アリストテレース

[翻訳]
福島保夫訳(岩波版『アリストテレス全集』(10)小品集)
HA.はアリストテレース『動物誌(Historia Animalium)』の略。





Mirabilium auscultationes(異聞集)

[1]
HWG00055.jpg マイディケとの国境をなしている、パイオニアのヘサイノスと呼ばれる山には、ボリントスという名の或る獣が住んでおり、パイオニア人には、モナイポスと呼ばれているそうである。この獣の性質全般は牛に似ているが、大きさと力においては、格段の差があり、その上たてがみの点でも差がある。というのは、馬と同じように、それは頸のところにあり、非常に深々として、頭の先から眼にまで及んでいるといわれる。その角は、牛の角とは違って、垂れ下がり、耳のあたりで鋭く下に曲がっている。それぞれの角は 半クース以上もあり、色は漆黒であるが、まるで磨かれたように輝いている。しかし皮を剥ぐと、それは寝床八つ分の場所を覆うほどである。だが、ひとたび襲われるや逃げ出し、たとえ全く逃げおおせないとしてもなおそうしようとする。その肉は旨い。蹴ることと、四オルギュイアまで排泄物を放つことによって、自分の身を守る。しかもいとも容易にしばしばこのような代物を利用し、そしてこの排泄物は物を燃やすので、〔それを追う〕犬も毛が丸裸にされてしまうほどである。獣が苛立てられると、排泄物はこのような効果を発揮するのであるが、いきり立たなければ物を燃やすことはないといわれている。仔を産むときは、群をなして集まり、最も大きなものたちすべてが、いっせいに仔を産み、周囲に排泄する。というのは、その獣は極めて多量の排泄物を放出するからである。〔HA. II_1(498b), IX_45(630a-b)〕

 Antigonus, Mirab.(58), 53 では"monotos"〔一つ耳〕または"monopos"〔一つ眼〕、Aelianus, VIII, 3 は"monops"〔一つ眼〕と呼ばれる。
 ヨーロッパヤギュウ"Bison bonasus"(左図)と考えられる。画像はNatur Lexikon.com
 

[2]
 アラビアでは、ラクダは母獣とは交わらず、たとえ強制されてもそうしようとはしないといわれる。次のような話が伝えられている。かつて種馬がまだ用いられていなかったころ、ラクダの番人は、母ラクダをおおい隠し、仔ラクダと番わせた。仔ラクダはその時は交尾を了えたが、その後間もなくラクダの番人を噛み殺したそうである。〔HA. IX_47(630b)〕

[3]
 ヘリケ〔アルカディアの北、コリントス湾に臨むアカイアの都市〕のカッコウ(kokkyx)は卵を生むとき巣を作らずに、野鳩(phassa)〔モリバト、学名"Columba palumbus"〕や鳩(trygon)〔コキジバト、学名"Columba turtur"〕の巣に卵を生みつけ、卵を抱かず、それをかえしたりせず、また子を育てもしないといわれる。しかし雛鳥は生れて育つと、それまで一緒に育ってきた他の鳥たちを巣から追い出す。思うに、それが大きく美しく成長するので、容易に他の鳥たちを支配するようである。野鳩はこれを非常に喜ぷので、一緒になって自分の雛を追い出したりするということである。〔HA. VI_7(563b), HA. IX_29(618a)〕

[4]
Origanum_dictamnus.jpg クレタの山羊は矢で傷つけられると、その地に生い茂っている花ハッカ(diktamon)〔学名"Origanum dictamnus"、右図。「これは出産を容易にし、また少なくとも一般に認められているように、痛みを止めるといわれる」Theophrastus, HP. IX_16, 1-2; Dioscorides, III_36〕をさがすそうである。というのは、それを食べると、矢をすぐさま抜き出すことができるからである。〔HA. IX_6(612a)〕
 画像は、Desert-Tropicals.com

[5]
 アカイアの或る鹿は角を抜く時には容易に見つけられないような場所へ行くということである。かれらは身を守るべき武器を持たないがためにそうするのであり、また角を抜いた個所が痛むのでそうするのである。多くの鹿には角のあった個所にキヅタ(kissos)〔Hedera Helix〕がのびているのが見られるという。〔HA. IX_5〕


[6]
doronicum.jpg アルメニアには豹殺し(pardaleion pharmakon)〔"Pardalianches"、別名"akoniton"と想像されている。学名"Doronicum pardalianches"、「これを肉の塊に混ぜて食べさせれば、ヒョウ、イノシシ、オオカミはじめすべての野獣を殺す」Dioscorides, IV_77〕と呼ばれる或る薬草が生えているといわれる。豹が現われると人々は犠牲獣にこれを塗って放ってやる。豹はこれに触れると人間の排泄物を求めるようになるらしい。そこで狩人たちはこれを壷に入れて、木からそれを吊す。というのも、豹が木の下でそれをめがけて跳びかかって疲れ果て、力尽きたところで捕えられてしまうのである。〔HA. IX_6(612a)〕
 画像出典:Voorjaarszonnehoed

[7]
 エジプトでは、ワニドリ(trochilos)〔ナイルチドリ、学名"Pluvianus aegyptius"〕は鰐の口の中へ飛んでいき、くちばしで鰐の歯に付着している肉の小片を啄んで、歯をきれいにする。鰐はこれを喜んでかれらを害しないということである。〔HA. IX_6(612a)〕

[8]
 ビュザンティオンでは、ハリネズミ(echinos)〔学名"Erinaceus europaeus"〕は北風が吹くときと南風が吹くときとを感じ分け、そしてすぐかれらの棲家〔穴〕を変えるという。南風が吹くと地面の方から〔垂直に〕穴を作り、北風が吹くと壁面から〔横穴式に〕作るという。〔HA. IX_6(612a)〕

[9]
 ケバレニアの山羊は他の四足動物のようには〔水を〕飲まず、毎日海の方へ顔を向けて大口をあけ、空気を吸い込むという。

[10]
 シュリアには、常に野生のロバの群に一頭の指導者がいるということである。若いロバが牝と交わろ うと欲すると指導者はひどく怒り、それをどこまでも追跡して捕え、後脚の間にかがみこんで相手の陰茎を口でひき裂くという。
 point.gif『自然究理家』第9話

[11]
 亀はマムシを食べた時、それに続けてオリガノス〔マヨラナ草、学名"Origanum viride"〕を食べる。もしそれがすぐ見つからないときは亀は死んでしまうという。多くの農夫牧人達はそれが事実であるかどうかを確かめんと欲して、亀がマムシを食べているのを見るとオリガノス〔マヨラナ草〕を引き抜いてしまう。彼らがこのようなことをすると、亀が程たたずして死んでいくのが見られるそうである。〔HA. IX_6(612a)〕

[12]
 テン(iktis)の陰茎は他の動物の陰茎とは異なって、いかなる状態のもとでも骨のように硬いといわれる。それは尿滴渥〔尿通困難〕の特効薬であり、粉末にして使用に供されるそうである。〔HA. IX_6(612a), II_1(500b); Hdt. IV_109〕

[13]
 キツツキ(dryokolaptes)という鳥は、ヤモリのように、逆さまになったり、腹ばいになったりして木に登るといわれている。なおそれは木から虫を食べて生き、虫を探して木々を倒してしまう程に木の中を深く掘るのだといわれる。〔HA. IX_9(614a)〕

[14]
 ペリカン(pelekan)は、川に棲息する二枚貝を掘り出して、それを呑みこむといわれる。そして、貝をどっさり大量に呑みこんでしまうと、それらを吐き出し、このようにして、殻には触れずに、二枚貝の身を食べるそうである。〔HA. IX_10(614b)〕

[15]
turdus.jpg アルカディアのキュレネでは、他のところでは決してそんなことはないのだが、クロウタドリ(kossyphos)〔学名"Turdus merula"〕が白色で生まれるという。かれらは様々な声を出し、月明りに姿を現わす。しかしひとが日中にそれを擢まえようとしても、全くもって捕え難いという。〔HA. IX_19(617a)〕
 画像出典:ARK

[16]
 メロスとクニドスで花蜜(meli-anthinon)と呼ばれる蜜はその香りは馥郁としているが、それも寿命が短く、その中には蜜パン(erithake)〔蜜蜂の集めた花粉で作った幼虫の食料〕があると或る人々は言う。

[17]
 カッパドキアの或る場所では、蜂蜜は〔蜜を満たした〕蜂窩なしで作られるが、その密度はオリーヴ油のようだといわれる。〔HA. V_22(554b)〕

[18]
 ポントス〔黒海沿岸〕のトラペズスでは、黄楊の木(pyxos)〔学名"Buxus sempervirens"〕〔から集められた〕蜜は強い香りがあり、この香りは正常な人間を狂わすが、癇癪持ちの人を完全に治してしまうという。

[19]
 リュディアにおいては、蜜が木から大量に集められ、住民達は、その蜜から蜂窩なしで球を作り、激しく摩擦してそれを細かく切り、それらを用いるといわれる。トラケ〔トラキア〕でも同じようにして作られるが、余り硬くはなく、まるで砂のようである。すべての蜜は、水や他の液体とは異なり、凝結しても同じ大きさを保つといわれている。

[20]
 カルキス地方の草(Chalkidike poa)やアーモンド〔学名"Prunus amygdalus"〕の実(amygdalon)は蜜を作るのに最も有用である。というのは、最も大量の蜜がそれから作られるというからである。

[21]
 蜜蜂は、ミュロン(myron)〔没薬〕によって麻痺させられ、その匂いに耐えることができないと人々は語っている。或る人々は、蜜蜂は特にこれを塗っている人々を激しく刺すのだという。

[22]
 イリュリス人の間では、タウランティス人と呼ばれる人々は蜂蜜から酒を作るといわれている。まず蜂窩をしぽり出すと、水をかけて、半分になってしまうまで大鍋で煮たてる。それから土器にそれを流し込み、半分になるまで漉してから、木製の容器の中へ移す。その中で長い間かかって醸酵し、かくて酒のようになり、ことのほか甘く、しかも強いものになるといわれる。だがこうしたことはギリシアに住む或る人達によってもすでに行なわれていて、そのために古い酒とはいささかも異なっていなかったが、彼らが後になって混合の方法を探し求めても見つけることができなかったと人々は述べている。

