ルネサンス期博物学の金字塔ともいうべきゲスナー(Konrad von Gesner, 1516-65)の『動物誌』第1巻「胎生四足動物」が刊行されたのは、1551年であった。以下、第2巻「卵生四足動物」(1554年)、第3巻「鳥類」(1555年)、第4巻「魚類および水生動物」(1558年)と続いたが、第5巻「ヘビ類誌」は、ゲスナーの死後かなりたってから、彼の遺稿にもとづいて刊行された(1587年)。 ゲスナーは、第6巻として「昆虫誌」も準備していたが、この原稿は彼の死後、何人かの手を転々と渡りながら追加・補充され、最終的にはイギリスの医師トマス・ムフェット(Thomas Mouffet[or Moffett]、1553-1604)の名のもとに"The History of Four-Footed Beasts and Serpents and Insects"の第3巻"The Theater of Insects"として、1634年にロンドンで刊行された。そして、トップセル(Edward Topsell、1572-1623)による補完英訳版が出たのが、1658年であった(以上、西村三郎『文明のなかの博物学』上、p.307-308 による) 蝉については、これの第17章に記載されているが、ここでわたしたちは、はっきりと、"grasshopper"がtettix/cicada の訳語として使用されていることを知ることができるのである。 第17章 Grashopper類とKricket類 鳴き声をたてるすべての昆虫のなかで、Grashopperはその首位を競っているが、それは至極尤もなことでもある。なぜなら、暑い日のさなか、彼〔=Grashopper〕はこのうえなく甲高い、音楽的な音曲を奏で、しかも、草や樹木に何ら害することもなく、露によって生きながらえているからである。ギリシア語では、さまざまな名前を有しているが、それぞれの地方によっていろいろで、一般的には、普通の名前でtettixと呼ばれ、エレア人たちには、babakos;シデ人たちには、zeigar;クレタ人たちには、(Bellonius〔?〕の言では)sympho?gon(?);スーダの国人たちには、露を飲んで生きているところから、erseと呼ばれる。人々はまた、その性・年齢・大きさ・歌声に応じて、これにさまざまな名称・呼称をつけている。例えば、雌はまったく歌うことをしないが、これをアイリアノスはkerkopeと呼ぶ;ステパノスは、kalamaia〔と呼び〕?、これは歌わない;エウスタティオスは、これはGrashopperではなく、それに似た別種類の生き物だと考えている〔「イリアス註解」第4巻663〕。だから、アテナイオス〔『食卓の賢人たち』〕10第4巻〔133b〕は、スペウシッポスを引いて、(gr)kerkopeはtettixやtrygonionに似ている(/gr)、Grashopperや小雉鳩と呼ばれる小鳥に似ているという。たしかに、アテナイオスによって引用されたアレクシスの『トラソン』の中のリアの科白〔『食卓の賢人たち』第4巻133b〕はCercopaは音声を有していたということ、ならびに、CicadaつまりGrashopperとは異なる種類に属していたということ、この二つに同じという有力な根拠を提示している(わたしは雌のCercopeが、カケス?(Pye)だろうが、ナイチンゲールだろうが、Grashopperだろうが、これの雄〔と番うの〕を見たことがない)。ただし、ギリシア人たちは雄雌つがいの雉鳩をよく自分たちの〔家の?〕窪みの中で飼っていたが、そのような場合には、雄のGrashopperと雌のCercopaも、同じようにいっしょにつるむと言ってよかろう;というのは、彼らはそれ〔雉鳩?〕を歌わせるために、カケスや燕といっしょに飼っていたが、それらがお互いに睦み合い、たわむれ、快さそうに愉しんでいるのを目撃できたからである。かてて加えて、アテナイオスはこれを"lalisteran"〔133c〕、つまり、もっとおしゃべりな〔女〕と呼んだ;歌い、鳴き声をたてることを、彼〔アテナイオス〕は、雄の仕事に帰するどころか、逆に、もっぱら雌の習性に〔帰した〕のである。 Grashopperは、大きくなるとtettixと呼ばれるが、若くて弱々しいときは、ヘシュキオスの観察によれば、kikkosないしkillosと呼ばれる。小さなGrashopper類(これをガザはCicadastrasと呼び、われわれはCicadulasと〔呼ぶ〕)を、ギリシア人はkalamidaiとかkerynetaiと呼ぶが、その意味するところは、ステパノスに見過ごされたのではないかと思う。kalamaionという語は、名詞になると、全体のなかで最小のGrashopperを意味するとは、エウスタティウスの証言するところである〔『ホメロス「イリアス」注解』第1巻 623〕。またtettigoniaも、小さなGrashopperを意味することは、Caelius〔?〕の書でわれわれの眼にするところであるが、エウスタティウスなら、これを他の種類の生き物の中に入れるに違いないにもかかわらず、Grashopperに似ていて、他の箇所では、彼はこれをGrashopper類の雌と呼んでいるほどである。ディオニュシオスなら、彼らが音声を立てることを、tettizeinというギリシア語でそれをそう呼ぶに違いない。彼らのうち、さらに声が大きく騒々しく、Enceladiと呼ばれるのが、Achetai、あるいは雄で、じっさいすこぶる快い音楽的な鳴き音をたてる。他の無音で、もっと野性的なのは、沈黙しているところから、Sigalphiと呼ばれるが、これはAcanthiiも同様である。アラビア語では、Gitnoleとか、Cicuale、Vulderetriche、そしてRobicheである。Silvat[?] Cicaraは、ラテン語の卑語ないしは、転訛したスペイン語である。イタリア語ではLigallo、Cicara、そうでなければLazenzalaである;スペイン語ではCignatregasとCigarre;ドイツとイングランドには、何らかのGrashopper類が生息しているとは聞かないが、 もしいたら、どちらの国でもBow-kricketsとかBaulm Kricketsと呼ばれるはずである;フランドルでは、Feildtdresin;ワロン人のいう(わたしに誤りがなければ)Straffen;ポロニア〔=ポーランド〕では、Konick、Zyemuyco、Spiewa。時として、Kricket類とGrashopper類の名称は混同して用いられるが、Kricketは羽根のないGrashopperだなどと言わないかぎりは、〔混同されることは〕あり得ない。ラテン〔古代ローマ〕人たちは、語源探しをする人たちの一部が固執するところでは、Cicadaという語の由来を、"quasi cito cadens"、(すなわち)速やかなる死滅に求める。