第10章 「蟻と蝉」の労働観
インターネットで蝉を追う
第11章
古文献にみるイソップ寓話
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『オリエンタリズム』の著者サイードは、バーナルを引用して、次のように言う。
ギリシア文明は、もともと、エジプトとかセム族とか、その他さまざまな南方ならびに東方の諸文化にそのルーツを持っていると知られていたのだが、19世紀全体をとおして、「アーリア的」なものと規定しなおされ、セム族的・アフリカ的起源は、きれいさっぱり拭い去られてしまうか、隠されてしまったのである。ギリシアの著述家たちは、彼らの文化的過去が雑種的なものであることをいろいろなところでおおっぴらに認めていたため、ヨーロッパの文献学者(フィロロジスト)たちは、そうした厄介な箇所を註釈抜きで素通りして、あくまでもアッティカ文化の純粋性を求めるというイデオロギー的習慣を身につけてしまったのだ。
(サイード『文化と帝国主義』1、p.51)
わたしたちはイソップが奴隷であったという伝説を知っている。ということは、イソップはギリシア人ではないということではないのか。しかし、そのことに思いを致すひとは少ない。イソップは、ギリシア語ではアイソーポス(Aisopos)と表記される。しかし、これとても、彼の本名ではないことに、居心地の悪さを感ずるひとも少ない。
イソップの寓話 より正確には、イソップの名を冠した寓話 を集成したのは、記録に残るところでは、アテナイの外港パレロン出身のデメトリオス(前350頃-280頃)であるとされる〔D.L. V,81〕。このデメトリオスが、最後はエジプトで没していることにも注目しておこう。
デメトリオスの書『イソップ集成(Aisopeia)1巻』は残念ながら伝存しないが、前3世紀頃までの古文献に散見されるイソップ風寓話を挙げると、以下のごとくである。
- ヘシオドス〔前700頃〕
- 『仕事と日々』201-212〔Cf. Perry 4「ナイチンゲールと鷹」〕
さてここで 貴族たちに ひとつ寓話(はなし。ainos)をしよう、彼ら自身もまた物のわかった人たちではあろうが。
こんなふうに鷹は言ったものだ、首に斑のある夜鶯に、
それを爪で掴まえ 雲間高く運びながら。
夜鶯は曲がった爪でつき刺されて、哀れな鳴き声をあげると
鷹は夜鶯に横柄に言ったのだ、
「おい、啼いたってなんにもならないぞ、はるかに強い者がいまおまえを掴まえているのだ。
おまえは行くことになるのだ、わしが連れていくところへな、いくらおまえが吟遊詩人だとて、しょせんは。
とって喰おうと放免(はな)そうと わしの思いのまま、
愚か者よ、自分より強い者に手向かおうとするやつはな。
勝ちには外れ、恥をかいたあげく痛い目にあうがおちだ」
こう翼長い鳥、疾かに翔ける鷹は言ったものだ。
(廣川洋一訳)
- アルキロコス〔前650頃〕
- 『エレゲイア詩集』〔Perry 1「鷲と狐」〕
断片174
世間にはひとつこんな寓話(ainos)がある、
つまり、それによれば、キツネとタカとが相棒の契りを結んだ、
断片175
……子どもたちのところに運び
……美しくない餌に……
飛べない二羽はとびかかった
……高い山の上に
……雛たちの
……前に置いた、……
断片176
〔ゼウスよ〕あなたはご覧になっていましょうや、あの高い山、
峨々たる険阻な山があるのを?
