、霊感の恩寵に浴することができるのであった」[29]

 タリエシンの詩は、魔法の大なべについては間接的にしか歌ってなく、しかもなかば暖昧な詩語で表現されているために、門外漢にはその神秘の内容は隠されてしまっていた。彼の言う「1年と1日」とは、異教の太陰暦のことで、太陰月は28日で1か月になり、そして13か月で1年になるが、それでも合計364日で、 365日にするためには1日足さなければならなかったのであった。この「1年と1日」というのは多くの妖精物語に出てくる。 point.gifMenstral Calendar. タリエシンの詩『地獄の苦しみ』 Preiddeu Annwnは「9人の乙女たち」を歌った詩である。この乙女たちとは、世界を象徴する大なべを煮立てている永遠の火に仕える巫女たちのことであった。そしてまた、女陰の神殿(地獄の門)に仕える巫女でもあり、王の剣(つまり男根)はその門に向かつて振りあげられた。

カイアー・ペドリヴァンで( 4度回って)
9人の乙女たちの息が
大なべからの言葉を発し、燃やす。
ハーデースの大なべの首一一それはどのようなもの?
その大なべのへりに沿って真珠がちりばめられている。
臆病者の食べ物を煮ることもなく、偽証されることもない。
ルウフ・リアックの剣がその大なべに向かつて振りあげられる。
そしてレミノックの手に大なぺは残った。
地獄の門の扉の前には明かりがともっている、
そして我々はアーサーの輝かしい功業にっき従っていったが、
我々7人だけがカイアー・ヴェドウィトから帰還した。[30]

 この9人の姉妹というのは、モーガン・ル・フェイが治める「幸運の島々」に住む9人の女神たち、ギリシア神話の9人のミューズの神々、そしてステュクス川の生誕-門の女王でへレニック以前の9体からなる女神ノーナクリス、と同様の者たちであった[31]。彼女、あるいは彼女たちは、文明発祥のときの、オリエントの伝承に由来する者たちであった。中国では、青銅器時代の殷の時代に、生誕の太女神を表すのに、ミューズの神々が持っている攪拌容器によく似た3脚の大なべ9個で表した[32]

 太古の時代に大なべを用いて祭儀を行ったのは、明らかに、「臆病者」が臆することがないようにするためであった。というのも、それは殉教の祭儀であったからだ。キリスト教の殉教者と同様、大なべに入れられる者は、直ちに、栄光ある生に生まれ変わることが約束されたのであった。ストラポン(紀元前1世紀のギリシア人。旅行者、地理学者、歴史家。禁欲主義者)によると、キンプリ族の巫女女たちは、人々を生贄として聖なる英雄に祀りあげ、魔法の大なべにその血を入れ、その内臓を見て吉凶を占った、という[33]

キンブリ族
 古代ローマ人がキンブリ半島と呼んだユトランド出身のゲルマン民族。紀元前2世紀に、キンブリ軍はローマに進攻して。市民をびっくり仰天させた。

 ある神話によると、人間の身体1つを煮ることができるほど大きななべがあったようである。しかし、その大なべに入れられて死ぬのは実際に死ぬのではない、と信じられていたらしい。ジプシーの伝説には、ある英雄が、神秘の女性によってむりやりに危険な雌ウマの乳をしぽらされ、その上、その乳が煮えたぎっている大なべに入れられた、という話がある。ある神は、天馬の姿になって大なべに霜を吹きかけ、ほどよい温度の湯にしてやる、と約束した[34]。この話を聞くと、コリント人の「人間を食べる雌ウマ」、すなわちウマの仮面をつけた巫女たちの話を思い起こす。巫女たちはベレロポーンを天馬ペーガソスに乗せて天界へと飛翔させた。この天馬は死後、神と化することを象徴するものである[35]

 グンデストルプの泥炭の沼沢地で発掘された有名な銀製の供犠用の大なべを見ると、ウマの背に乗るということは神と化するしるしであることがわかる。紀元前100年頃に作られたこの大なべには供犠の模様が描かれている。生贄となる者はのある神ケルヌンノスと同じ姿勢をとる。すなわち、男性と女性のシンボルであるヘビとトークtorc(古代ゴール人やプリトン人が用いた貴金属をねじって作った首飾り)を手に持って、ヨーガの行者が座るときにとる姿勢、つまり、蓮華座の姿勢をとった[36]。生贄となる者は、列をなして歩いて、聖なる大なべに向かつて行く。その大なべは盾の形で、真ん中が裂けていて、女陰にそっくりである。生贄になる者が頭からその大なべに吊されて入れられるのを、聖職者か巫女と思われる者が見ている[37]。頭上には英雄たちが文字通り日没の中をウマを駆って、神の栄光を受けて昇っていく。日没とは天界を表したのである。ケルヌンノス自身、体をばらばらに切り刻まれて、再生するために大なべで煮られた。こうした儀式を経て、彼は明白に神となったのであった[38]

