ヘレンニオス・ピローン断片集

[底本]
TLG 1416
(H)EREN(N)IUS PHILO Gramm. et Hist.
Eranius Philo
(A.D. 1-2: Byblius)
6 1
1416 006
Fragmenta, FGrH #790: 3C:803-824.
frr. 1-7: Foinikikh\ iostori/a.
frr. 9-11: Peri\ 0Ioudai/wn.
5
frr. 12-13: Para/doxoj i0stori/a.
fr. 14: Peri\ xrhstomaqi/aj.
frr. 15-51: Peri\ po/ewn kai\ ou$j e(ka/sth au)tw~n e)ndo/couj h!negke.
frr. 52-53: Peri\ kth/sewj kai\ e)klogh~j bibli/wn (peri\
10
i0atrw~n).

frr. 55-57: Fragmenta varia.
(Q: 6,010: Hist., Paradox.)

[略伝]
Philon (5) of Byblos (RE, 'Herennius 2'), scholar, born c. AD 70 and died c. AD 160, composed in Greek a learned work on *Phoenician history, providing a markedly euhemeristic account (see EUHEMERUS) of Phoenician religion. Extensive fragnents of ' this history were preserved by *Eusebius in his Praeparatio evangelica 1. 9. 22 ff. Philon's claim to have translated much of his material directly from the ancient writer Sanchuniathon, who had devoted a treatise in the Phoenician language to theology, cosmogony, and the origins of civilization, should be regarded with considerable scepticism, since Philon's versions of the ancient myths have clearly been moulded to conform to Hellenistic expectations. On the other hand, similarities between the stories ascribed by Philon to Sanchuniathon and the evidence for Phoenician myths discovered in *Ugaritic texts demonstrate that some of the material used by Philon may derive from genuine Phoenician traditions, which have, however, been modifled over the intervening centuries. Herennius Philon's other writings included a work Concerning the Acquisition and Selection of Books, a work Concerning Cities and the Illustrious Men each of them Produced, and another Concerning the Reign of Hadrian. See also PHOENICIANS; SANCHUNIATHON. FGrH 790. L. Troiani, L'Opera storiografica di Filone da Byblos ( 1974); A. I. Baumgarten, The Phoenician History of Philo of Byblos: A Commentary (1981) (the most useful study); R. A. Oden and H. W. Attridge, Philo of Bylos: The Phoenician Htstory: Introduction ( 198 1 ). M. D. G. (OCD)





断片集(Fragmenta)

"3c,790,F".1.
断片1
EUSEB. P.E. 1, 9, 19:
 (19)じっさい、あらゆる民族において多神教という迷妄が登場したのは、はるか後世になってからで、それはポイニキア人たちやアイギュプトス人たちに始まり、そこから自余の諸民族と、ついにはほかならぬヘッラス人たちにまで及んだのであるが、これもまた最古の人たちの歴史が記録にとどめているとおりであるから、ポイニキア誌から始めた〔わたしたち〕としては、ほかならぬこの〔歴史〕をも考察すべき時に立ち至った。
 (20)このことを記録しているのは、サンクゥニアトーンである。これは最古の人物で、言い伝えられるところでは、トロイア時代よりも古い人だという。『ポイニキア誌』の精確さと真実性にかけては、じつに折り紙付きと証言されている。ピローン — ヘブライ人ではなく、ビュブロス人の — は、この人の全著作を、ポイニキア語からヘッラス語に翻訳して公刊した。(21)このことに言及しているのは、わたしたちの時代に、『わたしたち〔キリスト教徒たち〕に対して』という内容の第4巻(Porphyrios 260F34)において、わたしたちを攻撃する編著をものにした人物である。この人物によれば、逐語的に以下のごとく証言している。
 「イウゥダイオイ人たちの〔歴史〕を最も真実に — というのは、彼らの諸々の場所も名称も完全に一致しているので — 記録しているのは、ベーリュトス人サンクゥニアトーンで、彼はこの覚え書きを、神イエウオ(?)の神官ヒエロムバロスから入手した。この〔ヒエロムバロス〕は、ベーリュトス人たちの王アビバロスに記録を献呈し、これ〔王〕と、この時代の真理の検査官たちから承認された人物である。ところで彼らの時代は、おそくともトローイア戦争の時代の前には没しており、ほとんどモーセースの時代に近い。これはポイニキアの王たちの後継者たちが示唆しているところである。そうして、サンクゥニアトーンは、古い歴史のすべてを、都市にあった覚え書きや、神殿に保管されていた書き物から、真理愛をもって蒐集し、あまつさえ、ポイニキア人たちの日常語で著述した。彼が存命したのは、アッシュリア人たちの女王セミラミスの御代で、それはイリオン〔=トローイア〕戦争の前、ないし、まさにその同時代であったと書き記されている。そして、サンクゥニアトーンの書き物を、ヘッラス語に翻訳したのが、ビュブロス人ピローンであった」。
 (22)こういったことを明らかにされることで、この〔著者〕は、いわゆる神性論者(qeolo/goj)としての真実さと同時に古さを立証しているのである。しかし、彼が序論において神とよんでいるのは、万物を統べる神でないのはもちろん、天界の神々でさえなく、死すべき男たちや女たちであり、また、性格の雅やかな者たちでもなく、徳によって価値ありと折り紙をつけられ、愛知を羨望するような者たち、あるいは、あらゆる劣悪さと過ちという悪徳を身にまとっている者たちにすぎない。
 じっさい、彼の証言では、現在もなお、諸々の都市や地方において、万人に信じられているあの神々こそがそれであるというのである。そこで、これらのこと証拠も、〔彼の〕著述から受け取りなさい。
 (23)上述のごとく、ピローンはサンクゥニアトーンの全著作を9巻に分け、その第1巻の序論で、サンクゥニアトーンについて逐語的に次のようなことを前置きしている。
 (24)「事情かくのごとくにして、サンクゥニアトーン — 博学にして好奇心旺盛、万物が何から発生するか、その初めのことを、誰からでも知りたいと渇望して、タアウトスのことを丹念に調べあげた。タアウトスは、太陽の下に生まれた最初の人間であり、文字の発明を思いつき、覚え書きの書き方を創始し、言葉の基礎を据えた人物で、これをアイギュプトス人たちはトーウトと呼び、アレクサンドレイア人たちはトート〔と呼び〕、ヘルメースというのはヘッラス人たちの訳出である」。
 (25)こう云った上で、その後のより新しい〔歴史家〕たちが、神々に関する神話を、寓意や、自然的説明と理論に帰着させているが、それは牽強付会であり真実でないとして、非難している。かくして、序言で言う。
 (26)「しかしながら、より新しい宗教学者(i9erolo/goj)たちは、過去の事実を初めからしりぞけ、寓意や神話を思いつき、宇宙の事象との親和を捏造し、秘儀を確立した。そうして、数多のたわごとをこれに導入したために、真に何が起こったのかをひとが見きわめることは容易でなくなったのである。これに反して彼は、内陣から発見された、アムモーン神官たちによって著された秘密の書き物 — もちろん、誰にも知られていなかった — に遭遇し、そのすべての研究にみずからいそしみ、そうしてその研究を完成して、最初の神話や寓意を除外せんとして、目的を達成したが、後継者の神官たちは、しばらく後に、再びこれを隠蔽し、神話的な内容にもどそうとした。以来、神秘論(mustiko/n)が台頭したが、これはまだヘッラス人たちのもとには届いていない。
  (27)これに続いて彼は主張する。
 「以上のことがわたしたちに発見されたのは、ポイニキア誌を丹念に知りたいと渇仰し、ヘッラス人たちのもとにはない数多くの資料を調査した結果である。というのは、その〔資料〕は一致せず、一部の人たちによっては、真理をめざしてよりは、むしろ勝利愛によって編纂されたものであったからである」。
 (28)そして、他の事柄〔を述べた〕あと。
 「事情かくのごとく、あの人が書いたとおりであるとわたしたちに信じられるにいたり、ヘッラス人たちの間における不一致を眼にして、これについて、『驚異の歴史』という標題をもった3巻本(F 12/3)が、わたしの自信作となった」。
 (29)さらにまた、他の事柄〔を述べた〕あと、彼は付言する。
 「以下における明白さと、細部の審判のために、次のことを闡明しておく必要がある。つまり、最古の異教徒たち、とりわけポイニキア人たちとアイギュプトス人たち — 自余の人類もこの人たちから〔伝統を〕受け継いだ — は、生活の必要物の発明者たちとか、あるいはまた、何らかの点で族民に善くした人たちのことを、最も偉大な神々とみなしたということ。そして、こういった人たちを善行者(eu)erge/thj)、多くの善事の原因者と考え、神々として礼拝し、他界した後は、諸々の神殿を建立し、標柱(sth/lh)や笏杖(r(a/bdoj)を供え、彼らの名前を聖別し、これを大いに尊崇し、彼らのためにポイニキア人たちは最大の祝祭さえ執り行った。とりわけ、自分たちの王たちの名を採って、宇宙の原素(stoixe~ia)や、信じられている神々のあるものらに、その名をつけた。しかし自然物、すなわち太陽、月、その他の惑星や、原素や、これらに関連するものらのみは神々と認めた。その結果、彼らにとっては、神々は死すべきものらと不死なるものらとがあることになった、ということである」。

