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第1章

ギリシア語による「蟻と蝉」






 ギリシア語で著されたイソップ寓話集の中で、蝉(tettix)という語が登場するのは、以下のとおり。
 〔〕内の数字は、ペリー校訂本"Aesopica"の番号、「」は、中務訳〔岩波文庫本〕による題名。



註1ペリー校訂本の387話は、イソップ伝G本を採用している。G本では、登場するのはキリギリス(akris)のみである。
 今、中務訳で示すと —

 動物が人間と同じ言葉を使っていた頃のこと、食うにも困るほど貧しい男が、「歌い虫」と呼ばれるakrisを捕まえ、塩漬けにして何がしかの値で売っていた。ある時、akrisを指で押しつけ殺そうとしたところ、相手は死を目前にして男に言った。
 「無益な殺生は止めて下さい。私は穂や茎や新芽を害したことはないし、枝を傷つけたこともありません。羽根と足をうまく響かせてよい音を出す、旅人の憩いなのです」
 男はその言葉に同情して、akrisを生まれた野原へ放してやった。
 ところが、イソップ伝W本(99段)の本文は以下のとおりである。
 「お聞きください」と彼〔イソップ〕は言った、「貧しい男が、イナゴ(akris) を狩っていて、声の良い*歌い虫*である蝉(tettix)までも捕まえたので、殺そ うとしました。すると*彼女*が彼に向かって言いました、『どうかわたしを無 益に殺さないでください。わたしは麦穂に不正を働くことはありませんし、枝 を害することもいたしませぬ、ただ羽と脚とをこすり合わせて、いい音色を響 かせ、道行く人たちを楽しませるだけ、ですからわたしから音色以上のものは 見つけられますまい』と。これを聞いて、彼は*彼女*を放してやりました。わ たしも、王さま、あなたのお膝にすがって、わけもなくわたしをお殺しになら ぬようお願いいたします。わたしは誰かに不正を働くこともできず、卑しい身 ながら、いいことを言って、人々の人生のお役に立っているにすぎませぬから」 と。

 ギリシア語では"tettix"は男性名詞であるが、ここでは女性名詞になっている。テキストにラテン語の影響がうかがえる箇所である。

註2
 蝉が、ある男が罠をつかって自分を捕まえようとしているのを見て、彼に向かって言った。「あの小鳥たちのところへお行き、あそこなら、ひょとしてあんたに何か役に立つものが得られるかも知れないよ。わたしを捕まえても、わたしからはまったくなんにも得になるものはないのだからね」。
 この話が明らかにしているのは、人は無益で愚かなことに没頭してはならないということである。




 それぞれの写本における「蟻と蝉」の寓話の本文は、以下のとおり。
  • Mythiambi Aesopici, Section 2
    Fable 140

    冬のよき日に穀物を穴蔵から引き出して
    蟻が風に当てていた、夏の間に貯えおいたのを。
    すると蝉が、飢えに疲れてそれを乞い求めた
    生き長らえんがため、わたしにも何ぞ食べ物をくだされ、と。
    「なんやて!? おめ〜さんは何をしておいやした」と〔蟻が〕言う、「このひと夏」
    「暇つぶしをしていたわけやおまへん、歌って過ごしておりやした」
    すると蟻が笑って、小麦をしまいこみながら
    「冬の間は踊りなはれ」と言う、「夏の間、笛を吹いておいやしたんやったら」



  • Fabulae
    Fable114「蟻とクソムシ(kantharos)」〔112話「蟻とセンチコガネ」〕

     夏の盛りに、蟻が耕地で小麦・大麦をせわしなく取り集め、冬に備えて自分の食糧を蓄えていた。黄金虫の方は、それを見て、なんて御苦労さまなことかと呆れ返っていた、ほかの生き物たちが労苦を放りだして安気に過ごしているというおりもおり、あくせくしているとは、と。蟻は、このときは、おとなしくしていたが、後になって、冬がやってきたとき、糞が大雨に洗い流され、黄金虫は飢えて、相手のところへやってきて、食糧を分けてくれるよう頼んだ。すると相手は彼に向かって言った。「おお、黄金虫よ、あくせくしていたわしを、おまえさんがくさしたあのときに、労苦していたら、今、食いもんに事欠くことはなかったろうよ」。
     このように、裕福なときに将来のことを先慮しない者たちは、時勢が変わったときに、最大の難儀に遭うのだ。