 こうしたグンデストルプの大なべの場面によく似た場面として、パレストリーナ(イタリア中部の都市。古代名はプライネステ)から発掘された聖具箱の場合が挙げられよう。古代ローマの「時の母親」アンナ・ペレンナはマルスの花嫁ミネルウァに化けて、生贄として死んでいく神マルスに近づいた。ペレンナは裸のマルスの上に乗って、マルスの頭を煮え立つ大なべの中に押しこんだ。そうした光景を冥界の番犬が始終見ていた。それはグンデストルプの場合と同じであった[39]

 異教の秘儀の中には、大なべを死と再生の象徴とする見方をとるものもあった。シベリアのシャーマンはまじないを行う場合には、その前に、身を切り刻まれて、大なべで煮られるという幻覚体験をすることが必要とされた。それが、ときには。 3年の長きにわたることもあった。ヤクート族、ブリヤート族、およびその他の諸部族でも、シャーマンは祖先の霊に殺され、魔法の大なべで煮られ、そうして初めて再生する、と言われている。「シャーマン」shamanの語源はトゥングース語のsamanで、 samanは「死んだ者」の意である。この者は、サンスクリット語でSamanaと呼ばれる「死の王」にたとえられる者である。チベットのシャーマンたちは「大いなる地獄」へ霊魂を旅立させた。この地獄は鉄の大なべとして描かれ、「鉄の家」あるいは「鉄の山」と呼ばれた。そこでは、神にならんとする者は、罪を犯した罰としてではなく、通過儀礼の方法としてラークシャサたち(悪鬼、または羅剰とも言う)に身体を切り刻まれて煮られた[40]

 スカンジナヴィア半島のスカルド(宮廷詩人)-シャーマンたちはフヴェルゲルミルへ霊魂を旅立たせた。フヴェルゲルミルとは轟音とどろく巨大な大なべのことで、大地の底にある泉で、生命を与える流れの源であった。これはオーディンが霊感とカを得た、あの大地-子宮にあって三相一体の大なぺ、と同種異形のものであった。フヴェルゲルミルもまた三相一体のものであった。泉じミミル(「母親」の古語)と呼ばれる知恵と記憶の泉と、ウルダルプルンネルと呼ばれる、いま生き続けている生命の泉、すなわち母なる大地の流れがそこにあった。大地の中にある泉や大なぺは運命の三女神Fates(ノルンたち)が番をしていた。こ の三女神の第1の者は母なる大地自身であった[41]

 再生の大なべが「聖杯」(キリスト最後の晩餐のときの杯)としてキリスト教の伝承の中に入ってきたときでも、それは「大なべ」escueleと言われた[42]。アーサー王の騎士たちは、もともと、アンヌーンという至福の土地(海中の島とも言われている)に聖杯を求めた。そしてイレイン(エレンとも言う。三相一体女神の乙女の相を表す女神)の城において、その聖杯の聖なる姿を見た、という。聖杯はイレインが手にしていたが、イレインの女陰を表すハトが先導したのであった。聖杯はイレインが選んだ者、すなわちギャラハッドにとっては死を意味した。ギャラハッドは聖王として統治していたが、聖杯をその目で見ると、祭壇で死んだ[43]

 シトー修道会の修道士の作とも言われる『聖杯之巻』Estoire del Saint Graalによると、異教徒である2人の統治者モルドランとナシャン(死と再生)は、聖杯を見たためにが見えなくなったが、キリストを刺し貫いた槍に触れると、がまた見えるようになった、という。そしてその聖杯も槍も同じ聖所に保存されていた、という[44]。こうした話は、男性のシンボル(槍)を重視して、女性のシンボル(杯)を軽視することが、主題であったと思われる。


