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魔法と科学の間

エピファニオス

『12の宝石について』(1/3)
(De xii gemmis)





[略伝]
 315年頃パレスティナに生まれ、エジプトで学び、同地の砂漠のなかの修道院に入る。その後パレスティナへ帰り、335年頃に新たに修道院を創設。366年頃キプロスのコンスタンティア(現サラミス)の主教となる。402年5月、船旅の途中で死去。
 エビファニオスは、さまざまな異端にたいする解毒剤を提供する『バナリオン』(ギリシア語で薬箱の意)と呼ばれる著作によってよく知られている。同書は374年から376年のあいだに書かれ、二人のシリアの修道院長に捧げられている。エビファニオスはこの自著について、「野の獣に噛まれた人々のための薬箱」、つまり誤れる教えに染まった人々のための薬箱であると述べている。
 エビファニオスの百科全書的な論述は、同時代の議論だけにとどまらず、エピクロス主義やストア哲学やプラトン主義といったギリシア哲学の諸流派、さらにはユダヤ教分派にまで及んだ。全部で八〇の異端について、あるところは直接得た知識に基づき、またあるところは伝聞や伝承に基づき記述されている。とりわけ四つの分派が残りのすべての異端の母体であるとされた。それは野蛮な原始宗教、ノアの時代より人々に信奉されたスキタイ教、ヘレニズムつまり古代ギリシア・ローマの異教、そしてユダヤ教であるという。
 修道士の出身であるエビファニオスは、性の問題と女性の宗教的行為の問題にとりわけ関心を寄せた。異端に下した多くの診断およびその療法は、女性に的を絞ったものであった。一群の異端の集団では女性が宗教指導者の任に就いたが、彼はこれに反対した。そして次のように述べている。「女性は容易に過ちを犯し、騙されやすく、判断力に乏しい」。エビファニオスはたとえば、決まった日にパンのようなものを焼いては処女マリアに捧げるアラビアの女性たち(→コリリド派)への言及から説きおこし、女性が聖職に就くことに反村する議論を展開する。「女性が神に仕える司祭の役割を担うことはけっしてなかった。誘惑に負けて罪を犯したエヴアからしてそうである」。もしキリスト教徒の女性が聖職に就くべく定められていたとしたならば、マリアが聖職に就かれていたであろう、しかし彼女はそうはなさらなかったので、女性が聖職に就くことは否定すべき先例となつた、とエビファニオスは続ける。「将来の離教や異端の出現を予告するごとく、聖母マリアは特別な存在であるとか、イエスは彼女を恋人と見なしたなどと〔先述の異端者たちのように〕考えないように。聖母マリアをあまりに畏れ敬うばかり、こうした馬鹿げた異端のとりことならないように」。
 同じくエビファニオスは、女性を聖職者に任命するモンタノス派を断じる。「同派の女性たちはエヴアを理由として司祭や司教の職に任命されている。しかし、主は次のように述べておられるのだ。「あなたの向くべき方向は夫であり、夫があなたを統べるであろうと。
 とはいえ、エビファニオスはあらゆる異端のなかでもグノーシス主義にはきわめて強い感銘を受けた。その証拠に次のように記している。「私自身この分派に心惹かれ、彼らと交わり、彼らの口からじかにその教えを吹き込まれた」。エビファニオスの主張によれば、彼は青年時代にグノーシス派の女性たちから誘惑されそうになり、地元のキリスト教主教に訴えたところ、80人ほどのグノーシス主義者が彼の故郷の町から追放されたという。そのいっぼうで、彼の見解によれば、グノーシス派の高位者たちはみな同性愛者であるという。
 アリウス主義異端の発展期に生きたエビファニオスはとりわけアリウス主義と戦うことに意を注ぎ、神学者オリゲネスの信奉者に反対するアタナシオス派を支持した。オリゲネスにたいしては、その霊魂の先在説および子なる神と父なる神との関係の教えとが誤りであるとして非難した。また、エビファニオスの目には聖像への過剰な崇拝と映ったものにたいしても異を唱えた(→聖像破壊)。390年代はじめ、彼はイエルサレムのある教会の絵画をうち捨てたといわれる。
 正しさと正統説へのエビファニオスの関心は、『バナリオン』以外の著作にも及んでいる。彼は『一二の宝石について』、『舛と分銅について』という二論文によってもよく知られる。403年に世を去り、そののち聖人の列に加えられた。彼の祝日は五月一二日である。
(C・S・クリフトン/田中雅志訳『異端事典』三交社、1998.10.、p.70-72)