あそこにやつはいるのです、あなたとのいさかいを尻目に。
断片177
おお、ゼウスよ、父なるゼウスよ、あなたの力は天上にあろうと、
あなたは見そなわすはず、人間どもの所行を、
その非道なるも掟にかなうも、獣たちの暴慢なるか正義なるかも、
あなたは気になさるはず。
断片178
どうか破落戸に出会わないですむようにしてください。
断片179
やつはおぞましき食事を運んで、子どもたちの前に置いた。
断片180
その中には、火の粉が。
明らかに「鷲と狐」〔Perry 1〕を彷彿とさせるが、アリストパネスは、これをイソップ作としている(『鳥』651-653「ほれ、イソップの話にもあるとおり、昔、キツネがワシと友達になって、ひどい目にあったっていうじゃないか」)。
- 『エレゲイア詩集』
断片185
あなたがたに、おおケーリュクス家のかたがた、話(ainos)をひとつ聞かせよう、
悲痛なメッセージをこめて。
サルが、獣たちから離れていたのだ、
ただ独り、国境に、
すると、狡知にたけたキツネがこれと行き会った、
利口なはかりごとを持ったやつ。
断片186
罠の横木に挟まった。
断片187
おお、ゆだったけつを剃り上げたやつよ。
おおサルよ、こんなひげを持ちながら云々
おおサルよ、こんな尻を持ちながら。
……
断片189
ぎょうさんのメクラヘビを、ウナギよ、おまえは受け入れたのだ。
……
断片201
キツネは多くを知っているが、ハリネズミは大事なことをひとつ知っている。
〔13世紀初期のOdo of Cheritonの寓話に、次のような話が採録されている〔Hervieux XXXIX, Perry 605〕。
狐のレナードが、猫のティブに出会って云う、「あんさんはどれくらい術を知っておいでで?」。猫が答える、「ほんまゆ〜と、ひとつしか知りまへん」。「それは、どんな術でおますか?」。「犬に追いかけられたら、樹にのぼって逃げるだけでおます」。
猫がレナードに問いかける、「ところであんさんは、どれくらい知っておいやすのや?」。狐が答える、「17以上は知っとりますな。おかげでわての袋は満杯ですわ。いっしょに来なはれ、あんさんにもわての術をおせ〜たげましょう。そないしたら、犬はあんさんをつかまえられまへんで」。猫は承知して、いっしょについていった。
ところが、狩人と猟犬が彼らを追いかけてきたので、猫が云った、「犬の吠え声が聞こえてきまっせ。わてはもうびびりっとりまっせ」。「怖がることはおへん」とレナードが云った、「今こそあんさんに逃げ方をおせ〜たげまっさかい」。犬と狩人たちがいよいよ近づいてきたので、猫が云った、「これ以上あんさんといっしょに行くのは、もうたまりまへん! わてはわての術を使いまっさ」。こう云うやいなや、猫は樹の天辺に駆けあがった。犬たちは、猫の方は見向きもせず、レナードを追いつめ、とうとう追いつき、その脚といわず腹といわず、背中といわず頭といわず、咬みまくった。猫の方は、樹の天辺に座ったまま叫んだ、「レナード、レナード、あんさんのその袋を開けなはれ〜。さもなきゃ、あんさんの術はどれも、卵一個の値打ちもなくなりまっせ〜」〕
- セモニデス〔前630頃?〕
- 『イアンボス詩集』〔Perry 443「青鷺とのすり」〕
断片9
サギ(eroidios)が、マイアンドロスのウナギを
ノスリ(triorches)が食っているのを見つけて、取り上げた。
(アテナイオス『食卓の賢人たち』299C、所引)
- アルカイオス〔前590頃〕?
- スコリア(scolia)〔Perry 196〕
蟹はこう言った、
蛇を爪につかんだとき。
「友よ、おまえは真っ直ぐであるべきだったのだ、
曲がったことを考えずに」
〔アテナイオス『食卓の賢人たち』第15巻695aに、アナクサンドリデス(前380頃-349以降まで活躍の喜劇作家)所引として引用〕
- ステーシコロス〔前560頃〕
- 断片集〔Perry 269「猪と馬と猟師」〕
ヒメラの人々がパラリスを独裁将軍に選び、彼に親衛隊をつけるのを認めようとした時、ステシコロスは、他にもいろいろ述べた後で、彼らに向かって次のような寓話(logos)を話して聞かせた
一頭の馬が自分だけで放牧地を独占していていたが、そこへ鹿が入り込んできて牧草地をだめにしてしまったので、この仕返しをしようと思い、或る人間に、自分に手を貸してその鹿に仕返しをしてくれるかどうか尋ねた。するとその者は、馬が馬銜をつけ、自分が槍を持って馬に乗るという条件でならよかろう、と答えた。馬がこれに同意し、そのものは馬の背にまたがったが、その時、馬は仕返しをする代わりに、自分からその人間の奴隷になってしまった。