"3c,790,F".2.
断片2
EUSEB. P.E. 1, 9, 30_10, 42:
 〔第9章〕(30)以上のこと(F 1)を、ピローンは序論で言明した上で、続いて、サンクゥニアトーンの翻訳を開始し、ポイニキアの神性論を、おおよそ次のように述べている。

 〔第10章〕(1)全体(ta\ o#la)の初めとして彼が想定しているのは、黒ずんで気息を含んだ大気、ないし、黒ずんだ大気の疾風と、暗黒(エレボス)のようなどんよりした混沌とである。これらは無限であり、はるかなる世代にわたって限りを持たないと〔彼は想定している〕。「ところが」と彼は主張する、「この気息(pneu~ma)は、自分の初めたち〔両親〕を恋し、交合(su/gkrasij)が生じ、この結合(plokh/)が「渇望(Po/qoj)」と呼ばれた。これ〔渇望〕こそが、万物の創造(kti/sij)の初めである。しかし、それ〔気息〕は自分の創造(ktisis)を知らなかった。かくして、気息そのものの結合からモート(Mw/t)が生まれた。この〔モート〕を、ある人たちは沈殿物(i0ly/j)だと主張し、ある人たちは、水状の混合による発酵〔自発的発生〕だと〔主張する〕。そして、これ〔沈殿物ないし発酵〕から、創造のすべての種子と、全体(ta\ o#la)の誕生が生じた。(2)しかし、そこにいたのは感覚を持たない生き物で、これから叡智的生き物が生まれた。これはゾパセーミンと呼ばれ、これが天の照覧者たち(katoptai/)〔複数〕である。これは卵の形と同じに造形されていた。かくしてモートは、太陽と月、星たちと大いなる星辰となって輝き出た」。
 (3)以上が、彼らの宇宙誕生論であって、端的に無神論を導入したものである。そこで、続いて、いったい生物誕生はどのようにして起こったと言っているか、見ることにしよう。つまり、彼は主張する。
 (4)「そして、大気が発光したとき、海にも陸にも、発火によって、気息と雲と、天の水の大いなる降雨と氾濫が生じた。そして、太陽の発火によって、分離し、自分の場所からの引き離しが起こったあと、再び万物は大気の中であれとこれと出会い、ぶつかり合い、雷鳴と稲妻が発現し、落雷に上述の叡智的生き物が目覚め、〔落雷の〕音響に怯え、雌雄ともに大地と海に移動した」。
 (5)彼らの生物誕生も、以上のごとくである。これに続いて、その同じ人が著作して付け加えて言っている。
 「以上のことは、タアウトスの宇宙誕生論と、彼の覚え書きの中に、諸々の推測と論拠とをもって書かれているのが発見されたものである。これら〔推測と論拠〕は、彼の悟性(dia/noia)が洞察し、発見し、そしてわたしたちのためにも明るみに出してくれたものにほかならない」。
 (6)これに続いて、ノトス(南風)、ボレオス(北風)、その他の諸々の風の名前を云ったうえで付言する。
 「これらこそは、大地の所産を最初に聖別したものにほかならず、神々と信じ、自分たちはもとより、後に続く者たちも、自分たち以前の者たちも、そのおかげで生きながらえるものととしてこれを礼拝し、潅頂と供儀を行った」。さらにまた、子孫が大地からさるときに、また動物たちの大地からの最初の誕生と、相互からの誕生と、この世の生から立ち去る最期とに、憐れみと同情と慟哭を献げる〔ようにもした〕。
 さらに付言する。
 「礼拝の思いつきそのものが、自分たちの弱さと、魂のさらなる臆病さに等しい」。
 (7)次いで、彼の主張では、コルピアスという風と妻のバアウ(これを彼は「夜」と翻訳している)からアイオーンとプロートゴノスとが生まれた。彼らは死すべき者たちで、そのように呼ばれていた。そして、アイオーンの方は、樹木から得られる食べ物を発見した。彼らから生まれた者たちは、ゲノスとゲネアと呼ばれ、ポイニキアに住んだ。しかし旱魃になったとき、両手を天に、太陽の方角にさしのべた。「なぜなら(と彼は主張する)、彼らはこの神のみを天の主と信じ、ベエルサメーと呼んでいた。これは、ポイニキア人たちのもとでは天の主であるが、ヘッラス人たちの間ではゼウスである」。
 (8)この後で、ヘッラス人たちの迷妄を責めて言う。「というのは、わたしたちがそれらをさまざまに説明してきたのは、理由のないことではなく、〔歴史的〕事実における名称がこれから多様に翻訳されるからにほかならない。ヘッラス人たちはこのことに無知なため、間違った理解の仕方をした。翻訳の曖昧さに惑わされたからである」。
 (9)続いて彼の主張では、アイオーンとプロートゴノスとの子ゲノスから、さらに死すべき子どもたちが生まれた。彼らの名前は、ポース〔光〕、ピュル〔火〕、プロクス〔炎〕である。これらの者たちは(彼の主張では)樹木をこすりあわせることで火を発明し、その使用法を教えた。そしてこれらの者たちは、大きさと目立つ点で圧倒的な息子たちを産んだ。その〔息子たち〕の名前は、彼らが支配した山々に〔その名前として〕付けられ、その結果、彼らにちなんで、カッシオン、リバノス、アンティリバノス、ブラテュと呼ばれた。この者たちから(彼の主張では)サメームルゥモス — ヒュプスゥラニオス〔至高天〕ともいう — と、ウゥソーオスとが生まれた。しかし(彼の主張では)彼らは母親の名を名乗った。当時の女たちは、出会った相手と気ままに交わったからである」。
 (10)続けて彼は謂う。
 「ヒュプスゥラニオスはテュロスに居住し、アシとイグサとパピュロスから小屋をつくることを思いついた。しかし、兄弟ウゥソーオスと争った。この〔ウゥソーオス〕は、獣 — これを集める力を彼は持っていた — の皮から身体の覆いを初めて発明した者である。猛烈な雷雨や風が起こったときは、テュロスにある樹木をこすりあわせて火を起こし、それらの素材を燃えあがらせた。また、ウゥソーオスは樹をとって、枝を払い、海に乗り出すことを敢行した最初の者である。そこで、「ピュル〔火〕」と「プネウマ〔気息〕」に2つの標柱を捧げ、礼拝し、自分が狩猟した獣の血をこれに潅頂した。
 そして、彼らが命終したとき、後に残った者たちは、彼の主張では、彼らに笏杖をささげ、くだんの標柱を礼拝し、年々、彼らのために祝祭を執り行った。(11)さて、久しい時が経て後、ヒュプスゥラニオスの子孫から、釣りと猟の発明者たちであるアグレウスとハリエウスが生まれた。猟師(a)greuth/j)とか漁師(a(lieu~j)と呼ばれたのは、彼らにちなんでである。この者たちから生まれたのが、鉄の発明者と、その〔鉄の〕制作者である2人の兄弟である。このうちのひとりクゥソールの方は、言論と呪文と占いを修行した。この者がヘーパイストスにほかならず、釣り針と餌と釣り糸と筏をも発明し、全人類のなかで初めて航海した者である。だからこそ、死後、彼を神として人びとは崇拝した。また、彼はゼウス・メイリキオスとも呼ばれた。ある人々の主張では、彼の兄弟たちは焼き煉瓦によって城壁をつくることを思いついたという。 (12)その後、彼らの種族から2人の若者が生まれ、そのうちのひとりはテクニテース〔技術者〕と呼ばれた。もうひとりはゲーイノス・アウトクトーン。これらの者たちは、焼く煉瓦の泥に藁屑を混ぜ合わせ、これを太陽で干すことを思いついた。いやそればかりか、屋根をも発明した。この者たちから別の者たちが生まれ、そのうちのひとりはアグロスと呼ばれ、もうひとりは、アグロスの半神あるいはアグロテースと〔呼ばれた〕。この者には、崇拝された大きな像も、軛によって運ばれる神殿もポイニキアにある。とりわけビュブロス人たちの間では、神々のなかの最大の神と名づけられている。
 (13)またこの者たちは、家屋に中庭と垣囲いと穴蔵を取りつけることを思いついた。この者たちから農夫たち(agrotai)と猟師(kynegoi)が生まれた。しかしこの者たちは、アレータイやティタネスとも呼ばれた。この者たちの血を引くのがアミュノスとマゴスで、村落や畜群を発明・教示した。この者たちから生まれたのがミソールとシュデュク、すなわち、「解きやすさ」と「正しさ」である。この者たちが塩の用法を発明した。
 (14)ミソールの血を引くのがタアウトスで、これは最初の字母の書き方を発明したのだが、彼のことをアイギュプトス人たちはトーウト、アレクサンドレイア人たちはトート、ヘッラス人たちはヘルメースと呼んだ。
 他方、シュデュクからは、ディオスクゥロイとかカベイロイとかコリュバンテスとかサモトライケスが〔生まれた〕。この者たちは(彼の主張では)舟を発明した最初の者である。この者たちからは別の者たちも生まれ、これらが野菜や咬み傷の治療法や呪文を発明した。(15)この者たちの時代に生まれたのが、ヒュプシストス〔至高者〕と呼ばれるヘリウゥンなる者と、ベールゥトと言われる女である。彼らはビュブロスあたりに定住した。
 彼らから生まれたのがエピゲイオス・アウトクトーンで、これを後に人々はウゥラノスと呼んだ。そうして、わたしたちの上に広がる原素をも、あまりの美しゆえに、彼にちなんでウゥラノス〔天〕と名づけることになった。この〔ウゥラノス〕には、前述の者たちから妹が生まれた。これこそゲーと呼ばれた者である。そして、美しかったので、彼女にちなんで(彼の主張では)人々は大地を同名で呼んだ。ところが、彼らの父親ヒュプシストスは、獣の攻撃に遭って(?)命終したので聖別され、子どもたちはこれのために潅頂と供儀を執り行った。
 (16)こうして、ウゥラノスが父親の支配を受け継ぎ、妹のゲーと結婚し、彼女から4人の子どもをもうけた。クロノスとも〔呼ばれた〕ヘーロス、バイテュロス、ダゴーン(これがシトーンである)、アトラスである。またほかの配偶者たちからも、ウゥラノスは多数の子孫をもうけた。そのためゲーが怒り、ウゥラノスに嫉妬し、罵った。その結果、お互いに反目さえするようになった。