[底本]
TLG 2021
EPIPHANIUS Scr. Eccl.
(A.D. 4: Palaestinus, Constantiensis (Cypri))

4 1
2021 004
De xii gemmis, ed. C. É Ruelle, Les lapidaires de
l'antiquité et du Moyen Age, vol. 2.1. Paris: Leroux, 1898: 193-199.
(Cod: 1,992: Eccl., Exeget., Med., Nat. Hist.)




point.gif大祭司の胸当ての宝石については、クンツ『宝石と鉱物の文化誌』を参照せよ。


『12の宝石について(De xii gemmis)』

1."t".1
わたしたちの聖者の中に〔数えられる〕教父エピファニオスの
キュプロスの監督〔司教〕の、テュロスの監督ディオドーロスに宛てた書、『アアローンの式服にある12の宝石について』

1."pro".1
前書き
 わたしに依頼されました、最も尊いディオドーロスよ、昔、神官アアローンの胸の上の、エフォド〔右下図〕(ejpwmivV)の胸あて(logei:on)に留めるよう言いつけられた宝石について、その名称、その色、さらには、場所や、同じ石を敬神のために身につけたときの眺めといった外観、また、おのおのの石がいかなる部族に指定され、見つけられるのはどこからか、いかなる祖国からか……
ephod.jpg 胸あては四つ〔4列〕に区分され、四角形そのものの長さは1掌尺、幅も同じである。第1列は、最初の石はサルディオン、次いでトパジオン、次いでスマラグドス。
 第2列は、最初の石がアントラクス、次いでサッペイロス、次いでイアスピス。
 第3列は、最初の石がリュンクゥリオン、次いでアカテース、次いでアメテュストス。第4列は、最初の石がクリュソリトス、次いでベーリュッリオン、次いでオニュキオン。
 以上が、神官のエフォドにぶらさげられた12の石にほかならず、その違いも場所も、以上のとおりである。

1.1.1
 第1はサルディオス石〔紅玉随〕で、バビュローニオス(BabulwvnioV)と、そういうふうにも呼ばれる。外観は火と燃える眼や血のようで、塩漬けにされたサルディオンという魚〔イワシ〕〔の眼に〕そっくりである。だから、その外観から、同じ名前をとってサルディオスと言われる。アッシュリアに近いバビュローンに産する。この石は透き通っている。治療の力能を有し、医者たちはこれを腫瘍や、他にも鉄によってできる打ち身に使用する。他にもサルドニュクス(sardovnux)という石があるが、これはモロカス(molocavV)と呼ばれる。脂質は軟らかいが、他の外観では、やや緑色をおびたものもあり、春の初めころ、つまり受難週の初めの時期に、最も重くなる。

1.2.1
 トパジオン石〔トパーツ〕は、外観はアントラクス石以上に赤い。インドの都市トパゼーに産する。かつて、そこで諸々の石を採石していた者たちによって、別の石の心臓部に輝く石を採石者たちが観たが、雪花石膏(ajlavbastron)だと思い、価値が少ないので、ある人たちにやった。ところが、テーバイ人たちが、その当時の女王に献上した。彼女は受け取って、自分の飾り紐の額の真ん中につけて巻いた。かくして、この石はこれほどの評判を得ているのである。医術用砥石で砕かれると、その汁の色は赤色ではなく、乳白色を呈する。磨り潰す人が好きなだけの混酒器に満たしても、総量も最初の重量よりも少なくなることはない。これからつくられた汁も、眼病に有用である。服用されると、水腫や、海の葡萄房〔?〕で枯れたものらに対する反発性を有する。

1.3.1
 スマラグドス石〔緑柱石〕。この〔石〕はプラシノス(pravsinoV)とも呼ばれる。外観が緑色をしているものもあり、同じものの中にもかなり異なったものがある。例えば、これらをネローニアノス(nerwnianovV)と呼ぶ人があり、他の人たちはドメティアノス(dometianovV)と呼ぶ。そして、ネローニアノス石は鋭く、外観はすこぶる緑色をしており、透明で輝いている。ネローニアノスと呼ばれるにしろ、ドメティアノスと呼ばれるにしろ、そう呼ばれる所以は、言い伝えでは、ネローン〔37-68〕にしろドメティアノス〔81-96〕にしろ、数々の用具にオリーブ油を入れ、その染料でオリーブ油が長らく緑色になり、そのため、余りに多く飲まされた岩肌が黄色くなったという。また他の人たちが謂うには、ネローンという人は、昔の緑礬水〔インク〕作りとか石工とかの技術者のようなもので、最も高価なスマラグドスを発案し、そのためにネローニアノス(nerwnianovV)と呼ばれるのだといい、ある人たちはドメティアノス(dometianovV)と〔呼ばれるのだという〕。しかし、他にもスマラグドスはあり、第1は、イウゥダイアにあってネローニアノス(nerwnianovV)に似ており、第2はアイティオペイアにあって、これはまたペイッソーン河でも産すると言われている。ペイッソーンヘッラス人たちの間ではインドス〔河〕と呼ばれているが、非ヘッラス人たちの間ではガンゲース〔河〕と〔呼ばれている河である〕。ここにはアントラクスも産すると言う。なぜなら、そこには、モーウセースの謂うには、アントラクスとプラシノス石があるということだから。この石、もちろんスマラグドスには、顔が鏡に写して見られるほどの力能(duvnamiV)があると謂われる。神話作家たちの作品にも、予知能力があると言われている。