「こういうことがあるから、諸君もまた」彼は言葉を続けた「敵に復讐しようと望んで、その馬と同じ目にあわぬよう気をつけたがよい。なにしろ君たちは、彼を独裁将軍に選んだことでももう馬銜をつけているのだから、もし彼に親衛隊を認めてやって、背にまたがることを許そうものなら、たちまちにしてパラリスの奴隷と化すことだろうから」。
(アリストテレス『弁論術』第2巻20章1393B、戸塚七郎訳)
- 断片280 LCL〔Perry 395「蛇と鷲」〕
人々が、麦刈りをしていた、その数16人、灼熱の太陽に、喉の渇きにとりつかれ、仲間の一人をやって、近くの泉から水を汲んでこさせることにした。かくして一人の男が、麦刈り用の鎌を手に、水を汲み入れる容器を肩にのせて出かけた。行く行く、ワシが一匹のヘビにがっしりと用心深く絡みつかれているのに出くわした。そもそもは、ワシが舞い降りてヘビに飛びかかったところ、もくろみが見事に外れたばかりか、(これこそホメーロスの詩〔Il.XIII, 222〕にあるとおり)おのが子どもたちに餌を持ち帰ってやることさえできずに、ヘビのとぐろにはまり、ゼウスにかけて、破滅させるどころか、破滅させられんとしていたのである。そこで百姓は、方やゼウスの伝令にして奉仕者であるのを知って、どころが相手は悪しき動物のヘビであるのを知って、先ほど述べた鎌でその動物をまっぷたつ、さらにはまた、絶体絶命のあの囚われと縛めからワシを解き放ってやった。
しかしながら、それはこの男にとってほんの道草を食ったに過ぎぬこと、水を汲んで返り、葡萄酒に混ぜて皆の衆に差し出した、そこで皆の衆は、一気に飲み干しもし、昼食用に杯を重ねもした。くだんの男も、彼らの後で飲もうとした。というのは、この当時、彼は、ある意味で奉公人であって、飲み仲間ではなかったからである。で、手に杯を取ったとたん、助けられたワシが、彼に恩返しをしたいと、この男にとっては幸運にも、あたりでまだ時を過ごしていたのが、舞い降りてきてその杯に飛びかかり、それをひっくり返して、飲み物をこぼしてしまった。男は腹を立て(というのも、喉が渇ききっていたから)言った、「そうか、おまえはさっきのやつだな」(というのも、その鳥を見分けられたから)「救い主にこんなお礼を返そうっていうのか? いいや、もっと言えば、こんなことが美しいことだとでも? ほかの人も、親切の監督者にして監視者であるゼウスに対する尊崇から、誰かのためにすすんで真剣になれるだろうとでも?」。こういったことがこの男によって言われ、彼はまた喉の渇きを覚えた。そして振り返ると、先ほど飲んだ者たちがもがき苦しみ死にかかっているのを眼にした。推測するに、ヘビが泉に毒を吐き、これをかき混ぜたらしかった。だからワシは、救い主にその救済と同じ返礼を返したってわけである。
このことについては、ペルガモンの人クラテースが言うには、ステーシコロスも、ある詩集 きっと多くの人たちには知られていないのであろう の中で歌っているとして、わたしの判断するところでは、格式は高いが古風な証人を引き合いに出している。
〔アイリアノス『動物の特性』第17巻35 所引。これを凝縮したものが、アプトニオス〔4-5世紀〕の寓話中にあり、Perry 395はそのアプトニオス(28)を引いたもの〕
- ピンダロス〔前518?-446以後〕
- 『オリュンピア祝勝歌』第11歌19-20〔Perry 107「ゼウスと狐」〕
生来の性質を、燃える色の狐も
猛り吼える獅子も変えることはないであろう。
- テオグニス〔前540頃〕
- 『エレゲイア詩集』599-602〔Perry 176「旅人と蝮」〕
わしに気取られずに、表通りを歩くことができんぞ、もちろん、この道は、以前にも
わしらの友情を裏切って、おまえが車を走らせた道、
くたばれ、神々の敵、人間どもの信義に欠ける者よ、
おまえは、ふところに凍えたまだら蛇を抱いていたやつなのだ。
- イビュコス〔前536頃〕
- 断片342 LCL〔Perry 458「驢馬とカラカラ蛇」〕