 (17)そこでウゥラノスは、彼女と離婚し、好きな時に力ずくで襲いかかり、彼女と近づきになって、再び離れていった。さらに、彼女の子どもたちをさえ破滅させようとたくらんだので、ゲーはしばしば撃退し、自分の共闘者を集結させた。そしてクロノスが一人前になった時、トリスメギストス・ヘルメースを相談役兼援助者として — というのは、これは彼の読み書きの先生だったから — 、父親ウゥラノスを撃退し、母親の仇をとった。
 (18)クロノスには、ペルセポネーとアテーナという子どもができた。前者は、処女のまま命終した最初の女性にほかならない。アテーナとヘルメースとの知略によって、クロノスは鉄から鎌と槍をこしらえた。次いで、ヘルメースはクロノスの共闘者たちとマギ僧の言葉で対話し、ゲーのために対ウゥラノス戦をたたかう渇望を植えつけた。まさしくこのようにして、クロノスはウゥラノスと戦端を開き、支配権を奪い、王位を引き継いだ。また、この戦闘で、ウゥラノスの愛妾も捕らえられ、彼女は妊娠していたのだが、これをクロノスはダゴーンと結婚させた。そこで彼女は彼のもとで、ウゥラノスによって子宮に孕んでいた子を産んだが、これこそ〔彼女が〕デーマルゥスと呼んだ子にほかならない。
 (19)こういった出来事の後、クロノスは自分の館を城壁で囲い、都市としては最初の、ポイニキアのビュブロスを建設した。
 (20)その後、自分の兄弟アトラスのことをクロノスは猜疑し、ヘルメースの知略によって大地の底に投げこみ、埋めた。この当時、ディオスクゥロイの血筋の者たちが、筏と船を集めて船出し、カッシオン山に打ち上げられ、そこに神殿を献げた。他方、エーロスつまりクロノスの共闘者たちは、エローエイムと添え名された。この者たちは、クロノスの御代に、クロニオイ〔クロノス族〕と言われた者たちにほかならない。
 (21)また、クロノスは、サディドスという息子をもうけていたが、彼に対する猜疑心から、これを自分の鉄剣で屠り、子どもの魂〔=生命〕を奪って、その下手人となった。同様に、自分の娘の頚さえはねたので、神々全員がクロノスの知略に仰天した。
 (22)こうして時が経ち、ウゥラノスは亡命していたが、自分の娘の処女アスタルテーを、彼女のほかの姉妹、レアとディオーネーとの2人ともども、策略をもってクロノスを亡き者にするべく、ひそかに送り出したが、クロノスはこれを捕らえ、〔自分の〕姉妹であったにもかかわらず、配偶者とした。(23)ウゥラノスはこれを知って、ヘイマルメネーとホーラを、その他の共闘者ともども、クロノス打倒の遠征軍として差し向けたが、クロノスはこれをなだめすかして、自分の味方につけた。
 あまつさえ、(彼の主張では)ウゥラノス神はバイテュロス小石を思いつき、有魂の石を考案した。(24)クロノスには、アスタルテーによってティタニデス〔ティタンの娘たち〕とかアルタミデス〔アルテミスの娘たち〕という7人の娘ができた。さらにまた、ヘラによって同人に7人の子が生まれた。このうち最も年下の子は、生まれると同時に聖別された。さらに、ディオーネーによっては**女性が、アスタルテーからもさらに、ポトス〔渇望〕とエロース〔恋〕という2人の男子が〔生まれた〕。(25)他方、ダゴーンはといえば、穀物と鋤を発明したので、ゼウス・アロトリオス〔農耕のゼウス〕と呼ばれた。
 また義人と言われたシュデュクには、ティタンの娘たちのひとりと交わって、アスクレーピオスが生まれた。
 (26)またペライアにおいても、クロノスによって3人の子どもが生まれた。父親と同名のクロノス、ゼウス・ベーロスと、アポッローンである。このころ、ポントスと、ポントスの父親にしてベーロスの子ネーレウスとが生まれた。
 (27)ポントスからは、シドーン — すこぶる美声の持ち主で、初めて歌曲の讃歌を発明した女性 — と、ポセイドーンとが生まれた。またデーマルゥスには、メルカトロス — ヘーラクレースともいう — が生まれた。
 (28)次いで、ウゥラノスは今度はポントスと開戦し、叛乱を起こしてから、デーマルゥスと結託し、デーマルゥスがポントスを攻撃した。だが、ポントスはこれを撃退した。そこでデーマルゥスは、亡命〔すべきかどうかを〕供儀をして祈った。
 (29)さて、自分の覇権と王位の32年目に、エーロス(ななわちクロノス)は、父ウゥラノスを、内陸のある地点で待ち伏せし、手下におさめ、その恥部を、泉と河の近くで切り取った。ここでウゥラノスは聖別され、彼の息は途絶え、彼の恥部の血が、泉と河の水の中に滴った。そうして、これまでもその場所を示している」。
 (30)以上が、クロノスのことであり、クロノス時代の人々 — 歯切れよき人類の最初の黄金の種族と人々の言い伝える者たち — の、ヘッラス人たちの間で流布している人生の威厳、昔の人たちの浄福視されたあの幸せの〔威厳〕とは、以上のような内容にほかならない。
 こうして、この著者は、別のこと〔述べた〕後、再びこれに付け足して言う。
 (31)「最も偉大なる女王アスタルテーと、ゼウス・デーマルゥスと、神々の王アドードスとは、クロノスの知略にもとづいて土地を王支配した。そしてアスタルテーは、自分の頭に王位の徽章として牡牛の頭をいただいた。そして人の住まいする〔地〕を歴訪して、空から落ちた星を見つけ、これをすぐに拾いあげて、聖なる島テュロスに献げた。アスタルテーとは、アプロディーテーのことだと、ポイニキア人たちは言っている。
 (32)さらにまたクロノスも、人の住まいする〔地〕を巡り歩いて、自分の娘アテーナにアッティケーの王国を与えた。(33)ところが、疫病と病没が起こったので、クロノスは自分のひとり子**を、父ウゥラノスのために燔祭にささげ、また、恥部に割礼を施し、自分の配下の共闘者たちにも同じことをするよう強要した。(34)そして、久しからずして、レアから生まれた自分のもうひとりの、モゥトと名づけられていた子が死んだので、これを聖別した。そこでこれを「死(Qa/natoj)」とか「富(Plou~toj)」とポイニキア人たちは名づけた。(35)そうして、その後、クロノスはビュブロスという都市を、ディオーネーとも言われる女神バアルティスに与え、ベーリュトス〔という都市〕は、ポセイドーンと、カベイロスたち、つまり、アグロタイとハリエウセスに〔与えたが〕、この者たちはポントスの残りをもベーリュトスにささげた。
 (36)しかし、これより前に、神タアウトスは、いっしょにいる(?)神々、すなわちクロノス、ダゴーン、その他の神々の顔つきを模倣して、字母の聖なる字体を型どった。そしてクロノスのためにも、王位の徽章として前部と後部に4つの眼 — 2つは眼を開き、2つは静かに眼を閉じたの — を思いついた。さらに肩にも4つの翼 — 2つは羽ばたくがごとく、2つは羽を休めるがごとくの — を〔思いついた〕。
 (37)これが象徴となったのは、クロノスは眠りつつ見つめ、目覚めたまま眠るからであった。翼についても同様で、休みつつ飛び、飛びつつ休むからである。しかし他の神々には、それぞれの神の肩に2つの翼を〔つけ〕、クロノスといっしょに飛べるようにした。さらにまた、彼〔クロノス〕の頭にはさらに2つの翼を〔つけた〕。ひとつは最高指導者の理性〔を表す〕ために、ひとつは感覚〔を表す〕ために。
 (38)こうして、クロノスは南に行き、アイギュプトス全土を神タアウトスに引き渡し、彼の王土となるようにした。このことを(彼の主張では)誰よりも先に覚え書きにしたためたのが、シュデュクの7人の子どもたちであるカベイロスたちと、彼らの第8番目の兄弟アスクレーピオスで、神タアウトスが彼らにそのように言いつけたからである。
 (39)以上のすべてを、タビオーン — 太古のポイニキア人たちの初代の大祭司(i9erofa/nthj) — が寓意化し、自然的・宇宙的事象と混合して、狂宴の祭司たちや、密儀入信式の創始者である預言者たちに伝承した。さらにこの者たちが、たわごとを拡張せんと、あらゆるところから考案して、自分たちの後継者たちや外来者たちに伝承したのである。3文字の発明者エイシリオスもその〔外来者の〕ひとりで、彼は最初にポイニキア語に改名したクナの兄弟である」。
 (40)次いで、彼は再び続けて付言する。
 「ところで、ヘッラス人たちは、生まれのよさで何びとをも凌駕していたので、最初、たいていのことはわがものとし、次いで、前部の飾りによっても多彩に飾り立てるとともに、神話の快感を楽しめるよう、あの手この手で潤色した。そこから、ヘーシオドスや、叙事詩環の詩人たちは、独自の神統記や神々とギガスたちとの戦いや神々とティタンたちとの戦いや去勢を捏造し、これを携えまわって、真理に圧勝した。
 (41)だから、わたしたちの聴覚は、その人たちの作り話といっしょに育てられ、何世代にもわたって先入観にとらわれ、受け容れている作り話(muqopoii/a)こそ信託されたもののごとくに守っていることは、初めにわたしの云ったとおりである。この〔作り話〕は、時の助けを得て、その拘束をぬきがたいものとし、その結果、真理は無駄話、まがいものの物語こそが真理であると思われることになったのである」。
 (42)以上が、サンクゥニアトーンの書から判明したとしよう。その書は、ビュブロス人ピローンによって翻訳され、哲学者ポルピュリオスの証言によって真実なりとして合格審査されたものである。