1.4.1
 アントラクス石〔紅玉〕。これは鮮やかな深紅の外観を呈する。アプリケー〔アフリカ〕と呼ばれるリビュエーのカルケードーンに産する。別の人たちは、この石は次のようにして発見されると謂う。〔つまり〕見つけられるのは昼間ではなく、夜間、遠くに燈火のように、あるいは、アントラクスが火花を放ち、遠方から見えるようにして、これを探そうとする者たちは、このことをよく知っているので、これを簡単に見つけ出す。身につけられていると、気づかれないことができず、上衣のようなもので隠されても、その輝きは覆いの外に現れる。ここからアントラクスと呼ばれているのである。雷石(kerauvnioV livqoV)〔heliotrope〕がこれに少し類似しているのは、同じ場所に見つけられるからである。

1.5.1
 サッペイロス石〔サファイア〕は紫色をしていて、外観は黒っぽい紫衣のようである。しかしこれには数多くの種類が属している。例えば、バシリコス(basilikovV)は黄金の斑点がある。しかし、これは、全体が紫色のものほどには驚歎されるものではない。これもまたインド地方やアイティオピア地方にあると言われる。それゆえ、インドイ人たちのところでは、ディオニュソスの神域は、サッペイロス石でできた365段の階段を有していると謂われる、もっとも、多くの人たちには信じられないことではあるが。この〔サッペイロス〕石が最も驚歎されるのは、姿もよく、優美この上ないものがあることである。それゆえ、これは腕輪や首輪にもつけられる、とくに王たちはそうである。また〔この石は〕苦労をかわす。例えば、磨り潰されると、吹き出物や出来物の傷ができても、腫れ物の患部に乳といっしょに塗布されると、これを治療する。また、『律法』〔五書〕にも書かれていることだが、山の中でモーウセースに目撃された顕現や、与えられた律法は、サッペイロス石の上に生まれたと言われる。

1.6.1
 イアスピス石〔碧玉〕。これは、外観は、スマラグドス石に属する。テルモードーン河の岸の近辺や、キュプロスのアマトゥウス〔都市〕のまわりで見つけられる。しかし、アマトゥウシオン(ajmaqouvsion)〔不酔石〕と呼ばれる〔この石の〕種類は多い。この石の外観は次のごとくで、スマラグドスに似て緑色をしているが、しかしもっと鈍く、もっと暗い。また内部に緑色の本体を有し、銅で、4列の脈を有するイオン〔スミレ石〕に似ている。しかし、これは幻だとわたしたちは聞いたことがあるが、これは神話作家たちが言っているところである。他には海よりのもっと灰色のものがあり、光沢や色目はより深い。他には、プリュギアのイデー山中の洞穴の中にあるもので、血をもったキサナゴ(kovcloV)の色に似て、もっと透明で、ブドウ酒に似ているか、あるいは、アマテュストス〔紫水晶〕よりも黄色い。と言うのは、1色ではなく、同じ力能を有しているわけでもないからである。いや、それどころか、あるものはより多孔性でより白く、まったくきらめくこともなく、他のものは氷水に似ている。しかし、神話作家たちによって、妄想の治療薬になると言われている。見つけられるのは、イベーリア人たちのところや、カスピ地方のヒュルカニア人たちの羊飼いたちのところである。他のイアスピスは、全然明るくなく、緑色で、真ん中に文字を有するものである。また他のイアスピスは、パライオス(palaiovV)と呼ばれるもので、雪とか海の泡に似ている。神話作家たちが謂うには、これを野生の獣たちや妄想が恐れるという。

