〔1-8欠番〕
9
Diogenes Laert. VII 163:
彼(sc. キオスのアリストーン注10))の著書としては、以下のものが伝えられている。
1。哲学の勧め 2巻。
2。ゼノーンの学説について。
3。対話編。
4。講義集 6巻。
5。哲学論集 7巻。
6。エロース論。
7。虚栄心についての覚書。
8。備忘録 25巻。
9。回想録 3巻。
10。金言集 11巻。
11。弁論家たちを駁する。
12。アレクシノスの反対陳述に答える。
13。間答法家たちを駁する 3巻。
14。クレアンテースに答える。
15。書簡 4通。
ただし、パナイティオスとソーシクラテースの主張では、彼のものは書簡だけであって、その他は〔ケオースの〕逍遙学派アリストーンのものだという。
〔10欠番〕
11
Strabo X 486(cf. fr. 2a):
アリストーンは、ボリュステネース人ビオーン注11)〔前325頃(?)生。放浪哲学者〕の競争相手。
〔12 欠番。以下、''13,1"-15まで、現在のわたしのカでは能力不足。面ぁ〜洗って出直しますです(..;)〕
''13,1"
Philodemus Peri kakion X col. X:
"13,2"
ib. col. XI:
"13,3"
ib. col. XII:
"13,4"
ib. col. XIII:
"13,5""
ib. col. XIV:
"13,6"
ib. col. XV:
"13,7" ib. col. XVl:
"14,1"
Philodemus Peri kakion X col. XVI 29:
"14,2"
ib. col. XII:
"14,3"
ib. col. XVIII:
"14,4"
ib. col. XIX:
"14,5"
ib. col. XX:
"14,6"
ib. col. XXI:
"14,7"
ib. col. XXll:
"14,8"
ib. col. XXIII:
"14,9"
ib. col. XlV:
"15"
Philodemus Peri kakion fr.1457 col. XI fr.23 (Herculanensium voluminum quae supersunt collectio tertia ed. D. Bassi 1914 p.17, cf. ib. p.2 ff):
16
Plutarchus Decuriositate 516f:
じっさい、風の中でも、とりわけわれわれが悩まされるのは、アリストーンが主張しているように、われわれの着物までまくりあげるやつだ。ところがお節介焼きときたら、隣人の外衣(himation)はもとより、内衣(chiton)までも、いやそれどころか壁までもひんむ いて、扉を開け放ち、r乙女の柔肌を」(Hesiod O.D. 519)も風のごとくに吹き抜け、潜り抜ける、バッコス祭(bakcheia)や合唱舞踏や夜祭(Pannychis)のあら探しをし、誹語中傷しながら。
17
Athenaeus XIII 564a (cf. Klearchos fr.22):
というのも、アリストーンも主張しているところだが、昔も〔人々は〕少年たちを恋し、そこから、恋される者たちが愛童(paidika)と呼ばれるようになったのである。
18
Athenaeus XllI 563f:
そして、ケオースの逍遙学派アリストーンも、『恋の類似物について』第2巻のなかで、あるアッティカ人に向かって述べていたのは悪くないようにわたしには思われる、〔そのアッティカ人は〕身の丈のかなり大きな人〔像〕一一その名はドーロス(Doros)といった一一を指さして、美しいといったところ、彼〔アリストーン〕は謂う、「わたしには、ドローン(Dolon)〕に対するオデュッセウスの返答がおぬしにあてはまるように思える、『なるほど、さようしからば、いざ、大いなる賜物に期待が持たれる』(〔Il.〕X 401)と」注12)。
〔ドローンという名前には、「贈物(dolon)」の含意があるので、オデュッセウスは語呂合わせをしたのである。〕
19
Plutarchus Themistocles lll:
