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セ(ー)ツ/セ(ー)ト派(Sethians)〔Gr. Shqianoiv

 アダムとエヴアの第三子として「創世記」に登場するセツは、グノーシス主義のいくつかの伝統において、神的人間、キリストの先駆者、あるいはキリストの過去世の化身とされる。

 『創世記』四・二五は、セツについて次のように簡潔に記している。
 「〔最初の息子カインが二番目の息子アベルを殺したのちに〕アダムは彼の妻とふたたび寝た。彼女は身篭もって男の子を産んだ。そして「カインによって殺されたアベルのかわりに、神さまは私に別の子をお与えくださった」と言って、その男の子をセツと名づけた。セツにも男の子が生まれ、その子をエノスと名づけた」。

 セツは「創世記」第五章のアダムの系図のなかでふたたび紹介されている。「アダムが一三〇歳のとき、自分に似た、自分の像のような息子が生まれ、その子をセツと名づけた。アダムはセツが生まれたのち八〇〇年生き、そのあいだにまた別の息子たちと娘たちをもうけた(中略)セツが一〇五歳のとき、エノスが生まれた。セツはエノスが生まれたのち八〇七年生き、そのあいだにまた別の息子たちと娘たちをもうけた」。

 これら二つの簡潔な記述と、アベルは死んでカインは「放浪者、地上をあてどなくさまよう者」となったからにはセツが事実上の「長男」であるという考えとに基づき、ユダヤ教の伝統はこの話にかなりの肉づけを加えるようになった。一世紀のユダヤ人歴史家ヨセフスによれば、セツは誠実な息子であり、そのたくさんの子孫は繁栄して、占星術の発明などさまざまな進歩を人々にもたらしたという。

 ナグ・ハマディの諸写本には、おそらくユダヤ教グノーシス派によって編纂された、セツヘの言及が見られる一群の文書が存在する。研究者は『セツの三つの柱』、『アルコーンの本質』、『ヨハネのアポクリュフォン』、『エジプト人福音書』など10文書をセツ派によるものと考えている。それ以外の『セツの第二の教え』はセツをタイトルで示すのみで、あとはもっばらイエスについて述べている。

 たとえば『エジプト人福音書』では、セツは「真に生ける力」として、「穢れなき不動の民族の父」として、それにグノーシス主義の創造物語の参画者として記述されている。セツはみずから「ひそかに処女をつうじて……ロゴスをまとったからだ」を造りだす。そしてイエスは「大いなるセツが装った者」として記述される。同書では三つの神的な力が父なる神、母なる神、子なる神として記述され、これら神々はより低次な無数の力を生じさせたとする。

 また『アダム黙示録』では、セツはグノーシス主義の教えを伝える。同書はキリスト教的内容が希薄であり、そのため同書はユダヤ教黙示文学からグノーシス主義黙示文学への過度的段階を示すものと見る専門家もいる。なお黙示文学とは、真の知識の所有者が歴史の終末において誤れる勢力に打ち勝つであろうさまを記述したものである。『アダム黙示録』で、アダムはセツに民族の未来について明かす。この未来には、ノアが息子のセムとハムとヤペテに土地を分け与えたことや、永遠の神の信奉者と誤れるこの世の神(アルコーン)の信奉者とのあいだの闘いなどが含まれる。永遠の神は方舟で救った者のほかに新たに子孫を作ったかどでノアを非難する。ノアが義務を放棄したとき、永遠にして異なる神についての知識であるグノーシスを持ったその他の人々がこの世から救いだされ、「彼ら本来の(天の)国へ」と運び去られる。

 2世紀以降のセツ派のグノーシス主義者たちとなると、ほとんどその消息は聞かれない。とはいえ、4世紀にナグ・ハマディに隠されたセツ派の諸文書は、グノーシス主義はキリスト教から派生したというよりキリスト教とは独自に発展したと主張する研究者たちに有力な論拠を提供した。(C・S・クリフトン『異端事典』p.123-124)