[23]
 昔テッサリアで、非常に沢山の蛇が繁殖して、もしそれらの蛇がコウノトリ(pelargos)〔学名"Ciconia ciconia"〕によって食い尽されなければ住民達はその土地を立ち去ってしまっていただろうと伝えられている。そんなわけで人々はコウノトリを敬い、それを殺すことは不法とされ、もし誰かがコウノトリを殺すと、人殺しと同じ罰に問われねばならないのだそうである。

[24]
 同じように、かつてラケダイモン〔スパルタ〕において極めて沢山の蛇が生じたので、ラケダイモン人〔スバルタ人〕は、飢鐘の時でもあったため、蛇を食用にしたそうである。そしてこのことからピュティアの巫女は彼らを「蛇の首」と呼んだという。

[25]
 キュプロス島では鼠が鉄を食うといわれている。
 〔『パンチャタントラ』第1巻21話参照。この話は「タントラーキヤーイカ」(1・17)を始め、「パンチャタントラ」の各種異本に含まれ、また「カターサリットサーガラ」(10・5・237以下)、「鸚鵡七十話」(広本48、小本39)等にも含まれている。……タミル語の説話集「カターマンジャリー」にもこの話があり、近代インド語の各地の説話としても広く伝わっている。〕

[26]
 カリュプス人〔黒海の南東岸に住んでいた種族〕は彼らから遠くはなれた或る小島で、沢山の鼠たちから黄金を集めるといわれている。その理由は彼らは、鉱山の中の〔発見された〕鼠を裂き開くらしい。

[27]
 スサからメディアヘ旅する人々は、第二の宿駅で非常に多くのサソリ(skorpios)に出会うといわれている。そこでペルシアの王は、その場所を旅行する時はいつでも、そこに三日間留まり、家来達すべてにサソリを狩り出すように命じた。そして最も多く捕えた者にはほうびを与えた。

[28]
 キュレネには、一種類だけではなく、形と色の異なるもっと多種の鼠がいる。というのは、或るものはイタチのような広い顔をもち、また或るものは形がハリネズミに似ていて、ハリネズミとあだ名されている。〔HA. VI_37(581a)〕

[29]
 キリキアには水の渦があつて、窒息した鳥や窒息した他の動物たちがその中にはまり込むと再び生き返るそうである。

[30]
 ゲロノス族と呼ばれるスキュティア人の間に、タランドス(tarandos)と称される極めて珍奇な獣がいるということである。その獣は自分のいる場所によって毛の色を変えるといわれている。こうした理由から、〔その獣を〕捕えることは難しい。というのは、それは木や地面そして一般にそれがいる場所と同じ色になるからである。しかし最も驚くべきことは毛の色を変えるということである。なぜなら、カメレオンやタコのような他の動物は皮膚の色を変えるからである。しかしこの獣は牛ぐらいの大きさで、その顔の形は鹿のようである。〔Plinius, VIII_123, 124の"tarandrus"と同じであろう〕。

[31]
 アビュドスで、或る人が気が触れ、劇場へ行き、あたかも俳優達が演じているかのように、幾日も眺 め、拍手喝朱したという。正気を取戻すとその人は、それまでの人生で最もしあわせな時を過したと語ったそうである。

[32]
 さらにタラスでは、或る酒売りが夜に気が狂い、昼には酒を売っていたといわれている。というのは、彼は部星の鍵を帯にしまい込み、多くの人が彼からそれをとって自分のものにしようとしたけれども、彼は決してそれを身から離さなかったからである。

[33]
 テノス島では、いとも簡単に火が点ぜられる混合酒の入った盃があると人々は言っている。トラケのビテュニア人の間には、スピノス(spinos)と呼ばれる石が鉱山にあって、それから点火されるといわれている。

[34]
 リパラ島には、空気が地下に吸い込まれる或る場所があって、もし人がそこに土瓶を埋めれば、何でも好むものをその中に入れて、それを煮え立たせることができると人々は言っている。
 〔イタリアの西、テュレニア海上の島。リパリ諸島のひとつ。リパリ諸島はシシリー島北方に位する諸島で主として火山島から成る。中でもLipara、Vulcano、Stromboliは有名である。 — 福島註〕

[35]
 メディアと、ペルシス〔ペルシア本国〕のプシタケネには火が燃えており、メディァの火は小さいが、プシタケネの火は大きくて、炎が明るい。それゆえにペルシア王はその火の近くに厨房をつくった。これら二つの火はともに平地にあって、高地にはない。これらの火は夜でも昼でもはっきり見られる。これに対してパムピュリアの火は夜だけしか見られない。

[36]
 さらに、アボロニア地方の国ざかいの近くのアティタニアには或る岩があり、そこから燃え上がる火ははっきりと見ることはできないが、それに油を注ぎかけると炎を上げて燃えるという。

[37]
 また、アンノン〔前5世紀ころの人、アフリカ西岸一帯を探検し、『航海記』を著した。この書はフェニキア語で書かれたがギリシア語に訳され読まれたという。 — 福島註〕の『航海記』の誌しているように、「ヘラクレスの柱」の外の海に燃えているところがあり、或る場所は常に、また或る場所は夜だけ燃えるといわれている。リバラの火も燃えているのが見られるが、それは昼間ではなく、夜だけである。またピテクサイ〔イタリアの西、ネアポリス(ナポリ)西方にあるテュレニア海上の島〕においても、〔地面が〕火のようで非常に熱いが、燃えてはいないという。

[38]
 クセノバネスは、リパラの火は十六年間消えていたが、十七年目にまた燃え出したと述べている。エトナの溶岩の流れは炎を上げて燃えているわけでもなく、また間断なく流れるのでもないが、長年の間隔をおいて生ずるものだという。    [34]参照。

[39]
 リュディアでも多量の火が燃え上がり、七日間燃え続けるといわれている。

[40]
 シケリアにおける溶岩の流れは並はずれた現象である。燃え上がる火の幅は四十スタディオンに達し、溶岩が運ばれる高さは三スタディオンにもなる。

[41]
 人々が言うには、トラケにある、スピノス(spinos)と呼ばれる石〔[33]〕は二つに割れると燃え上がり、そしてまた一緒になる。まるで炭の残り火のような具合で、一緒になったものに水をふりかけると燃え出す。またマリエウス(marieus)と呼ばれる石も同じ働きをするという。

[42]
 マケドニアのピリッポイ付近には鉱山があり、そこから棄てられた廃物が増えて黄金を生み出すと人々は言う。そしてこれは明白な事実であるということである。

[43]
 キュプロスの、テュリアスと呼ばれる所でも、銅が同じようにして産出されるそうである。というのは、それを細かくくだいて播き散らしておく。雨が降るとそれは大きくなり、にょきにょき伸びていく、そこで集められるということである。

[44]
 また、メロス島においては、掘りおこされた場所で、土がまた元通りにふさがっているという。

[45]
 パイオニアでは、にわか雨がたえず降ると、土が洗い去られて、「火のない黄金」と呼ばれる黄金が見出されるという。また人々が言うには、パイオニアでは土地が黄金に富んでいるため、多くの人々は一ムナ以上の重さの黄金を発見したそうである。また、或る人が二つの金塊を発見して王のところへ持参したが、一つは三ムナの重さ、もう一つは五ムナの重さがあったということである。そしてこれらの金塊は王の側のテーブルの上に置かれ、王が何を食べるにしても、先ずこれらの金塊に供物を献げたという。

[46]
 また、バクトリア人の間では、オクソス川〔バクトリア地方からオクソス湖(アラル海)に注ぐ河〕は非常に多量の金塊を運んでくるという。またイベリアでは、テオドロスと呼ばれる川が沢山の黄金でその河口をふきぎ、同じようにそれを押し流すそうである。

[47]
 マケドニアの一地方であるピエリアでは、未だ貨幣に鋳造されていない黄金が、古の王達によって埋れており、穴は四つあり、それらの中の一つから、長さが一スパン〔掌尺〕の黄金が生え出たと人々は言う。

[48]
 カリュプスとアミソスの鉄の生成は極めて独特であるといわれている。というのは、人々が言うには、河川によって運ばれてきた砂から生ずるのである。或る人々はこれをただ洗って、炉で溶かすだけであると言うが、また或る人々は次のように言う。すなわち、最初に洗った後で残されたものを何度も洗って熱し、この地方に豊富にある耐火石と呼ばれる石を播し入れておく、と。この鉄は他のいかなる種類の鉄よりもすぐれている。しかしもしもそれが炉で熱せられなかったなら、それは銀と余り違わないものになるだろうと思われる。人々は、その鉄だけは錆びにくいが、余り多くは産出しないと言う。

[49]
 また、インド人の間では、銅は光沢があり、汚れがなく、また錆びないので、外見だけでは黄金と区別することができないといわれている。さらに、ダレィォスの盃の中で、かなり多くのものが、匂いによってでなけれぱ、銅であるのか黄金であるのか、識別することができないといわれている。

[50]
 ケルトの錫は鉛よりもずっと早く溶けてしまうという。この溶けやすいことの証拠は、その錫が水の中でも溶けてしまうと思われるからである。たしかにそれはすぐに錆びがついてしまうようである。それは、霜の降りた時は、冷気の中で溶けてしまう。というのは、錫に内在する熱が中に閉じ込められて圧縮される一方、〔錫そのものは〕弱いからであるという。

[51]
 バンテイオンに一本のオリーヴの樹があり、それは「美しき花冠」と呼ばれている。そのオリーヴの葉は、すべて他のオリーヴ樹の葉と正反対の性質である。というのは、それは内側ではなく、外側が薄緑色をしているのである。それは花冠にふさわしいテンニンカ(myrtos)のように、枝をのぱしている。ヘラクレスはこのオリーヴ樹から若木をとって、オリュムピアに植えた。そしてその木から、花冠が競技者達に与えられるのである。この木はイリッソス川のほとり、川から六十スタディオン離れたところにある。それは囲りを壁でかこまれ、その木に触れた者には誰にでも重い罰が加えられる。エリス人達はこれから若木をとり、それをオリュムピアに植えた。そしてその木から作った花冠を与えた。

