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back.gif第1章-10章


歴史叢書

第13巻(2/12)





第11章

 [1]シュラクウサイ人たちは、陸上でも海上でも敵に勝利したことから、希望に心を奪われていたところが、エウリュメドンとデモステネスとが到着し、アテナイから大軍勢を伴い、途中、トゥリオイやメッサピア*から同盟軍を編入して入港してきた。[2]引率していたのは、80艘以上の三段櫂船、搭乗員以外にも将兵5000。さらには、武器や軍資金、これらに加えて、攻城のための兵器やその他の装備を輸送船に積んで運んできていた。これがために、シュラクウサイ人たちはまたもや希望を拉がれた。敵勢と対等に戦うのはもはや不可能に思えたからである。[3]かくてデモステネスは、エピポライを攻撃すること、さもなければこの都市を遮断することは不可能と、同盟者たちを説得して、重装歩兵1万、他に同じだけの裸兵を引き具して、夜間、シュラクウサイ人たちを襲撃した。この襲撃は意表をつくものだったので、いくつかの守備所を制圧し、エピポライの城壁内に押し入り、城壁の一部を破壊した。[4]しかしシュラクウサイ人たちも、ありとあらゆるところからその地点に馳せ参じ、なおそのうえにヘルモクラテスも精兵とともに救援に駆けつけたので、アテナイ勢は押し出され、夜間のうえ、土地に不案内だったので、てんでばらばらに分散させられた。[5]さらにシュラクウサイ勢は同盟者たちとともに追撃に移り、敵勢の2500人を殺害、少なからざる者たちに傷を負わせ、多数の武器をわがものとした。[6]そしてこの戦いのあと、シュラクウサイ人たちは、将軍団のひとりシカノスを、三段櫂船12艘をつけて他の諸都市に派遣し、今回の勝利を同盟者たちに報告するとともに、救援を要請させた。
 *イタリア南東部の地域。今のカラブリア。


第12章

 [1]他方、アテナイ人たちの方は、事態が自分たちにとって拙い結果となり、しかも周囲が湿地帯のため、悪疫が常態となって軍陣を見舞ったため、この事態にどう対処すべきか評議した。[2]そこでデモステネスは、速やかにアテナイに引き上げるべきだと思い、シケリアに居座って何ら有用なことも達成せずにいることよりは、選ぶべきは、ラケダイモン人たち相手に祖国のために危険に挺身することであると主張した。対して、ニキアスは主張した、――こんなに無様に攻囲を放棄すべきではない、三段櫂船も将兵も、なおその上に軍資金もふんだんにあるのだから。かてて加えて、民会の動議なしにシュラクウサイ人たちと和平を締結して、祖国に引き揚げたら、将軍団に対して告訴屋稼業に慣れている連中から、〔告訴の〕危険性が自分たちにつきまとうことになろう、と。[3]かくして、この評議の出席者たちは、ある者はデモステネスの出航説に同調し、ある者はニキアスと同じ見解を表明した。このため、何ひとつはっきりした決定を下せぬまま、静観することになった。[4]他方、シュラクウサイ人たちには、シケリア人たちから、セリヌウス人たちから、さらにはゲラ人たちから、かてて加えてヒメラ人たちやカマリナ人たちからも同盟軍が到着し、シュラクウサイ勢はますます勇み立ち、対してアテナイ勢は怖じ気づいた。しかも、疫病が猛威を振るい、将兵の多くが死亡し、全員がさっさと出航の実行をしなかったことを後悔し始めた。[5]そのため、大衆が騒ぎ出し、他の者たちも全員が艦船に押し寄せたので、ニキアスは家郷への引き上げに同意せざるを得なくなった。そして、将軍団が同意見となったので、将兵たちが装備をまとめ、三段櫂船を艤装して、桁端を引き上げた。かくして、将軍団が大衆に下知した――合図があったら、軍陣にいる者たちはひとりも遅れぬよう、遅れた者は取り残されよう、と。[6]こうして彼らが次の日に出航しようとしていた、その前の晩に、月が食になった。これがためにニキアスは、性本来精霊的なものに敬虔であったし、軍陣に蔓延した疫病のせいで用心深くなってもいたので、占い師たちを召集した。すると、この者たちが、しきたりどおり3日間、出航を延期する必要があると表明したので、デモステネス一派までが、神に対する用心から折り合わざるを得なくなったのである。