伝承によれば、プロメテウスが火を盗み、神話の言うところでは、ゼウスが怒って、盗人を密告した者たちに、老齢を防ぐ薬草を与えたという。そこで、これをもらった者たちは、驢馬の背に載せたとわたしは聞いている。驢馬は荷を運んで歩いていたが、時節は夏で、喉の渇いた驢馬は、水を飲もうと、とある泉にやってきた。ところが蛇がその泉を見張っていて、驢馬を押し返し、追い払おうとした。渇きに苦しむ驢馬は、友情の杯の代償に、たまたま運んでいた薬草を蛇にやることにした。かくて交換が成立し、驢馬は水を飲み、蛇の方は脱皮して若返り、話によれば、驢馬の喉の渇きをも身につけたという。何ですって? わたしがこの話(mythos)の作者ですって? いや、そうは言えません。わたしよりも前に、悲劇詩人ソポクレス〔Fr.362 Pearson, Radt〕、エピカルモスの好敵手デイノロコス〔Fr.8 Kaibel〕、レギオン人イビュコス、喜劇詩人のアリスティアス〔9 F 8 Snell〕とアポロパネス〔Fr.9 Kock〕が、この蛇のことを歌っているのだから。
(アイリアノス『動物の特性』第6巻51 所引)
- アイスキュロス〔前525/4-456/5〕
- 『ミュルミドーン』断片139〔Perry 276「射られた鷲」〕
リビュアーの話(mythos)にこんな名高いものがある。
矢を射られた鷲が
矢羽根の仕組みを見て、こう言った。
「他人にではなく、自らの羽根で
私は捕らえられた」
〔アリストパネス『鳥』808「たしかに俺たちは、アイスキュロスふうに言えば<他人ではなく、自らの羽根で>似せられた」の古註に所引〕
- ソポクレス〔前496-406/5〕
- Greek Lyric IV,Sophocles, fr.eleg.4=iF.G.E.〔Perry 46「北風と太陽」〕
〔ソポクレスが見目よい少年を市壁の外で誘惑したところ、少年は自分のヒマティオンを草地に置き、ソポクレスのクラニスの上で二人が懇ろになった後、少年はソポクレスの高価なクラニスを着て行ってしまった。この話が広まり、これを耳にしたエウリピデスが、あの少年はかつて自分が懇ろにした相手だ、それも一文も払わずに、ソポクレスはおのがみだらさゆえに馬鹿にされたのだと嘲笑した。これを聞いたソポクレスは、次のようなエレゲイア詩を作ってエウリピデスの姦通をほのめかしたという〕
それは太陽のせいであって、少年のせいではなかったんだよ、エウリピデス君、ぼくを暑くして
裸にしたんは。ところが君ときたら、他人の女房を抱きしめたんは、
北風がつきあってたからなんだな。君はあんまし賢くないよ、他人の畑に種まきしつつ、
エロース神を着物盗人(lopodytes)として訴え出るんだから。
(アテナイオス『食卓の賢人たち』第13巻604d-f 所引)
- 断片885〔Perry 136「犬と兎」〕
おまえは尻尾を振りながら歯を向けてくる、気づかぬうちに噛みつく牝犬なのだ。
〔アリストパネス『騎士』1031への古註 所引〕
- ストラッティス〔前5世紀前半活動の喜劇作家〕
- 断片71〔Perry 50「鼬とアプロディテ」〕
イタチに肌着(chitonion)は〔似合わしからず〕。
- ヘロドトス〔伝承では前484-420〕
- 『歴史』第1巻141〔Perry 11「笛を吹く漁師」〕
キュロスは彼ら〔イオニア人とアイオリス人〕の申し出をきいてから、こんな寓話(logos)を話してきかせた。 ひとりの笛吹が海中の魚を見て、笛を吹けば陸に上がってくるかと思って笛を吹いた。ところが当てが外れたので、投げ網をもちだし沢山の魚を捕らえて陸へ引き上げたが、魚がバタバタはねまわっているのを見てこう言った。「おい踊るのを止めないか。お前たちは俺が笛を吹いていたのに、出てきて踊ろうともしなかったくせに」
(松平千秋訳)
- アカイオス〔ソポクレースよりやや年少、エウリピデースとも競演している悲劇作家〕
- 断片34〔サテュロス劇『オムパレー』中の科白という。DL. II_133。Perry 226「亀と兎」?〕
脚の速い者が弱い者たちに
また鷲は亀によって、たちまち追いつかれんばかりであった。
(逸身/戸部訳)
- デモクリトス〔前460頃生〕
- 断片集〔D.K. LXVIII, B_224〕〔Perry 133「肉を運ぶ犬」〕
デモクリトスのことば。「より多くのものへの欲求は、アイソポスの犬と似たものとなって、現にあるものを失わせる」
(ストバイオス『精華集』第3巻10,68 所引)
- アリストパネス〔前427-388以後〕
- 『平和』127-129〔Perry 3「鷲とセンチコガネ」〕
娘 何の酔狂でセンチコガネに馬具をつけて、神様のところへ走らせるのん?