そしてこれはじっさい、アリストテレスがこれに与えた形容語(gr)夭逝するtettix(okymoros tettix)(/gr)、早死にするGrashopperにほかならず〔出典不明〕、じっさいそういうふうに見えるのはたしかである。 Grashopper類のうち、何種類かのものはありふれたものであるが、他は希少種である。ありふれた普通の種類は、大きな頭部を有しているが、〔その頭部は〕下方に傾き、五角形の形をしているが、不等な辺によって限られている;色は黒味がかった緑色をしており、両側に二つの瘤ないし突起を有し、〔この突起は〕同じ色をしているが、形は卵形で、暗い色をした縁に囲まれており、一本の線ないし条〔すじ〕が同じように走っていて、〔突起と〕突起の真ん中で〔二つに〕区切っている、つまり、真っ黒な色をしたiotaという文字が、頭部をちょうど真ん中で分けているのである;両眼はいくぶん暗い緑色で、飛び出しており、図体のでかさに比べると大きい;だから、ニギディウスは(彼ら〔=Grashopper類〕は眼というものを持たないと主張する)、彼ら〔=Grashopper類〕を見たことがないのではと怪しむほどである。しかし、アリストテレスが言うとおり〔『動物誌』第5巻30章〕、たしかに彼らの闘争心はすこぶる鈍い。例えば、指を曲げて、これを後ろから彼らの眼の方に向けても、逃げるよりはむしろ近づいてきて、すぐに手の上にとまろうとするであろう。指の陰のせいでそちらへと引かれるからである;頭部、あるいは、むしろ顔は上向いていて、薄緑色ないしは白色に見える。 Grashopperは昆虫の中で唯一、口というものを持たない種類の生き物であるが、栄養補給は他の方法で、つまり、簡単でしっかりした長いものによって行う。これは口吻(promuscis)のように口と舌の代わりをするが、形は管や樋のように丸くて中空になっていて、たいていは〔胸の〕内側にしまわれているが、これに直交する10本の条〔すじ〕をもっている。これで露を、つまり、それにとっての唯一の栄養を吸うのであるが、このことはこれに特有のことで、ウェルギリウスの言うとおり、(lat)Cicadaたちはしばし露で生く(Pascuntur dum rore Cicadae)(/lat)のである:アテナイオスの書において、この問題が議論されたときも、結局、水だけで生命を維持することができる、なぜなら、水だけでGrashopperは生きられるのだから、という結論に達したのである〔出典箇所不明〕。だから、他の箇所で、ある食客の発言を彼が繰り返しているのも、このためである。 (gr)わしはtettixでなし、蝸牛でもなし(/gr)〔第2巻63a〕、すなわち、わしは露で生きられるようなものでなし、草で生きられるようなものでもない。テオクリトスのそれ〔=発言〕もこれとすこぶるよく似ている。「彼はGrashopperのように露で生きるのか?」〔『田園詩』第4巻16〕。だから、広く受け容れられているあのイソップ寓話 Grashopper類が蟻から食べ物を乞うたという話は除外しよう、というのは、われわれはプラトンから学び知っているからである、Grashopper類はアポロンに捧げられており、芸神たちはこれに歌うだけで生きていられるというこの恵みを与えたのであるということを、そこでは露の言及さえないのである〔『パイドロス』〕。また、われわれはツェツェスの、言及にも価しないようなあの作り話は無視しよう。Grashopper類はいつも種々さまざまな食べ物をとると彼は 報告しているのであるが。Antonius Altomarinus〔?〕の書『マナについて』の中で報告されているのは、Grashopper類は、われわれがマナ(Manna)と呼ぶ西洋トネリコや、あるいは主として楡の樹皮や葉っぱから樹液を吸うということであるが、しかしもっとそれらしいのは、草から吸い取るか、あるいは、蝶々がするように、その中から吸い取るということである。その理由は二つ、彼らはいつも体内が空っぽであるということと、彼らは何らかのものを排泄するとは考えられていないということである。ただし、普通より多少多くの露をとったときは、余分を体内から放出することは、百姓たちが観察しているとおりである。 身体はしっかり頭部につながっており、〔これをつなげる〕頸部はすこぶる短いか、あるいはむしろ、じつのところまったくないかであり、両肩のところには、緑と黒の斑点がある。胸は白に近い明るい緑色をしており、そこから両側にそれぞれ3本の韮色をした足とshank〔脛?〕が出ている;大きな腹部は、長さ2指、幅1指;腹部の内部は、先の尖った標的に似ていて、これを取り巻く縁は、12ないし13の継ぎ目を保有している;内側に、腹部と同じ色をした刻み目のようなものが見える;雄は尾の終わり(つまり、最小の二つ)が尖っている;他方、雌は、もとのままである;彼らの背中は黒味がかっていて、これと直交する7ないし8本の緑色をした線ないし刻み目をもっている;羽根はすこぶる珍しいもので、銀色をしていて、すこぶるきれいな暗い斑点ないし紋様が描かれている。外羽根は内羽根の2倍あり、もっと多彩である:暗褐色が見られるのは稀で、これはかのすこぶる勤勉な外科医Ludovicus Armacus〔?〕が、ギアナから持ち帰って、Pennius〔?〕に与えたものである:また希代の画家White氏〔?〕も、ヴァージニアから持ち帰った別の種類を彼に与えたが、こちらは全身が灰色で(ギリシア人たちがterphio?と呼ぶ種かも知れない)、体型は前者に似ており、どちらも銀色をした羽根を持っているが、斑点はまったくなく、前者は緑色の個体であった。生け垣の中に生息する種は、もっとも緑色がかっていて大きく、オート麦や小麦や草叢の中にいるものは、生息する場所によってさまざまな色をしているが、他のものとそれほど違わない。 ところが、彼ら〔=Grashopper類〕の本性と境遇を、人間と比べてみると、彼らはわれわれの奴隷でありながら、徳の点では自分たちの支配者・主人を凌駕している;われわれに作法を教えることさえできるのである。例えば、彼らはいかなる生き物をも害したり侮辱したりしないという、社交におけるあの無害さを垂範する;ところがわれわれときたら、物事の義しい使い方を誤り、心の中で自分の両親をさえ侮辱するのを、見い出すことしばしばなのである。いかなる客が、Grashopperの節食に満足するであろうか;あの単純で、みすぼらしく、質素な 変化に富んだ皿料理とか、菓子とか、珍しい混ぜ物とかを含まない食事に? 然り、好奇心がひとの心を奪う愚かさたるや、自然に反した肉や、これにつけられる果物、葉物、香辛料、酒類が整えられないかぎり、人々はおのが食欲を満たすことができないほど、換言すれば、味覚があまりに悪く、自分たちの祖先の清潔で健全な節食に胸のむかつきを覚えるほどなのである。彼らGrashopper類はわずかな露で乾きをいやすことができる:われわれは色とりどりの混ぜ合わせによって、それをやわらげるよりはむしろ呼び起こし、増大させる。