"3c,790,F"."3a".
断片3a
PORPHYR. De abst. 2, 56 (EUSEB. P.E. 4, 16, 6):
 ポイニキア人たちは、戦争とか旱魃とか疫病とかいった大きな災禍に際すると、最愛の者たちの中のひとりを供儀とし、クロノスに手向けた。だから、ポイニキアの歴史は供儀をした者たちに満ちている。この歴史を、サンクゥニアトーンがポイニキア語で著し、ビュブロス人ピローンがヘッラス語8巻に翻訳した。

"3c,790,F"."3b"
断片3b
EUSEB. P.E. 4,16,11:
 以上のことが、上述の(scil. ポルピュリオスの)書から判明したとしよう。ピローンの『ポイニキア史』という著書の第1巻からは、以下のことを引用しよう。
 「古代人たちにとって、危難の大きな災害に際して、全員の破滅に代わって、生子たちのうち愛されてきたものを、国の支配者たちであれ、族民の支配者たちであれ、復讐のダイモーンたちに贖い金として血祭に献げるのが習慣であった。こうして、捧げられた者たち(dido/menoi)は、秘儀によって血祭にささげられた。だからクロノス — これをポイニキア人たちはエールと呼称する — は、国土を王支配し、後に生が終わってからは、クロノスの星として神聖視された。〔このクロノスは〕土地のニュムペー — アノーブレトと言われる — からひとり息子をもうけるが、これによってその息子を彼らはイエウゥダと呼んだ。(このひとり息子は、今もやはりポイニキア人たちの間でそういうふうに呼ばれている)。戦争から最大の危難が国土を見舞ったときは、〔クロノスは〕この息子を王者の恰好で飾り、祭壇を設けて、犠牲に捧げるのを常とした」。