トリュガイオス イソップ物語の中で見つけたんやが、飛べるもんの中で、こいつだけや、神様のところへ行ったんは。
娘 信じられへんわ、お父ちゃん。こないに臭いもんが神様のところへ行ったなんて。
トリュガイオス いいや、昔のことやが、憎い鷲めに復讐しに、そいつの卵を転がし落としに行きよったんやで。
(中務哲郎訳)
- 『平和』1083〔Perry 322「蟹と母親」〕
蟹をまっすぐに歩かせることはできぬ。
- 『蜂』192〔Perry 460「驢馬の蔭」〕
ブデルュクレオン 何のために格闘するんですか?
ピロクレオン 驢馬の蔭のためさ。
〔あるアテナイ人が驢馬を雇ってメガラ(一説ではデルポイ)に行く途中、日中の暑さを避けるために驢馬の蔭で休もうとしたところが、驢馬の持ち主が、蔭までは貸さないと主張して、口論となり、ついには裁判沙汰にまでなったという話〕
- 『蜂』1401-1405〔Perry 423「イソップと牝犬」〕
ある晩、宴会帰りのイソップに
厚顔で酔っぱらいの牝犬が吠えかかった。
そこでイソップが言うには、「この牝め、
その性悪の舌と引き換えに小麦を買ったなら、
ほんに賢い奴だと思えるのだがな」
(中務哲郎訳)
- 『鳥』474〔Perry 447「父親を埋葬する雲雀」〕
お前たちが無学で知識欲がないからだ。イソップも知らないんだな。
イソップによると、冠雲雀という鳥が万物に先だって生まれた。
大地よりも先にだ。やがて父親が病気で死んだが、
地面がないので、五日間も殯(かりもがり)のままにされた。
冠雲雀は始末に困って、自分の頭に父親を埋めた、というのだ。
(中務哲郎訳)
- クセノポン〔前355/4またはその後に没〕
- 『ソクラテスの思い出』第2巻7章13-14〔Perry 356「羊と犬」〕
するとソクラテスが言った。
「それなら女たちに犬の話(logos)を言って聞かせないのかね? つまり、言い伝えでは、生き物が人語をしゃべっていたころのこと、羊が主人に言ったという。
『あんたはびっくりすることをなさる、わたしたちには、あんたのために羊毛も仔羊もチーズも差し出しているのに、わたしたちが大地から得るもの以外には何も与えてくれない、ところが犬には、そういったものは何ひとつあなたに差し出さないのに、あなたは自分のとっている食事さえ分けてやりなさる』。
すると犬がこれを聞きつけて言った。
『ゼウスにかけてそのとおり! なぜなら、おれはほかならぬおまえたちの身まで護ってやっているのであって、そのおかげで、おまえたちは人間どもに盗まれもせず、オオカミたちにさらわれもしないでいられるんだ。おれがおまえたちを見張っていてやらなければ、おまえたちは、草をはむことだってできないんだ、おだぶつにされはすまいかと怖くてな』」。
こういうわけで、家畜たちも犬が優待されることに同意したと言われている。だからあんたも、あの女たちに言ってやるがよい、犬の代わりにあんたが守護者であり世話人なんだ、あんたのおかげで、〔女たちは〕誰からも不正されることなく、安全・快適に働いて生活できるのだと」。
- アンティステネス〔前450頃-360〕?
