title.gifBarbaroi!
back.gif第5章 初期活字印刷本の幕開け


インターネットで蝉を追う

第6章

虫たちの形相






 シュタインヘーヴェル集成本において、昆虫が登場する挿絵は、以下の8葉である。
 なお、画像はMATEOのものを拝借した。これは1501年、Strassburgで刊行されたものであるが、シュタインヘーヴェル本の挿絵をほぼ忠実に模刻しているので、参照するのに不都合はないと判断する〔ただし、「ハエとロバ」の挿絵のみは、Ulm本のものを借用〕。

frog_r.gifイソップ伝中〔Perry 387「キリギリスを捕る男」〕

Vita Isopi

 リュディアのクロイソス王のもとに出頭したイソップが、自分は無力な存在だから見逃してほしいと言って、たとえ話をする。

  貧しい男が、イナゴ(akris)を狩り集めていましたが、声の良い歌い虫である蝉(tettix)までも捕まえましたので、殺そうといたしましたところ、彼女(tettix)が彼に向かって申しました、『どうかわたくしをむやみに殺さないでくださいまし。わたくしは麦穂に不正を働くことはありませんし、枝を害することもいたしませぬ、ただ羽と脚とをこすり合わせて、いい音色を響かせ、道行く人たちを楽しませるだけ。ですから、わたくしから音色以外のものは何も、お見つけ出しになれないでしょうから』と。これを聞いて、彼は彼女を放してやりました。

 イソップ伝の校訂本は、G本とW本との2系統あるが、シュタインヘーヴェルが底本としたのは、評判の芳しくないW本系のラテン語訳である。上は、W本(ギリシア語原文)の訳。G本系では、蝉(tettix)がイナゴ(akris)になっている。
 なお、この寓話の翻訳上の問題については、point.gif第9章 テクストの変容・挿絵の変容を参照。

frog_r.gif32〔Rom. II_12〕禿頭とハエ(De calvo et musca)〔Perry 525〕

De calvo et musca

Phaedrus V_3
 禿げた男のつるつる頭をアブが刺しました。男はアブを叩き潰そうとしましたが、平手打ちで痛い目にあったのは自分の頭でした。そのときアブは小馬鹿にしたようにこう言いました。
 「あんたは小さなアブにちくっと刺されただけなのに、殺して復讐しなけりゃ気がすまなかったようだ。だが、自分で自分を殴りつけたあんた自身にはどういう態度をとるつもりだ」
 男はこう答えました。
bold.jpg  「自分とは簡単に仲直りできる。殴るつもりなどなかったってことはわかってるからだ。だが、お前みたいに人間の血を啜って喜んでいるような見下げたけしからん生き物には、どんないやな思いをしてでも落とし前をつけずにはおられない」
 この話は、たまたま罪を犯してしまった者には許しが与えられてしかるべきだということを教えています。一方、意図的に他人を傷つける者はいかなる罰にも値するとわたしは思います。
 (岩谷智訳)

 右の図像は、アデマール写本第66話の挿絵である。


frog.gif36〔Rom. II_16〕ハエとロバ(De musca et mula)〔Perry 498〕

De musca et mula

Phaedrus III_6
 アブが荷車の梶棒に止まって、ラバにこう毒づきました。
 「なんてのろまなんだ。もっとせっせと歩いたらどうだ。用心しないと、針で首をちくっとやるぞ」
 ラバは答えました。
 「そんな嚇しにびくともするか。だが、車の一番前に座っているあの男は恐ろしい。鞭をしならせて、『駆け足』と言ったかと思えば、手綱をぐいっと引っ張って、『止まれ』ときやがる。お前は、くだらん大口なんか叩いていないであっちへ行け。ぶらぶらしていられる時か、駆け足しなくちゃならない時かは、ちゃんと俺にはわかっている」
 この話からも、実力がないくせにこけ威しの文句を並べれば嘲笑われるのがおちだということがわかります。
 (岩谷智訳)
frog.gif37〔Rom. II_17〕アリとハエ(De formica et musca)〔Perry 521〕