"3c,790,F"."4*"
断片4
EUSEB. P.E. 1,10,45:
 (F 10からの続き)同じ人物が、ポイニキアの字母に関するサンクゥニアトーンの翻訳から、爬虫類や有毒獣 — 人間たちにとって善き有用性は何ひとつもたらさず、相手が誰であろうと、致命的で難儀な毒をもって襲いかかり、破滅と苦痛をもたらすものら — について、どんなことを主張しているかを、さらに一瞥しておこう。このことについても彼は書いていて、逐語的にほぼ次のように言っている。
 (46)「さて、大蛇やヘビたちの自然本性を神格化したのは、当のタアウトスであり、彼の後では、今度はポイニキア人たちとアイギュプトス人たちとであった。すなわち、彼によって伝授されたのは、この生き物は、あらゆる爬虫類の中で最も霊的にして、火のごときものであるということであった。それゆえまた、霊であるからして、これにまさるものなき速さをもそれはそなえている。足と手、あるいは、何か他の外部的な — それによって自余の動物なら動きをなす — 〔器官〕を持っていないけれども。また、さまざまな姿形をとり、進むときは、望むがままの速さで螺旋状に跳躍する。(47)さらには、このうえなく長生きで、老齢を脱いで新しくなるのみならず、より大きく生長するよううまれついていた。そうして、定められた限度を満たすと、自身で消滅する。これはタアウトス本人が聖なる書の中に記したと同様の仕方である。だからこそ、この生き物は、諸々の神殿や秘儀の際にも随伴させられるのである。
 (48)また、これについては、『エトーティアイ』(?)という標題をもつ覚え書き(F 8)の中で、わたしたちによって縷々述べられているが、そこで仕立てられているのは、〔ヘビは〕不死であり、また、前述のごとく、自分で自壊するということ。すなわち、この生き物は、何らかの力で打倒されないかぎり、自分の死〔=寿命〕で死ぬことはないということである。そこで、ポイニキア人たちはこれを善きダイモーンと呼ぶ。同様に、アイギュプトス人たちも、クネープ(knh/f)と添え名する。そして、タカの頭を、その活動力ゆえに、これに付け足す。
 (49)また、エペーエイス(?) — この人物は、彼らの間では最も偉大な大祭司(i9erofa/nthj)にして聖刻文字の書記と名づけられ、ヘーラクレオポリス市民アレイオスがこれを翻訳した — は、寓意を用いて逐語的に以下のごとく主張している。
 『第一位の最も神的なものはヘビである。〔このヘビは〕タカの頭を持ち、すこぶる優美。これが眼をあければ、おのが初めに生まれた地の光に全体が満たされる。しかし眼をとじれば、闇が生じる。
 〔ここで〕エペーエイスは説明を与える。「射しこんだ」と主張しているのだから、それはまた火のごときものである』。射しこむというのは光に固有のことだからである。
 (50)さらにペレキュデース(Vorsokr. 57[71]B4)も、ポイニキア人たちから刺激を受けて、彼の作品でいわれるオピオネウス(?)神やオピオネウスの子ら〔オピオニダイ〕について神性論を展開したが、それについてはまたわたしたちが言う機会があろう。
 (51)かててくわえて、アイギュプトス人たちは、同じ思いつきから、宇宙を描くために、空色と火色の円周をぐるりに彫り、中央にタカの形をしたヘビを横たえた(だから、全体の形はわたしたちのもとにおけるテータ〔という文字〕のようになる)。円は世界を意味し、中央を連結したヘビは善きダイモーンを表す。
 (52)さらにマギ僧ゾーロアストレースも、『ペルシア誌の聖なる集成』において、逐語的に次のように主張する。
 『タカの頭を有する神があるが、これが第一位である。〔この神は〕不朽、不変、不生、不可分、〔何ものとも〕まったく不等(?)、全美の御者、贈収賄せず、善中の最善、知慮者中の最高の知慮者。さらに、善意と正義の父でもあり、自学自習者、自然哲学者、完徳者、知者、これのみが聖なる自然の発見者である』。
 これについては同じことを、オスタネースも『八つの城壁(Oktateuchos)』という標題の書の中で主張している。
 (53)万人が、タアウトスから刺激を受けて、自然究理をこころざしたことは、前述のとおりである。そして、ヘビたち〔の恰好〕によって〔作られた?〕最初の字母は、諸々の神殿をこしらえて、内陣にささげ、これのために祝祭や供儀や狂宴を執り行った。最も偉大な神々、世界全体の支配者と信じて。ヘビたちに関することは以上である」。
 (54)ポイニキア人たちの神性論の内容は、たしかに、このような性格をおびており、この〔神性論〕からいかにしてまっしぐらに逃れるかを……宣べ伝えているのが救済の言葉にほかならない。(55)だが、明らかなのは、これは神話や詩人たちの作り話 — ほのめかしの中にこっそりと一種の理論をひそませた — ではなく、知者たちや古の神性論者たち(そのように自分で主張している)の真実の証言であるということ。〔そして、この証言は〕いかなる詩人たちよりも、また散文作家たちよりも往古のことを書き留め、この言説の信頼性を、ポイニキアの都市や村落において、今日に至るまで流布している神々の呼称と歴史、ならびに、おのおのの〔民族の〕間で挙行される秘儀から導き出しているものであること。〔だから〕これの強力な自然究理を跡づける必要はもはやないことは、明らかであろう。提起された事実そのものからして吟味は明白なのだから。ポイニキア人たちの神性論とは、かくのごときものである。

"3c,790,F".5.
断片5
LYDUS De mens. 4, 154 p.170, 3 Wu:
 ポイニキア人たちは、同名という仕方によってにせよ、何らかの寓意によってにせよ、クロノスに関してかなり異なった扱いをしていることは、ヘレンニオス・ピローンの『ポイニキア誌』第2巻からわかるとおりである。そして、歴史が伝承しているところでは、彼〔クロノス〕が王支配したのは、先にわたしが説明したとおり、リビュエー、シケリア、西方の諸々の場所であり、また、カラクス(103 F 32)の主張では都市を建設した。〔その都市は〕昔はクロニアと言われ、今はヒエラ・ポリス〔と言われる〕と、イシゴノス『パリコイ神たちについて』、ポレモーン(IV)、アイスキュロスが『アイトネー』(F 11 N 2)の中で伝承し、エウヘーメロス(63 T 4)の歴史全体が潤色している……

"3c,790,F".6.
断片6
STEPH. BYZ.「ニシビス」の項。
 ティグレース〔=ティグリス〕河畔の岸にある都市。ピローンは、『ポイニキア誌』の中で、アルファを使ってナシビスと主張する。しかしウゥラニオス(675 F 30)は、イプシロンを使ってネシビスと。ピローンの主張では、ナシビスは標柱を意味するという。しかしウゥラニオスは、「ネシビスとは」と彼は謂う、「ポイニキア語で、石が組み合わされたこと、寄せ集められたことを意味する」。