第13章

 [1]他方、シュラクウサイ人たちは、何人かの投降者たちから、出航延期の理由を聞き知り、全艦隊――その数74艘であった――を艤装するとともに、陸軍も出陣させ、陸上からも海上からも敵勢に突撃をかけた。[2]対してアテナイ勢は、80と6艘あった艦船を艤装し、右翼は将軍エウリュメドンに充てたが、ここに配置されたのは、シュラクウサイ人たちの将軍アガタルコス。他方の翼〔左翼〕にはエウテュデモスが配置され、ここに対置されたのがシュラクウサイ勢の指揮官シカノス。戦列中央部の指揮権を持ったのは、アテナイ勢側はメナンドロス、シュラクウサイ勢側はコリントス人ピュテスであった。[3]ところが、アテナイ勢の密集隊は、彼らの方が多数の三段櫂船で戦いに望んだため、はみ出していたのであるが、形勢有利と思われたその点が、かえって大いに不利となった。というのは、エウリュメドンが対抗戦列の側面に回り込もうとして、戦列を離れたとき、シュラクウサイ勢はこれに向き直ったため、ダスコンと呼ばれる港の方へ分断され、シュラクウサイ勢につかまった。[4]そして、狭い場所に封じ込められ、圧倒されて陸上に脱出、自身は一人の敵兵に致命的な打撃を受けて命を落とし、その場所で艦船7艘が潰滅させられた。[5]他方、海戦はすでに全艦隊に広がっていたが、将軍が亡き者とされて何艘かの艦船が破滅したという話が次々と伝えられるや、先ず初めに、潰滅させられた艦船に最も近かった艦船が崩れ、次いで、シュラクウサイ勢の攻勢と、挙げられた戦果に勇み立っての戦いぶりのために、アテナイ勢は圧倒されて全隊が背走を余儀なくされた。[6]かくて、港の水深の浅い方へと追撃されたため、三段櫂船の少なからざるものが浅瀬に座礁した。それらがそうなったところに、シュラクウサイ勢の将軍シカノスが、すぐさま貨物船に枝木や肥松や、さらには瀝青を満載して、浅瀬に転がっている艦船に点火した。[7]船が燃え上がるや、アテナイ人たちはすぐさまその火を鎮火し、攻め寄せる相手に対して艦船から強く自衛した。他に救済の道は何一つ見つけられなかったからであるが。他方、陸上部隊も、艦船が打ち上げられている海岸沿いに、救援に駆けつけた。[8]そして全員がこの危難を頑強に持ちこたえたので、陸上ではシュラクウサイ勢が背走し、海上では優勢を占めて都市に引き上げた。かくして破滅したのは、シュラクウサイ勢は少数であったが、アテナイ勢の兵士は2000人を下らず、三段櫂船は18艘であった。


第14章

 [1]かくて、シュラクウサイ勢は、もはや都市には危険がなく、むしろ、目下の情勢は、敵兵もろとも軍陣を捕虜として取得することの方こそが争奪の対象だと信じ、船橋をこしらえて港の出入り口を封鎖した。[2]すなわち、舟艇や三段櫂船、なおその上に丸船を錨につなぎ、鉄の鎖で繋ぎ合わせて、船体まで舟板で橋をこしらえ、この作業を3日間で完成させたのである。[3]対してアテナイ人たちは、自分たちの助かる道が至るところで閉ざされたのを眼にして、三段櫂船全艦で航行すること、陸兵の中から最も強壮な者たちを乗り組ませること、艦船の多さと、救命のために戦う者たちの必死さとによって、シュラクウサイ勢を撃破することに決した。[4]それゆえ、指揮官職に配された者たち、ならびに、軍陣全体の中で最も勇徳ある者たちとが乗り組み、三段櫂船は120に5艘足りないだけを艤装し、残りは海岸沿いに陸地に向けて配置した。対してシュラクウサイ勢は、陸軍は都市の前に整列させ、三段櫂船は74艘を完全艤装した。また、そばに付き従っていたのは、補助船を受け持った自由人の子どもたちで、年齢は、青年にも達していなかったが、父親たちといっしょに戦いに加わった。[5]他方、港の周囲の城壁や、都市の小高いところは、人々が鈴なりになっていた。婦女も乙女も、年齢のうえで戦争の用をなさぬ者たちが、この戦争全体がその帰趨を決するので、大いに不安を抱いて、戦いを見守っていたのである。