    • 異文 1「蟻と蝉」
       オリュムポス山に寒い冬が来た。しかし蟻は、収穫の時に、たくさんの食糧を集めて、自分の家に溜め込んでいた。しかし蝉の方は、穴にもぐって、飢えと寒さに取りつかれて、ひもじさに息も絶えかかっていた。そこで、自分も幾らかの小麦を味わって助かれるよう、食糧を分けてくれと蟻に頼んだ。すると蟻は相手に向かって、「どこにいたんや」と言った、「夏の間は? なんで収穫の時に食糧を取り集めなんだんや?」。すると蝉が言った、「歌をうたって、道行く人たちを楽しませておりましたんや」。そこで蟻は、相手に大笑いを浴びせかけたうえで言った。「そんなら、冬は、踊りなはれ」。
       この話(mythos)がわれわれに教えているのは、必需品の食糧のことに気を配ること、そして、享楽やお祭り騒ぎにうつつぬかさぬこと — これに如くはなし、ということである。


    • 異文 2 
       冬のさなか、穀物が濡れたので、蟻たちが手入れをしていた。すると、飢えた蝉が、彼らに食糧を請うた。すると蟻たちが相手に言った。「なんで、夏の間に、食糧を取り集めなんだんや?」。相手が言った。「暇つぶしをしてたんと違いまっせ、調子よく歌うてましたんや」。蟻たちは笑っていった。「あんなぁ、夏の盛りに笛を吹いていたんやったら、冬は踊りなはれ」。
       この話(mythos)が明らかにしているのは、苦痛を受けたり危険な眼に遭ったりしないために、どんな場合にもひとは不用心であってはならない、ということである。


  • Fabulae Aphthonii rhetoris
    Fable 1「蝉たちと蟻たちの話(mythos) 若者たちを労苦へと転向させるための」

     夏の真っ盛り、蝉たちは懸命に音楽にいそしんでいたが、蟻たちがたずさわっていたのは、労苦することと、果実を取り入れることであった — これによって、冬の間、暮そうとしたのである。かくて、冬になって、蟻たちは、自分たちが労苦したものによって、暮していた。ところが前者にとっては充足が窮乏に成り果てたのであった。
     このように、若者が労苦することを嫌っていると、歳をとった時に、落ちぶれるのである。



  • Fabulae Theophylacti Simocattae scholastici
    Fable 2「蟻と蝉」

     樹々の若枝の中で、蝉は合唱し、酷暑の季節を甲高く騒ぎ立て、おのれの調べに聞き惚れていた。他方、蟻のほうは、陽の照りつけるところで、脱穀に時をついやし、大地からの収穫を自分の食糧として貯えていた。この点で、蟻は蝉よりも先見の明があったのである。こうして、北風とともに太陽が退き、秋が過ぎ、冬が地に到来し、海が平穏の申し合わせを破棄し、船乗りたちが港を救い主のごとくに熱望し、百姓は自分の日向に逃れ、蟻は地中の穴の中に必要な馳走を保有していた。ところが蝉は、愛労精神にとんだこの蟻に、貯えを分けてくれるよう懇願したけれども、相手はその歌い手を自分の家の戸口から追い払った、相手の怠惰にぎょうさんな嘲笑を浴びせかけながら、そして、夏のあいだの歌を相手に思い知らせたのであった。要は、前者は歌を港として持ち、後者は労苦を養いとして〔持ったということだ〕。
     この話(mythos)はお前にぴったりだ、リュシストラトスよ。すなわち、怠け者はのぼせ上がった者よりも惨めだから、お前は2倍の学びを味わっているのだ。