[52]
 クロイソス王が採掘していた、ペルガモン近辺のリュディアの鉱山で、戦争が起こった時、鉱夫達はこれらの鉱山へ逃げ込んだ。しかし〔鉱坑の〕口をふさがれて、彼ら鉱夫達は窒息死してしまった。永くたってからこれらの鉱山が採掘し尽されると、彼ら鉱夫達が日常の用に供していた、壷とかその他同類の容器類が化石となって発見された。何らかの液体で満たされたこれらの容器類がたまたま化石となったのであるが、人々の骨もこれと同様であった。

[53]
 アスカニア湖〔小アジアのミュシア地方にある〕では、水が非常に多量のソーダ質〔アルカリ性〕を含有しているので、衣類は何ら他の洗剤を必要としない。もしその衣類を長く水の中に入れておくと、ぼろぼろになってしまう。

[54]
 アスカニア湖の近くにピュトポリスという村がある。それはキオス(Kios)から百二十スタディオン離れた所である。この村では冬の間すべての井戸が潤れ、そのため水さしを井戸の水面にひたすことができないほどである。それなのに夏には井戸のふちまで水がいっぱいになる。

[55]
 シケリアとイタリアの間の海峡〔の流れ〕は、月の満ち欠けと共に増したり減ったりする。

[56]
 また、シュラクサイヘの途中、草地の中に泉がある。それは大きくもないし、また水が豊富にあるというのでもない。しかし、大勢の人々がその場所に会する時には、その泉はふんだんに水を供した。

[57]
 シケリァのバリコイには一つの泉があり、寝台が十も入るほどの広さがある。この泉は六べーキュス〔尺〕の高さまで水を噴き上げる。そのため見物人たちは広場が水びたしになるだろうと考えるのであるが、水はもとの状態に戻る。またそこでは神聖であると考えられる「誓い」がある。つまり、人はその立てた誓いを小板に書いて水に投げ入れる。もし真実の誓いであれば小板は浮くが、誓いが偽りであれば小板は重くなって見えなくなり、その人は火花をたてて焼かれるという。そこで神官は彼から、何びとかが杜を浄めるという保証をとるのである。

[58]
 カルケドン人〔カルタゴ人〕の島であるデモネソス島は、最初にそこを開発したデモネソスからその名をとった。その場所〔デモネソス島〕は青鋼と孔雀石の鉱山を合んでいる。孔雀石の最も美しいものは、黄金にも匹敵する価値がある。というのは、それは眼の薬だからである。ここにはまた、海のなか2オルギュイァのところに、潜って得られる銅があり、シキュオンにあるアポルロンの古い神殿の像がこの銅で作られ、そしてベネオスにある、黄銅の像と呼ばれるものもそれから作られた。それらには次のような刻文がある。「アムピトリュオンの息子ヘラクレス、エリスを征してこれを捧げまつる」と。
   すなわち、ヘラクレスは神託通り女に導かれてエリスを占領したのであるが、彼女の父親アウゲイアスを殺してしまったのである。
 銅を掘るものは、非常に眼カ鋭くなり、まつ毛のないものは生えてくる。このことから、医者もまた、眼に対して銅の花やプリュギアの灰を用いるのである。

[59]
 そこにはまたグラピュロンと呼ばれるほら穴がある。その中には石筍でできた柱がある。それらは地面に向かって固まっていることが明らかにされている。というのは、地面がそこでは一番狭いからである。

[60]
 一つがいのワシからは、それらが交合する隈りは、一羽おきにウミワシ(haliaietos)〔ミサゴ(Pandion haliaetus)かオジロワシ(Haliaetus albicilla)とされる〕が生まれる。これらのウミワシからオオハゲワシ(phene)〔ヒゲワシ(Gypaetus barbatus)とされる〕が生まれ、これからまたハヤブサ(perknos)とハゲワシ(gyps)が生まれる。しかしこれらは、ハゲワシとしてとどめることなく、大きなハゲワシをつくり出す。それらは子供を生まない。その証拠には、だれも大きなハゲワシの巣を見たものはない。〔HA. VI_5(563a), IX_11(615a)〕

[61]
 インド人の間では、そこに産する鉛について、或る不思議なことが起こると伝えられている。というのは、それが溶けて冷たい水に注がれると、水から跳びはねるというのである。

[62]
 人々が言うには、モッシュノイコイ人の銅は非常に光沢があり、白い。それは銅に錫が混じっているからではなく、或る種の土があって、それに溶解しているからである。その混合物を発見した者は誰にも教えないといわれている。従って、以前にここで作られた銅の容器はすぐれたものであったが、その後に作られたものは最早そんなにすぐれたものではない。

[63]
 ポントス〔黒海沿岸〕では冬の間、或る鳥達は穴の中にひそんでいるのが見受けられ、それらは排泄もしなければ、羽根がむしられても感じないし、焼串で刺し貫かれても感じず、ただ火にあぶられた時にのみ感ずるという。多くの魚は切り開かれても、裂かれても感じないが、しかし火で熱せられた時にだけ感ずることができるという。

[64]
 蜜蜂は、その仕事へと歩み出すことによって、夏至の先ぷれをするようである。養蜂家達もそれを合図として利用している。というのは彼らはその頃休息をとるからである。蝉も夏至の後で鳴くように思われる。

[65]
 ハリネズミは、一年間は食物なしで過していくという。

[66]
 マダラヤモリ(galeotes)は、蛇のようにその皮を脱ぎ捨てたあと、くるりと回ってそれを呑み込んでしまうといわれる。というのは、それは願痢持ちの人に効くので、医者達によって注目されているからである。

[67]
 牝熊の脂肪は冬、つまり熊が穴にこもっている時期に凍結するや、それは増え、それの入っている容器にあふれてしまうという。

[68]
 キュレネにおいては、蛙は全く鳴声を出さないという。またマケドニアのエマティオタイ人の地方では、豚は単蹄であるという。〔HA. VIII_28(606a), Plinius, VIII, 83; Aelianus, III, 35.〕

[69]
 カッパドキアでは半ロバが子を生み、クレタでは黒楊が実をつけるといわれる。

[70]
 また、セリポス〔島〕では蛙は鳴かないが、他の場所へ移されるならば、鳴くという。

[71]
 ケラスと呼ばれる地方のインド人の間では、小さな魚がいて、乾いた地を歩きまわり、再び川にもどるといわれている。

[72]
 また或る人々は言う。バビュロンの近くにおいて、或る魚は、川が干上がると、しめり気のある穴の中にかくれている。これらの魚は麦打ち場へ出かけて行って餌をあさる。そしてひれで歩き、尾を前後に振る。追いかけられると逃げ出し、穴の中に入り込み、追跡者と面と向かう姿勢をとる。というのは、しばしぱ彼らに近づき、苦しめる者がいるからである。彼らは海のカエル〔=アンコウ〕のような頭をもち、一方身体の他の部分はハゼ(kobios)に似ているが、他の魚達と同じくえらをもっている。

[73]
 ボントスのヘラクレイアやレギオンにおいて、掘って掴まえられる魚がいるという。これらの魚は特に川の近くの場所や水気の多い場所にいる。ある時、この地方が干上がって魚たちがしばらくの間地面の下に集まっており、さらに一層干上がると、湿気を求めて泥の中に入り込む。それからこの泥が乾いてくると、穴の中に生き永らえている動物達のように、湿気の中にとどまる。しかし水がやって来る前に掘り出されると、彼らは移動するという。

[74]
 また人々は言う。バプラゴニアでは、掘って得られる魚(oryktoi ichthys)は地中深くで育ち、質はきわめて良く、水がすぐ近くにあるわけでもなく、また川の水がそこに流れ込むということもないのだが、大地そのものがそれらを生み出すのである。

[75]
 エペイロス〔アルバニア南部〕の鹿はその角が抜け落ちた時、右の角を埋めると人々は言う。しかもこの角は多くのことに役立つという。〔HA. IX_5(611a), Theophrastus, fr.175; Antigonus, Mirab. 24; Plinius, VIII, 50.〕

[76]
 大山猫もまた自分の尿を隠すという。その理由は、その尿がいろいろな用途に役立つからであり、特に〔指輸用の〕宝石としても役立つからである。

[77]
 また人々が言うには、アザラシは捕えられると初乳を吐き出す。しかもこれには薬効があって、癇癪病みの人に効くという。

[78]
 イタリアのキルカイオン山には猛毒の或る薬草が生えており、それは非常な効力をもつので、誰であれ、それがふりかかると、たちまちのうちにころりと倒れ、体の毛は抜け落ち、体の四肢がすべてなえてしまって、そのため、死んでいく人の体の有様は見るも無残なものであるという。また、ペウケティア人アウロス及びガイオスが、スパルタ人クレオニュモスにこれを盛ろうとして露見し、タラスの人々によって取り調べられた後で死罪に処せられたという。

[79]
 アドリア海に横たわるディオメデイア島には、ディオメデスの驚嘆すべき神聖なやしろがあり、この やしろの周りに、大きな硬い嘴をもった図体の大きな鳥達が輪になって坐っているという。これらの鳥達はギリシア人がこの地に上陸するならば静かにしているが、その周囲に住む異邦人達の誰かが移住してくると、飛びたって、旋回しながら彼らの頭を攻撃し、その嘴で彼らを傷つけて殺してしまうという。伝説によれば、これらの鳥達はかつてディオメデスの仲間達であったが、ディオメデスが、当時そのあたりの王であったアイネアスによって謀殺された時、この島の近くで難破した人達であったという。

[80]
 オムブリア人のあいだでは、家畜は年に三度子を生み、土地は播かれた種子の何倍もの稔りをもたらす。婦人達もまた多産で、一度に一人を生むということはまれで、たいていは二人か三人生むという。