第15章

[1]この時に当たり、アテナイ勢の将軍ニキアスは、艦船を眺め、危険の大きさを計算して、陸上の持ち場にじっとしていられず、陸戦部隊を後にして一艘の艦船に乗り込み、アテナイ勢の三段櫂船のそばを通過しながら、三段櫂船指揮官のひとりひとりに名前で呼びかけ、両手をさしのべて、全員に懇請したのである――今こそ残された唯一の希望を取り戻すときである、なぜなら、自分たち全員の救済も祖国の救済も、海戦せんとする者たちの勇徳にかかっているからである、と。[2]そうして、生子のいる父親には息子たちのことを思い起こさせ、名のある父祖を持った後裔たちには先祖の勇徳を辱めぬよう呼びかけ、民衆によって栄誉を受けた者たちには、花冠に値する者たるの実を示すよう激励して、かくして全員にサラミスでの勝利牌のことを思い出させたうえで、祖国の音に聞こえた評判を投げ捨てぬよう、まして、みずからを奴隷人足のようにシュラクウサイ人たちに引き渡すことのないよう要請したのである。[3]ニキアスはこういった演説をしたうえで、ふたたび自分の持ち場にもどった。艦船の者たちは吶喊歌をうたいながら航行し、敵勢を潰滅させて、舟橋を断ち切ろうとした。対してシュラクウサイ勢は、ただちに乗り出すと、三段櫂船で陣立てをし、対抗戦列と接戦して、これを船橋から押し返して決戦に持ち込もうとした。[4]かくして、ある船は浅瀬に向けて逆進し、ある船は港の真ん中へ、ある船は城壁の方へ〔逆進し〕、たちまちにして三段櫂船すべてがお互いに分散して、防波堤から離れるや、港は少数ずつで海戦する船で満たされた。[5]ここにおいて、両軍とも死に物狂いで勝利を競い合い、アテナイ勢は艦船の多さに勇み立ち、他に助かる道がないので、大胆に危険に挺身し、戦闘中の死を気高く受け容れた。対してシュラクウサイ勢は、両親や子どもたちという、この比武の見物人を持っているので、お互いに功名を競ったのである――各人が自分の力で祖国に勝利をもたらそうと望んで。


第16章

[1]かくして、じつに多くの者たちが敵艦船の船首に飛びついたが、自艦が相手の艦船によって破損し、敵艦の真ん中に分断された。また、ある者たちは、「鉄の手」を〔敵艦に〕命中させて、対抗配置されていた相手を艦上の陸戦に持ち込んだ。[2]時には、潰れた自艦を操って、敵艦船に乗り移り、あるいは〔敵を〕殺し、あるいは海に突き落として、三段櫂船を乗っ取ることもあった。とにかく、港全体に激突の騒音や、戦闘者たちの断末魔の悲鳴がとぎれとぎれに起こった。[3]というのは、一艘の艦船が多数の三段櫂船によって分断され、四方八方から青銅〔の衝角〕によって突入され、水流がなだれこんで、人員もろとも海に没した。そして、艦船が沈没したあと、泳ぎ逃れた何人かの者たちも、弓に射抜かれ、長柄に突かれて殲滅された。[4]かくて操舵手たちは、戦闘が混乱を極め、至るところが騒乱に満たされ、一艘の艦船に多数が殺到することしばしばなのを眼にして、同じ合図がすべての状況に通用するわけではないので、どういう合図を出せばいいかもわからず、また、飛び道具攻撃の多さに、命令を出す者たちを他方の〔命令を受ける〕者たちが見つめていることもできない。[5]とにかく、誰ひとり何が下知されているのか何も聞こえない。それは、船腹が破砕し、櫂列が撫で切りにされるため、同時にまた、海戦者たちのみならず、陸上からもこの功名争いを声援する者たちの絶叫のせいである。[6]というのは、波打ち際はすべて、一方はアテナイの陸戦隊に占められ、他方はシュラクウサイ勢に〔占められ〕、そのため、時として、海岸の近くで海戦する者たちは、堅い大地に陣を張った者たちを、味方につけられたのである。[7]また、城壁の上の人々も、味方が優勢なのを見ては勝ち鬨を上げ、しかし劣勢なのを〔見ては〕嘆息し、涙を流して神々に祈った。というのは、時として、偶然ではあるが、シュラクウサイの三段櫂船が何艘か、城壁の近くで壊滅し、その乗員が、親族の眼の前で殺され、親たちがその生子の死亡を、姉妹や妻がその夫や兄弟の悲惨な最期を目の当たりにすることになったからである。