  • Fablae Syntipae philosophi
    Fable 43「蟻と蝉」

     一匹の蟻が、冬の季節、夏の間に集めた食い物を、一人で食べていた。すると、蝉が彼のところにやって来て、その食い物を自分にも少し分けてくれと頼んだ。すると蟻が相手に向かって言った、「一体全体、この夏の時機のあいだ、ずっと何をして過ごしていたんや、暮らしのために自分の食い物を集めるのでなかったとしたら?」。すると蝉が相手に向かってこう言い返した、「歌うことで暇がなかったため、取り入れをすることができなかったんでがす」。蝉のこの答えには、さすがに蟻も噴き出して、自分の食べ物を地中深い倉の中にしまいこみ、相手に向かってこう言い放った、「これまで、歌うのが徒労やったんやから、これから先は、踊ってみなはれ」
     この話(mythos)が説いているのは、怯懦・無分別・徒労のうちに過ごす連中は、ほかでも後れをとるということである。



  • Fabulae rhetoris anonymi Brancatiani
    Fable 1「蟻と蝉」

     蟻と蝉が、真夏の季節に、前者は働き、後者は歌っていた。そして、働き者の蟻には、堆く、山のように積もった穀物の山がたくさんできたけれど、爪弾く蝉の労苦は皆無であった。そして冬になり、百合の花盛りが過ぎた時、蝉は蟻のところに行って、生きながらえられるものを求めた。すると蟻が蝉に尋ねた。「おお、友よ、何ゆえお前は、生きながらえられるものを持っていないのか? 夏の間に、自分で取り入れなかったのか?」。すると蝉が弁明した。そうなんです、友よ。歌うことで暇がなかったもんで」。
     すると蟻が言った。「今度は踊って手をたたけばよい」。



  • Fabulae [dodecasyllabi],
    Fable 336「蝉と蟻」

    冬の季節になったある時、
    蟻たちがわずかの食べ物を陽にさらしていた。
    すると蝉が、彼らがそうしているのを眼にして、
    自分は飢えて死にそうなものだから、
    彼らのところに駆けつけて食い物を頼みこんだ。
    すると彼らは言った。「どうして夏に辛抱せず、
    のんきにしていたくせに、今になってせがむのや?」
    蝉が言い返した。「いやさ、楽しませていたんやがな、
    縦笛を吹いて、道行く連中みなを楽しませて」
    すると相手はこれを聞いてすぐに、
    嗤いながら、相手を罵った。
    「冬は踊りゃいい、夏に笛を吹いていたんやから。
    いやさ、夏の間にあんたは食べ物をほったらかしにして、
    道行く連中を喜ばせたけど竪琴はやらんかったんやろ」
     この話(mythos)が明らかにしているのは、ひとは何らかのことに無頓着であったり怯懦であってはならず、怯懦のために危険にみまわれることのないよう、必要なことをしなければならないということである。



  • Fabulae [dodecasyllabi],
    Fable 336 aliter

    冬の季節になったある時、
    蟻たちがわずかの食べ物を陽にさらしていた。
    彼らがそうしているのを眼にした蝉が、
    自分は飢えて死にそうなものだから、
    すぐに駆けつけて彼らに食糧を求めた。
    すると彼らは言った。「どうして夏のあいだ辛抱せず、
    ずっと働かなかったくせに、今になってせがむのや?」
    蝉が言い返した。「いやさ、働かんかったんと違うて笛を吹いていたんやがな、
    道を行くみなを楽しませようと」
    すると相手はこれを聞いてすぐに、
    嗤いながら、相手を罵った。
    「夏のあいだ笛を吹いていたんなら、冬は今度は踊りゃいい。
    夏の間、食べ物を納屋に放りこんだまま、
    道行く連中をうっとりさせたけど竪琴はやらんかったんやろから」
     この話(mythos)が明らかにしているのは、ひとは何らかのことに無頓着であったり怯懦であってはならず、怯懦のために危険にみまわれることのないよう、必要なことをしなければならないということである。

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