[1]Goodrich, 18.
[2]Book of the Dead, 114.
[3]Larousse, 257.
[4]Campbell, Or. M., 182.
[5]Jung & von Franz, 114.
[6]Assyr. & Bab. Lit., 308.
[7]Budge, E. M., 30.
[8]Graves, W. G., 290.
[9]Hooke, M. E. M., 101.
[10]Book of the Dead, 205-6.
[11]Budge, G. E. 1, 203.
[12]Maspero, 283.
[13]Hooke, S. P., 47.
[14]Lethaby, 219.
[15]Graves, G. M. 2, 27.
[16]Gaster, 587.
[17]Brewster, 230.
[18]Attwater, 189.
[19]de Voragine, 236.
[20]Graves, W. G., 409.
[21]Rees, 47.
[22]Baring-Gould, C. M. M. A., 619.
[23]Campbell, C. M., 533.
[24]Guerber, L. M. M. A., 240.
[25]Guerber, L. R., 147-48.
[26]Keightley, 295.
[27]J. B. Russel, 69.
[28]Baring-Gould, C. M. M. A., 620.
[29]Briffault 3, 451.
[30]Malory 1, xxi.
[31]Graves, W. G., 406.
[32]Campbell, Or. M., 397.
[33]Wendt, 137.
[34]Groome, 107.
[35]Graves, G. M. 1, 255-56.
[36]Larousse, 142.
[37]Cavendish, V. H. H., 49.
[38]Jung & von Franz, 373.
[39]Dumézil, 213, 243.
[40]Eliade, S., 41, 159, 237, 439.
[41]Branston, 53, 82. ; Turville-Petre, 246.
[42]Campbell, C. M., 531.
[43]Malory 2, 130, 268.
[44]Campbell, C. M. 535.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



一般〕 大なべは「温めたり、煮たり、焼いたりするための金属の器」である。大なべで作られるのは何よりまずブイヨンやジャムであるが、魔術的な料理、悪魔的な料理もされ、ここから伝説の「悪魔の釜」 や「魔女の大なべ」が生まれる。大なべはまたケルトでは、瓶に相当する、大壷と同価とするところもある。このなべは食べても食べてもなくならない食べ物が入った「豊穣の大なべであり」、無限のシンボルである。

ケルト・ウェールズ〕 ケルト文学には3種の大なべが出てくる。1つはドルイド教の神、ダウダの大なべである。それは誰でも必ず満腹になる〈豊穣〉の大なべである。もう1つは〈再生〉の大なべで、ブランウェンのマピノギ(ウェールズ地方の古い物語)によれば、その中に死者を投げ込むと翌日生き返るというものである。第3のタイプの大なべは〈供犠〉用である.王が王座から追われるとき、治世の最後のサウイン祭に宮殿が焼かれ、王は大なべのブドウ酒かビールの中で溺れ死ぬ。これら3つの大なべは1つの神聖なお守りの3つの変形であり、このお守りこそ後の『聖杯』の祖先、原型なのである。時代は下るが散逸した古い資料を写したとされるガリア時代の「ベルンの古注」(9世紀)に、テウタテスに奉じた樽についての言及があり、この樽で人間1人を溺死させる儀式を行ったという(OGAC、10、381以下:12、349以下)。
 「全能神・知恵の神」であるダウダの「豊穣」の大なべは、地上のあらゆる人間の物質的な糧だけではなく、あらゆる種類の知識をもっている。また詩人、鍛冶、医者の女神のケリドゥェンも大なべを持ち、それが霊感と呪力の中心であった。

 「ケルトの伝承の神話や呪術の大なべの大半は(その役割は他のインド・ヨーロッパの神話でも同じである)海や湖の底で発見された。アイルランドの伝説の奇跡の大なべ〈ミュリアス(Murias)〉は海を意味する〈muir〉から来ている。呪力は水中に潜んでいるのである。大なべ、なべ、杯はしばしば神酒、神の食べ物、〈生ける水〉などが象徴するこの呪力の入れ物なのである。それらは不死や永遠の若さを与えたり、持ち主(あるいはそこに入る者)を英雄や神に変える」(ELIT、179)。

中国・象徴〕 大なべは中国では鼎で、供物を煮たり、処罰のため罪人や、神明裁判の被疑者までも煮る儀式用の容器である。易の六十四卦の1つである鼎の字ははっきりと釜の形をしている。『易経』によれば釜は〈福と繁栄〉のシンボルである。ここにも豊穣の観念が見られる。それから諺に善悪の区別(釜が倒れる倒れないによる)や、煮炊きの失敗、成功を題材にしたものがあって、そこで煮炊き(加熱)は錬金術の《大いなる作業≫の象徴として描かれている。「釜の脚が1つ折れていると、主の汁はこぽれる(鼎折足覆公)」.この諺の後半にも豊穣の観念が見られる。この汁とは君主の《徳≫の精髄そのものである。