第17章

長時間にわたって、多数が亡くなったにもかかわらず、戦闘は終わりを告げなかった。というのは、窮地に陥った者たちでさえ、あえて陸に逃れようとはしなかったからである。というのは、アテナイ人たちなら、戦闘から離脱して陸に接岸しようとする者たちに向かって、陸路でアテナイまで帰るつもりかと質問したことであろうし、シュラクウサイ人たちの陸兵たちの方は、接岸しようとしている者たちに向かって問いただしたことであろう、――自分たちは三段櫂船に乗り組みたいと望んでいるのに、自分たちが今戦おうとするのを妨げ、祖国を売り渡そうとするとは何事か、港の入り口を封鎖した所以は、敵勢〔が出て行くの〕を妨害しておきながら、自分たちが波打ち際に逃れるためだったのか、ありとある人間にとって命終が定めであるときに、祖国のために死ぬことよりも美しいどんな死を求めようというのか、祖国をこの武勇くらべの証人として持ちながら、破廉恥にも後れをとるとは、と。[2]こういったことを言って、接岸しようとする者たちを陸上の将兵たちが罵るであろうから、波打ち際に避難しようとした者たちも、ふたたび向き直ったことであろう。完全に破損した艦船を操り、深手に苦しめられているにもかかわらずである。[3]だが、都市の近くで危険を冒していたアテナイ勢が排撃され、敗走に陥るや、アテナイ勢のうち隣接する戦列が次々と崩れ、やがて全戦列が背走した。[4]かくして、シュラクウサイ勢は大喊声を上げて艦船を陸の方へと追撃した。このため、アテナイ勢のうち、海上で壊滅させられなかった者たちは、浅瀬に押し上げられたので、艦船から飛び降りて陸上の軍陣に逃げ込んだ。[5]かくして港は武器と難破船とに満たされ、アッティカの艦船はほぼ60艘がなくなり、対してシュラクウサイからのは8艘が全壊、16艘が破損した。そこで、シュラクウサイ人たちは三段櫂船のうち〔航行〕可能なのだけを陸に引き上げるとともに、命終した市民たちならびに同盟者たちを回収して、国葬の栄誉に与らせた。


第18章

 [1]他方、アテナイ人たちは嚮導者たちの幕屋に押しかけ、艦船ではなく自分たちの救済のことを考えてくれるよう将軍団に要求した。そこでデモステネスは、船橋が解けたのだから、すみやかに三段櫂船を艤装すべきだと主張し、意表を突いて襲撃すれば、この奇襲を制するは容易だと公言した。[2]対してニキアスの忠告は、艦船を後にして、島中央部を通って同盟諸都市に撤退することであった。全員がこの案に同意するところとなったので、艦船のうち何艘かを完全艤装し、撤退の準備に取りかかった。[3]しかし、夜陰に乗じて突破しようとしていることがはっきりしたので、ヘルモクラテスはシュラクウサイ人たちに忠告して、夜陰に乗じて全軍でもって出陣し、道という道をすべて先に占領するよう言った。[4]しかし、将兵の多数が負傷しているうえ、全将兵が戦闘で身体的に疲労困憊していたため、将軍たちが聞き入れなかったので、〔ヘルモクラテスは〕何騎かの騎兵に、シュラクウサイ勢は街道と最高の要衝の地を先に占拠する部隊を先遣したとの口上を持たせて、アテナイ勢の兵舎に急派した。[5]すでに夜になっていたが、騎兵たちが下知されたとおり実行したので、アテナイ人たちは、レオンティノイ人たちの一部が好意から報告してくれたと信じ、少なからず周章狼狽して撤退を延期した。もしもこれにたぶらかされることがなかったら、安全に引き上げられたのに……。[6]かくして、シュラクウサイ人たちは、日がさしはじめると、街道の狭隘な地点を先に占領する部隊を急派した。対してアテナイ勢の将軍団は、将兵を二つの部隊に分け、輜重隊と傷病兵を真ん中に囲い、戦うことのできる者たちを前衛と後衛とに配備し、カタネめざして進軍した。一方をデモステネスが、他方はニキアスが嚮導して。


