「認識」を意味する。グノーシス主義とは初期キリスト教時代の秘教信奉者と、そこから派生した中世の異端を表す一般的用語であった。この派の「認識」は来世の秘密、天において有利な位置を得るために要求される魔力と、カある言葉と、神の真の性質の啓示を意味した。グノーシス派の指導的な宗派は、太母と生贄として死んでいく神、すなわちエレウシースやオルペウスやウシル〔オシーリス〕の秘儀に焦点を当てた。グノーシス主義は「500年ほどにもわたって、思慮深い精神の持ち主が宗教へ接近する方法」であったとアンガスは述べている[1]。
西欧のグノーシス主義においては、根本的にはキリスト教徒である宗派も含めて、タントラ風の瞑想と性的儀式が目立った。タントラのヨーガの最終的目標が「沈黙」、すなわち本来の創造的言葉ロゴスを包む、女性的力の原初の領域に入ることであったので、グノーシス派のキリスト教徒は万物の始まりに生きていた女神シゲー(沈黙)との交流を求めた[2]。シゲーは神の母であり、妻でもあるグノーシス派の太母ソフィア(知恵、すなわち認識)を生んだ。
グノーシス派のあるものは、ソフィアと同一視される、世界霊魂という東洋的概念を取り入れた。この霊魂は、両性具有者として、神と交感することもあった。これが教父オリゲネスの見解であった。オリゲネスは生前は敬われていたが、死後3世紀たつと、異端の信仰を保持しているとして破門された[3]。「われわれの肉体は人間の器官から成っているが、1つの霊魂によって支えられている。そこで宇宙が1つの霊魂に支えられる巨大な生物として考えられることになる」[4]とオリゲネスは言った。キリスト教徒の観点からみて、世界霊魂に関する面倒な点は、その霊魂が1つの神の聖霊の中に、祝福されたものと呪われたものを混合し、最後の審判の日に必要とされるヒツジとヤギの分離を妨げたことである。
カトリック教会は、とくにグノーシス派の女性に関する比喰的表現に反対した。カトリック教会には、グノーシス派が言うように、神が太母の罰を受けて当然とは考えられなかった。聖パウロの信者たちは、サタンの、貧欲なオオカミ、悪魔、無神論者、泥棒、海賊、人間の形をしたけだもの、恐ろしい毒の商人とグノーシス派を呼んで非難した。このような表現は、その当時キリスト教徒がお互い同士で交わし合った典型的侮辱の言葉だった[5]。
4世紀から8世紀にかけて、教会は絶えず少数派のグノーシス派を迫害した。それでも「グノーシス派が消滅したと思われてから何世紀も後まで、秘密の信徒団体がグノーシス派の教義と異端の宗教の啓蒙主義を不朽にした」[6]。グノーシス主義崇拝が行われていたことを示す遺物が、シチリア島、スペインや南フランスのいたる所で発見された。とくに中世初期のものと見られるギリシアの「箱」cistae、あるいはセムの「方舟」のような神聖な箱coffres gnostiquesが見つかった[7]。
教父たちは女を教会の構成員と認めるグノーシス派の傾向に、とくに複を立てた。グノーシス派は「全入門者は、男も女も同じように……-、聖職者、司教あるいは予言者として仕えるように選ばれる可能性がある」としていた。テルトゥリアヌス(影響力をもった初期のキリスト教徒の著作者で、神父。155-220?異教徒の両親の間にカルタゴで生まれた)はグノーシス派の女は「教え、議論に参加し、悪魔祓いをし、治療もする」と恐ろしげに報告している。それらの女たちは洗礼までして、司教の地位についていることを示した。「女たちは、皆同じように神に近づき、祈り、もし誰かが来るようなことがあると、たとえ異教徒でも……耳を傾ける。彼らはやって来るものすべてと平和のキスも交わす」[8]。
秘教のキリスト教のまことの啓示は、1人の女、すなわち使徒たちの使徒、マグダラのマリアMary Magdalene、すなわちイエスの愛した人を通して現れたと、あるグノーシス派の集団は主張するにいたった。彼らは「父と母」と呼びかけられる2つの性をもっ、イエスとマリアと同一視される神に祈った。エイレナイオス†はこのような集団が「後悔して」自分に服従するように主張し、だから彼らの霊魂を救えるように「事前の懲罰」をもって罰することができると、破門を申し渡した[9]。
エイレナイオス
医者、聖人、神父。リヨンの司教として2世紀に生きていた人と言われる。エイレナイオスの歴史は主としてエウセピスの断言(おそらく偽)にもとづいていて、唆昧なところがある。エウセビオスはエイレナイオスから手紙をもらったと主張したが、 1通も保存されていなかった。こうしてエイレナイオスの殉教の話は嘘であることが証明された。
グノーシス派の啓示についての原理は、中世初期の吟遊詩人の物語、宗教劇、おとぎ話の中に吸収された。そのような資料の中に異端の宗教の秘密が、寓話とか、象徴的戯曲の形で保持されていた。絶望的なほど物質主義であるとみなしていたローマ教会から分かれて、マニ教的グノーシス派は自分たちの教会を創設した。彼らによれば、ローマ教会の神は、人間の霊魂をわなに掛けて悪に引き込むために、物質世界を作った悪魔のようなデミウルゴス(創造神)であったと主張した[10]。Manicheans.