1.7.1
 リギュリオン石〔瑠璃〕。これの見つけ方は、自然究理家たちの著作にも、これらについて言及した往古の何人かの著述家たちの作品にも、まったく見出すことはできない。しかし、ランクゥリオン(lagkouvrion)と、そういうふうに呼ばれる石なら見つけ出せる、これを紛れもない方言でラグゥリオン(lagouvrion)と呼ぶ人たちもいる。おそらくは、これこそがリギュリオンだとわたしが思うのは、神的な書き物〔複数〕が、スマラグドスをプラシノスと〔呼んだ〕ように、その名称を別様に変えたからであり、これらの石の名称をつける際に、どういうわけか、ヒュアキントスという〔名称〕さえ、明白で有名であるにもかかわらず、思いつかなかったからであろう。その結果、わたしたちの理解するところでは、神的な書き物〔単数〕はリギュリオンをそれと呼ばないのである。
 ところで、ヒュアキントスはさまざまな外観を呈する。この石が色の点でますます深みを増すのを見出せば見出すほど、違った石により近くなる。ヒュアキントスが似ているのは羊毛か、あるいは、どの程度かやや紫がかっている。それゆえ、神的な書き物〔単数〕も、ヒュアキントス色〔青色〕の糸と紫色の糸で神官の服が飾らるべしと謂うのである。さて、第1の石はタラッシテース(qalassivthV)〔海石〕と呼ばれ、第2はロディノス(rJodinoV)〔薔薇石〕、第3はナティボス(navtiboV)と〔呼ばれる〕。第4はカンニアイオス(canniai:oV)と言われ、第5はペリレウキオス(perileuvkioV)〔白無垢石〕と〔言われる〕。
 これらはスキュティアの中心部バルバリアで見つけられる。これらの石は高価であるとともに、次のような働きを有する。アントラクスの火の中に投じられると、みずからは害されることなく、アントラクスを鎮火させる。こればかりではなく、この石をとって木綿で包みこみ、アントラクスの火の上に置いても、包んだ木綿そのものは燃えあがることなく、無傷のままである。この石は子を産む女たちにとって安産の薬効ががあると言われる。また妄想を退散させる効き目もある。

1.8.1
 アカテース石〔瑪瑙〕。これはペリレウコス(perivleukoV)と呼ばれるものと解され、ヒュアキントスの下に見出される。驚歎すべきなのは、外観はやや暗く、外側の表面は白く、大理石やエレパンティノス(ejlefantivnoV)の性質を有することである。また、これもスキュティア近辺で見つかる。これらの石から構成されているのが、ライオンの色をもつアカテースである。水といっしょに磨り潰され、獣の咬み傷に塗布されると、サソリやマムシや、そういったものらの毒を退散させる。

1.9.1
 アメテュストス石〔紫水晶〕。これは、その表面が深い炎色をしている。しかし本体は中心部よりも白く、外観は暗いブドウ酒色を放射している。これの形はさまざまである。おそらくは、これもリビュエーの山地に産する。というのは、これらのあるものは純粋のヒュアキントスに類似であるが、あるものはajmfikovcloVに〔類似〕だからである。同じリビュエーの海岸地帯に産する。

1.10.1
 クリュソリトス石〔橄欖石〕。これをクリュソピュッロン(crusovfullon)と呼んだ人たちもいる。金色をしている。バビュローンのアカイメニティス城壁の近くにある2ツ岩縦坑の中で見出され、この縦坑を〔人々が〕アカイメニティスと呼ぶのは、謂われるところでは、キュロス王の父がアキメネウスと呼ばれたからだという。また、クリュソパストス(crusovpastoV)というのもある。これは、磨り潰されて服用されると、胃病や内臓病に対する治癒力を有する。

1.11.1
 ベーリュッリオン石〔青玉〕は灰色や深海色をしていて、水色っぽいヒュアキントスの外観を呈するものもある。タウロスと呼ばれる山の頂付近に産する。太陽に対して反射させようとすると、内部に小粒の鏡を持っているように透明に見える。他に、ベーリュッロス(behvrulloV)というのは、大蛇の眼の瞳に類似している。他にはまた蜜蝋に似たのもある。これが見つかったのは、エウプラトス河出口付近である。

1.12.1
 オニュキオン石〔黄玉〕。この石は真っ黄色な色をしている。この石は、謂われるところでは、王たちや、あるいはまた富裕な男たちの若妻たちに歓ばれ、自分の杯にまでこの石をつけている者たちもいる。他にも、オニュキタイ〔複数。単数はojnucivthV〕と同名で呼ばれるものもあり、これは蜂蜜色の蜜蝋に類似している。これは滴る水が凝結したのだと謂う人たちもいる。これらをオニュキタイと自然究理的に言うのは、雅やかな人たちの爪が、大理石と血の外観とに特別な意味が与えられたからである。他の人たちは、おそらく、ドキミオス産の大理石をもオニュキテースと呼ぶのは、その純白さのゆえであろう。