第19章

[1]他方、シュラクウサイ人たちは、〔アテナイ勢によって〕放棄された艦船50艘を曳航して都市に取り込み、三段櫂船から全搭乗員を下船させ、武装させると、全軍でもってアテナイ軍を追いながら、挑発し、前進を妨害しつづけた。[2]かくして、3日にわたって追尾をつづけ、四方八方から取り囲んで、同盟都市カタネに直行する途を閉ざし、エロリオス平野を通っての迂回を余儀なくさせ、アシナロス河近辺で包囲して、1万8000人を殺害、7000人を軛につないだが、この中にデモステネス、ニキアスといった将軍たちも含まれていた。そして残りの者たちは、将兵たちによって掠奪された。[3]というのは、アテナイ人たちは至るところで救いの途を閉じられたので、武器や自分自身をも敵勢に引き渡さざるを得なかったのである。こういう事態になったので、シュラクウサイ人たちは二つの勝利牌を立て、おのおのに将軍たちの武具を釘付けにし、都市に引き上げた。

 [4]そうして、この時には全市民で神々に供犠をし、次の日には、民会が開催されて、捕虜をいかに処すべきかを評議した。すると、ディオクレスなる者が――民衆指導者中最も評判の高い者であったが――表明した案は、アテナイ勢の将軍たちはなぶり殺しにすること、その他の捕虜たちは、当座は全員を石切場に置くこと、その後で、アテナイ勢と共闘した者たちは戦利品として売却し、アテナイ人たちは牢獄で働いて、大麦粉2コテュレ*を受け取ること、というものであった。[5]この議案が読み上げられたとき、ヘルモクラテスが民会に出席していて、勝利を人道的に処するは勝利よりも美しいということを発言しようと努めた。[6]しかし民衆が騒ぎたて、民会演説を続けさせなかったとき、ニコラオスなる者が――今時の戦闘で二人の息子を亡くした人物であったが――老齢のために家僕たちに支えられながら演壇に立った。これを見て民衆は、騒ぎをやめた。捕虜たちを告発するものと思ったのである。そこで、静かになるや、老人は次のように話を始めた。
 *容量の単位。約0.273リットルで、生きられる最低限度といわれる。容量の単位は、6kyathosが1kotyle、144kotyleが1metretes、192metretesが1medimnosである。


第20章

 [1]「戦争における不運事には、シュラクウサイ人諸君、わしは決して半端でないだけの分け前に与った。なぜなら、二人の息子の父親になりながら、これらを祖国ために危難に送り出し、これらの代わりに、あの子らの死を報せる通知を受け取ったのだから。[2]それゆえ、日々、〔息子との〕いっしょの暮らしを願求しては、その最期を思い返し、あの子らを幸せと思う反面、わが身の生を憐れんでおる――誰よりも悲運この上ない者と考えて。[3]なぜなら、あの子らは自然の負い目たる死を、救国のために費やし、おのが名声を不死なるものとして後に残したが、このわしは、老齢の極みにありながら、この老年を養ってくれる者たちを失い、二重の苦しみを味わっておるのだから――親族と同時に徳を願求するという苦しみを。[4]というのは、あの子らの死にざまが気高ければ気高いほど、あの子らの残す記憶はますます傷ましいものとなるのだから。だから、わしがアテナイ人たちを憎むのは当然であろう――やつらのおかげで、実子たちによってではなく、ご覧のとおり、家僕たちに手を引かれているのだから。[5]だから、おお、シュラクウサイ人諸君、目下の評議会がアテナイ人たちのために開催されているのを眼にしたなら、祖国の共通の災禍のためにも、個人的な不運のためにも、やつらに辛くあたったしても当然であろう。しかしながら、不運に見舞われた者たちに対する憐れみと同時に、共同体に寄与すること、ならびに、全人類の前で、シュラクウサイの民衆のために獲得される名声とが判定されるのだから、何が寄与するかの忠告をわしは瑕疵のないものにしたい。

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