"3c,790,F".7.
断片7
LYDUS De mens. 4, 53 p.109, 13 Wu:
 ヘブライオイ人たちの間で崇拝されている神について、神性論者たちのあいだに数多の不一致があったし、現にあるということ……しかしながら、ポルピュリオスは、『語録の覚え書き』の中で、2倍の彼方(すなわち全体(ta\ o#la)の制作者)が、イウゥダイオイ人たちの間で崇拝されている〔神〕であると主張する。この〔神〕をカルダイオスは1倍の彼方(すなわち善)から〔うまれた〕第二の〔神〕として神格化している。しかしながら、イアムブリコスやシュリアノスやプロクロスをとりまく一派は、それを感覚的宇宙の制作者であると見なし、これを四層の城壁の神と呼んでいる。これに反してローメー人バッローンは、『秘儀』の中でこれを扱い、カルダイオイ人たちに反対して、その〔神〕はイアオー、つまり、ポイニキア人たちのことばで、光ではなくて、可考者と言われると主張していると、ヘレンニオスが主張している。またサバオートもあちこちで、7層〔の天〕を超越した〔神〕(すなわち制作者)のようなものと言われている。このように、じっさい、数多くの栄光がこの〔神〕に帰せられ、この〔神〕を不可知・不明という神性論を展開している人たちの方がむしろ優勢である。だから、これをディオニュソスだと見なす人たちが間違っていることは……彼らの間での仕来りそのものからしてわかるのである……

断片8〔欠番〕

"3c,790,F".9.
断片9
ORIGENES. c. Cels. 1, 15 p.67, 21 Koetschau:
 ケルソスよりもましな分……ピュタゴラス学徒ヌゥメーニオスは、『善について』第1巻の中で、身体を持たぬものとして神を理解しているかぎりの民族について言っている人だが、イウゥダイオイ人たちもこれに加えている……さらにまたヘルミッポス(IV)も、『立法者たちについて』第1巻の中で、ピュタゴラスは自分の哲学を、イウゥダイオイ人たちからヘッラス人たちに紹介したと〔ヘルミッポスが〕記録していると言われている。さらにまた歴史家ヘカタイオスの『イウゥダイオイ人たちについて』という書物(264 T 7c)も伝えられており、この中で、〔ヘカタイオスは〕この民族〔イウゥダイオイ人たち〕を知的だと過度に承認するあまりに、ヘレンニオス・ピローンでさえ、『イウゥダイオイ人たちについて』という著書の中で、先ず第1に、この著書がこの歴史家〔ヘカタイオス〕のものであるかどうかを疑い、第2には、たとえ彼〔ヘカタイオス〕のものだとしても、彼がイウゥダイオイ人たちの有する説得力に心を奪われて、彼ら〔イウゥダイオイ人たち〕の言葉にすっかり同意してしまっている、と言っているほどである。

"3c,790,F".10.
断片10
EUSEB. P.E. 1, 10, 42:
 (F2の続き)この同じ人〔ピローン〕が、『イウゥダイオイ人たちについて』という著書の中で、クロノスについてやはり次のようなことを書いている。
 (43)「タアウトス、これをアイギュプトス人たちはトーウトと命名しているのだが、〔このタアウトスは〕ポイニキア人たちの間では知恵において抜きんでていたが、俗事に無経験だったため、神の崇拝に関する事柄を、初めて、知的経験へと整備し、数多の世代の後、スゥルムゥベーロス神と、トウゥロー — 改名したクゥサルティス — とが彼〔タアウトス〕に付き従い、タアウトスの、隠されて、寓意のせいで曖昧となっていた神学を明るみに出した」。
 (44)さらに少し後で彼は主張する。
「古代人たちにとって、……犠牲に捧げるのを常とした」(=F 3b 以下に同じ)。

"3c,790,F"."11*".
断片11
HELLADIOS Chrestomath. (PHOT. Bibl. p.529 b27):
 この人もいっているたわごとだが、モーセースがアルパ(!Alfa)と呼ばれていた所以は、身体が白皮(a)lfo/j)でまだらになっていたからだとして、この嘘の証人としてピローンを挙げている。

断片12〔欠番〕

"3c,790,F".13.
断片13
SUDA「アビュドス人パライパトス」の項。
 歴史家(44 T 3)……マケドニア人アレクサンドロスの御代に生まれた。哲学者アリストテレースの愛童(paidika/)だったとは、ピローンが『驚異譚』第1巻の字母ειの中で、またイリオン人テオドーロスも『トロイア誌』第2巻の中(48 F 1)で。

"3c,790,F".14.
断片14
ET. GEN. (ET. M. p.227, 52...ET. GUID. p.306, 16 Stef)「ゲラノス」〔ギリシア語で「ツル」の意〕の項。
 キュレーネー語で雷雨〔を意味するのは〕、大地に散水するところから。そういうふうにヘレンニオス・ピローンが『摘要録』の中で。彼の主張では、第2義は曇ることだという。

"3c,790,F".15.
断片15
STEPH. BYZ.「アミソス(Amisos)」の項。
 ……ポントスにいる……族民アミセーノス人のこと。アミシオス人とも言われると、ピローンが『諸都市について』の中で。

"3c,790,F".16.
断片16
STEPH. BYZ.「アンダニア」の項。
 メッセーネーの都市で、土地と同名。すなわち、メッセーネーも同様にアンダニアと呼ばれていた。ここに住んでいたのは、言い伝えでは、クレスポンテース一統に属する人たちであり、そういうふうに呼ばれた所以は、彼らを喜ばない(mh\ a(ndanein)からだという。民族はアンダニエウス人だと、ピローンが『諸都市について』の中で。この都市に生まれたのが、著名なことこのうえない将軍アリストメネースであった……リアノス(265F46)によればアンダニオス人とも言われる。

"3c,790,F".17.
断片17
ET. GEN.(ET. M. p.149,50)「アルシノエー」の項。
 シュリアの丘陵の上にある都市。この丘陵には、多数の泉が噴き出しており、大きな河川もあり、これにちなんで都市が名づけられたという。というのは、「水を飲ませること」を"a!rsai"というが、これにちなんで、種蒔きの時に女に水を飲ませる者が"a!rshn"〔男性〕ともいわれるからである。そういうふうにセレーノスが『ピローンの著作の摘要』の中で。

"3c,790,F".18.
断片18
ET. GEN.(ET. M. p.207,42)「ブゥケライス」の項。
 プラタイアイにある泉。これが名づけられた所以は、デウカリオーン時代の大洪水の後、ポリュボスがアルゴスに別れを告げてプラタイアイを建設したのであるが、〔このとき〕その昔カドモスがしたように、神託にしたがって自分の牛が案内して、ここで横たわって、角で大地を突いた。すると泉が出現した。この〔泉〕を、牛の角にちなんでブゥケライスと呼ばれた。そのようにテオーンが『カッリマコスの「諸々の因縁」第1巻(F 42 Pf)の覚え書き』の中で。同様に、セレーノスも『ピローンの「諸都市について」の摘要』の中で、神託を受けたのは〔ポリュボスではなく〕ポリュイドスだと言ってはいるが……。

"3c,790,F".19.
断片19
STEPH. BYZ.「アガテー」の項。
 リギュス人たちないしクレタイ人たちの都市。スキュムノス(206 ff.)によれば、その都市はエウローペーのポーカイア人たちの都市だと謂う……ピローンによれば、他にもリギュスティア湾のほとりにリギュスティア人たちの都市があるという。エウドクソス(V)によれば、それは最初の都市とおそらく同じ都市であるが、重圧をうけている〔=支配されている〕という。民族はアガティノス人である……。

"3c,790,F".20.
断片20
STEPH. BYZ.「アザニア」の項。
 アルカディアの一地方……アザニアは17の都市を擁し、これを抽籤したのがアゼーン。マッサリア(?)にも別の都市〔アザニア〕があると、ピローンが。

"3c,790,F".21.
断片21
STEPH. BYZ.「アテーナイ」の項。
 オーロスによれば5つの都市、ピローンによれば6つの都市〔を擁す〕。

"3c,790,F".22.
断片22
STEPH. BYZ.「アイゲイラ」の項。
 アカイアの都市……ピローンの主張では、アイゲイラはキリキアの都市であるという。