だが、この人に対する敵意(sc. アリステイデースに対するテミストクレースの)の発端は、まったくもって若気の致すところであった。というのは、哲学者アリストーンが記録しているところでは、2人とも生まれがケオースの美少年ステーシレオスに恋していた。 これがもとで、公的なことについても党争をつづけたのである。
20
Plutarchus Aristides II:
さらに、ケオースのアリストーンの主張では、彼ら(sc. テミストクレースとアリステイデースとの間)の敵意は、恋から始まり、あれほどまでに進んだのだ。すなわち、ステーシレオスは、生まれはケオース人で、身体の見目かたちは、同世代の者たちのなかでも 格別に輝いていたが、2人ともこれに恋し、激情は程を超え、少年の美しさが色槌せた後も、勝ちたい心が衰えるどころか、むしろそれによって鍛えられたかのように、燃えあがり、仲違いしたまま、まっすぐ政界に突進したという。
21
Plutarchus Amatorius 766e:
そして、これらの美しくも清浄なる、われわれのいうところの想起(anamnesis)一一これによって、神的で真実でオリュムポス的なあの〔イデア界の〕美へと魂が飛翔するところの〔想起〕一一が、子どもたちに生じ若者たちに生じることを、また処女たちや女たち に生じることを、……どうして……妨げることがあろうか、アリストーンが言ったことだが、あたかもまっすぐな履き物が足の姿形のよさを示しているように、形姿の若々しさと優美さのなかに、清らかで端正な性格が際だっている場合に。
22
Athenaeus XV 674b:
さらに、アリストテレースは『恋』の第2巻のなかで、また、生まれはケオース島の逍遙学派のアリストーンも『恋の類似物』の第2巻のなかで、主張している、つまり、昔の人たちは、酒がもとで頭痛に苦しめられるときは、手当たりしだいに縛るものを見つけた、こめかみを縛るのが効くと思われたからである。しかし後代の人たちは、こめかみ〔を縛るのにふさわしいだけでなく、それと〕同時に、酒席で過ごすのにもふさわしい一種の飾りを付け加えるため、花冠を工夫した。だから、すべての感覚は頭のなかにあるのだから、それをかぶせられることのほうが、飲酒に役立つからといって、こめかみが覆われ、縛られるよりは、より善いのである。
23
Athenaeus II 38f:
ところで、ケオース島人アリストーンは美しく主張している、最も快適な飲み物とは、甘さと同時に香りのよさを共有していると。だから、ネクタールと呼ばれるものも、リュディアのオリュムポス山麓の人たちは、酒と蜂房と香りのよい花とを等量混ぜて調製する のだ、と。
24
Athenaeus X 419c:
また、哲学者アリストーンは『恋の類似物』の第2巻の中で主張する、アカデーメイア派ポレモーン注13)〔前270頃没〕は、宴会に出かけようとする人たちに、その日だけでなく、翌日も快適になるよう飲酒の仕方を配慮すべきだと勧めた、と。
25
Plutarchus Praecepta gerendae rei publ. X 804d:
政治生活には2つの入口と道がある、ひとつは名声に至る速くて輝かしい道、もちろん危険なない、もうひとつは平坦で鈍く、よりいっそう安全さを持った道である。というのは、多くの人たちは、あたかも外洋に突き出た岬から〔船出する〕ように、際だった大き な、しかも大胆な行為から船出して、政治生活へと真っ直ぐに乗り出す、ピンダロスが次のように言っているのは正当だと考えるからである。
仕事にとりかかるとき、その正面は遙かまで輝くものにしなければならぬ(O1.6,3):
というのも、多衆は馴染みのことには一種の嫌気と飽きをもっているから、競演の見物者のように、創始者をより熱心に受け容れ、輝かしくて素早い生長を有する権職や権カは悪意を叩き出すからである。なぜなら、アリストーンの主張では、真っ直ぐに素早く輝き出 せば、火が煙をつくることもなければ、名声が妬みを呼ぶわけでもない、むしろ、少しずつ、ぐずぐずと生長するとき、各人各様に襲われるのだ、と。それゆえ、多くの者たちは、花咲く前に、演壇のそばで枯れしぼんでしまったのだ。