[81]
 アドリア海の内深く横たわるエレクトリダ諸島では、二つの像が立てられており、一つは錫、もう一つは銅で、古風な型で作られているという。これらはダイダロスの作で、彼が、ミノス王から逃れて、シケリアおよびクレタからこれらの地へわたって来た当時の思い出であるといわれている。エリダノス川がこれらの島々を沖積物によって作ったのだといわれる。また、この川の近くに熱湯をもつ湖があるそうである。この湖から猛烈な悪臭が出て、動物もこの湖から水を飲むことができず、また鳥もその上を飛べないで、落ちて死んでしまう。その周囲は200スタディオンあり、幅は10スタディオンに達する。住民達が伝えて言うには、バエトンが雷にうたれた時にこの湖に落ち込んだそうである。そこには沢山の黒楊があり、その木からいわゆる琥珀を流出している。これはゴムに似ていて、石のように固くなり、そして住民達によって集められ、ギリシア人のもとへ運ばれると人々は言う。それ故、これらの島々ヘダイダロスがやって来て、これらの島々に定着して、一つの島では自分の像を、別の島では息子のイカロスの像を作って奉納したが、後にアルゴスから追われたペラスゴイ族がこれらの島々に舟でやって来た時、ダイダロスは逃げ出して、イカロス島にたどり着いたといわれている。

[82]
 シケリアのエンナと呼ばれる場所の近くに、或る洞窟があるといわれる。その周囲には、どんな季節にでも沢山の花がとりどりに咲いているが、とりわけ広々とした場所はスミレでいっぱいであり、近くの地方はかぐわしい香りが立ちこめていて、そのために猟師達は、犬達がその香りに圧倒されてしまうので、野兎を追いかけることができない。この洞窟の割れ目を通って、目には見えない地下通路があり、それを用いてプルトンがコレを奪い去ったといわれる。この場所では小麦が見出されるが、それは、住民達が用いている土地のものとも似ておらず、また〔他所から〕運ばれてきたものとも似ていないで、非常な特色を備えているといわれる。そしてこの場所によって、小麦の粒が彼らのところで最初に現われたことが示されるのであり、このことからまた彼らは、彼らのもとで女神が生まれたのであると断言し、デメテルが彼らのものであると主張している。

[83]
 クレタには、狼も熊もマムシもいないし、同様にこれらに似た野獣もいない。そのわけは、ゼウスがそこで生まれたからであるといわれる。

[84]
 「ヘラクレスの柱」の外の海で、カルタゴ人によって或る無人の島が発見されたが、そこにはいろいろの種類の森林や舟が通える河があり、果物の点でも素晴しく、数日の航海で戻れるくらいのところにある。その豊かさのゆえに、カルタゴ人達はしばしばその島に行き、或る人々のごときはそこに住みついてしまうので、カルタゴの行政長官は、その島に航行せんとする者には死罪を課するとの布告を出し、さらに住民達を皆殺しにして、住民達が噂を広めたり、大衆が結束して島の行政官たちを襲って支配権を握り、カルタゴ人の繁栄を奪うことなどないようにした。

[85]
 イタリアから、ケルト人、ケルトリギュア人およびイベリア人の国まで、「ヘラクレスの道」と呼ば れる道があるといわれる。ギリシア人にせよ土地の者にせよその道を通って旅するならば、その人は近くに住む人々によって、いかなる害をも蒙ることがないように見守られている。というのは、彼ら住民達は危害を蒙った人々に対して罰金を支払わねばならないからである。

[86]
 ケルト人のもとには、彼らによって「矢の毒」と呼ばれる毒薬があると言われ、非常に早く腐敗をも たらすので、ケルトの猟師達は鹿や他の獣を射た後、急いで走り寄って、毒がまわる前に肉の傷ついた部分を切り取ってしまうのだと彼らは言っている。それは収益のためであり、またその動物が腐敗するのを防ぐためでもある。しかし樫の樹皮がこの毒薬の解毒剤として発見されたと彼らは言う。しかし他の人々は「烏草」と呼んでいる別な葉がそうだと主張している。その理由は、オオガラスがこの毒に浸されて体が悪くなっていくと〔病になると〕急いでこの葉のところに行き、これを呑み込んでしまうと、この苦しみがやむのだということが彼らによって観察されているからである。

[87]
 イベリアにおいて、人々が言うには、森が牧人達によって火をかけられて、大地が木によって熱せら れると、その土地が銀を流出するのがはっきりと見られるそうである。また暫らくして地震が起こり、あちこちの地面が裂けると、多量の銀が集められ、これがマッサリア〔=マルセイユ〕人達に多大の収入をもたらしたという。

[88]
 イベリアの海岸近くのギュムナシアイはいわゆる「七島」に次いで最も大きな島々といわれるが、そ こでは、油はオリーヴからとられるのではなく、松やにから多量に得られ、すべての用途に供されるという。さらにそれらの島々に住むイベリア人達は非常に女好きであって、一人の女奴隷と交換に四人か五人の男奴隷を商人に与えるといわれる。カルタゴ人のところで奉公して給料を受け取る時も、彼らは女性以外のものは何も買わないようである。というのは、彼らの中の誰も金や銀を持つことを許されないからである。彼らにお金が入ってくるのを禁ずる理由として次のような話が加えられている。すなわち、その住民が金持ちであるということから、ヘラクレスはイベリアに遠征したというのである。

[89]
 リギュリアの近く、マッサリア人の地方に或る湖があるといわれる。この湖は沸騰し、溢れ出て、信じられないほど沢山の魚を投げ上げる。しかしモンスーンが吹くと、土が湖の上に堆積され、塵の山がそこに生ずるので、その表面は消えてしまい、大地のようになる。そこで住民達は、三つまたのヤスで突いて、いともたやすく、欲しいだけの魚をその湖からとることができるという。

[90]
 或るリギュリア人達は非常に巧みに石投げをするので、彼らは多くの鳥を見ると、誰もが射落すことがごく簡単だというわけで、各人がどの鳥に〔石を〕投げるかということについて、互いに議論するそうである。

[91]
 彼らにはまた、別に次のような特色があるといわれる。すなわちそれは、婦人達が仕事をしながら子供を生むということである。そして〔生まれた〕子供を水で洗った後ただちに、土を掘ったり、鍬で耕やしたり、その他子供を生まない時に彼女たちがしなければならない家事に精を出すという。

[92]
 さらにまた、次のこともリギュリア人の間の、驚くべき事柄である。すなわち、彼らのところに一つの川があるが、その流れが非常に高く上がって流れているので、向う岸の人が見えないというのである。

[93]
 テュレニアにはアイタレイアと名づけられる或る島があり、この島では以前に、或る鉱山から銅が掘り出されて、それから彼らのすべての銅の容器がつくられたという。そしてその後は、もはや何も発見されなかったが、かなりの時がたってから、その同じ鉱山から鉄が産出された。この鉄を、ポプロニオンと呼ぱれるところに住んでいるテュルレニア人は今でも用いているということである。

[94]
 テュレニアにはオイナレアという町があり、それは非常に堅固であるといわれる。というのは、そ の町の中央に、30スタディオンの高さで聳えている非常に高い丘があり、しかもその麓にはあらゆる種類の樹木と水があるからである。ところで住民達は、誰かが僧主になりはせぬかと恐れて、奴隷達の中で解放された人々を自分達の上にたてており、これらの解放奴隷達は彼らを治めているが、年毎に町の人々は、別のこういった人たち〔解放奴隷達〕を交代に上にいただくといわれている。

[95]
 イタリアのキュメでは、託宣者シビュレの地下の寝室があるそうである。彼女はかなりの年齢であって、しかもいつまでも処女であったといわれる。エリュトライア出身であるが、イタリア住民の一部の人々によると、彼女はキュメの女であるといい、また或る人々にはメランクライラの女だと呼ばれている。この地はレウカニア人の支配下にあるといわれる。キュメの近くのそれらの場所にはケトスと名づけられている川があり、その川の中に投げ入れられたものは、かなりの時がたってから、初めは表皮に覆われるが、最後には化石になるといわれる。

[96]
 シュバリス人アルキメネスに衣服が作られたが、この衣服は非常に豪奢なので、ヘラの祭の間ラキニオンで展示された。その祭にはすべてのイタリアの人々が集まったが、そこで展示されているすべてのものの中でも特に、これが賞讃されたという。この衣服を兄のディオニュシオスが所有していたが、120タラントンでこれをカルタゴ人に売ったといわれる。それは紫色で、大きさは15ぺーキュス、いずれの側も縫取りされた像で飾られており、上の方にはスサの、下にはペルシアの人々が、中央にはゼウス、ヘラ、テミス、アテナ、アポロン、アプロディテがあった。片端にはアルキメネスがおり、両側にシュバリス〔の町〕があった。

[97]
 イアピュギアの岬近くで、伝説の語るところによれば、ヘラクレスと巨人達との間の戦いが生じたとされる或る場所から多量のイコーラ〔悪膿〕が流れ、その臭いが余りにはげしいため、付近の海上は航行不可能であるといわれる。ちなみに、イタリア各地には、ヘラクレスが旅した道に、彼を記念するものが沢山残されているという。イアピュギアのバンドシア付近には神の足跡が見られるが、何びともその上を歩いてはならない。

[98]
 またイアピュギア岬の近くに、車で運ばねばならないほど大きな石があるが、この石はかのヘラクレスによって持ち上げられ、そこへ運ばれたのであり、それも指一本で動かされたのだといわれる。

[99]
 ボイオティアのオルコメニオイ人の町には、狐の姿が見かけられるという。それが犬に追いかけられると、地下の通路にとび込み、犬もそれに続いてとび込み、ほえると大きな音をたて、まるでそこには何か広々とした空間があるみたいであった。そこで狩人達は、神秘な思いにとりつかれて、入口をこじ開け、同じように無理矢理進み入った。しかし、或る穴を通して光が差し込んでくるのを見ると、そのほら穴の中にあるものすべてをはっきりと見、出ていって長官達に報告したという。