 最初の3本足の大なべは黄帝が鋳造し、彼はこのなべから占いの力、さまざまな物事の循環周期を安定させる力、遂には不死を得た. 3本足のなべは賢者とともに現れ、その徳が衰えると消滅する. 王朝の始祖、大禹は9の州から運ばれた金属で9の大なべを鋳た.大なべは中心部の9の州の統合(5つは〈陽〉、4つは〈陰〉であった)、したがって世界全体を象徴した。大なべはひとりでに移動し、自然に水を沸騰させた。大なべは《天》の力の影響を受けていたのである。周の凋落のおり、徳も知識も失われたので3本足のなべは水に沈んだ。最初の皇帝、秦の始皇帝は泗水から大なべの1つを引き上げようとしたが、竜に妨げられた。彼の徳では大なべを我が物にできなかったからである。

 内的錬金術(内丹)は人間の体を3本足のなべとする。そこで不死の秘薬が錬成されるのである。より正確には、大なべは八卦の〈坤〉、すなわち《地》、受動的原理、集積容器、すなわち、「下位の丹砂の畑」(下丹田)で同時に錬金術の象徴体系の「基」であるものに対応する(ELIF、GRAD、GRAP、KALL、KALT、LECC、LIOT)。

トルコ〕 すり鉢と相通じる象徴的意味を持つ魔術的な大なべは、ウラル・アルタイ語族やアジアのシャーマニズム世界全般の叙事詩、神話の中で大きな役割を演じる。〈カザン〉(大なべ)はトルコ民族の歴史上、あるいは伝説上の多くの英雄の名前である。これはまた幾度も都市の名になった。たとえば、黄金の軍団の首都カザン、ヴォルガ川中流のタタール族の都市カザン、など。トルコのバラバ族とタラ族の巨人くサミール・カザン〉、または〈サリール・カザン〉は深淵の主のようで、英雄〈アク・ケベク〉(白い泡)と戦うという話もある。〈エル・テシチュク〉についてのキルギスの叙事詩では主人公は、「青い巨人」、地下世界の主に強要され、「40の把手のある魔法の大なべ」を探しに出発する。それは「生きた、を与えられた大なべで、血に飢えていてあえて近づくものは皆むさぼり食べてしまう。学者たちが伝えるところでは、この大なべの把手の1つは吸血の竜で、別の1つには全世界を焼き尽くす神の7つの災厄が入っている。またもう1つの把手はまっすぐに立ちあがり、激しい怒りを表し、これに立ち向かったものは死の化身を見る思いがしたということである」(BORA、200)。最終的には不思議な力を持つウマ、≪チャル・クイルク≫が〈帰らざる国〉の湖に潜り、魔法の大なべを攻撃し打ち負かし、主人のエル・テシチュクをこの試練から救い出す。

ギリシア・神話〕 大なべ levbhV はギリシアの多くの伝説にも登場する。「大なべで煮ることは試練を受ける者に不死をはじめとする、さまざまな力を付与する呪術的作業である」。そのなかで我々が見出すのは、子供や若者たちを待ち受ける危難を解説、説明した明らかに通過儀礼的な性格の神話、非常に古く、今ではすたれてしまった通過儀礼の実際に関連する神話である(H・ジャンメール、SECG、295所収)。しかし、ギリシアの他の伝説では大なべに入ることは人物の神的性質を決める一種の神明裁判とされている。「テティスは、……ペーレウスから得た子孫が自分と同じように死すべき存在かどうか知りたいと思い、水を満たした桶や大なべに沈め、このため子供たちは溺れ死んでしまう。別の説では子らが入れられるのは熱湯の大なべで、水の場合よりよい結果とならなかったのは当然である。最後に、メディアはというと、彼女は年老いたペーリアスを若返らせると偽って大なべの中で煮た」(同書、308)。大なべは強壮、若返り、さらには再生の、要するに、根本的な生物学的変貌の場であり方法である。しかしシンボルは両義的であり、大なべとは死と煮炊きによって新しい存在の誕生を告げるものでもある。
 (『世界シンボル大事典』)


[画像出典]
 Celtic Sacrifice

グネストルップ(Gundestrup)の大釜 (2- 3C BCE)

 ユトランド半島のグネストルップにあるラエヴモーズ泥炭層から、グネストルップの大釜として知られる有名な祭儀用の銀の器が発掘された。器は高さ約35センチメートル、直径約65センチメートル、そして130リットルの容積があった。96パーセントの純度の銀製で、もとは金メッキがほどこされていた。大釜は内側が5枚、外側が7枚の基礎となる側板からつくられており、それぞれの側板には神話の一場面が描かれている。そして沼地に埋める前に、構成するそれぞれの銀の板は分解されていた。