彼らは叢林の中で大地に近く生きている(そこの方がよく歌う)にもかかわらず、快適な生活を過ごしている、そして、高みにとまっての鳴き声で、おのが境遇の低さを易々と堪えしのぶ。しかるにわれわれ人間は、高い地位から放り出されれば、たちまちに絶望して、運命の女神の輪の回転するたびに、恐れおののくのである。 Grashopper類は、朝から晩まで、休むことなく、すこぶる快く甘く歌い続ける;ところが、多くの伝道者たちが伝道するのは、申し分なくでもなく、しばしばでもなく、1年を通じてわずかに4回にすぎない:俗物に成り果てたことを彼らが心底恥じることができるとしたら、それは、おのれらの勤めぶりを野の音楽家に思い知らされてであろう。後者〔=Grashopper類〕は、その腹部をこするなりくすぐるなりしてやると、(作品をほめられた詩人たちと同様)さらに高い声で歌う;しかるに前者〔=伝道者たち〕は、可能なかぎり公平に後者のことを話し、然り、贈り物をもって〔歌うよう〕懇請しさえするのに、やはり、(マルティアリスの『アルゴ号の船員たち』のように)セイレンたちに気遣いもせず、眼をあげて祈ることもしない。さらに後者は、みながいっしょに一つに調子を合わせ、自分たちのことについては互いに助けあう。しかしこの者たちが、競争を見せびらかせたり、論争を生むことにすっかり没頭していなければよいのだが……、そうすれば、羊毛や亜麻や、姿や形、儀式、などといった上品なことについて、下品に見苦しく言い争うこともなかろうから。彼らに関するテオクリトスの格言は真実である、いわく、(gr)tettixはtettixの友である(gr)、Grashopper類はお互いに友である〔『田園詩』第9巻31〕;しかるに、人間は人間にとって神であるべきであるにもかかわらず、むしろ狼や悪魔であることを証示し、人間の自然本性をかなぐり捨てて、自分自身の慈悲心を引き裂くのである。 Grashopper類のうち、雌は鳴かない;雄はある意味で色事を嫌い、雌の盛んな挑発がなけれな、それに引きずられることはない。ところがわれわれ人間の女ときたら、男たちよりもはるかに多くの舌を持っている;男もまた女よりもより好色な振る舞いにおよぶ。さらに付け加えることは何か。Grashopper類は、他のあらゆる昆虫の中で、情熱がないように見えるのであるが、しかし、われわれの心の動揺はわれわれを真っ逆さまにし、あらゆる恐れを引き起こす、然り、われわれのように怒りにいきりたち、悲しみ沈み、羨望や嫉妬に燃え上がるというようなことが、まったくないのである。 さて、Grashopper類がかなでる音楽についていえば、他のどんな昆虫のなかにも、これに似たものはおらず、あまりに甘いため、古代人たちの間では、それは竪琴の音にたとえられたと、ポルクスが書いている、それゆえ、 ルクレティウスは、Grashopper類をTeretesと呼ぶことができたのである。嘲笑詩人ティモンがプラトンの雄弁を称えようとしたとき、それを彼はGrashopper類の音楽とくらべた:その文言はこうである:プラトンの「歌の甘きこと、げにGrashopper類に同じ」。彼らは暑い日のさなかに、刈り入れする者たちが仕事を放り出すような時でさえ、これら精勤な詠唱者たちは樹々に登り、そこで働く者や道行く人の耳を、旋律のあるその鳴き声で満たす。音楽は萎えた心や疲れた脳にとって一種の快復剤にして娯楽であるから、Grashopper類の変わらぬ声音と声楽、そして歌うことにかけてのその熱心さは、あたかも拍車のごとく、人々をして労働に堪えさせ、果実の取り入れをする者たちを励ますばかりでなく、その仕事に引き止めておくのである。 二人の竪琴奏者 ロクリスのエウノモスとレギオンのアリストとの競演にさいして、エウノモスが優勝したが、その理由は、Grashopperが彼の竪琴のところに飛んできて、その上にとまり、切れた弦の代わりを務めたからであった:アンティゴノスの『奇談集(Mirabilium narrt.)』 第1章、および、ストラボン『世界地誌』第6巻〔第1章 第4節9〕を見よ。この競争についてはソリヌスも言及している:たしかに古代人たちは、Grashopperを音楽の意に解し、それゆえ、芸神のよく知られた絵文字として、エウノモスの竪琴の上にとまっているGrashopperを絵に描いたことは、ストラボン〔第6巻 第1章 9〕、Phlegeton〔?〕、そしてパウサニアスがわれわれに教えてくれるとおりである。 アテナイ人たちにとって、それは由緒の古さと高貴さとの象徴であり、だから(現在、スペイン人たちが金羊毛勲爵士章〔Golden Fleece〕を身につけるように)、彼らは黄金のGrashopperを髪飾りにする、ここから彼らは「tettixを身につけた人たち(tettigo-phoroi)」と呼ばれた。詞華集の作者は、その第3巻の中でさらにこう言った 古代人たちがGrashopper類を崇拝する程度たるや、彼らはラコニア地方のタイナロン岬にそのための記念碑をつくり、そこにGrashopperをたたえてすこぶる優雅な哀歌を刻み込んだほどである;これ〔Grashopper崇拝〕についてはホーロス・アポッローンの『神聖文字法(Hieroglyphica)』第2巻〔55〕が記録している。一言でいえば、Grashopperの音楽を耳障りで不快とみなしうるような者は一人もおらず、心にせよ身体にせよ、ゆったりくつろぐことがないとか、したがってまた、音楽の競演でまともな判定はあり得ないとみなしうるような者もいないのである。ギリシア人たちが彼らに対してもった評価たるや、彼らによって耳を楽しませるために籠にいれて飼ったほどである。
さて、何ごとかを付け加えなければならないとすれば、いかにして彼らが鳴き声を出すのかという、その仕方に関してであり、それに次いで、その発生と死に話を進めよう。彼らが立てる甲高く騒々しい鳴き声の原因は、各人各様に考えている。 Fierius〔?〕の考えでは、発声は鼻すなわち口吻(promuscis)の中でおこなわれるという:後継者プロクロスは、羽根をこすりあわせることで、(gr)tettixは、羽根を互いにこすりあわせ、そうやって音を発することによって歌う(/gr)、すなわち、「Grashopperが歌うのは、羽根をしきりにこすり合わせ、そうやって鳴き声をたてる」。ヘシオドスも同じことを考えている。しかし、彼らが歌うのは、口を使ってでないことは、誰でもが知っており、バッタと違って、羽根をこすり合わせてでもなく、一対の扇?(flabell)(腹部にくっついた後ろの腿筋を隠している二つの覆いがそう呼ばれる)の下にある小さな皮膜の反響によってであるか、あるいは、アリストテレス〔『動物誌』第4巻 第7章 532b、同 第9章 535bなど〕が少し記述しているようにしてである。