2."t".1
金剛石について
 これも、祭司長(ajrciereuvV)が年に3度、聖所中の聖所に入るとき、身につけたところのものである。

2.1.1
 アダマス〔金剛石〕という宝石は、色の点では空気にそっくりである。祭司長がこれを身につけたのは、聖所中の聖所に入るときであった。それは年に3度、過越祭五旬祭仮庵の祭のときに入った。足下にまで達する式服(podhvrh)を着こみ、その式服の上にエフォド(ejpwmivV)をまとったとき、その胸の上に置かれた。エフォドは、胸の少し下までさがっていた。長さが1掌尺半あったからである。胸の上部、右と左の部分には、そこに2つの飾り輪(ajspidivskoV)があり、2つのスマラグドスが縫いこまれてぶらさがっている。それらの真ん中に啓示(dhvlwsiV)〔Urim〕がある。これは、色が空気のような、啓示されたアダマス〔金剛石〕であった。両肩の上には、啓示された12の宝石がある。すでに述べられたとおり、年に3度、薄板(petavlon)によって民に啓示することになっていた。もしも、罪の内にあることが見つけられながら、「神」が与えたもうた誡めのなかに見つからぬときは、言い伝えでは、石の色が変わり、黒くなり、これによって、「主」が死を送ったことを知ったという。戦刀に彼らを送ったときは、血のようになったことは、『イエレミア記』の中で謂うとおりである。「おのが民を追い出し、死に定められた者は死に、戦刀に定められた者は戦刀に、饑饉に定められた者は饑饉に、虜に定められた者は虜に行くがよい」〔Jeremias 15_1-2〕。しかし、もしも雪のように光り輝いたら、決して罪がないことを民は知り、そのとき祝祭を催したのは、預言者が言うとおりである。「イウゥダよ、あなたの祭を行い、あなたの誓願をはたせ」〔Nahum 2_1(1_15)〕。「主」はあなたの不正事を取り除かれた。あなたを、あなたの敵どもの手から贖いたもうた。「主」はあなたの真ん中で王支配なさるであろう。もはや悪しきことどもをあなたは眼にすることはあるまい。それゆえ、イオーアンネース〔洗礼者ヨハネ〕の父ザカリアス〔ザカリヤ〕の時代にも、過越祭のときの彼の勤めのさいに、この石は光り輝いた。というのは、当時は、1年間、祭司の務めの支配権をとり、次の年には別の人が足下まで達する式服を受け取ることになっていた。さて、ザカリアスが聖所中の聖所に入ったきり暇どったので、民が心配したとき、この石は彼らに対して罪の叱責を決してしなかった。そして彼が出てきたとき、大いなる栄光の幻を見たと知って、彼らはすこぶる喜んだ。なぜなら、イオーアンネースがクリストスの御使として生まれようとしていたからだ〔ルカ伝、第1章〕。だから、薄板(petavlov)も栄光を表されたかに見えた。
 イスラエールの12部族に対応して、これら12の宝石が、ひとつの部族にひとつの宝石があてはまるよう登録されるよう命じられたので、イアコーブから生まれた息子たちの順番に、先の区分にしたがってみよう。
 レイア〔レア〕の子どもたちの4人。ルゥベーン〔ルベン〕はサルディオン。シュメオーン〔シメオン〕はトパジオン。レウイ〔レビ〕はスマラグドス。イウゥダス〔ユダ〕はアントラクス。
 バッラ〔ビルハ〕の子の2人。バッラはラケール〔ラケル〕の侍女であった。〔ラケールには〕子が生まれなかったので、子どもをつくるために、イアコーブ〔ヤコブ〕にこの女を与える。それがこの〔2人〕であるが、ダンはサッペイロス、ネプタレイム〔ナフタリ〕はイアスピス。
 ゼルパ〔ジルパ〕の子の2人。ゼルパはレアの侍女であった。やはり子をつくるためにこの女をイアコーブに与える。それがこの〔2人〕である。ガドはリギュリオン。アセール〔アシェル〕はアカテース。
 ラケールの子の2人、イオーセープ〔ヨセフ〕はベーリュッリオン。ベニアミン〔ベニヤミン〕はオニュキオン。
 以上が、イスラエールの各部族にあてはめられた12の宝石である。

2006.06.29. 訳了。

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