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back.gif第11章 古文献にみるイソップ寓話


インターネットで蝉を追う

第12章

東方系イソップ寓話






 歴史的イソップについてのほとんど唯一の証言は、ヘロドトス『歴史』の以下の記述である。 —

 ギリシア人の中には、この〔エジプトの〕ピラミッドが遊女ロドピスの作ったものであるというものがあるが、誤った説である。……ロドピスというのは、右に述べた諸王よりも遙かに後の人物で、生まれはトラキア人で、ヘパイストポリスの子イアドモンというサモス人に仕えた奴隷女で、かの寓話作家アイソポスとは朋輩の奴隷であった。アイソポスがイアドモンの奴隷であったことは確かで、それには次のような有力な証拠もある。すなわちデルポイ人が神託に基づきアイソポス殺害の補償金の受取人を求めて、幾度も触れを廻した時、出頭したのはこのイアドモンの孫で同名のイアドモンただ独りで、他には誰も現れず、このイアドモンが補償金を受け取ったというわけで、アイソポスは確かにイアドモンの奴隷であったのである。
 ロドピスはクサンテスなるサモス人に伴われてエジプトへ来ると、媚びを売って生業を立てていたが、ミュティレネ人のカラクソスなる者に大金をもって身請けされた。カラクソスはスカマンドロニュモスの子で、かの詩人サッポー〔前6世紀〕の兄である。
 (ヘロドトス『歴史』第2巻134-135、松平千秋訳)

 諸々の記録から、イソップはだいたい前600年頃に盛時を迎えたと考えられているが、出身地となるとさらに曖昧模糊としている。古来、イソップの出身地として名乗りを上げているのは、次の4つの都市である。 —
1)小アジア中部および北部のプリュギア
2)ギリシア北方のトラキア
3)サモス島
4)リュディア王国の首都サルディス
 このうち、前2者はギリシアの奴隷供給地である。後の2者は、イソップが寄留した因縁から、故郷とされたらしい。
 下の地図(UT Library Online - Perry-Casta)は、前5世紀頃のアカイメネス朝ペルシア帝国の版図であるが、イソップの時代は、これより約1世紀古く、リュディア(Lydia)のクロイソス〔在位 前560-546〕が隆盛を誇った時代である。首都はサルディス(Sardis)。イソップ伝の中心となるサモス(Samos)は、この地図では見えないが、リュディアの西端の沖合に浮かぶ(エーゲ海においては)比較的大きな島である。この地図の北西地域がマケドニア/トラキアで、ここはまた、西方系イソップの根幹をなすパエドルス(やはり解放奴隷!)の故郷と考えられている。

persian_empire.jpg

 前5世紀の終わり(前405年)、クニドス出身のクテシアス(Ktesias)は、時のペルシア大王アルタクセルクセス2世の侍医として、ペルシアの宮廷に召し抱えられ、その後、ペルシアの力を借りてアテナイの戦後復興を企図していたコノン(前392没)との連絡役を務めていた。このクテシアスは、帰国後、『ペルシア誌』23巻を著し、ペルシアの宮廷に伝わるインドの噂話をも記録した。

 さらに約1世紀遅れて、イオニア系ギリシア人のメガステネス(前350頃生-290没)は、アラコシア(南アフガニスタン)の太守のもとでシリアのセレウコス朝の使節の任を務め、前302年、パンジャブ地方にあったマウリヤ王朝のサンドラコットス〔チャンドラグプタ〕の宮廷に派遣された。メガステネスはここに5年間(10年間ともいわれる)滞在し、帰国後、『インド誌』を著し、インドについて直接見聞して叙述した最初のギリシア人となった。

 もちろん、この間に、前334年、大軍を率いてマケドニアから小アジアに進出し、前330年にはペルシア帝国を滅亡させ、前327年にはインダス河上流の現パンジャブ地方に到達したアレクサンドロスの東征があり、東方世界の豊富な情報を西にもたらしたことは言うまでもない。が、東西文化の華々しい交流の中心地は常に中東であって、ギリシアはその辺境にすぎないことを心に銘記しておこう。

 なお、ギリシア人たちは、動物寓話の故地はギリシアではなく、リビュア(Libya)、シリア(Syria)と考えていた。それぞれの地域を確認していただきたい。

 デメトリオス〔前350頃-283頃〕の『イソップ集成』がどのようなものであったかを類推するため、前章において、ギリシア語古文献に散見される動物寓話を一覧してみたわけであるが、じつは、もうひとつ手掛かりになりそうな写本がある。イギリスのマンチェスターにあるジョン・ライランズ図書館所蔵の、後1世紀前半にさかのぼると言われるパピルス(P. Ryl. 439)で、デメトリオスの『イソップ集成』の一部ではないかと推測されている。
 欠損が著しいが、内容は以下のごとくである。 —


[底本]
TLG 0096 012
Fabulae (P. Ryl. 493),
ed. A. Hausrath and H. Hunger,
Corpus fabularum Aesopicarum, vol. 1.2,
2nd edn. Leipzig: Teubner, 1959: 187-189.
(Pap: 332: Fab.)