これ〔=扇(flabell)〕が音をたてるのは、横隔膜の下にある皮膜を空気が打つからである;というのは、そうやってそれがふくらんだりもとにもどったりして、上下運動を強制されると、そこに甲高い音を発するが、それは、子どもたちが葦笛や麦笛で音を出すのと同じであって、〔葦笛や麦笛も〕薄い皮をもっていて、押し下げられると、振動し、緊張して、音を出すのである。そしてこれこそが、雌のGrashopper類がまったく歌わない理由であって、雌は腿筋と腿筋とのあいだの隔たり 雄にあってはここに薄い皮膜ができ、これが音を発する が足りないのである。他の人たちは、雌は雄よりもはるかに体温が低いとみなし、これを雌が鳴かない原因としている。しかし、宦官、老男、老女のたてる騒音は最多であって、もっと体温の高い若者よりも〔その音は〕大きいのであるからして、体温の低さが原因ではあり得ない。かてて加えて、(ヒポクラテスの考えに立てば)女は男よりも体温が高い;たとえそうでないとしても、知っておくべきは、雌のGrashopper類は雄よりも体温が高いということである。なぜなら、雌は横隔膜のところで分かれていないが、雄はそこのところで〔わかれている〕(そのため、皮膜を隠すことがほとんどできない)簡単に吹き抜けるからである。たしかに自然は、これらGrashopper類の雌に声を拒否することで、人間の女たちに次の教訓を垂れようとしたのだ;(gr)沈黙は女にいかほどの飾りをもたらすことか(/gr)、「沈黙は女性にどれほどの飾りをもたらすことか」。 彼ら〔Grashopper類〕は晩春の終わりごろ、太陽が子午線を通過すると、真っ先に鳴き始めるが、たまさかもっと暑い地方では、もっと早い。生け垣や茂みがより稀なところこそ、彼らはより幸せに生き、より悦んで歌う。というのは、あらゆる生き物の中で、彼らは最も憂いなく、このゆえに、彼らの好むのは、緑の心地よい場所だけでなく、広々として開けた野原なのである。然り、彼らは樹木のまったくないようなところにも、また、あまりに多すぎて暗いようなところにも生息しないのである。ここからして、アリストテレスの言ったことだが、野原のまったくないキュレネにはGrashopper類が生息しないが、町の近くではよく聞かれるというようなことが起こるのである〔『動物誌』第5巻 30章〕。また、彼らは寒冷地を避け、じっさいのところ、そこでは生きてゆけない。彼らはオリーヴ樹を好むが、それは、枝はまばら、葉は細くて、そのため影が薄いからである。 コウノトリもそうだが、彼らが生息地を変えることはないか、あるいは、少なくともすこぶる稀である;そんなことをすれば、その後ずっと鳴かない、もはや歌わないのである;生まれた地に対する彼らの愛好は、それほどまでに彼らにとって圧倒的なのである。 ミレトス地方では(プリニウスの言であるが)彼らが眼にされることはめったにない。ケパラニア島には河が流れており、その一方の岸には多数生息するが、他方の岸には、どうやら、まったくいない:原因として挙げられるのは、樹木がないからか、あるいはあり過ぎるからか、さもなければ、土壌に対するある種自然な反感のせいであろう;島というものは、何らかの有毒な生き物を発生も繁殖もさせないからである:それは、彼らがナポリ王国を気に入らないのと同じ理由による;なるほど、ニポスは、一人のマロ家の人物〔=ウェルギリウス〕に遠慮しているのだと述べているけれども。シケリアの歴史を書いたティマイオスの報告によれば、ロクリス地方〔これはイタリア半島南端〕では、ハレクス(Helicis)河のこちら側〔ロクリス地方〕では吃驚するぐらい声が大きい;対岸の、レギオン市の方には、耳にできるようなものはひとつもいない:彼らが鳴かないのは、ソリヌスが伝説として伝えているように、ヘラクレスが眠りを邪魔しないよう彼らに頼んだからではなく、彼らが大いに陽気で、家郷で満ち足りているからである;それは雄鶏と同じようなものである:ロクリスのGrashopper類はレギオンでは歌おうとせず、逆に後者もロクリスの近辺では歌おうとしないということがあるからである;しかも、両地方の間には、石を投げれば届かせられるほどの小さな河が流れているにすぎない。彼らの国土(この中にはすべての愛も含まれるであろう)が彼らを動かせているというのは、大いにたしかである:ここでは、ユダヤの民のように、土着の歌を異国で歌うというを拒むのである;自分たち自身の習慣から切り離された者は、生きる手だてよりはむしろ死ぬ方法を探す;だから彼らは自分たちの短い生命を惜し気もなく費やしているように見え、自分たちの本来の住処に焦がれるのである。 彼らは人間とのつきあいが大層好きで、野原が草刈りや取り入れの人たちで、道路が道行く人たちで満たされるのを見なければ、彼らの歌声はすこぶる低く、たまにしか歌わず、自分たちだけなら沈黙している。しかし、刈り手たちがはしゃぎ、しゃべり、歌うのをひとたび耳にするや(それは、ふつう、昼間であるが)、その時は大きな声で歌う。あたかも、誰が声高に歌えるかを、相手と競い合うかのように。そんなわけで、アテナイオスの中で食客がtettixと呼ばれた〔133b〕のは分不相応ということはない、〔食客は〕もともとは遠慮がちな(obstemious)ものではあるが、やがては饒舌に満ち満ち、あたかも、食卓では、自分以外の者には誰も耳を傾けないようにと張り合っているかのようなものだからである。ソクラテスは、その『パイドロス』の中で、Grashopper類の歴史についてすこぶる気のきいた話をしている。Grashopper類がばかにしないよう、ひとは暑い日のさなかでも眠ってはならないと注意をしてである。というのは、Grashopper類は、芸神たちが生まれるまえの人たちであった;そして芸神たちが生まれたのち、〔芸神たちは〕彼らに歌うことを教えた;しかし何人かのものたちは、音楽と歌とを歓ぶあまりに、あさはかにもみな飲み食いを拒み、死んでしまった;後にGrashopperに生まれ変わった彼らに、芸神たちは、暑い日のさなかでも、飲み食いもせず、血や水分を何ら必要とせずに生きてゆけることを恩恵として与えたと言い伝えられている。〔『パイドロス』259b-d〕 [交尾と生殖] 交尾と生殖は、アリストテレスがわたしたちに告げているように、同じ種類の生き物と行い、雄が精子を雌のなかに放出し、そこで雌がそれを受け容れる;雌は休耕地に〔卵を〕産みつけるが、そのさい、尾のところにある鋭く尖った管でそこに孔を掘るのは、Bruchus〔バッタの1種〕と同じで、だからキュレネには非常に沢山のGrashopper類がいるのである。また、葡萄の蔓が支柱とする葦の中にも、卵の場所の孔をうがつ;時には、スキラという草の茎にも産卵するが、この幼虫は間もなく地面に降りてくる。 これも注目に価することだが、Hugo Solerius〔〕がAetius〔〕を詳述して言明しているところでは、Grashopper類は産卵すると同時に死ぬのだが、産卵の最中に、雌の空室(ventricle)はばらばらにこわれるという(このことは、この書にすっかり騙された一部の人たちが、蝮について報告しているところである)が、これはわたしのとりわけ驚き怪しむ点である。