[100]
 サルディニア島には、古のギリシア風に建造された沢山の美しい建物、とりわけ素晴しい形に建てられた円形建築もあるといわれる。これらはイピクレスの息子のイオラオスによって、彼がヘラクレスの子孫であるテスピオス一族をひき連れて、それらの場所に植民するために舟でやって来たときに建てられたという。〔彼がこの地に植民したのは〕ヘラクレスは西方のすべての土地の支配者であったから、彼とヘラクレスとの親族関係によって、それらの場所は彼に属すると考えたからである。この島は、思うに、その輪郭が人間の足跡に似た形をしていたところから以前はイクヌスサと呼ばれたようである。それ以前はこの島は繁栄し、実り豊かであったといわれる。なぜならぱ、古の時代の人々のうちで最も農業にたくみであったといわれるアリスタイオスが、かつては沢山の大きな鳥達が占めていたこれらの場所を治めたと言い伝えられるからである。しかしながら今日では、最早このような何ものをももたらさない。というのは、島がカルタゴ人によって支配されているようになって、食用となるあらゆる果実が切り落され、住民達のうちの誰であれ、もしこのようなものを再び植えたりしたならば、罰として死刑が課せられたからである。

[101]
 アイオロスと呼ばれる七つの島の一つは、リバラと呼ばれているが、伝説によれば、この島に一つ の墓があり、これについて多くの不気味〔不吉〕な話が語られているが、なかでも、人々が異口同音に語るのは、夜中にその場所に近付くのは安全ではないということである。というのは、太鼓やシンバルの音、喧騒とカスタネットを叩く音のまじった笑い声がはっきりと聞えるからであるという。しかし、洞窟についてはもっとずっと怖ろしい事柄が語られている。すなわち、誰かが夜明け前に、酔っばらってその中で寝込んでしまった。そして三日の間、家人達によって探され続けた挙句、四日目に死体となって発見され、家人達の手で自分の墓へ運ばれた。だが、葬式がとどこおりなく済んだとたん彼は蘇生し、白分の身に起こったことをすべて語った。これはわれわれにとってはむしろまゆつばの話めいて聞えるのだが、それでも、その場所に関する記録を書きしるしている限り、それに言及せずにうち棄てておくわけにもいくまい。

[102]
 イタリアのキュメ近くにアオルノスと呼ばれる湖(aornos limne)〔「鳥のいない」意。Avernus湖〕があるが、それ自体は見たところでは何ら不思議なものもない様子である。というのは、高さが三スタディオンにも及ぷ丘がその湖のまわりを丸くとり囲んでおり、湖も形は円形で、計り知れぬ深さがあるといわれる。しかし次のことは不思議なことのように思われる。というのは、密生した樹々が湖の上に立ち並んでいて、或るものは、湖の上にまで傾いているのに、水の上に出ている葉を何びとも見ることはできない。しかし水は非常に澄んでいるので、それを覗き込む人はびっくりしてしまう。しかしそこ〔湖〕から余り離れていない陸地には、熱湯が多くの場所から湧き出しており、そうした場所全体がピュリプレゲトン(Pyriphlegethon)〔"Phlegethon"とも云われる。「火の河」の意〕と呼ばれている。しかしどんな鳥もその湖の上を飛ばないというのは嘘である。なぜなら、そこに住んでいた人々は沢山の白鳥がそこにいると言っているのであるから。

[103]
 セイレヌサイ〔シレーヌ〕島はイタリアに位置し、岬の先端の海峡にある。その海映は二つの湾を分 断し、岬の前に横たわり、〔二つの湾のうちの〕一方はキュメを囲み、他方はポセイドニアと呼ばれる岬を寸断している。その岬の上にはセイレーン達のほこらが建てられており、セイレーン達は付近の住民達によって熱心に供犠を捧げられ、非常に崇められている。人々はセイレーン達の名前を銘記して、一方をパルテノペ、他方をレウコシア、第三番目をリゲイアと呼んでいる。

[104]
 メントルとイストロスの間にデルピオンと呼ばれる山があり、高い頂上をもつといわれる。アドリアに住んでいるメントルの人々がこの頂上に登ると、ポントスに入ってくる舟を逢かに見わたせるようである。その両者の中間のところに或る場所があり、そこで共通の市場が開かれると、レスボス、キオス、タソスの物産がポントスから来た商人によって売られ、コルキュラの壷がアドリアから来た商人によって売られる。

[105]
 ヘルキュニアの森から流れるイストロス〔ドナウ〕川は分岐して、一つはポントスヘ流れ、他はアドリアヘ注いでいるという。そこでは航行不能ということはないという証拠を、最近の出来事だけでなく、むしろ古い時代の事柄についてもわれわれは見出しているのである。すなわち、イアソンは「黒い岩々」のところでポントスに船を乗り入れイストロス川を下ってポントスから外へ航行したといわれているのである。そして人々はほかにも少なからざる証拠を提供しているが、特にこの地方ではイアソンによって設けられた祭壇を示し、他方ではアドリアの島々の一つにメデイアによって建立されたアルテミス神殿をその証拠として示している。さらにもしイアソンがそこから船出することができないなら、いわゆる「漂い岩」の傍を航行することはなかったはずだと彼らは主張する。またテュルレニア海にあるアイタレイア〔エルバ〕島においても、〔アルゴー船遠征の〕英雄らの他の記念物とともにとくに小石にまつわる話なるものが示されている。というのは、海辺に色とりどりの小石があるといわれているが、この島に住んでいるギリシァ人達は英雄らが体にオリーヴ油を塗って垢落しをやったその汚物から、これらの小石が着色したのだと語っており、このような小石はその時より前に見出されはしなかったし、それ以後に生じたものでもないと言い伝えているのである。更にこれよりも一層明らかな証拠だとして彼らは、〔アルゴー船の英雄たちのポントスから〕外への航行はシュムブレガデスの間を通ったのではないと語り、その地方のことに関して詩人〔ホメロス〕その人を証人に援用している。なぜなら、その詩人は、危険の並々ならないことを証すように、その場所を航行することはできないと、次のように言っているからである。
  逆捲く波浪と破滅の火焔の嵐は、
  船の破片、舟人らの死体を漂わす。
     〔Od. XII_67-8〕
ところで、「黒い岩々」については、火焔を発するとは伝えられていないが、〔イタリアと〕シケリアを分離している海映のあたりでは、その両側に火焔の噴出があり、島は絶えず燃え続け、そしてエトナの溶岩の流れはたびたびその地方一帯に及ぷそうである。

[106]
 タラスでは、或る時期にアトレウス、テュデウス、アイアコス、ラエルテスの一族に供物を捧げるが、アガメムノン一族〔の霊〕に対しては、他の特定の日に別個に犠牲を捧げ、この日には、女達はその犠牲獣を食べない慣わしになっているといわれる。また、タラスの人々のところには、アキレウスの神殿がある。タラス人が占有したのちになって、彼らが現に定住している地域はヘラクレイアと呼ぱれたのであるが、イオニア人が占有していた往時にはプレイオンと呼ぱれ、それよりもっと昔には、そこを占有していたトロイア人によってシゲイオンと呼ばれていたという。

[107]
 シュバリス人の間でピロクテテスは崇められているといわれる。というのは、彼がトロイアから戻ったとき、クロトン地方の(シュバリスから)120スタディォン離れたミュカルラと呼ばれる処に移り来たり、「ヘラクレスの弓矢」を海神アポルロンの社に奉納したとシュバリス人は語っているのである。だがクロトン人がそこを領有していたときには、クロトン人はこの弓矢をそこから移して、自分たちの所にあるアポルロンの神殿に奉納したというのである。さらにトレポレモスと共にこの地方に漂着したロドス人たちが当地の現住民に対して戦いを挑んだのに加勢したのち、〔ピロクテテスは〕当地で死に、シュバリス川のほとりに埋葬されたという。

[108]
 メタポンティオンにほど近い、イタリアのガルガリアというところには、アテナ・ヘルレニアの神殿があり、そこにはエペイオスが木馬のために作った工作道具が奉納されており、このエペイオスが〔女神に〕異名を奉ることになったといわれる。というのは、アテナが彼の夢枕に立って、その道具を奉納するように求めた。このため出航の準備が遅れてしまい、船を出すこともできず、その場所に「開じ込められた」ヘイレイスタイというのである。このことから、この神殿はアテナ・ヘルレニアという異名を得るにいたったというのである。

[109]
 ダウニアという処にアテナ・アカイア神殿と呼ぱれる神殿があり、そこにはディオメデスの仲間と彼自身との青銅の斧と武具が奉納されているといわれる、この場所にはそこへやって来るギリシァ人には害を与えないで、まるでもっとも親しい友人にするみたいにじゃれつく犬どもがいるそうである。ところで、ダウニア人と近くに住んでいる者達はすべて男も女も身に黒い衣をまとう。それは、思うに次の理由によるのであろう。すなわち、とらわれの身となって、その地方にやって来たトロイアの女達は、アカイア人の母国にいる彼らの正妻らによって辛い奴隷の苦境をなめさせられることを恐れて、彼ら〔アカイア人〕の船を焼いてしまったといわれる。その理由は、一つは当然予想される奴隷状態から逃れるためであり、一つは残留を余儀なくされた彼らアカイア人たちと一緒になって〔交わり〕彼らをひきとめておくことができるためであった。彼女らについては、あの詩人〔ホメロス〕によって実に見事に描写されている〔Il. VI_442, VII_297, XIV_105, XVIII_122〕。というのは、彼女らが「長い裾を曳く女達」であり、「深き嚢ある胸衣の女達」であるのが、実際に見られるそうなのだから。

[110]
 ペウケティア人のもとには、アルテミスの神殿があるそうで、そこに「ディオメデスがアルテミスに〔奉納〕」の銘のある、その地方で「青銅の首輪」と呼びならわされている代物が奉納されているといわれている。伝承によるとディオメデスが鹿の頸にそれをかけたところ、しっかりと巻きついてしまい、かくて後にシケリア人の王アガトクレスによって発見され、ゼウス神殿へ奉納されたという。