グノーシス主義の伝承は南フランスとイタリアのカタリ派キリスト教を発展させ、それが流血のアルビ派十字軍を活気づけることになった。Crusades. カタリ派の教会は、ローマ教会の教義に勝る、グノーシス派の秘密の教義をイエスが伝えたと主張した。「内なる人」だけが天に昇るのだから、肉体の復活の教義は嘘とされた。洗礼は無益だった。結婚は重要ではなかった。「完成された」者を除いては、禁欲生活を守る必要は誰にもなかった。「完成された」者は東洋のヨーガ行者のように感覚的生活を非難した。異端審問は「邪淫の母」、「偉大なる娼婦パピロン」、「悪魔のパシリカ」と「サタンのシナゴーク」というような名前でローマ教会を呼んだといって、カタリ派を責めた。
トゥルーズの機織職人ジョンの話は道徳的潔白に関する、ローマ教会とカタリ派の原理の間の対立を示していた。ジョンはグノーシス派の異端に従っているととがめられたが、自分は嘘をつき、悪口雑言を吐き、肉を食べ、妻との性交を楽しんでいると宣言した。これでジョンは異端のカタリ派ではなく、忠実なキリスト教徒であると証明された[11]。
他のグノーシス主義の要素は、天文学、錬金術、錬金術的魔術とオカルティズムに行き渡っていた。必要とされている知識が、錬金術師や魔術師によって発見(あるいは再発見)されるようになった自然科学であると、教会はそれを信仰にとって破嬢的であるとして、反対した。聖アウグスティヌスは「知識や科学といわれている空しし奇妙な欲望」を断固として非難した。それでもへルメス・トリスメギストスは中世の錬金術師やオカルト信奉者に半ば承認されていた神であったが、「ほとんど全真実」を顕示した人としてラクタンティウスにたたえられている。自然科学の追求は女性にも関連があった。女性は錬金術的で神秘的霊知の起源に密接な関係があるとされていたのだ。つまりシオセピア(練金術で作り出されたとされる伝説上の女性)と、ユダヤ人のマリア、自らをクレオパトラと呼んだ人、それにもう1人はアセト〔イーシス〕と呼んだ人などである[12]。
たとえ秘密にされてはいても、異教の書物の再発見が、アセト〔イーシス〕を影響力をもつ重要な地位に戻した。古代ギリシアの世界では「無数の名前をもつアセト〔イーシス〕」は他の女神たちすべてと同一視されていた[13]。中世になると、オカルト信奉者は、アセト〔イーシス〕がプルータルコスの書物のなかで礼賛され、世界霊魂、すなわちソフィアと同一に見られているのを発見した。アセト〔イーシス〕は星の冠をかぶった裸体の女神として、数多くのオカルトの本に現れ、アセト〔イーシス〕が陸と海を支配していることは、大地に置いた右足と、水の中に入れた左足に象徴されていた。アセト〔イーシス〕の女陰は正確な位置に置かれた三日月によってしるしをつけられた。現代の男性の学者は、女性の性器については奇妙に典型的で、暖昧な知覚をもっていて、このしるしが女神の「子宮」を覆うものであると、好んで描写した[14]。
カトリック教会はほんの少しでも女性の神、あるいは権威者を暗示するものを見つけると、必ず直ちに異端とした。これが一般的原則になっていた。グノーシス派が受けたさまざまな種類の迫害が、その原則を何度となく証明している。自然科学も女性の霊的な性質も、西欧の父権性社会が投げ掛けようと考案したあらゆる障害に対抗して、大いに苦労した末に、やっと生まれてきた。現在でも、女性の霊的性質の方はまだ完全に生まれ終わったとは言えない。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)