なぜなら、彼らは白い卵をうむだけで、証拠不充分でないかぎりは、(野ネズミとは異なりって)生体を生みつけるわけではないからだ:この卵からは小さな蛆むが発生し、これからは蝶々の蛹(Aurelia)に似た生き物が発生するが、これが(gr)tettixの母(Tettigometra)(/gr)と呼ばれるものである、(食するにすこぶる美味しいのは、殻が破れる前である)、後に、夏至のころ、夜の間に、その母体(matrix)から現れるのが、Grashopper類である;皆がみな黒色で、堅く、いくぶん大きめである。こうやって現れ出るや、生け垣があれば、そちらの方向にそそくさと急ぐ;穀物のなかで暮らすものは、行ってその上にとまるが、離れるさいに、わずかの水分のようなものを後に残す;彼らは飛び立つことができるようになると、間もなく、歌い始める。だから、母親の子宮を破って生まれ出るというSoleriusがこしらえた話は、母体(matrix)のことだとわたしは解している。 ある女性が何匹かの若いGrashopperを、自分の楽しみとその音楽を聞くために育てていた;これが、アリストテレス『動物誌』第1巻〔出典不明〕を信ずるなら、雄の助けなしに子を孕んだというのだが、彼は、Grashopperの雌はすべて生まれつき鳴かないと言っていたのであるから、この自然受胎は真実からはほど遠く、その女性がアリストテレスを騙したか、彼がわれわれを騙したかである。 Grashopper類には他の種類の生殖法があることを、わたしたちは本で読んで知っている。というのは、然るべきときにも土が掘り返されなければ、それはGrashopper類を発生させると、パラケルススが言っており、その前にはヘシュキオスも〔言っているからである〕。この原因は、プラトンが、Grashopper類は大地から生まれた往古の人間であり、芸神たちの愛顧によって、音楽好きな生き物つまりGrashopperに変えられた、と言ったことにある。今日も、彼らの生命は露以外の食べ物によっては支えられておらず、続けざまに歌うことでみずからを養って生きているのである。アテナイ人たちがTettigo-phori〔蝉持ち〕と呼ばれた所以は、髪飾りに黄金のGrashopper類を身につけていたからであるが、それはまた高貴さと由緒の古さとの徴でもあった;トュキュディデスの『歴史』第1巻〔第6章〕、ポントスのヘラクレイデスの『de priscis Atheniensibus』が証言しているとおりである。エリュテウス〔〕は、この習慣の根拠を、アテナイ人たちの共和国を最初に統治した者たちが、伝説にあるとおり、大地から生まれたというところに求めている。プラトンの判断でもそうで、土着民は(gr)地生えのものたち(autochthones)(/gr)、すなわち、「大地より生まれた者たち」である。後には、アテナイ人にほかならないという習慣になり、この地に生まれた者は、Grashopperを髪につけた:この見解はアリストパネスがとり〔『雲』984〕、彼の註釈家も同様である。 イシドルスは、アワフキムシ(Cuckow-spittle)はGrashopperを生殖すると言ったが、これは真実ではなく、小さなバッタ類(small Locusts)を生むのだということは明らかである。ルクレティウスはその第4巻の中で、Grashopperは夏その皮をかえると言ったが、その詩行は次のとおりである: 交尾の前には雄がより美味になるが、雌が〔交尾の〕後であるのは、口当たりのすこぶるよい白い卵を孕んでいるからである。プリニウスの書によれば、パルティア人たちや、その他東方の民族はこれを食すると言う。それは栄養のためばかりでなく、静脈放血や、減退した食欲の増進のためだと、アテナイオスがその第4巻〔133b〕で、 またNatalis Comes〔〕もはっきりと言明している。だからアリストパネスも、その『アナギュロス』の中でテオクリトスを引いて、神々は癇癪や激情のあまりに食欲を失った時には、Grashopper類を食すると書いている〔断片51〕。わたしは見たことがあるが、アイリアノス第12巻 第6章は言っている Grashopper類をいっしょに紐にくくって、喰うために人々に、すなわち、どんな生き物でも喰らう最高の大食漢たちに売りつけていた連中は、いかなるものもその絶妙の美味さに欠けるところがないにしても、やはり最も粗末なものを売り付けていたのである。 [医術におけるその利用] ディオスコリデスは、炒めた?Grashopper類を食するよう与え、これは水泡の病気にすこぶるよく効くと言った。一部の人たちは、ガレノスの言によれば、乾燥させたGrashopperを疝痛に用いる;彼らは、3とか5とか7といった数にしたがって胡椒の?粒を与えるが、発症したときと同じく速やかに痛みが引く。Trallianus〔〕は結石にこれ 乾燥させ、打ちのめし、羽根や足は最初に取り除いたの を与えるよう言いつけている。 甘いぶどう酒やヒポクラス(Hippocrass)といっしょに浴槽の中に入れよ、と。Aegineta〔〕は、腎臓(reins)の結石には乾燥させたのを使用し、腎臓の病気にはDiatettigonと呼ばれる混合物を案出した。他には解毒剤のように処方したのがMyrepsus〔〕であったが、頭部や足は余分な器官として捨て去った。Luminaris〔〕は、この種の舐剤をNicolaus〔〕の書から転写している。〔それによると〕Grashopper類をつかまえて、その頭部と脚部は捨て去ったもの2オンス、Grommel〔ベンケイソウ?〕とユキノシタ各1オンス:コショウ、ゲットウ〔Galanga〕、肉桂2ドラム〔1/8薬用オンス〕、グアヤック樹(Lignum Aloes)1/2ドラム;蜂蜜たっぷり。Nicolausは、火に炙って粉末にして、蜂蜜と混ぜたGrashopper類を使用し、マメの大きさぐらいを多量のぶどう酒の中に入れて与えた。ある人たちは、カンタリスの代わりにGrashopper類を催尿剤に使用したが、わたしの判断では、それほど大した理由もなしにというわけではなかった;というのは、それは使っても危険は少なく、精力減退にと同様、この病気にも速やかに効いたからである。医術師Nonus〔〕はGrashopper類の解毒剤を処方し、またXenophyllum〔〕は、腎臓(kidneys)の結石に〔処方した〕。アレタイオスは水泡の治療に使って、Grashopper類について次のように言う;「水泡に対する最善の治療は、その時に食べるようGrashopperが与えられることである(アリストテレスの書に見えるところでは、雄は交尾前に、しかし交尾後は雌を)。しかし盛りをすぎたら、乾燥させ粉末にしたのを」;これと少量の麦穂とを水で煮る:水泡の苦痛をやわらげるために患者を風呂と同じように座らせる。