Fabulae (P. Ryl. 493)

断片1 イノシシとウマと猟師〔Perry 269〕

 力が強くても、他の人たちに反抗もできなければ、うまいぐあいに轡をかまされてもいるような者に、次の話(logos)はぴったりだ。
 ウマとブタとが牧草地を共有していた。しかしブタは、ウマの水飲み場と牧草をむちゃくちゃにした。
 ウマは何度も……〔欠損〕


断片2 羊飼と羊〔Perry 208〕

 他の人たちには善い行いをするのに、友たちには悪いことをする者たちに対しては、次の話がぴったりだ。
 牧童が上着を置いて、樹に登って、羊たちのためにドングリの実を叩き落としてやっていた。ところが羊たちは、ドングリの実を争うあまりに、羊飼の着物をぼろぼろにしてしまった。降りてきた〔羊飼〕は、結果を見ていった、「極悪ヒツジどもめ、おまえらは他人には羊毛を……〔欠損〕


断片3 ヘーラクレースとプルウスト(富の神)〔Perry 111〕

 悪人同然の富者には、次の話がぴったりだ。
 ゼウスが、ヘーラクレースを神々の列に加えるために、他の神々も食事に呼んだ。それぞれの神がやってくるたびに、ヘーラクレースはうやうやしく歓迎したが、ヘーラクレースはこの神には言葉ひとつかけなかった。ゼウスがいぶかって、どうしてそんな態度をとるのかと、ヘーラクレースに尋ねると、こう答えた、「おお父よ、わたしはこの神がいつも極悪人たちといっしょに過ごし、そいつらと相談していたのを知っているのです」。するとプルウトスが言った、「極悪人め、プルウトスがその場にいた時には、行動は何も起こさず、今ごろ、言葉でいきり立っている……〔欠損〕


断片4 フクロウと小鳥たち〔Perry 39〕

 〔欠損〕……とりもちのできる宿り木が生えるのを〔フクロウは〕知って、小鳥たちに、宿り木が生えたら、鳥の種族に悪いことが起こると注意を促した。けれども小鳥たちが、その言葉を軽視していたところ、宿り木が生長し、ひとりの鳥刺がその宿り木からとりもちをとって、狩りをした、小鳥たちは〔これを〕見て考えを改め、フクロウは未来の予見にかけては恐るべき鳥だと言い合った。今も、フクロウを見ると、ほかの鳥たちからは離れていようと、飛びまわって、忠告を請おうとするのである。しかしフクロウは言う、「何とまぁ、ろくでなしの鳥たち、恥をお知り、今でも憶えているでしょう? …〔欠損〕…まだ…〔欠損〕…さえ…〔欠損〕…なかったとき、けれども…〔欠損〕…とき、…〔気損〕…あんたたちはわたしの忠告に従わなかった。それどころか、かつては、あんたたちもわたしのことを気に留めなかった、今ごろ…〔欠損〕…さえ…〔欠損〕…ないときに、…〔欠損〕…」。すると、この言葉に〔小鳥たちは〕心打たれ、こう言って自分たちの考えをはっきり述べた、「こういうふうに、後になっては何の益もない……〔欠損〕




 さて、デメトリオスの『イソップ集成』を基に、これをギリシア語韻文化したのが、バブリオスである。この序文に、次のような一文がある。 —
アレクサンドロス王の御子よ、寓話なるものは、かつてニノスやベロスの時代に生きていた古のシリア人が発明したものでございます。これをギリシア人の子供たちにはじめて語ったのは賢者イソップとのこと、リビュア人に語ったのはキュベッセスでございます。
 [註1]ニノス……ニネヴェ市の創建者とされるアッシリアの王で、アラビア王アリアイオスの援助を得て西アジアを征服した。バクトリアの攻略中、その王の宰相オンネスの妻セミラミスを見そめて結婚した。
[註2]ベロス……ニノスの父。セム語のBa'al, Bel に由来する名前で、東方の王の名としてしばしば現れる。(西村賀子訳・註)
[註3]キュビッセスについては、point.gif上田敏『伊曽保物語考』15 参照。

 ここで言うアレクサンドロス王が誰か、諸説あるようだが、ウェスパシアヌス帝〔在位69-79〕によって任命されたキリキアの小王アレクサンドロスという説が有力であるらしい〔岩谷智・西村賀子訳『イソップ風寓話集 — パエドルス/バブリオス — 』国文社、解説参照〕。

 バブリオス自身がオリエントと密接な関係にあったばかりではなく、デメトリオス/バブリオスのイソップ風寓話は、オリエントに流布してゆく。しかし、その展開の経緯は、いまだほとんど研究されていない。
 しかし、11世紀末、ペルシア起源と考えられる『シンディバード物語』がシリア語からギリシア語に訳されて西洋に伝えられた〔そのときの書名が『賢人シュンティパス物語』である〕。このシリア語版には、シンディバード物語の前に寓話集が合冊されていた。これこそはオリエントに伝わったイソップ風寓話にほかならなかった。
 これのギリシア語訳を全訳しておいたので、参照されたい。
 point.gif『賢者シュンティパス寓話集』

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