De formica et musca

Phaedrus IV_25
 [この話は役に立たないことはすべきでないということを教えています。」
 アリとハエがどちらが偉いか激しく言い争っていました。口火を切ったのはハエでした。
 「俺さまの特権と比べられるようなものが、お前なんかにあるものか。犠牲式のときには、神さまの取り分の内蔵もまっさきに味見できる。祭壇のまんなかに止まるのも、神殿中を飛び回るのも好き放題。気が向けば王様の頭にだって止まれるし、慎み深いご婦人方の唇も盗めるんだ。なんにも働かなくても一番いいものが楽しめる。お前みたいな田舎者に、こんなことができるかい」
ad27.jpg 「たしかに神さまがたといっしょに食事ができるのは名誉なことかもしれません。でもそれは招待された人の言うことで、まねかれざる客ではなんにもなりません。祭壇によく行くって言っても、そのたびに追い払われるのではね。王様やご婦人の唇のことにしても、恥ずかしいと思う気持ちがあれば隠さずにおられないようなことをあなたは自慢しているのです。全然働かないとおっしゃる。だから、いざというときなにも手元にないんです。私が冬に備えて麦の粒を一生懸命集めているとき、見かけるのはあなたが壁際で糞を食べているところです。夏のうち、私に言いがかりをつけてくるあなたも、冬が来れば黙り込みます。寒さであなたが凍え死んでしまいそうなときにも、私は食べ物のいっぱいつまった巣のなかで安心して暮らせます。その高い鼻もこれで十分にへし折れたと思います」
 この話から人間は二つの種類にわかれることがわかります。一方は、意味のない自慢話で見栄を張ろうとする者、他方は、徳がおのずから真の輝きを放つ者です。
 (岩谷智訳)

 右上の画像は、アデマール写本第27話の挿絵である。

frog.gif77〔Rom. IV_17〕アリとセミ(De formica et cicada)〔Perry 373〕

De formica et cicada

Babrios 140
 冬のことです。アリが蔵から穀物を引っ張り出してきて、干していました。夏のあいだに積みあげておいた穀物です。
 「露命をつなぐために私にも食べ物を少しお恵みください」と、セミが飢えにあえぎながらアリに取りすがりました。
 「それじゃあ、君はこの夏、なにをしていたんだい」とアリが言いました。
 「ぶらぶらしていたわけじゃありません。ずっと歌っておりました」
 アリは笑って、小麦をしまいながら言いました。
 「夏に笛を吹いていたんだったら、冬は踊りたまえ」
 (西村賀子訳)

 この寓話のアデマール写本については、point.gif第3章 アデマール写本を参照。

frog_r.gif99〔Rem. 2〕ワシとコガネムシ〔Perry 3〕

De aquila et scabrone

Perry 3
  鷲が兎を追っていた。兎には助けてくれる者とてなかったが、ただひとつ、センチコガネを見つけたのを幸い、これに救いを求めた。センチコガネは兎を励まし、鷲が近づいてくるのを見ると、救いを求めてきた者を連れ去ってくれるな、と頼んだ。それなのに鷲は、センチコガネの小さいのを侮って、目の前で平らげてしまった。
 それ以来、センチコガネは恨みを忘れず、鷲の巣を見張り続けて、鷲が卵を生もうものなら、飛んで行って、卵を落として割ってやった。どこへいっても追い出されるので、とうとう鷲は、ゼウスの所へ逃げこんで、安全な巣造りの場所をお願いした。鷲はゼウスの使わし婢であったのだ。
 ゼウスは自分の懐で卵を生むことを鷲に許したが、それを見ていたセンチコガネ、糞団子を作るなり飛びたって、ゼウスの懐の真上に来ると、ポトリと落とした。ゼウスは糞を振り払おうと立ち上がったとたん、うっかり卵を放り出してしまった。これ以来、センチコガネの出る季節には、鷲は巣を造らないということだ。
 踏みつけにされているか仇うちができないほど無力な者はない、ということをよく考えれば、一寸の虫を侮るべきでないことを、この話は教えてくれる。
 (中務哲郎訳)
frog_r.gif108〔Rem. 11〕アリとハト(De formica et columba)〔Perry 235〕

De formica et columba

Perry 235
 喉の渇いた蟻が、水を飲もうと泉にやって来て、溺れそうになった。傍らの気に止まっていた鳩が、葉をちぎって投げ落としてやると、蟻はそれに這い登って助かった。ちょうど側にいた鳥刺が、もち竿を継いで鳩を捕まえようとしたが、蟻が上がって行き、その足に咬みついた。鳥刺の竿は激しく揺れ、鳩はその場を逃れて事無きを得た。
 一寸の虫も恩人に対しては大いなるお返しができるのだ。
 (中務訳)
frog.gif109〔Rem. 12〕ハチとジュピター〔Perry 163〕

De ape et Iove

Perry 163
 蜜蜂が自分の蜜を人間に与えるのが惜しくなったので、ゼウスの所へ行くと、蜂の巣に近づく者を針で刺し殺す力を与えてください、と願った。ゼウスはその嫉み心に腹をたてて、蜜蜂が人を刺すと、針が抜け、続いて命も失わねばならぬようにした。
 自分が損なわれることを忍んでまで他人に嫉み心をいだく輩に、この話は当てはまろう。
 (中務訳)
forward.gif第7章 近世動物学の画期
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