われわれの同世代の開業医たちの一部は、Grashopper類を油につけ、これを日にさらし、サソリの油と混ぜて、男女の陰部や、睾丸や、水泡の痛みをともなう患部に塗布した。アルノルドゥスは、『聖務日課書(Breviarium)』第1巻の20章と32章で、Grashopper類の粉末を、疝痛、腸管熱、したがってまた結石の除去に勧めている;Grashopper半匹を粉末にして山羊の血、あるいは、排尿促進効果のある ぶどう酒といっしょに飲めばであるが。Lansramus〔?〕は、Grashopper類の灰を、二十日ダイコンの水、あるいは、ひよこマメの煎じ汁といっしょにとることを、結石破砕に高く評価している。だから、無精で怠惰な少年たちに、それを追い掛けさせるのである:テオクリトスは、その『田園詩』第1巻の中でそれを次のように語っている。 彼は麦の細い穂を籐に結びつけてむちをつくり 彼ら〔Grashopper類〕は食べ物としてもすぐれているばかりでなく、医術的にも人間にとってすこぶる有用であるばかりでなく、小鳥たちの餌にもなり、これの罠に使われる。例えば、クレタ島の若者は(Bellonius〔?〕の証言によれば)Grashopperの体内に針を隠し込み、これを糸に結んで、空中に投げ上げる;これをハチクイ鳥(Merops)が見て、つかまえ、飲み込む;子どもたちはそれと悟るや、これを手繰り寄せる;この空中鳥刺しは、益や楽しみがないかぎり実践されることはない。 春の終わりに多数見かけられるGrashopper類は、健康に悪い年が来るかどうかを予告するが、それは、彼ら自身が腐敗の原因になるということではなく、彼らがかくも多く現れたら、腐敗の生じる事件が多数起こるということを示すにすぎない。彼らが出現して歌うことは、しばしば、事態をいい方向へ持ってゆく:だからテオクリトスは〔言う〕、(gr)tettixまでがこのようにおしゃべりする(/gr)と〔出所不明〕。ニポスは言った、 彼らがほとんどわずかしか眼にされないような年は、食糧の高騰と、それ以外はあらゆる物の減少の前兆である、と。ところが、To. Langius(学識豊かで博識な哲学者にして有名な医術師)は、『書簡集』第2巻で言った、 Grashopper類は、ドイツではバッタと同じく穀物を食べる;Stumsius〔?〕は言う、 ヘルヴェティア〔=スイス〕でもそうだ:Lycosthenes〔?〕の『lib. prodig. 』と、ギリシアの詞華も言明する、 彼らは果実を食い、草の穂を噛み切る、と〔典拠不明〕。(彼らがバッタをGrashopperと解しているのでないとするなら)彼らが実に妙なことを断言するのであるが、(かくも高名な人たちに対する信頼は保ちつつも)わたしは信ずることができないのである。なぜなら、既に述べたごとく、彼ら〔=Grashopper類〕は歯も排泄物も持ってはおらず、露のみを食し太るのだから。さらにまた、わたしはヘルヴェティア〔=スイス〕、ドイツ、イングランドをすべてを経巡り、1本の針を探すようにGrashopperを探しまわったにもかかわらず、〔Grashopper類は〕いまだ一匹も見つけられないのである。それゆえ、わたしの想像では、彼ら両名は、Guill. の『二枚貝について(de Conchy)』やアルベルトゥスの『Vincentius』と同様、バッタやBruchus〔バッタの1種〕をGrashopperと取り違え、よくある間違いに騙されて、一方を他方と取り違えたのであろう。彼らが、〔Grashopper類の〕本性や利用について、もっと強い願望を持っていたら、持って生まれた自分の気質に応じて、それらを誉めたり貶したりしながら、ギリシア詞華やラテン詞華の作家の相談に乗れたであろうが……。 エジプト人たちは、描かれたGrashopperによって、司祭や聖職者の意に解していた;後世のヒエログラフの作者たちは、これによって時には音楽家たちを意味させ、時にはおしゃべりや話し好きな仲間、それも音楽的なそれを意味させた。とにもかくにも、Grashopperは次のような対句の中で、わたしの判断ではすこぶるうまく、自分自身について歌ったのである: (lat)われは卑しきがうえにも小さき虫の生まれなれど [コオロギという名称] 次に順番として"Gryllus"すなわちコオロギ(Kricket)がくる所以は二つ、翅を除けば、形のうえで幾分似ていることにもよるが、しかし、その音色と歌い方の点では、それ〔"Grashopper"に〕非常に近いからである。カレピーノは、ギリシア語で(gr)gryllos(/gr)と呼ばれると言うが、しかしその典拠を示さず、示すこともできない。他の人たちは、甲高い音 波の打ち寄せる潮騒のようで、これはGryllismusと呼ばれる からそのように呼ばれるのだと考えるが、この中にはイシドルスも含まれる。Hadrianus Junius〔?〕は、その耳障りな音から(gr)achete(/gr)と呼ぶが、しかしこれは正しくない。アリストテレスをもとに、それは"Locust"類の大きな種類であることは、わたしの立証したところである。Freigius quest. lib.はプリニウスに拠って、それをTryxalisと呼ぶ。しかしTryxalisは他と違って翅のない昆虫で、しかも、姿形がGryllusと似てもにつかぬ。〔"Gryllus"すなわちコオロギは〕ラテン語でもGryllus。フランス語でun Gryllon、Crynon。アラビア語で、もしもBellunensis〔?〕を信じてよいなら、Sarsir。バーバリー語でGerad。Avicen語(?)でAlgiedgied。ポローニア語でSwierc。ハンガリー語でOszifereg。ドイツ語でein Grillないしはein Heyme。アルゼンチンあたりでは、(それが歌い始める月から)Brach vogle。イリリア語でSwiertzないしCzwrczick。イタリア語やとスペンイン語でGryllo。英語でa Kricket。オランダ語でCreketないしNachtecreketである。 "Gryllus"すなわちコオロギには二種類あり、ひとつは野コオロギ(field Kricket)、もうひとつは家コオロギ(house Kricket)である。プリニウスは、これら両方ともゴキブリ類(black Beetles)に帰属させているが、それが適切でない所以は、彼ら〔ゴキブリ類〕が有する翅は覆いにならず、単なる薄い皮膜すぎず、しかも、外翅は、それに隠されている内翅よりもはるかに薄いのである。彼〔プリニウス〕よりも後代のカレピーノは、これ〔ゴキブリ類〕を"Locust"の一種としたが、彼の誤りもまた同じである。ニポスは、アリストテレスの『動物誌』第5巻28-29について、これ〔ゴキブリ類?〕を地表バッタ(ground Locusts)ないしBruches〔(gr)broukos(/gr)の複数形〕と呼び、アルベルトゥスもやはり無知からこれを"Grashopper"類と呼んだ。 