[111]
 ペロリアスと呼ぱれるシケリア〔北東端〕の岬には、この地方に住んでいるギリシァ人どもの間でも、どんな種類の花なのか分からないほど大きなクロカスが生ずるといわれ、それが欲しいと思う人はペロリアスから大きな車に載せて持ち去り、春の季節には寝台や天幕をクロカスでこしらえることができるほどだといわれる。

[112]
 『シケリカ』〔シケリア地誌〕の作者、ポリュクリトスがその詩の中で述べているのであるが、内陸の或る場所に周囲が楯の形をした小さい湖があり、その水は澄んでいるが、少々泥深い。もし誰かが沐浴する必要があって、ここに入るならば、この湖はその幅を拡げる。二番目の人が入っていくと、ますます拡がっていく。だんだん大きくなっていって遂には50人もの人間が入れるほどに広くなる。だがこれだけの数を受け取ると、再び底から泡立ち、沐浴する者の体をはね上げ、地面の上に投げ出してしまう。そうなってしまうと、再び周囲がもとの形に戻る。だが、湖のこうしたことは人間の場合にだけ起こるのではなく、四つ足のものが入ったとしても、同じ目に遭う。

[113]
 カルタゴ人の領国内にウラニオン〔天山〕と呼ばれる山があり、様々な樹々に満ち、色とりどりの花々に飾りたてられているので、そのため、この山のあたり一面は芳香がたちこめ、道行く人々に廿美な息吹きを送るといわれる。この場所に油の泉があり、それはシーダーの木屑のような匂いを持っているといわれる。この泉に近づくものは清浄でなければならず、清浄な者がやってくると、その泉は油をより多量に吹き出すので、確実に汲みとることができるといわれる。

[114]
 この泉の近くに、形の大きな天然の岩なるものがあるといわれる。この岩は、夏になると火焔を吹きあげるが、冬になると同じ所から噴水がほとばしり、余りにも冷水なので雪と較べても何ら遜色がないそうである。そしてこれは秘密の現象でも束の間の現象でもなく、火は夏の間中、水は冬の間中、ずっと出ているといわれる。

[115]
 トラケのシントイ人とマイドイ人の土地には、ポントスという名の川があって、そこには、燃えるが木炭とは正反対の性質を示す石が下流に流れてくるそうである。というのは、〔炎が〕煽ぎ立てられると、石はすぐさま消えるが、水がはねかかると、きらめき、よりいっそう美しく火を発する。それらが燃えるとき、アスファルトに似た、不快な鼻をつく臭いがする。そのためいかなる爬行動物も、それらが燃えているときには、その場所に留まってはいられない。

[116]
 また彼らのところには、それほど狭くはなく、20スタディオン〔四方〕ほどの広さのある場所があり、人間達が食する大麦を産するが、馬や牛はそれを食べようとはしないし、他の家畜も食べたがらないといわれる。豚や犬でさえも、この大麦からつくられた菓子やバンを食べた人間の排泄物を砥めようともしない。死んでしまうからである。

[117]
 テッサリアのスコトゥサイに小さな泉があり、そこから流れる水は、人畜の怪我や打ち傷をたちまち癒すぱかりではなく、もし人がそこにすっかり粉々に砕いた木は駄目だが、裂き割った木を投げ入れると、その木は一つに合成して再びもとの状態にもどるという。

[118]
 アムピポリスの上手〔北〕のトラケあたりに、見たことのない者には不思議で信じられないようなことが起こるといわれる。というのは、小鳥を捕えようとして村や近くの土地からやって来た少年達は、鷹の力を借りるのであるが、それをこんなふうにやるのである。彼らが格好の場所に来ると、大声で鷹の名を呼ぶ。少年達の声を聞くや鷹はその場に姿を現わし、小鳥をおびやかし追い散らす。恐怖のあまり、小鳥が鷹を避け、藪の中へ逃げこむと、少年達は棒切れで小鳥を打って捕える。だがこうしたことすべての中で次のことは特に不思議であろう。すなわち、鷹が自ら小鳥を捕えた場合には、猟師である少年達に投げてよこし、少年達の方は、すべての獲物のしかるべき分け前を鷹に与えて家に帰るというのである。〔HA. IX_36(620a)〕

[119]
 ヘネトイ〔ベネティア〕人のもとには不思議なことがあるといわれる。というのは、彼らの地方へしばしば何万というコクマルガラスが襲って来て、彼らが種を播いてしまうとその穀粒を食い尽くしてしまう。そこでそれらが飛来する前に、ヘネトイ人は彼らの土地の国境のところに様々な果実の種をまき散らして、コクマルガラスどもへの贈物としている。もしコクマルガラスどもがそれを食べるならぱ、彼らの地方へはやって来ず、ヘネトイ人は無事安泰であると知るのである。だが、もしそれを食べないなら、人々はあたかも敵の攻撃があるかのように待ちうけるのである。

[120]
 トラケのオリュントス近くの、カルキス地方に、甲虫殺し(kantharolethros)と呼ばれる場所があり、その大きさは麦打ち場よりやや大きい位である。そこへ他の生物が入っていっても、再びまた出られるが、そこへ来る甲虫だけは、そうはならず、その場所をぐるぐるまわりながら飢えのために死んでしまうといわれる。

[121]
 トラケのキュクロプス人のもとには、小さな泉があり、その水は一見して澄んだ透明なもので、他の泉と変わりがないが、動物がこの泉の水を飲めば、たちどころに死んでしまう。

[122]
 ビサルタイ人の地方の近くクラストニアでは、捕獲された野兎は二つの肝臓をもつといわれる。またそこには1プレトロンくらいの広さの或る場所があり、どんな生き物でもそこへ入っていくと、死んでしまう。さらにまた、そこには大きな美しいディオニュソスの神殿があり、ここで祭りと犠牲が行なわれるとき、神が豊作を与えようとする場合には、巨大な火花が現われて、神域のあたりを歩む人々はすべてこれを見ることができるが、不作を起こす場合には、この光は現われないで、いつもの夜のように暗闇がこの場所を覆ってしまうといわれる。

[123]
 エリスには、町からせいぜい8スタディオンほど離れた所に或る建物があり、ディオニュソスの祭のときに人々はその中に空の青銅の水盤三個を置くといわれる。こうしておいてから、彼らは自国を訪れてやって来るギリシァ人のうちの希望者に、この容器を吟味し、この建物の扉を自分で密封するように求める。やがて開ける段になると、彼らは市民や外人に封印を示し、それから開けるのである。中に入ってみると人々は、水盤は葡萄酒で満ちあふれているが、床や壁は何ともないのを見出すのであって、つまり何らかのトリックが用いられているという疑いをはさむ余地がないのである。
 また彼らのもとには、鳶がいて、市場の中で肉を持ち運んでいる人々からはそれを奪うが、供物用のものには手を出さないそうである。

[124]
 ボイオティアのコロネイアでは、モグラ(aspalax)という動物は、ボイオティアの他の場所ではたくさんいるのに、生きることも地面を掘ることもできないという。〔HA. VIII_28(605b)〕

[125]
 アルカディアのルソイには、野鼠がそこをすみかとしながら生息し、泳いだりしている泉があるそうである。ラムプサコスでも同じことがあるといわれている。

[126]
 テッサリアのクランノンでは、その町にオオガラスは二羽きりいないそうである。これら二羽のオオガラスがひなを艀化すると、自分たちは他のところへ移っていくが、その産んだひなの中から別に〔二羽という〕数だけを残しておくのであろう。〔HA. IX_31(618b)〕

[127]
 アトランティノイ人の地方の近くにあるアポロニアに、埋蔵されているアスファルトやピッチがあり、水と同じように地下からほとばしり出ていて、マケドニアのそれと違いがないが、ただマケドニアのものよりも、ずっと黒く濃いそうである。その地方の住人の言明するところによれば、此処からほど遠からぬ処に、いつまでも燃え続けている火焔がある。その燃えている場所は、思うに大きくなく、広さはたかだか、寝台が五つ入るほどの広さである。そこには、硫黄と明礬の匂いがしているにもかかわらず、その周辺には草が密生しているが、ひとはこれを極めて不思議なこととするであろう。しかも、その火焔から4べーキュスと離れていないところには、巨木が立っているのである。ちなみにリュキアやペロポンネソスのメガロポリスでも、絶えざる火焔がある。

[128]
 イリュリス人のもとでは、家畜は年に二度仔を産み、それも多くはふたごである。山羊は多くの場合三匹か四匹の仔を産み、或る山羊は五匹かそれ以上産んで、さらに二分の三クースもの乳を容易に出すといわれる。また鶏は他のところの鶏のように一度きり産まないのではなく、日に二度か三度産むといわれる。

[129]
 バイオニアでは、野牛は他の種族の人々のところのどの野牛よりもはるかに大きく、それらの角は〔容量にして〕四クースも入り、或るものはそれ以上もあるといわれる。

[130]
 シケリアの海峡について、他の人々も多くのことを誌したが、この人は驚くべきことが起こると言っている。というのは、テュルレニア海から運ばれる波浪は、どよめきつつ岬の両側へ — その一方はシケリアへ、他方はレギオンと呼ばれるイタリア側へ — 打ち寄せ、また大海原から狭い場所へ運ばれ押しこめられ、このため、大波は轟音をたて虚空めざし所狭しと乱舞する。かくて逢かかなたにいる人々にも逆巻く波浪が認められるが、それは寄せ来る波とは見えず、ただ白く泡立っているばかりで、猛烈な暴風雨の過ぎていった跡のようである。ときには波浪は両側の岬で互いにぷつかりあい、信じることも述べることもできないような巨大な波濤となり、見るだに耐え難いほどである。ときには波浪は激しくぷつかりあってからさっと分かれ、見ないではいられない人々にとって、その相貌は余りにも深く、余りにも恐ろしいので、そのため多くのものは自分を抑制できず、恐怖のあまり目がくらんで倒れてしまう。大波がそれらの場所のいずれかの、先端へまで空高くぷつかり砕け、再び下に流れる海へ引き返していくとき、大きな海鳴りと共に、また巨大なすばやい渦巻を伴い、海は再び底から胎動しつつ波立ち空高く舞う。そして様々の色彩に変わり、或るときは薄黒く、或るときは濃紺に、またしばしば紫色となる。その動きの速さ、その長さ、なおその上にその逆流を、いかなる生物も耳にし目にすることに耐えられず、すべて山の麓の土地まで逃げていってしまう。波浪がやむと、渦巻が空高く運びあげられ、色とりどりの回転輪をつくるので、そのためその動きは、プレステールの或いは他の大きな蛇のとぐろに似た形をつくり上げているように思われる。