"3c,790,F".23.
断片23
STEPH. BYZ.「ハリカリナッソス」の項。
 カリアの都市……ピローンによれば、イストモスはゼピュリオンとも、ゼピュリアとも呼ばれていたという。

"3c,790,F"."24*".
断片24
STEPH. BYZ.「アロペー」の項。
 テッサリアの都市で、ペレキュデース(3F147)によればケルキュオーンの娘、あるいは、ピローンによれば、アクトールの娘、アロペーにちなむという。〔テッサリアの〕地方のラリッセー・クレマステーとエキノスとの中間にある。アッティケーにもアロペーという都市が2つある。〔アマゾーン族の女王〕ペンテシレイアの出身市であるポントスには3つ。エウボイアには4つ。デルポイには5つ。ロクリスには6つ。

"3c,790,F".25.
断片25
STEPH. BYZ.「アンテイア」の項。
 ペロポンネーソスの、アルゴスに近い都市と、ピローンが。民族はアンテウス人。ポントスにも、トライケー近くにアンテイアという都市がある……この都市には多くの人が言及しているが、ピレアス(V)も〔言及している〕。リビュエーには〔アンテイアという〕村もある。イタリアにも、ローメー近くにある。これがまたアンティオンとも改名されたことは、いずれ述べられるであろう。

"3c,790,F".26.
断片26
STEPH. BYZ.「アンティッサ」の項。
 レスボス島の、シグリオン〔岬〕に隣接するエペクセーの都市。このうえなく異彩を放った竪琴弾きの歌い手アンティッサ人のテルパンドロスの出身市。ピローンの著作においては、マカルの娘アンティッセーにちなむという。キュクラデス群島のひとつにもある。また、インディケーには3つあり、これを書き記しているのが、ピローンと、ミレートス人デーモダマス(428F3)とである。

"3c,790,F".27.
断片27
STEPH. BYZ.「アルグゥラ」の項。
 テッサリアの都市、昔のアルギッサである。エウボイアにもアルグゥラという場所があり、ここでパノプテースがヘルメースに殺されたと思われている。民族はアルグゥライオス人が使われていると、ピローンも。アポッロドーロス(244F154)の主張では……アルゲイオス人と名づけられているという……。

"3c,790,F".28.
断片28
STEPH. BYZ.「アルテミタ」の項。
 テュッレーニアの島、アイタレイン島に近いと、ピローンが。

"3c,790,F".29.
断片29
STEPH. BYZ.「アスピス」の項。
 リビュエーの都市だと、ピローンが。

"3c,790,F".30.
断片30
STEPH. BYZ.「バビュローン」の項。
 ペルシアの都市、母市、セレウケイアと呼ばれる。バビュローンの植民市(kti/sma)。〔バビュローンは〕最知の人で、ベーロスの子、最古の人物である。ヘロドトスが、セミラミスによって〔建設された〕という(1, 184?)のは違う。彼女よりも1、2年古い都市だからである。アイギュプトスにも〔バビュローンという〕都市がある。

"3c,790,F".31.
断片31
STEPH. BYZ.「ボスポロス」の項。
 ピローンによれば、ポントスの、キムメリア湾沿岸の都市、海峡も同名で呼ばれ。イナコスの娘イオーにちなむ。アイスキュロスが『しばられたプロメーテウス』(732/4)に書いているとおりである。

"3c,790,F".32.
断片32
STEPH. BYZ.「ブゥトエー」の項。
 ピローンによれば、イッリュリアの都市で、カドモスが、軛につながれた牛に乗ってイッリュリア人たちのもとへの道中を急いだ〔故事〕による。カドモスは、アイギュプトスのブゥテースにちなんでこの都市を名づけ、くたばったブゥトエーと呼ばれたと人々は〔いう〕。

"3c,790,F".33.
断片33
STEPH. BYZ.「ブゥラ」の項。
 アカイアの都市。女性名詞。クサントスの子イオーンとヘーリケーとの娘ブゥラにちなむ。民族はブゥライオス人。リュコプローン(Al. 591)〔によれば〕、「デュメーは、ブゥライオス人たちの遠征旅行の嚮導者である」。この都市の出身者が、肖像画家のピュテアス。彼の作品は「ペルガモーンの象」で、壁画であると、ピローンが。

"3c,790,F".34.
断片34
STEPH. BYZ.「ゲラサ」の項。
 コイレー・シュリア10市の都市。ここ出身の町衆は、ピローンによれば、弁論家アリストーン、ソフィストのケーリュコス、法律関係の弁論家プラトーン。〔プラトーンは〕教育法はひとつだとしてすべて口授し、弁護におけると陪席にけると主席におけるとを問わず、法のまっすぐさ(o)rqo/thj)〔枉げないこと〕を重視した。

"3c,790,F".35.
断片35
STEPH. BYZ. (plen.)「デュッラキオン」の項。
 イッリュリアの都市、エピダムノスにちなんでエピダムノスと呼ばれていた。これの娘がメリッサ。彼女とポセイドーンとの子がデュッラキオスである。エピダムノスにあるメリッソーニオスという地方は彼女にちなむ。ここでポセイドーンは彼女と交わったと、ピローンが。ストラボーンは第7巻(5,8)の中で主張している。「リゾン湾の次に、リッソス、アクロリッソス、エピダムノスという都市がある。〔エピダムノスは〕ケルキュラ人たちの植民市で、今はデュッラキオンと言われている。〔この都市が〕その上に建設されている半島と同名である。[ピローンによる]。

"3c,790,F".36.
断片36
STEPH. BYZ.「エゲスタ」の項。
 シケリアの都市。ここに温泉があると、ピローンが。トロースの子エゲステースにちなむ。

"3c,790,F".37.
断片37
STEPH. BYZ.「エライア」の項。(SCHOL. EUST. DION. PER. 910):
 ……ポイニキアにもエライアという都市がある。テュロスとシドーンとの中間であると、ピローンが……

"3c,790,F".38.
断片38
STEPH. BYZ.「イオペー」の項。
 ポイニキアの都市、イアムニアの近くだと、ピローンが。ディオニュシオス(Per. 910)によれば、パライスティネーの〔都市〕。というのは、パライスティネーもポイニキアだから。アイオロスの娘イオペーにちなんでそう呼ばれた。ケーペウスの妻。〔ケーペウスは〕植民市建設者にして王支配した — 星にされた。これの妻がカッシエペイアであるというのは、ヘッラス人たちの間違いである — 。アイティオピア人たちがケーペネス人〔といわれるのは〕彼にちなむ。テッサリアにも別の〔イオペーという〕都市がある。

"3c,790,F".39.
断片39
STEPH. BYZ.「キュノス」の項。
 オプゥスの外港だと、ピローンとパウサニアス(10, 1, 2)が。しかしヘカタイオス(1 F 131)は、これ〔=キュノス〕は都市だと主張している。

"3c,790,F".40.
断片40
STEPH. BYZ.「ラムペー」の項。
 クレーテー島の都市……アルゴリスにも〔ラムペーという都市が〕3つあると、ピローンが。

"3c,790,F".41.
断片41
STEPH. BYZ.「ラオディケイア」の項。
 シュリアの都市。昔、「白い岬(Leukh\ a)kth/)」と呼ばれた、その前はラミタと〔呼ばれたところ〕。というのは、ここでひとりの羊飼いが雷に撃たれたとき、「ラマンタス」、すなわち、「高みから神が」と言ったからである。ラマン(r(a/man)とは、高み、アタス(a!qaj)とは神〔という意味〕である。そういうふうにピローンが。

"3c,790,F".42.
断片42
STEPH. BYZ.「マルシュア」の項。
 ポイニキアの都市で、アレクサンドロス(273 F 128)とピローンとによれば、マルシュアス(?)にちなむ。