彼らが立てる鳴き声は、翅の一方を他方にこすりつけることで引き起こされることは、プリニウスが証言しているとおりである。勤勉で才気あふれる薬剤師Jacob Garret〔?〕は、〔コオロギの〕翅をちぎり取って、これをこすりあわせて、〔コオロギと〕同じことを非常に巧妙に真似してみせた。だからわたしはスカリジャーに不審の念をいだくのである 彼は、腹部の空洞の部分にある一種の小嚢ないし管(それがどんなものかわたしは知らない)によってそれ〔鳴き声が〕発すると言うのである。またSabinusも怪しい 彼は、鳴き声を歯の噛み合わせや軋らせのせいにするのである。このことはプリニウスも、しかし誤って、"Locust"類について書いている。野コオロギにしろ家コオロギにしろ、そのいずれも、自分たちの穴の狭い通路を通るときは、その翅をわずかにこすり、ほんの小さな音を立てるだけだ。しかし戸外では、激しくこすり、彼らは非常に鋭い大きな音を立てる、しかも翅を全然動かせたり震わせたりさせない。もしも翅を切り取ったり引き抜いたりしても、その鳴き声はすぐにはやまぬことを見ることができよう。日中の暑さの中で(彼らはそれをとても喜ぶ)また夜にも、彼らは自分たちの穴の入り口で歌う。 彼らの通常のすみかは牧場や牧草地である。彼らは陰や暗い場所にいることを好まず、ゲオルギウス・アグリコラの書いているところでは、まれに冬まで生きのびる。 ニギディウスはこういったことを大いに信じているが、魔術師のことをもっと信じたことであろう。なぜなら、彼らは後ろにも進むし、鳴き声を立てるのは夜だし、地中に穴を作るのである。〔巣穴から〕遠く離れていればいるほど、ますます鋭い鳴き声をあげる。手近なところにいると、彼らは沈黙し、恐れや不安からすぐさま、すたこら自分の穴に逃げこむのである。コオロギは、(アルベルトゥス L. 4. c. 7. exercit. 273. の言では)〔胴体の〕真ん中で分割されたり、頭部を取り去っても、依然として歌い、その後も長い間生きていると。これがもしも本当なら、スカリジャーの言う、彼らの腹部にあって音を発するあの管とやらはどうなるのだろうか? 子どもたちはよく、〔胴の〕真ん中を髪の毛で縛ったアリで彼らを狩る。これを、何よりもまず、〔アリが〕再びその身を隠さぬよう、埃を吹き払ってから、彼らの穴の中に入れ、そうするとアリによって引っ張り出されるのである、プリニウス第29巻最終章〔39章(138)〕。しかし、もっと早く、労せずしてそうされるのだ 長い小枝ないし麦わらをとってきて、それを穴の中にさしこみ、少しずつ少しずつそれを引っ張り出すと、それ〔コオロギ〕もすぐに穴の入り口まで出てくる、まるで何事が起こったか、あるいは誰が自分の穴を傷つけるのか尋ねるように。そしてそうやって捕まえられるのである。ここから、(lat)Stultior Gryllo(/lat)「コオロギよりも愚か」という諺ができた。ちょっとしたことが原因で自分の敵にうっかり自分の正体をさらけ出す者や、故意に我が身を危険にさらす者のことである。彼ら〔コオロギ〕は新しいキビやヒエ、実った小麦やリンゴを餌にする。 家コオロギは(もしもアルベルトゥスを信じてよいなら)ギリシア語で"machochar"と呼ばれるが、しかしこんな名称は見つけだせない。彼は非ギリシア語をギリシア語化したのかもしれない。英語ではそれは"house Krickets"、ドイツ語では"Heimgrill"と呼ぶ。 プリニウス第11巻28章は、スカラベのことを書いているが(この中に彼は誤ってコオロギを含めている)、次の言葉がある。 彼らのあるものは地表に、あるものは火と炉の間の乾いた土に穴を掘り、夜、大きな鳴き声を立てる。家コオロギ(Domestick)は、前者〔野コオロギ〕と同様、雄・雌両方がいる。雄はほとんど全身黒ずんだ色に覆われ、背中はとりどりに黒ずんでいるか、あるいはむしろ黒色である。身体は長く、野コオロギよりもはるかに小さい。頭部はほぼ丸く、眼は黒色、触覚はどのようにでも自在に動く、姿形はほとんど野コオロギにそっくりである。真ん中の足の付け根にある2本の雪白の線が、背中を横断し、これを飾っている。 7月と8月には、彼らは飛ぶが、飛行距離も時間も長くはない。そしてそれは、キツツキや"Hickway"〔?〕のように、波打つような飛び方で、時には羽をいっぱいに広げて高く飛び、時には翅を体にぴったりひっつけて下降する。尾はフォーク状である。雌は大きくて長い腹部をしており、4枚の翅で飛ぶが、外翅はより短く、内翅は狭くて長い。尾の先端は3本の針ないし剛毛になっている。雌雄ともに飛び、跳ね、走り、しかも素早い、彼らは〔肉や魚の〕煮つゆ(broth)の浮き滓(scum)や、エール(ale)〔ビールの1種、beerより苦くてこくがあり、6%くらいのアルコールを含む〕ないしビール(beer)の麦芽発酵酒の泡(barm)をむさぼるように舐める。彼らが餌にするのは、腐肉や腐った死体の本体と同様、そこから浸み出る液体である。この昆虫についてアルベルトゥスはこう書いている。 夜間に歌う"Gryllus"すなわちコオロギは、野コオロギが持っているような口を持たず、頭の中に舌のような長いものがあり、それが頭の外部にまで延びるのだが、ほかの虫の口のようには分裂していない。腹の中には余分なものはまったく何もなく、肉の水分や煮つゆの脂身を餌にするだけなのに、これに力を与え、力をたくわえて、夜中じゅう活動する〔?この部分、訳に自信なし〕。しかり、パンを餌にしようとも、その腹部はいつもひょろひょろで、余分なものは空っぽなのである。 [用途] コオロギは、仕事に疲れた人々を、その歌声で元気づけるだけでなく、医術的にも、もろもろの病気を治すのに効能がある。古人は(スカリジャーが"Exercit. 186で観察し、彼自身の経験によって真実であることを発見したように)カンタリスの代わりにこれを用い、しかも効果覿面であった〔?〕。土といっしょにこれもろとも地面から掘り起こせられれば、耳の出濃に効く。両手ですりあわせられると、「聖アントニウスの熱病」と呼ばれる病気を治癒させる、顎の腫れも同様である。ただし、この場合のコオロギは、土といっしょに鉄器で掘り起こされねばならない。そうすれば、患者は目下の病気が治癒するばかりか、向こう1年間、もろもろの病気に再び罹ることから解放されるという、プリニウス第30巻4節、9節、12節〔?。同趣旨のことは、32章(106)に記載されている〕。彼らはまた耳下腺炎(Parotides)すなわち、頭から耳の中核に滴り落ちる物質によって引き起こされる膿瘍(Impostume)ないし爛れ(sore)をも治す。彼らが患部に縛りつけられるても、あるいは患部にこれが塗布されてもよい。彼らはまた、その土といっしょに「るいれき(Kings-Evill)」に塗布するのが役に立つ。彼ら〔を焼いた〕灰が油と混合されたものは、古い潰瘍(ulcer)を瘢痕(Cicatrice)〔"cicatrix"の複数形〕に変える。