[131]
 アテナイ人がエレウシスにデメテルの神殿を建立したとき、岩にはめこまれた青銅板が発見されたが、それには「これぞデイオペの墓」と誌されてあったという。或る人々はこのデイオペをムサイオスの妻であるといい、また或る人々はトリプトレモスの母であるといっている。

[132]
 アイオロスという島々〔リパラ諸島〕の一つに、たくさんのポイニクス〔ナツメヤシ〕が生じ、このことから、それはポイニコデ〔ナツメヤシの島〕とも呼ばれるそうである。カリステネスによって説かれているような、その植物はシュリア沿岸部に住んでいるポイニキア人から名を得たのだという主張は、正しくはあるまい。むしろ或る人々は、ポイニキア人は最初の航海者であり、上陸したさきざきで、すべての人を殺害し虐殺したという理由で、彼らは、ギリシア人から「人殺し」(ポイニカ)とあだ名されたのだという。また〔テッサリアの〕ペライビア人の言葉では、流血ということは、ポイニクサイなのである。

[133]
 アイニアと呼ばれる地方のヒュパテという名の町に、或る古い石板が発見されたといわれる。それは古書体の碑銘をもっていたので、アイニアの人々はそれが誰のものであるか知りたいと思い、或る人々にそれを持たせてアテナイヘ遣わした。
 ボイオティアを通っている折のこと、異国のある人達に国外出立のわけを打ち明けたとき、彼らはテバイにあるイスメニオンに導かれたという。〔土地の〕人々が言うには、同じような書体〔の文字〕をもった古い奉納品があるので、おそらく当地においてその書体の碑文が解明されるであろうというのであった。かくして使者たちは分かった文字を土台にして、探求している〔問題の〕文字の判読をなし、次のような詩句を書き記した。
  ゲリュオンの牛の群を追い、
   エリュテイアを伴い、
  われヘラクレス、キュテラにおける
   ペルセパアッサに寄進す。
  女神バシバエッサはわれをして彼女〔エリュテイア〕に対する愛の虜となし、
   この地こそわが妻なるニンフの生まれのエリュテイアが
    われのために、息子エリュトンをはらみしところ
  されぱ、このブナの木陰なる原を
   愛の記念にと捧げたり。
    かの場所がエリュトスと呼ばれ、ヘラクレスがそこから牛を導いたのであって、エリュテイアの地からではないということは、この短詩から分かるのである。というのは、リビュアやイベリアなどの地方では、エリュテイアという名前が語られることは決してないそうである。

[134]
 リビュアのイテュケという処は、人々の言うように、ヘルメス山とヒッポス岬との間の入江にあり、カルタゴの対岸200スタディオンくらいのところにある(ちなみにイテュケはまたポイニキアの歴史に記されているように、カルタゴより287年も前にポイニキア人によって築かれたといわれるのであるが)、そこには深き3オルギュイアのところから採掘される塩があり、それは見たところ白く、硬くはないが、非常に粘々した樹脂のようである。太陽にさらすと硬くなって、バロス〔島〕の大理石のようになる。この塩から動物の小さな像や他の道具類が彫刻されるといわれる。

[135]
 タルテッソス〔スペイン西南部のグァダルキビール河流域の都市〕ヘ航海した最初のポイニキア人は、オリーヴ油やその他の船荷を持っていき、それと大量の銀を返り荷として得たので、銀をもつことも受け取ることもできないほどになり、この土地から出航するとき、彼らが使用する用具を何でも、実に舟の錨さえ全部、銀で作り直さねばならないほどであったという。

[136]
 ガデイラと呼ばれる処に住んでいるボイニキア人は、ヘラクレスの柱の外へ東風を受けて四日間航海し、灯心草や海草に満ちた人住まぬ或る場所へたどりついた。そこは潮が引くと水中に没しないが、潮満ちてくると水中にかくれてしまうようなところであった。彼らが難破したとき、ここでその群れの広がりの大きさといい厚きといいとても信じられない程の、とてつもないマグロの大群が見つけられた。そして彼らはこのマグロを漬けて壷の中へ入れ、カルタゴヘ持って行ったと伝えられている。これらのマグロだけはカルタゴ人は輸出せず、食用として美味なので自分らで消費する。

[137]
 カリアのペダシアにおいて、ゼウス神に犠牲が捧げられ、その祭の列に或る雌山羊が加えられたが、これについて何か不思議なことがあるそうである。というのは多勢の見物人の見ている中を、ペダソイから70スタディオンも歩いて、行進中うろたえることもなく、また道をそれてしまうということもなく、綱につながれ、祭主の前を進んで行く。
  さらに不思議なことであるが、二羽のオオガラスがゼウスの神殿のあたりにいつもおり、他の何ものもそこへは近づかない。そのうちの一羽は頸の前の部分が白い。

[138]
 イリュリス系のアルディアイオイ人と呼ばれる〔種族の〕ところでは、彼らとアウタリアタイ人との国境にそって、大きな山があり、その近くに谷があって、そこから水が湧き出ているが、いつの季節でもそうなのではなく、春の間だけで、水量豊かであり、それを人々は汲んで来て、昼のうちは天幕の中に保護し、夜は野天に置いておくそうである。五、六日もこうしてやると、水は凝結し、最も良質の塩を生ずる。これを人々は家畜らのために特別に維持しておく。というのは彼らは海から遠く離れて住んでおり、外界との交渉もない〔未開人である〕から、塩は彼らのところへ入ってこないのである。つまり彼らは家畜のために、それ〔塩〕を大変に必要としているのであり、年に二回家畜に塩を与える。もしこうしなければ、彼らの家畜はほとんど死んでしまうことになる。

[139]
 アルゴスでは、「サソリと戦うもの」と呼ばれる或る種のバッタがいるといわれる。というのは、サソリを見っけるやいなや、直ちに襲いかかり、サソリの方も同様にバッタに応戦する。バッタは相手のまわりをぐるぐるまわりながら、鋭い音をたてる。サソリの方は毒針をもたげ、その場でぐるぐるまわり、それから少しずっ毒針をあげ、バッタがまわりをまわっているうちに、遂には全部のばしきってしまう。最後にバッタが走り寄って、サソリを食ってしまう。サソリに刺されたときの用心として、バッタを食するのがよいといわれる。〔ヘビと戦うバッタについてはHA. IX_6(612b)〕

[140]
 ナクソスのスズメバチは、マムシの肉を食ってしまってから — その肉は、思うに、スズメバチにとりわけ好まれているようだ — 誰かを刺すと、非常な苦痛を与えるので〔スズメバチの一撃は〕マムシが噛むよりも、もっとひどいといわれる。

[141]
 矢に塗られるスキュティアの毒薬は、雌マムシから得られるという。思うに、スキュティア人は子供を生み終ったマムシに気をつけて、それらを捕え、数日の間腐らせる。それらがすべて充分に腐ったと思われると、人間の血を小壷に注ぎ、蓋をして、堆肥の中へ埋めておく。これがまた腐ると、この血液の上ずみの漿液を雌マムシの液(腐った血)と混ぜあわせる。こうして彼等は死に至らしめる毒薬をつくる。

[142]
 キュプロスのクリオンには、或る種の蛇がいるといわれ、それはエジプトの小毒蛇〔アスピス〕のよ うな威カをもっている。ただ冬の間噛みついても何の害も与えないという点では異なる。それは何か他の理由によるのか、それとも動物は寒さのゆえにしびれて動きが鈍くなってしまい、ついには暖められなければ、無力となってしまうからであろう。〔HA. VIII_29(607a)〕

[143]
 ケオスには或る種のサボテンがあるが、もし人がこのとげに刺されると、死んでしまうといわれる。

[144]
 ミュシア〔プリュギアとリュディアの間の地〕には或る種の白熊がいるといわれる。それが犬に狩りたてられると、犬の肉を腐らせるほどの息を吐き出す。他の獣に対しても同様であり、それを食べられないものとしてしまう。もし何ものかが無理にでもそれに近づこうとすると口から多量の粘液を出し、これが犬の顔面や同様に人間の顔面に吹きかかり、窒息させたり、盲にしたりするそうである。

[145]
 アラビアには、或る種のハイエナがいるといわれるが、これは前方に何か獣を見たり、或いは人間の影を踏んだりすると、相手を声もたてられなくしてしまったり、体を動かすこともできないほど立ちすくませてしまう。これは犬に対しても同様だそうである。

[146]
 シュリアでは、レオントポノン〔ライオン殺し〕と呼ばれる動物がいるそうである。恐らくライオンがそれを食うと死んでしまうからであろう。そこでライオンは自ら進んで食おうとはせず、むしろその動物から逃げてしまう。狩人がこれを捕えると灸って、白い麦粉のように他の動物の上にふりかけておく。ライオンがそれを食べると、すぐに死んでしまうというのである。この動物は放尿によってもライオンを傷つける。〔 Plinius, VIII, LVII, 136。植物については、HA. IX, 6(612a)〕

[147]
 また、ハゲワシは、もしひとがハゲワシにミュロン(myron)〔香油〕をなすりつけたり、ミュロンを浸した食物を与えるならば、その匂いで死ぬと伝えられている。同じように、甲虫も薔薇の花の香りで死ぬといわれる。

[148]
 シケリアでも、イタリアでも、マダラヤモリ(galeotes)〔66〕は噛んで相手を殺す力があるという。それはわれわれのところのそれのように無害な弱いものではない。また人に飛びかかる或る種の鼠もいるが、これは噛みつくと相手を死に至らせる。〔HA, VIII_29(607A), Plinius, XXIX, 28, Cf. Plinius, VIII, 49.〕

