「油を塗られた者」の意。christosはギリシア語で、ラテン語ではchristus、英語ではchrist。中東地方の生贄になった多くの神々の添え名である。アッティス、アドーニス、タンムーズ、ウシル〔オシーリス〕などがその例である。「油を塗る」ということは、オリエントの聖婚の儀式に由来することであった。東方諸国では神の男根像lingam、すなわち神像の勃起した男根は聖なる油(ギリシア語ではchrism、ラテン語でchrisma)を塗られた。それは神の花嫁である女神の膣への挿入を容易にするためであった。神殿に仕える乙女の1人がその女神の役を務めたのであった[1]。油を塗られる前に、その神の男根は、顔料かブドウ酒か血(とくに、花嫁の経血menstrual blood)で赤く塗られて、いかにも生身であるかのような色にされた[2]。昔は聖なる結婚によって王権が保たれたために、実際の王であろうと、その正式の叙位式として塗油が行われるようになったのであった。油を塗ることによって、その王が神になることが約束されたのであった。
詩篇作者の「あなたは私の頭に油をそそぎ」という言葉は、神-王の男根に油を塗った古代の習慣からきたものである。そしてこの「頭」とは男根の婉曲表現としてよく用いられるものであった。王室の結婚式においては、ヒンズー教のスヴァヤマラsvayamaraの儀式の場合と同じように、王の頭には花冠が置かれた。花とは、聖書の言葉では、経血を象徴するものであった(『レビ記』15:24)。異教においては、神殿に仕える乙女は神の神像によってその処女を失ったが、同時に、神像の頭に花冠を置いた[3]。しかし救世主、あがない主、神の子などといった者が生贄となるときにはこの聖なる婚儀が行われていたのが、やがて行われなくなり、そのために、男根に油を塗ることに代わって、頭に油が塗られるようになったのである。新約聖書のキリストのように、救世主は葬りのためにのみ油を塗られるようになった(『ヨハネによる福音書』12:7)。葬りとは大地との結婚であった。イエスがキリストになったのは、マリア(更生した売春婦、あるいは、神殿に仕える乙女)がイエスの葬りの用意のために、イエスのからだに香油を注いだときであった(『マタイによる福音書』26:12)。マリアは、また、イエスの復活をも告げた(『マルコによる福音書』15:47)。
エッセネ派の人々の間では、キリストなる者は聖職者であって、とくに、「罪をになう人」、「あがない主」と呼ばれた。すなわち、他人の罪をあがなう人であった[4]。スラブ人の間では、キリストKrstnikは生贄になる英雄を意味すると同時に、また、「のろわれた人」をも意味した。それは、「罪をになう人」が生贄となる前に、儀礼としてその人にのろいをかける習慣が古代にあったからであった[5]。Firstborn.;Kingship..
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
And if any man lie with her at all, and her *flowers* be upon him, he shall be unclean seven days; and all the bed whereon he lieth shall be unclean.