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back.gif第17章 イソップ伝について


インターネットで蝉を追う

第18章

「蟻と蝉」の構造







 これまで、「蟻と蝉」をめぐって、わたしたちML_Barbaroi! のメンバーで議論してきたことをまとめると、およそ、次のようになるであろうか……。

 1)寓話「蟻と蝉」は、2つの要素から組み立てられている。ひとつは枠組みであって、これは「言い争い」、もっといえば、相手の揶揄(からかい)に対するしっぺ返しを枠としている。
 もうひとつの要素は、主題であって、これは怠惰に対する勤労の勧めである。
 この2つの要素を完備した寓話は、例えば —
(Perry112)「蟻とセンチコガネ
 夏の盛り、蟻が畑を歩きまわって、冬の食糧を溜めこむために、小麦や大麦を集めていた。センチコガネはこれを見て、他の動物が仕事を止めてのんびりしている時に汗水流すとは、何ともしんどいことだと驚いた。
 蟻はこの時は黙っていたが、やがて冬になると、餌になる糞も雨に流され、飢えたセンチコガネが、食物を分けてもらおうと蟻の所へやって来た。それに対して蟻の言うには、
 「センチコガネ君、私が汗水流すのをとやかく言ってくれたが、君もあの時苦労をしていたなら、今餌に困ることはなかろうに」
 このように、ふんだんにある間に将来に備えない者は、時勢が変わればひどい不幸に見舞われるのだ。
 2)蟻の勤勉は、旧約聖書以来の伝統である。
箴言VI_6-8
なまけ者よ、ありのところへ行き、
そのすることを見て、知恵を得よ。
ありは、かしらなく、つかさなく、王もないが、
夏のうちに食物をそなえ、刈り入れの時に、かてを集める。
 しかし、勤勉な蟻に対比されるものは、じつは何(誰)でもよかった。そこに、次のような寓話が成立する余地があったと考えられる。
Odo of Cheriton's Fabulae XLII b(Hervieux, Leopold, ed. Les Fabulistes Latins. 5 vols. 1893-99. (in IV)
 Fornice(sic) colligunt cumulum frumenti, ut inde uniuant in hyeme, et ueniunt quandoque Porci et totum dissipant et commedunt.
 Sic multociens multi multa congregant, et ueniunt latrones, uel baiuli principis, uel consanguinei, et totum consumunt, quoniam relinquent alienis diuicias suas.

 3)ところが、古代の寓話作家たちは、前半の夏の部分を述べなくても、充分に(いや、むしろかえって)劇的効果をあげられることを覚った。ここに、いきなり冬の描写から始める寓話が成立したと考えられる。それが、わたしたちの普通に眼にする「蟻と蝉」であろう。

 4)しかるに、前段の夏の描写を欠いたことによって、寓話は、蟻の「しっぺ返し」という要素を失ってしまい、蟻の投げつける言葉は痛烈さを増していった。また、寓話作家たちは、腕によりをかけて、寸鉄人を刺す皮肉の痛烈さを追い求めていったに違いないと思われる。それが、「夏、歌っていたのなら、冬は踊ればいい」であったろう。

 5)ところで、この言葉は、わたしたちが受けとるように、本当にそれほど痛烈な皮肉であったのだろうか……?
 ここで、わたしたちは、2つの疑問をいだいた。ひとつは、蟻の勤勉は、無条件に肯定されていたのかということ。もうひとつは、踊っては(贅沢はできないにしても)実際的に活きてゆけなかったのかということである。

 先ず、前者について、わたしたちは、次のような寓話をすぐに思い浮かべる。
(Perry166)「
ant.jpg 今の蟻は昔は人間であった。農業に勤しむのはよいが、自分の汗の結晶に満足せず、他人のものにまで羨望の目を向け、隣人の収穫をくすね続けた。ゼウスがその貪欲に腹をたて、姿を変えて、蟻と呼ばれる生物にしてしまった。彼は姿を変えても、心ばえは変わらなかった。だから今も畑を歩きまわって、他人の小麦や大麦を集めては自分のために貯えている。
 陋劣な本性の人はどんなに懲らしめられても生き方を変えない、ということをこの話は説き明かしている。

 この寓話は、地中海地方においては、メディチ家のイソップ寓話集にまで、脈々と流れているのであるが(左上図)、アルプス山脈を越えて広がることはなかったようである。

 もうひとつ、夏のあいだ歌って活きられたのなら、冬のあいだは踊って活きられないのか? — という疑問は、この寓話を読むうえでのわたしたちの盲点ではなかったろうか。わたしたちは、踊っては活きられないのだという先入観で、この寓話を読んではいないだろうか。
 わたしたちにこのような疑問をいだかせたのは、この寓話を採録したアヴィアヌスの謎のような言葉であった。

[誰しも、なまくらな若い時を送るにまかせ、
人生の災難を予見して恐れることをせぬ者は、
歳をかさね、辛い生活が降りかかってくるや、
あわれ、他人の助けをいたずらに頼むばかり。]

太陽の季節に、冬にそなえて労働の果実をもぎとっていた蟻は
これを取りのけておいて、小さな巣穴にしまいこむを常とする。
しかるに、大地が白い霜をいただき
野という野が堅い氷に覆われた時、
あまりに激しく、身にかなうべくもない大雨に、為すすべもなく、
濡れた種をおのが住処にしまっていた。
その蟻に、色褪せた物乞いが、嘆願者よろしく食い物を乞うた、
にぎやかな鳴き声で、野〔の静寂〕を破ることしばしばだったあの者が:
自分もまた、〔あなたが〕実の入った穀物を地に打穀している時、
夏の日々を歌って暮らしておりました、と。
すると小さな〔蟻〕が笑いながら、蝉にこう言った;
(人生は(誰にも)等しく流れゆくのが常なので):
「あたしは身代を最高の労苦によって得たんですもの、
冬の日のさなかも、長い安息の時を享受できるのです。
けれどもあなたには、今、最終の時期を踊ることが残っているのです、
歌うことで前半の人生を過ごしてしまったのですから」。

 つまり、人生は、前半と後半あわせてひとつ、幸せばかりで終わるわけでも、不幸せばかりですぎるわけでもない、ということであろう。
 メディチ家のイソップ寓話集の「蟻と蝉」の挿絵を見ても、夏の間、林の中で歌っていた蝉は、蟻の忠告を入れて、冬はあたかも輪になって踊っている風情である。point.gifメディチ家のイソップ寓話集

 しかし、このような大らかさがアルプスを越えることはなかったらしい。そして、踊っては活きてゆけないのなら、蟻の皮肉には殺意がこもることになる。そのことが、この寓話に受け入れがたいものを感ずる人々(例えばルソー)を生み出すことになったように思う。

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