 グネストルップの大釜の起源や制作時期については、いくつかの説があるが、おそらく紀元前4世紀から前3世紀にかけてつくられたものと思われる。その装飾の美術的な形式の点からいえば、器はルーマニアかトラーキア(現在のブルガリア)で作られたものであろう。製作者の銀細工師は — およびさらに何人かの手が加わっているものと思われるが — 多様な象徴性の図像表現を試みている。西ヨーロッパのケルトの図像とは一致しないもあるが、ほぼ明確にケルトのものといえるモチーフと図像があった。例としてケルトの武器類の描写 — カルニュクス(猪の頭の戦闘用のトランペット)、盾、動物の頭頂飾りつきの兜など — がある。それに加えて、ケルトの図像の主流であり、他の解釈のしようがないほど特徴的な神の像が描かれている。

 グネストルップの大釜の側板には神話の物語が描写されているようだが、意味のある説明をするのは不可能である。神々、人間や動物たちが描かれている。動物のなかには豹のような異国風の種もいる。集会では、神々が人間よりも大きく描かれている。多くの像はケルトの信仰で馴染みのあるもので、後期のローマ化されたケルトの宗教的図像と非常に密接に関連している。雄羊のをもったは2度も登場し、1つの側板ではは雄鹿のをもつ神ケルヌンノスにつかまれており、ケルヌンノスはこの場面ではあぐらをかいて座るといういつもの姿勢をとり、2本のトルク(首環)を — 1本は首の周りにつけ、もう1本は手に持って — を身につけている。そしてケルヌンノスはお供の動物(アトリビュート)である雄鹿や他の動物をともなっている。別の側板では、太陽の車輪の神が描かれているようだ。ここでは顎ひげのある神の半身像が、雄牛のついた兜をかぶった小さな侍者に引かせた二輪馬車または二輪の荷車の車輪とともに表されている。gunderstrup2.jpgある側板はケルトの歩兵隊と騎兵隊の行進と神聖なる木々を描いている。雄羊のをもったもそこには描かれており、また背の高い神が大桶か手桶に入れた小さな人間たちを持っている興味深い光景が展開している。これは人間の生贄を表しているのであろう。ガリアの神テウタテスは、伝えられるところによると、溺れさせられた人間の生贄を受け取るという。しかしそうではなく、ここに現れた情景は、アイルランドやウェールズの土着の物語に記録されているように、死んだ兵士たちが不死の大釜に投げ入れられて蘇ることを反映しているのかもしれない。

 この大釜にはさらに重要な図像が描かれている。大釜には多様な女神たちが描かれており、また1つの側板上には二輪の荷車で旅をしているかのように、車輪を側面に置いた女神の姿が表されている。この女神は、戦車に乗って自らの軍隊を動かすアイルランドの女王の女神メイヴや、タキトウス(『ゲルマニア』40)が言及していたゲルマンの女神ネルトウスによく似た女神像ではないかと推測してみたい。大釜の内側の板には、3人の剣を帯びた戦士の手で、3頭の神の雄牛が今にも生贄にされようとしている光景が措かれている。動物は殺し手(戦士)に比べて巨大に描かれており、雄牛が神聖な地位にあったことを示している。またここにはケルトの3つ組の伝承が現れている点が興味深い。類似した生け費は基板にも描かれており、そこでは非常に大きな雄牛*が地面に倒れて死なんとしている。

 これらの豊富なそして明らかに宗教的な図像を別にして、大釜がデンマークの沼地に沈められていたことは、それ自体が儀式的な行為であったことを示している。青銅器時代後期から鉄器時代初期にかけて、未開のヨーロッパでは広い地域で大釜が故意に水のある場所に置かれたという例は、何度も繰り返して見られるものである。しかしこの祭儀用の大釜がユトランド半島の沼地で見つかったことが、そのケルト的な図像とともに、問題なのである。南東ヨーロッパの職人が、とくにケルトの顧客、おそらくは神官(僧侶)のために、宗教的儀式で使う器をつくるようにと派遣された可能性もある。ゲルマン人の侵略者がこの大釜をガリアから略奪し、そしてのちに安全のためか、または彼ら自身の神々への供物として、これを分解して埋めたのかもしれない。
 (ミランダ・J・グリーン『ケルト神話・伝説事典』p.94-96)