断片407
キュレーネー人カッリマコスも、驚異譚の抜粋のようなものを作っているので、その中から、傾聴に値するとわれわれに見えるかぎりを抜き書きしてみよう。彼の主張では、エウドクソスが記録しているという、 トラケーの聖山(Hieron oros)の海〔=湖〕には、一定期間、アスファルトが浮上するが、ケリドニアの海〔=湖〕は、広い範囲にわたって甘い水源を有すると。
テオプラストスが〔記録しているという〕、 アイオロス諸島〔シケリアの北方のいわゆるリパラ七島〕近辺の海は、広さ2プレトロンにわたって沸騰しているので、熱さのために海に足を踏み入れられないほどだと。
カルケードーン人たちの地デーモネーソスの〔海〕からは、潜水夫たちが2尋〔の深さ〕までもぐって銅を運び上げる。この銅から、ペネオスにある人像 ヘーラクレースによって奉納されたという像も制作されたという。
『インド誌』を書いたメガステネース〔前350頃生-290没〕は、インドの海には樹木が生えると記録しているという。
河川や井泉についてはリュコスが言っていると彼は主張する、 カミコス〔シケリアのアクラガス近くの都市〕河は、海が流れるときに、流れるが、カパイオス河とクリミナソス河は、水の表層は冷たいが、下層は熱い、またヒメラ河は、ひとつの水源から、塩辛い流れと、飲用水とが分離して出て来るという。
ティマイオスが記録しているという、 イタリアの河川のうちクラティス河は、毛を黄変させると。
ポリュクリトス〔前4世紀頃の歴史家、Mendaeusu出身〕が書きとめているという、 ソロイ市〔キリキアを流れるピュラモス河の河口西部にある海港都市〕にある河がリパリス〔「油」〕河と名づけられているというのは嘘ではなく、あまりに油っぽいので、それ以上油を必要としないほどだが、パンピュリアにあるムウアビス河は、詰め土〔"stoibe"、よくわからぬが、煉瓦を積みあげるさいに、その間に詰める土と解してみた〕や煉瓦をひとが投げこむと、石化させると。
アグリア・トラケー人たちの領地の付近では、ポントスと命名されている河を、人形をした石が流れ下ると彼は主張する。この石は燃えあがるが、樹からできた木炭とは正反対である。というのは、扇によって扇がれると鎮火し、水を降りかけられるとよりよく燃えあがるが、この石は、四足獣の臭いをとどめぬという。
ルウソイ市〔アルカディア南部の都市〕にある泉は、ランプサコス人たちの所にあるのと同じく、家ネズミに似たネズミが住んでいる。これはテオポンポスが記録しているという。
エウドクソスは、アロスにあるOphioussa〔「蛇泉」〕は、ライ病を治すと〔記録しているという〕。
レーギオンのリュコス〔前300年頃〕が言っているという、 シカノイ人たちの領土〔"Sikania"は、シケリアの古名〕にある泉は、粗酒(oxos)をもたらすので、彼らはこれを副食に使うが、ミュティストラトンにある泉は、オリーブ油のようなものが流れる。これはランプを燃やし、できものやかゆみを癒す効能があり、Mytistrationと命名されている。この近くにあるのが、大角星(Arktouros)から昴(Pleiades)まではほかと何ら違わない水を湧き出させるが、昴から大角星までは、昼間は煙を噴き上げ、熱水を吐きだすが、夜は炎に満ちている泉である。
シュラクウサイにあるアレトゥウサの泉は、(ほかの人々やピンダロスも主張しているとおり)、水源をエリスのアルペイオス河に有する。だから、オリュンピア祭の日々、この河で犠牲獣の内臓を洗いすすぐと、シケリアにある泉はきれいにならず、獣糞が流れる。また、かつてアルペイオス河に投げこまれた杯がこの泉で現れたという。(このことはティマイオスも記録している)。
彼の主張では、テオポンポスが書いているという、 トラケー人たちのキンクロープスにある泉の〔水を〕味わった者は、すぐに死ぬと。
スコトゥウサ〔テッサリア中央部の都市〕にある泉は、人間だけでなく家畜の傷口をも健康にする効能をもった特異な泉であるという。材木を、割ったり砕いたりして投げこんでも、ひとつになるという(Theopomp. F271)。
カオニア近辺の泉からは、水分が蒸発すると、塩ができるという(Theopomp. F272)。