"3c,790,F".43.
断片43
STEPH. BYZ.「メガレー・ポリス」の項。
 ……イベーリアにもメガレー・ポリス〔大都市〕があると、ピローンが。

"3c,790,F".44.
断片44
STEPH. BYZ.「メテュドリオン」の項。
 アルカディアの都市……テッサリアにも別の〔メテュドリオンという〕都市があると、ピローンが。

"3c,790,F".45.
断片45
STEPH. BYZ.「メリタイア」の項。
 テッサリアの都市。アレクサンドロス『アシアイ』(V)。しかしテオポムポス(115 F 373)は、これはメリテイアだと主張する。市民は、メリタイエウス人。エポロス第30巻(70 F 95)にこうある、「ペライ人たちの僭主たちとメリタイエウス人たちとは、昔、友好的であった」。
 メリテイア。ピローンはそういうふうに書き、上述の都市〔=メリタイア〕と同じ事柄を付言している。民族はメリテウス人(?)。
 メリテー。エーペイロスとイタリアとの中間にある島。ここでは子犬のことをメリタイアと謂う。住民(oi)kh/twr)はメリタイオス人。カルケードーン人たちの植民(a!poikoj)都市もある。また、〔アッティカ10部族のひとつ〕オイネーイス部族に属する〔メリテーという〕区(dh~moj)もある。区民はメリテウス区民。

"3c,790,F".46.
断片46
STEPH. BYZ.「ミュウゥス」の項。
 イオーニアの都市だと、ピローンと、アポッロドーロスが『年代記』第1巻(244 F 1)の中で。

"3c,790,F".47.
断片47
STEPH. BYZ.「オルビア」の項。
 リギュスの都市……ポントスには2つ。ビテュニアには、ニンフオルビアにちなんで3つ。パムピュリアには4つあると、ピローンが。 — しかし、あるのはパムピュリアではなく、ソリュモイ人たちの土地であり、またオルビアではなく、オルバと呼ばれている、市民たちもオルバイオイ人たちとも、オルビオス人とも、オルビア人とも〔呼ばれている〕 — 。イベーリアには5つ。サルドー島には6つ。イッリュリスには7つ。ヘッレースポントスには8つ。キリキアには9つ。

"3c,790,F".48.
断片48
STEPH. BYZ.「テルメーッソス」の項。
 カリアの都市。しかしピローンとストラボーン(14, 3, 4)によれば、リュキアの〔都市〕だという。というのは、ダイダラ山のつぎに、両方の境界にあるからである。

"3c,790,F".49.
断片49
STEPH. BYZ.「ティオス」の項。
 ポントス〔=黒海〕のパプラゴニアの都市。生まれはミレートス人の神官ティオスにちなむと、ピローンが。しかしデーモステネースが『ビテュニア誌』(699 F 9)の中で主張しているところでは、この都市の建設者は、パプラゴニアを攻略したパタロスであり、ゼウス・ティオスを崇拝するところから命名した、という。

"3c,790,F".50.
断片50
STEPH. BYZ.「パパイ」の項。
 メッセーネーの都市で、ここにアパレウスの子ら〔イーダースとリュンケウス〕がいた……ボイオーティアにもパパイがある……クレーテー島には別の〔パパイ〕があり、メッセーネーにある都市〔パパイ〕の植民市だと、ピローンが。

"3c,790,F".51.
断片51
SUDA「ピリスティオーン」の項。
 プルゥサレウス人ないし、ピローンによれば、サルデイス人。喜劇作家。

"3c,790,F"."52a".
断片52a
STEPH. BYZ.「キュルトスKy/rtos」の項。
 アイギュプトスの、内陸にある都市。この都市の出身者が、著名な医師ディオニュシオスである。〔ディオニュシオスは〕祖国にちなんでではなく、身体つきにちなんで、キュルトス〔簗〕Kyrto/jと名づけられた。彼に言及しているのが、ヘレンニオス・ピローン『医師たちについて』である。民族〔名の場合〕のアクセントは、pa/qojと同音で、最後の音節にアクセントがあるが、都市名の〔アクセントは〕、ko/ntoj(?)、po/ntoj〔海〕のように、最後の音節にアクセントがない。〔???〕

"3c,790,F"."52b".
断片52b
SCHOL. OREIBASIOS III p.132 Raeder:「キュルトスKurto\j〔と言われる〕ディオニュシオスの1派」
 ピローンは『叢書の所有について』第9巻の中で、またヘルミッポス(IV)は『尊敬された有名な人たちの教育によって医師となった者たちについて』第5巻の中で、またソーラノスは『医師たちの後継』の中で、こう主張している。Kurto\jは、身体的な弱さゆえのとんがり頭(foco\j)と同様、最後の音節にアクセントがある場合(ocuto/nwj)もあるが、馬(i3ppoj)、塔(pu/rgoj)と同様、最後の音節にアクセントのない場合(baruto/nwj)がある。この場合は、アイギュプトスの内陸の、キュルトスKu/rtojと言われる都市に由来しているからである。あるいは、一部の人たちの主張では、漁をするときの簗(やな)ku/rtojによって魚たちが〔捕らえられる〕ように、反対者たちは彼によって捕らえられるからだという。

"3c,790,F".53.
断片53
STEPH. BYZ.(plen.)「デュッラキオン」の項。
 ……けれども今はデュッラケーノイ人と言われる。というのは、バラグロスも『マケドニア人たち』(773 F 2)の中でそういうふうに主張しているし、……ヘレンニオス・ピローンも、『医者たち』の中でピローニデースのことを次のようにデュッラケーノス人と記載している。「アスクレーピアデースは、シケリア人ティトス・アウピディオス、デュッラケーノス人ピローニデース、アクラガス人ニコーンを聴衆として持った」。そしてさらに、「デュッラケーノス人ピローニデースは、アスクレーピアデースを聴講し、祖国において高名な医者となり、わたしのことを書物に著した」。

断片54〔欠番〕

"3c,790,F".55.
断片55
LYDUS De magistr. 1, 12 p.17, 6 Wu:
 というのは、『絵画』の中で、バッローンと呼び名されるテレンティオス — バッローンというのは、ケルタイ人たちの言葉で男らしい男と同義、ポイニキア語でイウゥダイオス人を意味すると、ヘレンニオスが主張している — が……

"3c,790,F".56.
断片56
EUSTATH. Dion. Per. 752:
 スキュティアの族民プルゥロイ人たちProu~roi〔という語〕は、監視者〔の複数〕(prouroi/)とは反対に、最後の音節にアクセントがない。最後の音節にアクセントがあれば、守護者を表す。しかしプリュノイ人たちPru~noi〔という語〕は、その動物と同じに書く。というのは、プリュノイ(pru~noi)〔ヒキガエル〕とは、ピローンも書いているように、カエルのことだからである。

"3c,790,F".57.
断片57
EUSTATH. Hom. Il. L 430 p.855, 4:
 寓話(ai}noj)と諺(paroimi/a)とは異なる。例えば、寓話とは、神話的物語(lo/gos muqiko\j)であり、言葉なき動物や植物によって、人間たちに対する勧告を生み出すものであると、タッライオス人ルゥキッロス(IV)が『諺』の第1巻で主張している。「言葉なき〔動物〕によって」とは、例えばアルキロコスの作品(F 89 D)〔Perry223「産の軽さを競う豚と犬」〕や……またヘーシオドス(Opp. 202)〔Perry1「鷲と狐」〕……のごとくである。また「植物によって」とは、例えばカッリマコス(F 194, 6 Pf)〔Perry213「石榴と林檎と茨」あるいはPerry439「月桂樹とオリーブ」〕のごとくであるが……寓話は敷衍された諺である。このこともそういうふうに、ヘレンニオス・ピローンの〔著作の〕なかでそういうふうに明確に展開されている。

//END
2004.12.16. 訳了


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