[149]
 シュリアのメソポタミアに、また〔ドナウ河畔の町〕イストロスにも或る小蛇がおり、土地の人には噛みつかないが、他国の人には猛烈な危害を加えるということである。

[150]
 エウフラテスのあたりでは、特にこういったことがあるといわれる。というのは多くの蛇が河の縁に現われ、両岸へ泳いで行きかう。したがって夜の間はこちら岸に見られるのに、明け方にはもう向う岸に現われている。そして休息をとっているシュリア人達には噛みつかないが、ギリシア人には容赦なく噛みつく。

[151]
 テッサリアには、「聖蛇」と呼ばれる蛇がいて、噛むだけではなく、触れてもすべてのものを滅ぼすといわれる。したがって(めったに姿を現わさないが)その蛇が姿を見せても、その声を聞いただけでも蛇やマムシや他のすべての獣は逃げ出してしまう。それは余り大きくはなく、普通の大きさである。テッサリアのテノス市では、かつてその聖なる蛇が或る婦人に殺されたそうであるが、その死は次のようなものであった。婦人は地面に輪を描き、それに薬を置き、彼女とその息子がその輪に入った。それから獣のなき声をまねると、蛇はそれに応じて声を出して近づいてきた。だが蛇が声を出しているうちに、女は眠くなり、だんだん近づいてくるにつれて眠りをこらえることができなくなった。しかしそばに坐っていた息子が、彼女の命令通り彼女を打って起こし、そして言った、もしあなたが眠ってしまったらあなたも自分も死んでしまうであろうが、あなたが力をふるってその獣をあなたの方へひき寄せるなら、自分らは救われるであろうと。蛇がこの輪に近づくと、たちまち萎えてしまった。〔HA. VIII_29(607A), Cf. Theophrastus, Char. XXVIII(XVI)参照。このhieron (opheidion)は、Aelianus, XV,8およびNICANDER, THER. 320の"sepedon"である〕。

[152]
 〔カッパドキアの〕テュアナの近くにゼウス・ホルキオス〔誓いの神ゼウス〕の水 — 人々はこれをアスバマイオンと呼んでいる — があり、その泉は非常に冷たく湧き出ており、水盤のように泡立っている。誓いを守る者にとっては、この水は廿美で優しいが、偽誓した者にとっては裁きはたちどころに下される。というのは水はその者の眼、手、足に飛び散って、かれは水腫や肺病にかかってしまう。そうならないうちに立ち去ることはできず、そこに釘づけになり、偽誓したことを告白して水のほとりで嘆き悲しむのだと伝えられている。

[153]
 アテナイでは、オリーヴの聖なる枝は一日にして芽ぱえ、伸びてゆき、すぐにまた萎んでしまうといわれる。

[154]
 エトナ火山の噴火口が爆発し、溶岩が大地の上をあちこちと激流さながらに流れたとき、神霊は敬虔な者達に恩典を与えてくれた。というのは、彼らが年老いた人々を肩に背負い、救おうとして、この流れにとり囲まれたとき、この火の流れは彼らに近づいてきて二つに分かれ、燃え盛る火の或るものは一方へ、或るものは他方へ流れ、無事に両親をも若者をも守ったからである。〔『宇宙論』第6章(400a33)〕。

[155]
 彫刻家ペイディアスがアクロポリスにアテナ像をつくつたとき、その像の楯の中央に自分の顔を彫りこみ、その楯を或る秘密の技巧によって像に結びつけた。そのためにもしひとがそれをとりはずそうと思っても、どうしても像全体を解体するか破壊しなければとりはずせなかったと伝えられている。〔『宇宙論』第6章(399b33)〕。

[156]
 アルゴスにあるピテュスの像は、ビテュスの死の下手人が、これを見物している最中に倒れてきて、その者を殺したと人々は語っている。ところでこうしたことは、偶然に起こることではないように思われる。〔『詩学』第9章(1452a7-10)参照〕。

[157]
 犬は獣を「黒い山」と呼ぱれる山の頂まで追うだけであって、そこまで追うと戻ってきてしまうという。

[158]
 〔コルキスの〕パシス川には白葉(r(a&bdoj leuko&fulloj)という名の灌木が生え、それを嫉妬深い夫らが引き抜いて、花嫁の寝室のまわりにまいておく。そうするとかれらの結婚を汚されずに守れるといわれる。

[159]
 ティグリスには、異人の言葉でモドンと呼ばれる石があり、色は真っ白で、もしひとがこれを所有するならば、野獣によって危害を加えられることがないそうである。

[160]
seistron.jpg スカマンドロスにはシストロンと呼ばれる野生植物〔Rhinanthus major〕があり、それはエンドウ豆に似ており、そして揺れる種をもち、ここからその名が由来している。これを所有しているものは、どんな悪霊をもどんな幽霊をも恐れることがないといわれている。
 画像出典:Rhinanthus major

[161]
 リビュアには或る人々が狂い木と呼んでいる葡萄の木がある。その果実のうちの或るものは熟しはするが、他のものは熟しないままであり、また或るものはほんのしばらくの間花が開いたままでいる。

[162]
 〔プリュギアとリュディアの境にある〕シピュロス山のあたりには円筒に似た石があり、敬虔な息子たちがこれを見つけると、神々の母の聖域に置く。そして不敬のかどで罪を犯すことは決してなく、いつも親孝行であるといわれる。

[163]
 タイゲトス山にはカリシア〔愛の草〕と呼ばれる野生植物があり、それを婦人たちは春の始めに首のまわりにかける。そうすると夫たちから、よりいっそう愛情深く愛されるそうである。

[164]
 オトリュスはテツサリアにある山で、そこはセーペス〔腐敗させるもの〕と呼ばれる蛇たちを産する。かれらは単色を有するのではなく、いつもその棲んでいる場所に似た色をもっている。かれらのうちの或るものたちは、コウラナメクジと同じような色をもっているが、他のものの鱗は黄緑色である。しかし砂地に棲んでいるものたちは、その色が砂に似ている。かれらは噛みつくと相手の喉をかわかせる。かれらの噛むのは、荒々しくもなく、火のように激しくもないが、気分が悪くなる。

[165]
 黒い斑点のあるマムシが雌と交尾するとき、雌のマムシは交尾中に雄の頭を噛み切ってしまう。このために子蛇らは、父の死に報復するかのように、母マムシの腹をひき裂く。

[166]
 ナイル川には、ソラ豆に似た石が産出するという。犬がそれを見ると吠えなくなる。この石はまた或る悪霊にとり憑かれている人々にも効き目がある。というのは、これをその人の鼻先に近づけるやいなや、悪霊が逃げ去る。

[167]
 アジアのマイアンドロス川には反対の意味で賢石と呼ばれる石がある。もしもひとが誰かの懐中にこの石を投げ込んでおくと、その人は気が触れて、親類の人々のうちの誰かを殺すといわれる。

[168]
 レノス〔ライン〕川とイストロス〔ドナウ〕川は北方へ流れる。一方はゲルマン人のそばを、他方はパイオニア人のそばを過ぎる。夏には、その流れを航行することができるが、冬には氷が張って、陸地のような形になり、その上を騎馬で渡れる。

[169]
 トゥリオンという都市の近くにはシュバリスとクラティスという二つの川があるそうである。ところでシュバリス川の方は、その水を呑むものたちを臆病にしてしまう。他方クラティス川は、そこで水浴する人たちを金髪にする。

[170]
 エウボイアには二つの川があり、それらの一方の水を呑む羊は白くなる。その川はケルベスと呼ばれる。もう一方の川はネレウスと呼ばれ、羊らを黒くする。

 ヒツジの体色と水との関係については、『動物誌』第3巻12章(519a)。ただし、エウボイアの川のことは出てこない。

[171]
 リュコルマス〔エウエノス川、のちにエビノス川と呼ばれる〕川のほとりの野生植物は、槍に似た形で生える。それは弱視に対して大変よく効く。

[172]
 シケリアのシュラクサイにあるアレトゥサの泉は五年目ごとに移動するといわれる。

[173]
 〔プリュギアの〕ベレキュントス山には、いわゆる「短剣」と呼ばれる石が産出する。エウドクソスの語るところによれば、ヘカテの秘儀がとり行なわれるとき、ひとがそれを見つけると気狂いになる。

[174]
 〔リュディア地方の〕トモロス山には、キヅタに似た石が産出し、それは日に四度その色を変える。それはまだ物心つかない少女によって見つけられるそうである。

[175]
 アルテミス・オルトシア〔直立不動のアルテミス〕の祭壇には、黄金製の牡牛が据えられ、猟師が入ってくると、うなり声を発する。

[176]
 アイトリア人のところでは、モグラはおぼろげながら物を見ることができ、土を食うのではなく、バッタを食うそうである。

 ヨーロッパに普通のTalpa europaeaの眼は見えるが、南ヨーロッパ産のTalpa caecaの眼は見えないという〔島崎註〕。

[177]
 象はニカ年も妊娠しているそうである。だが他の人は一年半であるという。分娩の際に象は非常に苦しむのである。〔HA. V_14(546b), VI_27(578a)〕

[178]
 ロクリスの人ティマイオスの弟子であるデマラトスは、病気になり〔気が触れて〕、十日間唖になったそうである。だが十一日目に徐々にその錯乱状態から回復したが、病気の時が自分にとって生涯で一番楽しかったと彼は語った。

 ここのロクリスは、南イタリアのロクロイ・エピゼピュロイ。ティマイオスは、プラトン『ティマイオス』の対話者。この対話編以外に言及がないので、ティマイオスについては不明であるが、その思想は、ピュタゴラス派・エレア学派・エンペドクレス、その他ありとあらゆる立場の説を折衷し融合した(種山恭子解説)といわれる。
 デマラトスについては不明。ピュタゴラス派が「異常なほどの沈黙を守った」(ポルピュリオス『ピュタゴラス伝』19)ことと関連するか(アテナイオス『食卓の賢者たち』IV_160F参照)。

//END


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