- 〔Perry 450「ライオンと兎」〕
彼ら〔徳や政治上の能力の点で傑出した人々〕はおそらくアンティステネスの寓話において、「野兎たちが民会で演説をして、すべての動物が平等に与ることを要求した時、獅子が言ったと言われている言葉〔お前たちの爪と歯はどこにあるんだ〕」を言うことだろう。
(アリストテレス『政治学』第3巻13章1284a 所引、山本光雄訳)
- プラトン〔前429-347〕
- 『アルキビアデスI』122E-123A〔Perry 142「老いたライオンと狐」〕
金貨や銀貨は、全ギリシアにあるものが、スパルタで私有されているものに及ばない。というのは、すでに何代にもわたって、全ギリシアからあそこへそれは流れこんでいるのであり、ギリシア以外のところから入ってくるものも少なくないのであるが、しかしそこからは、どこへも出ていかないのである。まるでイソップの話(mythos)そっくりに、狐がライオンに言ったとおり、スパルタへ入ってゆく貨幣の足跡は、いずれもはっきりとその方向をさしているのであるが、そこから出てくるものの足跡は、誰も見ることができないのである。
- 『クラテュロス』411A〔これがPerry 358「ライオンの皮をかぶった驢馬」のことをいっているかどうかは不明〕
これは何と、侮りがたい一類の名前を君は呼び起こしたものだねぇ、おおわが仲間よ。だけれども、ぼくがすでにライオンの皮をかぶっている以上は、今さらしりごみもできない。
- 『パイドロス』259C〔Perry 470「蝉」〕
伝説によるとかつてこれらの蝉たちはムーサが生まれる前の人間であったのだ。ところがムーサたちが生まれて歌が現れると当時のひとびとのうちのある者たちはよろこびのあまりすっかり夢中になってしまって、食物も飲み物もかえりみずに歌いつづけ、そうして自分で気がつかぬうちに命を終えたのだ。彼らから、後に蝉たちの種族は生じたのであって、次のような贈り物をムーサたちから貰ったのである。すなわち、生後なんの養いも必要とせず、食わず飲まずで直ちに歌いはじめ、生を終えるまで歌いつづけ、そうして死後ムーサたちのもとに赴いて此の世の誰がどのムーサを敬っているかを報告するのである。……
(三井浩訳)
- アリストテレス〔 前370年代活動〕
- 『弁論術』第2巻20章1393B〔Perry 427「狐と針鼠」〕
アイソポスはサモスで、或る民衆指導者が死罪に問われていた時、それを弁護する弁論の中で次のように述べた
一匹の狐が川を渡ろうとしていた時、押し流されて崖の裂け目にはまり込んだ。そこから抜け出すことができないでいると、沢山の犬ダニがとりついて、かなりの間ひどい目に遭った。だが、その辺りを走り廻っていた一匹のハリネズミが、狐を見るとその姿に同情して、犬ダニをとってやろうかと尋ねた。だが狐はそれを断ったので、何故かと尋ねると、このダニどもは私の血でもう腹一杯になっており、これ以上血を吸うことはほとんどあるまい。だが、もしこいつらを取り除いたら、腹を空かしている別のダニどもがやってきて、私から残りの血を吸いつくすことだろうから、と答えた。
「よろしいか、サモスの諸君」アイソポスは続けた「君たちの場合もそれと同じことで、この男はもう君たちに害を加えることはないだろう(なぜなら、もう金持ちなのだから)。だが、もしこの男を殺すようなことがあれば、他の貧乏な連中がやってきて、その者たちが残りの金を盗み、君たちをすっからかんにしてしまうことだろう」。
(戸塚七郎訳)
- 『気象論』第2巻3章 356b〔Perry 8「造船所のイソップ」〕
しかし、デモクリトスの言うところにしたがって、海の大きさはしだいに減少し、やがて消えてしまうと考えることは、アイソポスの寓話(mythos)と何ら異ならないと思われる。すなわち、この人は、カリュブディスが海を二度呑みこんだとき、まず最初に山々を出現させ、つぎに島々を出現させたが、最後にもう一度呑みこむと海はすっかり乾上がったという物語を書いたのである。このような寓話を口にしたことは、自分を苦しめた渡し守に仕返しをしようとした彼にとっては適当だったかもしれないが、真理を探究する人々にとっては適当ではない。
(泉治典訳)
- 『動物誌』第9巻32章619a〔Perry 422「鷲は人間であった」〕
年をとったワシの上の嘴は伸びて先がますます曲がり、ついに飢えて死ぬ。なお、これについては「ワシがかつてヒトだったとき、客あしらいが悪かった報いだ」という神話伝説(mythos)もある。
(島崎三郎訳)
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