アンモーンにある泉については、アリストテレス(fr.531 R.2)が言っているという、 ヘーリオス〔太陽神〕に捧げられた泉は、真夜中と真昼、熱泉になるが、午前や午後には、氷のようになる、ほかの泉は、太陽が現れると、噴出し、日没時になると、静止すると。
クテーシアス〔の言によれば〕、エチオピアにある泉は、水は辰砂のように真っ赤であるが、この泉から飲む者たちは、精神錯乱になるという。(このことは、『エチオピア誌』を編纂したピローンも記録している)。
インドにあるシラの泉は、投げこまれものがどんなに軽くても浮かせることはなく、引きずり込むという。(もっと多くの水についても、もっと多くの同じようなことを彼ら〔インド人たち?〕は述べてきたのである)。〔アッリアノス『インド誌』6、水中に落ちたすべてのものが石に化して沈んでしまうところから、河の名前はサンスクリットのsila(石)に由来するという〕
エウドクソスが記録しているという、 カルケードーンにある泉には、小さな、エジプトにいるのに似たワニがその中に生息すると。
アタマニア近辺には妖精たちの神殿があり、この神殿にある泉は、水はえもいわれぬほど冷たいが、この上に置かれたものは何でも沸かせる。また、薪や何か他のそういったものをくべると、炎をあげて燃えるという。
彼の主張では、アモーメートス〔前4世紀頃の歴史家〕が書いているという、 アラビアのレウコテア〔Leukothea(白き女神)=イノの古名〕市には、メンピスから引かれた運河があるが、イシスの泉と呼ばれる泉に杯の葡萄酒を注ぐと、うまい飲み水になると。
湖については、クテーシアスが記録していると彼は言う、 インドにある湖には、シケリアやメーディアにあるのと同様、金や鉄や銅は別にして、ここに反対向けにはまったものは受け入れず、何か曲がったものを放り込むと、真っ直ぐにして投げ返し、白病〔ライ病〕と呼ばれる病を癒す、別の湖では、穏やかな日には、オリーブ油が浮上するという。
クセノピロス〔前4世紀〕が〔記録しているという〕、 イオッペー〔パレスティナの海港都市〕近くの〔湖〕には、どんなに重いものでも浮かせられるばかりか、3年目ごとに、湿ったアスファルトをもたらす。このことが起こると、30スタディオン以内にある銅器には錆がつくという。
サルマタイにある湖は、ヘーラクレイデース〔前4世紀の歴史家、クマエ出身〕が書いているところでは、鳥は飛び越えられず、近づくものはその臭気によって死んでしまうという。(じっさいそれはアオルニス近辺でも起こると思われており、et quae sequuntur ex Timaeo, Geffcken, Tim. p.142, 33 sqq., add. Antigonus.)
彼の主張では、エウドクソスが記録しているという、 ザキュントスにある湖からは、もちろん、湖は魚をもたらすのだが、ピッチが浮上する。この湖に何を投げこもうと、4スタディオンは隔たった海上に現れるという。
リュコスが〔言うには〕、シケリアのミュライにある湖のそばに、樹木が生えるが、この樹の真ん中を通って、ひとつは冷たい水が、もうひとつは逆の〔水〕が上昇するという。
パニアが〔言うには〕、ピュラコイ人たちの湖は、干あがると、燃えあがると。
アスカニアの泉〔ビテュニアのニカイアのそばの湖〕も飲める泉であるが、ここに運ばれたものは、洗剤なしでもきれいになり、この中に長い間放置しておくと、自然に消えてなくなるという。
キティオンにある泉についてニカゴラス〔?〕が主張しているという、 しばらく大地が干あがると、塩が見出されると。
[同じ]水についてテオポンポスが言っていると彼は主張する、 いわゆるステュクス河の水は、ペネオスにあり、とある小岩からしたたっている。この水を汲みたいと思う者たちは、樹木に結んだカイメンで入手するが、〔この水は〕角製の容器以外は、どんな容器も破壊するし、味わう者は死んでしまうという。
リュコスが記録しているという、 レオンティノイ人たちの領土にあるデッロスと名づけられている河川は、煮物の中でも最高の温度で沸騰するが、水源は冷たいままであるという。これの近くの泉は、鳥類はすぐに死んでしまうが、人類は3日後に〔死んでしまう〕という。