26
Stobaeus Ecl. lV 22,16:
アリストーンのことばから。スパルタ人たちの法は、第一の罰として不婚(agamios)〔の罪〕を、第二の罰として〔一定の年齢までに結婚しない〕晩婚〔の罪〕を、第三の、そして最大の罰として悪婚〔不正な結婚の罪〕を、定めている。
〔27欠番〕
28
Diogenes Laert. lX 5:
しかしソティオーンの主張では、彼(sc. ヘーラクレイトス)はクセノパネースの弟子だと一部の人たちが述べていたという。また、アリストーンも『へーラクレイトスについて』の中で、彼〔へ一ラクレイトス〕ば水腫症からば恢復したが、ほかの病気で亡くなったと言っているという。
29
Diogenes Laert. IX 11:
ところで、ソークラテースに関すること、つまり、エウリピデースが〔へ一ラクレイトの書物を〕持参したときに、〔ソークラテースカが〕その(sc. へ一ラクレイトスの)書物を手にして云ったことは、アリストーンが主張しているところでは、『ソークラテースに ついて』のなかで知れわれはすでに述べておいた(cf. fr. 30)。
30
Diogenes Laert. II 22:
また言い伝えでは、エウリピデースが彼(sc. ソークラテース)に、へ一ラクレイトスの書物を手渡して、「どう思うかね?」と尋ねたところ、彼は謂ったという。「わたしの理解できたところはすばらしい。わたしの理解できなかったところも、そうだろうと思う。 ただし、デーロスの潜水夫のようなものを必要とするってことを別にすればだが」。
31
Diogenes Laert. V 64 (cf. Straton fr.10):
以上が、彼(sc. ストラトーン)の遺言状として伝えられているものであり、これはケオースのアリストーンもきっと蒐集していたはずである。
32
Diogenes Laert. X 14:
さて、アリストーンが『エピクウロス伝』の中で主張しているところでは、彼(sc. エピクウロス)はナウシパネース注14)の『鼎』に基づいて『基準論(Kanon)』を書いたのであり、また、彼〔エピクウロス〕は彼〔ナウシパネース〕の聴講をしたばかりか、サモスのプラトーン学徒パムピロスの聴議もしたと主張する。また、〔エピクウロス〕は12歳の時に哲学の勉強を始め、30と2歳の時に学校の指導を始めたとも。
33
Plutarch. De audiendis poetis 14e:
哲学の分野で言われていることでも、すこぶる若い人たちは、哲学的に言われたとは思えないことはもとより、真剣に言われたとさえ思えないことを喜び、自分たちを従順で劣悪なものとみなしているということは、われわれに明らかである。というのは、アイソー ポスふう寓言や詩的素材はいうにおよばず、へ一ラクレイトスの『アバリス(Abaris)注15)』だとか、アリストーンの『リュコーン注16)』までも、魂に関する寓話・物語とこきまぜられた教説で解説し、うっとり悦に入っているのである。
"34a"
Anonymous Florentinus De aquis mirabilibus 25 (Heinrich Oler, Paradoxographi Florentini anonymi opusculum de aquis mirabilibus, Diss. Tuingen 1913):
逍遙派の哲学者アリストーンの主張では、ケオース島に水の源があり、これから飲む者たちは、魂が無感覚になるという。この上にも次のような銘詩があるという一一
冷たき飲み水の快き流れ一一これを吹き上げる
源。されど、これを飲む者は、心、岩となる。
〔"34b" 欠番〕
"34c2
Paradoxographus Vaticanus 34 (ed. E. Rohde in Actis societatis Philologae Lipsiensis I 1871 p.39):
逍遙学派のアリストーンの主張では、ケオース島に水の源があり、これから飲む者たちは無感覚になるという。
//END
2003.06.13. 訳了