コオロギが水で希釈されたものは、結石や利尿に効く。Bellunensisは、耳の病気の人たちの患部に、その油をしたたらせるのが常であった。こういう方法で、彼らの愁嘆や脈動をすべて取り除くのである。Maecellus〔?〕は、顎のデキモノの上に彼らをたたきつけ、同所にそれを縛りつけておくことを大いに勧めた。また、Haly〔?〕の意見では、頸部にぶら下げておくと、四日熱(Quartan Ague)を治癒させるという。Serenusは、次のような連句の中で、扁桃腺(Tonsils)の腫れを治すと言った。 子どもたちは(イタリア人たちが"Grashopper"類に対してするように)穴のいっぱいあいた箱ないし袋の中に彼らを飼う。夜、その歌声を聞くためで、餌用にハーブの葉を与え、そうやって夏の間じゅう飼っておく。アフリカでは鉄製の籠の中で飼われ、何人かの商人から聞いた話では、眠気を起こすために、非常な高値で売られているという。Fesse〔?〕に住んでいる商人たちにとっては、その鋭い鳴き声は格別の喜びである。ちょうど、アイルランド人やウェールズ人がハープの音に〔喜びを感じる〕ようなものである。学者であるスカリジャーも、彼らの音楽のために箱の中にこれを閉じこめて飼ったとき、彼らにあまり憐れみの情は感じなかったようである。その箱たるや、彼らが空気を得られるだけという、そういうものの中で彼は飼育したのだが、3日経っても死なぬばかりか、長い間生きながらえることを発見したのである、lib. de plant.。空気を遮断されたら、彼らが生きることができないのは、彼らの体内には空気と音以外には何もなく、ほかには何も必要ないからだ〔というのである〕。昨年の夏、わたしは彼らの雄と雌を手に入れた。しかし8日以内に、雄に食い荒らされた雌の脇腹を見つけた、その雄も2日後には息を引き取ったのである。 Lanio〔モズ?〕という鳥は、学者Brewer〔?〕が観察したところでは、彼らを餌にしている。この鳥は彼らを雛の巣の近くの棘にさしておくのだが、餌が欠乏するのをおそれてであろう。 彼らが仲間のせいで攻撃的となると、その場合は追い払われるか、殺されるかすることがある。水を満たしたかなり深い皿をとって、これを彼らの巣穴の入り口に置き、そのまわりにたっぷりのオートミールをまいておく。そうすると、コオロギ類は引き寄せられてその鉢の中に飛びこむ。あるいは、礬類(Vitriol)と水とを混合して、これを彼らの穴に注ぎこむと、彼らはいなくなってしまう。 ほかに、翅のある小さな虫が残っている。これを"Grashopper"類に入れてよいのか、"Locust"類に入れてよいのか、わたしにはわからない。というのは、群れをなして飛び、小麦を食う点では、"Locust"のようである。しかし、姿形は何にもまして"Grashopper"に似ているのである。この虫の顔つきは驚くほど幼児に似ている。頭部に三角帽をかぶっていて、その天辺に4つの黒い滓がある。そのうちの2つはしばしば非常に長く、ほかの2つはほぼ円形である、その間に2つの非常に小さな突端ないし棘を認めることができる。翅は4枚、そのうち内翅は、静止しているときは2つに折り畳まれるので、翅を6枚持っているように思うかもしれない。これこそ、Cuspianus〔?〕がSigebertus〔?〕を典拠にして書いているあの"Locust"類であるかもしれない。874年の8月(彼が言うには)、6枚翅、6本脚の"Locust"類の驚くほどの大群が、東方より飛来し、これによってフランスはほとんど全土が破壊された。一見すると、彼らは肩の上に頭巾をのせているといえるかもしれない。しかし、手にとって近くで見ると、半円形にしまいこまれた翅の上端部にほかならない。身体は非常にずんぐりしていて、黒色ないし黒ずんだ色をしている、翅の隠れた部分にはびっしりと黒い斑点がある。アントワープ市〔ベルギー北部Scheldt河に臨む港市〕のP. Luickelbergius〔?〕は、アフリカからペンニウスにこれを送ってくれて、今はわたしがこれを、わたしの昆虫の宝庫に、「若い"Grashopper"」の名称のもとに保存している。ここで少し"Tryxalis"(先ほど述べた)に言及したいのだが〔?〕、この名称は、「囓る」とか「食う」からできたのかもしれない。しかし、"Bruchus"なのか、それとも小草バッタ(little Herb-locust)なのか、Grashopperなのか、それともコオロギなのか、わたしは信じられるほどに説くことはできない。なぜなら、アテナイオスもプリニウスも、そのほかの哲学者たちも、まさにその点で一致していないばかりでなく、そのほかには、形と習性の点で大いに異なるからである。だから、(gr)tryxalis(/gr)は(gr)tryzo(/gr)「音を立てる」〔という意味の動詞〕から派生した語であることを、どうしてわたしが祈らないことがあろうか? そして、もしもそれがそうなら、これはコオロギ類と一致するというのが真に最善となろう。これは、これが立てる鳴き声ゆえに、真に"Cricket"類に属するのかもしれず、"Cricket"類をPeucer〔?〕が非常にうまくBlatta〔ラテン語でゴキブリ〕ないし"Beetle"〔甲虫〕から区別したのは、ほかの事柄にもよるが、それが立てる音によってなのだから。これを、ヤコブ・カメラリウス あの大Camerariusの息子にして、その高徳の後継者 が初めて観察した。プリニウスは、喘息や吐血に対してこれを20匹、甘い葡萄酒といっしょに服用するなり飲むことを勧めている。これの灰を蜂蜜に入れたものは、潰瘍のギザギザの縁に当てると、それを取り除く。同様に、彼らは婦人の月経や月々のおりものを止めるのにことのほかよく効く。 Rondoletius〔?〕の「"water Grashopper"」も、ここに含めるのがいいとわたしは思う。これの頭は五角形のように、いわば5つの角を持ち、眼は丸くて、頭部から飛び出ていて、大きくはないが、黒色である。触覚は非常に短く、口の外縁から延びている。それぞれの体側に脚を3本ずつ有し、一番後ろ脚は他より長い。背中に小さな翅ないし何かの出っ張りがある。尾はフォーク状、腹部にはしばしば、いわば裂け目がある。体色はいくぶん黒ずんでいるか、あるいは黒と白である。わたしはこれを泥の中や淀んだ水の中で見つけたが、これの習性はまだわからない。これが陸上の"Grashopper"と異なる所以は2つ、頭部が〔"Grashopper"よりも〕もっと突き出ていて、ある種の首のようなものを持っていること、翅を持っているものの、飛ぶに適さず、身体を持ち上げる助けにもならないことである。これは陸上の"Grashopper"と同じように、睡蓮の葉の上や、池の草や、他の水草の上で、一種の快い鳴き声を立てると言われている。が、わたしは今までのところそれを聞いたことがない。 2002.06.01. 訳了 |