これと似たことが、コース島のあたりのキュトリノンでも起こるという。というのも、この河は、分割できないものは投げ返して、生きものの反応を示すのに、置かれたものは過度に冷やすという。
コース人たちのところには、他にもちょっとした小川があって、これを通す樋はどんなものでも石に化したという。次のことはエウドクソスもカッリマコスも見落としていることだが、この水からコス人たちは石を切り出して、観劇場を建設した。かくも強烈に、どんな種類のものでも石化するのである。
ピュトポリスにある人造井戸についても、エウドクソスが言っているという、 ナイル河にいくぶん似ている。というのは、夏期は、岸の上まで満ちあふれるが、冬期は、あまりに残り少なくなって、汲み出すことさえ容易ではないと。
クレーテー島の細流についても、この上に座ると、雨のときでも、ずっと乾いている。じっさいクレーテー人たちに言い継がれてきているところでは、エウローペーがゼウスとの交わりを解かれて以来のことだという。
テオポンポスが主張しているという、 リュンケースタイには、かなり苦い水があり、これを飲む者は、酒を飲んだように人が変わる。(このことも多くの人たちによって証言されている)。
アルメニアの岩場からわき出る水のことを、クテーシアスが記録しているという、 魚が黒くなり、この水を味わった者は死んでしまうと。
火については、クテーシアスが記録していると彼は主張する、 パセーリス〔パンピュリア湾のほとりの海港都市〕人たちの領土のあたりにあるキマイラの山の上に、いわゆる不死の火がある。これこそは、ひとが水をかければ、よりよく燃えあがり、藁屑をくべて押しつけておくと、鎮火するという。(これと似たことが塩についても起こるのが眼にされる。すなわち、シケリアの客人がわたしたちにくれたのだが、火の中では溶けるが、水の中では飛び跳ねる。<……>=c. 167 de sale Acragantino add. Antigonus.)
……石についても、この同じ人物が言っているという、 トラケーのボッティア人たちのところにある石は、太陽が照らすと、自分から火を点じると。彼が、〔ひとに〕手渡すために、その石炭の色からして、壊れていないと判断して、いったん消して、再び試みても、同じ勢いを発揮するという。
植物のアカンサスについては、アリストテレスが主張しているという、 エリュテイアあたりには、色がまだらの種類が見いだされ、これから撥ができると。(「キタラ弾きのティモーンは、〔これを〕持っていて、多くの人たちに見せびらかせて言うには、恩師のアリストクレースが自分にくれた、これの使用に際しての感触は堅いと」add. Antigonus.)。
テスプロートイ人たち〔アンブラキア湾の北、エペイロスの南西地域の住民〕は、燃える木炭を地中から掘り出していることについては、テオポンポスが書き留めていると彼は主張する。
パニア〔?〕は、レスボスのある地方や、ネアンドリア近辺では、土塊がヘビの咬み傷に有効で[も]ある、〔この土塊は〕水の中に投げこまれても、沈みも溶けもしない〔と書きとめている〕という。(ピタネーでも、いわゆる煉瓦が浮くというのも、この種類に属するからであろう)。
動物については、彼の主張ではリュコスが記録しているという、 ディオメーデース島にいるサギは、相手がギリシア人たちなら、この地域に通りがかるものがいると、触れられてもじっとしているばかりか、飛びついてきて、ふところに潜りこんで、親しげに尾を振る。地元の人たちによって何か次のようなことが言われているという、 ディオメーデースの同志たちがこれらの鳥の自然本性に変身したからだと。
アドリア海〔北岸〕沿岸の住民であるエネトイ人たちは、テオポンポスの主張では、播種の時機になると、コクルマガラスたちに贈り物を遣わすが、この贈り物は蜂蜜と油をまぜた大麦菓子である。捧げると、これを運んだ人たちはその場を離れる、すると鳥たちの多くは、耕地の境に寄り集まって留まり、二羽ないし三羽が、飛来して、確かめてから、ふたたび飛び去る、それはあたかも、何か長老たちか監視者たちのようである。こうして、多数が<……>。